クリスチャンよ、主の恵みのうちに固く立とう。ペテロ第一51214  2004.9.26礼拝

 

柴田錬三郎という作家がいました。彼は日本の代表的な女性週刊誌新年号を隅から隅まで読んで言った、「二百数十ページのうちでただの一ページも、英知を必要とする精神に関する記事がなかったことは、特筆明記しておかなければならない。人間にとって最も大切なものが『精神』であるということに、真剣に取り組んだ記事を、ただの一ページものせていないというところに、現代が象徴されている」(キリスト教例話事典)。アメリカ第十六代大統領アブラハム・リンカーン180965は、「私は聖書をこれまでに神が人類に与えた最上の賜物と信じる。世界の救主から発する一切のよきものは、この書を通して我々に伝達される」と言っています。彼は、聖書によれば全ての人が神の前に平等である。奴隷制度は、聖書と全ての人が平等であるというアメリカ建国の精神に反するので廃止すべきであるとして、南北戦争を通して、奴隷制度廃止を実行します。リンカーンは、聖書によってキリストの恵みを受け、奴隷制度廃止という気高い精神を実行に移すことができたのです。

本日はペテロ第一51214です。12節に「この短い手紙をあなた方におくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。」とあります。キリストの直弟子ペテロの手紙は、迫害下にあるクリスチャンを励ますために各地の教会に回覧され、やがてこれが保存され、新約聖書の一冊として我々に伝えられています。ペテロの手紙が聖書となったのは、この手紙の中に、人の罪を赦し、新しい命を与えるキリストの愛の心が満ちているからです。同じようにヨハネの手紙、パウロの手紙など27冊が、教会によって一冊の新約聖書となり、それに旧約聖書が合わさって聖書となっています。神が人類に与えた最上の賜物である聖書によって、キリストの恵みのうちにかたく立って、今週も祈って、信仰生活を進んで参りましょう。

内 容 1、聖書が成り立つために多くの人が用いられている。512前半

    2、主の恵みのうちに、固く立っていなさい。512後半

    3、主の選びに感謝して行こう。51314

資料問題 1214はペテロ自身が書いたものであろう(パウロも同じようなことをしている。Ⅱテサ317、ガラ611)。12節、シルワノ。シラスという名前の完全な形。1テサ11、Ⅱテサ11、Ⅱコリ119。シラスはエルサレム会議の決議をユダと共にアンテオケ教会に伝えている(使徒1522,27)。彼は預言者(使徒1532)、パウロの同伴者である(使徒153740)。ピリピでパウロと獄に入れられた(使徒161925,29)。コリントでパウロと再会し、共に福音を伝えた(使徒1815、Ⅱコリ119)。彼はローマ市民であった(使徒1637)ので、ペテロよりもはるかに多くの教育を受けていたと思われる。ペテロの述べるところを彼がギリシャ語で記したのである。13節、バビロンはローマを指すクリスチャンの秘密の呼び方。バビロンがイスラエルを圧迫する大国であったように、ローマは新イスラエルを脅かす勢力の中心。マルコはマルコ福音書の記者マルコのこと。

 

1、聖書が成り立つために多くの人が用いられている。5:12前半

わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。(12節前半)

13節、シルワノとは、シラスのことで、パウロと共にピリピの獄中で主に祈り、讃美した人として知られています(使徒16章)。ペテロはガリラヤ湖で漁師をしていたごく普通の人でした。シルワノはローマ市民であり、教育も受けていたので、彼がペテロの述べるところを筆記し、整った文章にして、ペテロの手紙が公になりました。手紙の最後、1214の部分はペテロ自らが記し、この手紙全体はシルワノによって筆記されたものであると伝えています。使徒パウロの場合も、例えばテルテオが書記としてパウロの述べた事を筆記しています(ローマ1622。ところで、私たちは聖書66巻を神の言葉として与えられています。ごく当たり前のように日本語で聖書を読み、それぞれがいろいろなタイプの聖書をもっています。しかしペテロの時代には、まだ新約聖書はまとまっていませんでしたし、インクや紙や印刷技術もなく、羊の皮をなめしたものに文字を書いている状況でした。時々ペテロやパウロの手紙が教会に回覧されて朗読され、皆はそれを一生懸命聴いて暗記するというのが普通でした。私たちが聖書を自由に読めることは大いなる恵みです。お隣の中国では聖書が足りず、多くのクリスチャンが聖書を求めていますが手に入らず、日本のクリスチャンが旅行者になって聖書を運んでいます。私たちは自分の聖書を持っていますが、持っているだけでは駄目です。聖書を読み、聖書の御言葉を自分の身に当てはめて行く時に、はじめて聖書の教えが信仰の力になります。先ず聖書を読むことを決意して下さい。そして聖書に従う決意をして下さい。

聖書についてですが、聖書は約1600年間の間に40人の人々が記し、それが教会によってまとめられ、聖書となりました。聖書が成り立つために、聖霊に導かれて聖書を書く人がいました。書かれた聖書を写す人がいました。コピー機などのない時代ですから、全部手書きです。聖書を保存する人がいました。そうした先輩たちの努力によって聖書が保たれ、私たちに伝えられています。話は変わりますが、ニューヨーク・ヤンキースの松井選手のバットを作る職人さんのことがテレビで紹介されていました。ホームランを打つバットを作るために、先ず冬のカナダに行き、バットのもとになる原木を雪をかき分けて探し出す。それを切り出し、日本に運び、乾かし、切り揃えて、バットを作り出して行く。何百本も作られ、そのうちの僅かなものが選び出され、松井選手が試合で使うことになります。一本のバットが非常に多くの時間、人手、労力を要して作り出されて行く過程を知ることが出来ました。それを見ながら、何でも簡単にできるものはないと思いました。聖書のことを考えても多くの人の祈り、協力があって聖書が日本語で読めるようになっています。先ず聖書学者が翻訳をし、国語学者が美しい訳文になるように協力しています。分厚い聖書を作るために丈夫な薄い紙、印刷技術が必要です。聖書を、多くの人々にできるだけ安い価格で頒布するために聖書協会の働きがあります。そうした事を考える時に、少し飛躍しますが、一人の人がキリストの救いを受け、自立したクリスチャンになるために多くの方々が祈り、伝道し、献金をしているということを改めて思います。・・・私に「イエス様のことを知っていますか」と声をかけてくれた人がいる。聖書を通してキリストの十字架と復活を伝えてくれた人がいる。私が教会に出席した時、笑顔で接してくれた人がいる。休むと電話をしてくれた人がいる。洗礼を受けるように励ましてくれた人がいる。聖書を共に学ぶために家庭を開放してくれた人がいる・・・実に多くの人々が一人の人がクリスチャンになるために関わってくれています。今度は私たちが誰かのために何かを担う番です。すぐ出来ることが三つあります。1、人のために祈ることです2、礼拝で会う人に声をかけ、笑顔で接することです。3、礼拝後にもう一度誰かに声かけることです。

聖書が成り立つために多くの人が用いられ、また私たちクリスチャンが成長するために多くの人が用いられています。私たちも周りの人のために祈り、手助けをしましょう。

 

2、主の恵みのうちに、固く立っていなさい。512後半

この恵みのうちに、かたく立っていなさい。(12後半

ここで聖書の示す主イエス・キリストの恵みを三つ取り上げてみます。

第一に、聖書全体の中心主題はただ一つ『誰でもキリストを信じれば救われる』という事です。人は神に背いて生きています。「あなたはわたしのほかに、何ものをも神としてはならない。刻んだ像を造ってはならない。」(出2034と命じられていますが、人は石や木で刻んだ像をつくって偶像礼拝をしています。大きな岩を大岩大明神とし、大木にしめ縄を飾ってご神木とし、毎朝太陽を拝んでいる人もいます。このように「まことの神様」を拝まず、神の戒めに背くことが罪です。罪の結果、人の心は悪くなり、「不品行(不倫)、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴」でいっぱいです。それが具体的に不倫をし、人と争うけんかになる、意地悪をする、欲しいという欲が嵩じて盗みとなり、人を憎む心が人殺しに発展して行きます(マルコ72123。罪の結果は死であり、永遠の滅びです。しかし聖書の神は愛です。「神はその独り子(キリスト)を賜った程に、この世を愛して下さった。それは御子(キリスト)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ316と告げられているように、神の独り子であるキリストが人の罪を背負って十字架上に身代りとなって命を捧げ、神にお詫びして下さったのです。私たちは罪を認め、罪から離れるためにキリストの十字架を信じて罪を赦され、生まれ変わり(義認、新生)、永遠の命を与えられて神の子にされています。

第二に、聖書は『キリストにつながり、天国に入るまで忠実に生きなさい』と告げています。キリストから離れたら、教会から離れたら祝福を失います。聖書日課は列王記を読んでいます。ソロモンという王様がいましたが、彼は最初は忠実に信仰生活をしていた。だが驕り高ぶり、偶像礼拝をする国から女性を迎えて王妃の一人とし、彼女が拝む異教の神々を拝むようになってしまい、それが王国分裂の原因の一つとなります。信仰生活何十年であっても「きょうも主に従います」という心をもって一日一日を大切にして生きることが重要です。私の願いは「キリストを信じて下さい。教会に固く結びついて下さい。そして、皆さん全員と天国でお会いしましょう」ということです。

第三に、聖書は『喜んで、祈って、感謝して生きなさい』(Ⅰテサ51618と告げています。クリスチャンの特徴はキリストを信じ、キリストにすがって、喜びを絶やさない事です。喜びということは何が起きても、主は万事を益として下さるという信仰に立って、ひたすら主にすがって行くことです。そのために祈りがある、また感謝があります。「あなたは、きょう、喜んでいるでしょうか。」・・・二人の婦人が教会に来ていました。Aさんは子どもを事故で亡くし、Bさんはふたりのこどもを病気で失いました。Aさんは主の愛を疑い、教会から離れて行きました。Bさんは「主よ」と必死になって主にすがり、苦しい試練を乗り越えて3人の子どもを与えられ、信仰生活に励んでいます。Bさんが何故に苦しい時を乗り越えることが出来たのかと言えば、それは過去にしがみ付かなかったからです。あの時ああすれば良かったと言って、いつまでもクドクドと過ぎ去った時を嘆くのをやめ、また人の慰めの言葉をあてにせず、「主よ、あなたにすがります」という気持をもってただ主にしがみ付いたからです。主は言われます「あなた方は、先のことを思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しいことをなす。やがてそれは起る、あなた方はそれを知らないのか。」(イザヤ431819。Bさんは主にすがり、後ろではなく、前を見つめ、祝福を得て喜びの道を歩んでいます。今朝、あなたを苦しめ、あなたが重荷に感じていることは何ですか。主に祈りましょう。主は新しいことを示して下さいます。

 

3、主の選びに感謝して行こう。51314

あなた方と共に選ばれて、バビロンにある教会、ならびにわたしの子マルコから、あなたがたによろしく。(13節)

13にあるバビロンとはローマを指しています。マルコとはマルコ福音書を記したマルコのことで、彼は使徒ペテロの通訳をしていたと伝えられています。13節に「選ばれる」という言葉があります。ペテロはローマ帝国の迫害を受けているクリスチャンを励まし、あなた方は「選ばれている」ということを伝えています。神の選びはクリスチャン信仰の大事な点です。キリストは「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだのである」(ヨハネ1516前半)と弟子達に言っています。私たちは自分でキリストを求め、信じたと思っています。それは間違いではありません。でも信仰の年限が進んで来ると、キリストのほうから私を呼んでくれたのではないかという事に気づきます。私の場合、家は全く無信心な家庭であった。中学・高校と続く学校があるというので、先生に勧められて6名がその中学校に入ったが、入ったらカトリックの学校であった。高校はそこの高校ではなく、都立高校に入ったので聖書とは無関係になったと思った。だがクラス担任の先生がクリスチャンであった。またクラスに2名のクリスチャンがいて、聖書を貸してくれたので読んだ。高校2年生の夏に教会に導かれ、9月に信じ、1118日に洗礼を受けたのです。それ以来ずっと教会に繫がっています。そうした事を思い出すのですが、神の御手に導かれて、選ばれ、救われたことを確信します。皆さんも自分の救われた経緯を思い起して下さい。そこに大いなる主の選びがあることを信じることが出来るはずです。

私たちを選んで、救って下さったのはキリストです。選んだ以上、私たちの信仰生活をキリストが守り導いて下さいます。キリストは複雑なことは要求しません。「わたしについて来なさい」(ヨハネ419前半)と言われます。「私はどこまでもイエス・キリストにお従いします。」と決意して祈りましょう。また「わたしはブドウの木、あなた方はその枝である。もし人がわたしに繋がっており、また、わたしもその人と繫がっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」(ヨハネ155との勧めに従い、キリストに繫がって行くこと、具体的には教会にしっかり繫がって行くのが最善です。高校時代のクリスチャンのうち、一人は活発な信仰生活をしています。もう一人は時々教会に行くようですが、また信仰全面復活を果すと思っています。大事なのは、今この自分が選ばれ、救われたことを感謝して、キリストの十字架の恵みのうちにしっかり立って行き、固くキリストの教会に結びついて行くことです。

まとめ

1.12節前半、聖書を通してキリストの救いを知り、信じました。聖書が成り立つために

 多くの人が関わっていますが、私たちが救われるために多くの人が関わってくれたことを感謝します。私たちも人のために祈り、礼拝で笑顔をもって人に接し、帰りにも声を掛け合って行きましょう。

2.12節後半、聖書の示す主の恵みに固く立って行きましょう。キリストを信じれば救われる、キリストにしっかり繫がって行く、そして喜びある者となるために祈りと感謝をもって主にすがって行きましょう。

3.13節、主の選びによって救われています。私たちを選んで下さった主が全てを導いて守って下さることを信じて、キリストの教会に固く結びついて行くように祈りましょう。

祈 り 天地の主である神様、聖書を通して、また主の選びによってキリストの十字架を知り、信じて救われている事を感謝します。キリストを信じれば誰でも救われるという恵みに固く立ち、何があっても主にすがって行きますので私たちを導いて下さい。病気の方々を癒し、主の導きを求める者に速やかに答えて下さるようにお願いをします。私たちの家族を救いに入れて下さい。救主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

参考文献ペテロ注解黒崎、バークレー、フランシスコ会、口語略解、LAB、米田。