御霊によって絶えず祈りと願いをささげよう エペソ6:18−20 主の2004.11.7礼拝
三浦綾子さんというクリスチャン作家が、キリスト信仰を小説や随筆を通して広く人々に紹介し、多くの人がキリストを求め、また信じる切っ掛けを与えられています。三浦綾子さんが祈りについて記した「天の梯子」という書物があり、その中で次のように述べています。「いつか人にこう聞かれたことがある。『キリスト教には、仏教のようなお念仏はないんでしょうか。ナムアミダブツとか、南無妙法蓮華経とか、そういったものがないのでしょうか』。厳密にいえば、キリスト教にはお念仏はない。しかし、それに似た言葉はあると、私は答えた。『インマヌエル・アーメン』という言葉である、『神、吾と共にあり』ということを意味する。・・・淋しい時に『インマヌエル・アーメン』と唱えると、不思議に全能者が私のそばにいて見守っているようで、心が平安になる。よからぬ思いが胸をかすめる時に『インマヌエル・アーメン』と唱えると、神が共にいて下さるのに、つまらぬ思いにふけることはできない」。確かにどんな時でも祈りの心をもって主の御名を呼ぶ時に、その祈りは聴かれているという恵みを私たちも体験しています。(「天の梯子」主婦の友社)
本日の聖書箇所はエペソ6:18−20です。18節は2004年の御言葉ですが、その中に「絶えず祈りと願いをしなさい」との勧めがあります。「絶えず」とは祈りをやめないという事です。とっさの時に、主に縋って、三浦綾子さんのように「インマヌエル・アーメン」と祈るならば、「神、吾と共にあり」という信仰によって、どんな出来事に対しても、あわてず、怖れずに対処する智恵と力が与えられます。また「御霊によって祈りなさい」と言われていますが、聖霊は私たちの心から祈りを引き出し、祈りを導いて下さいます(ローマ8:26−27)。来週はスティーブン・ケイラー師による秋の特別集会です。今週は特に朝に、昼に、晩に毎日ケイラー先生のために祈り、また私たち一人ひとりがキリストの恵みに満たされるように祈って備えて下さい。では今朝も主のメッセージを共に聴き、祈ってキリストに従う決断を新たにし、一週間の旅路を出発して参りましょう。
内 容 1、祈りを絶やさないで、もっともっと祈ろう。
2、御霊によって祈ろう。
3、思いを新たにして、祈り続けることを決断しよう。
資料問題 6:14−17に神の武具が六つある。これらの武具を有効に働かしめる原動力は「祈り」である。18節「御霊によって祈る」、ローマ8:26−28参照。18−20節では自分のためだけではなく、祈りは「すべての聖徒のために」、また「パウロのために」祈ることが要請されている。祈りは「御霊によって」「目を覚まして、倦むことなく」捧げることが大切である。パウロ自身の祈りの要請は、福音を宣べ伝える時に福音の奥義を語れるように(マタイ10:19−20、ルカ12:11−12、21:12−15を見よ)、しかも大胆に語れるようにという事である。さらに他人のために祈ることが強調されている。他人のために祈る時に、神の力がその人に働く。パウロ自身は獄中にあるが、祈りをもって多くの人に神の祝福をもたらしているのである。また伝道者は謙って使命貫徹のために、パウロのように多くの人々に祈ってもらう事が大切である。
1祈りを絶やさないで、もっともっと祈ろう。
この手紙は紀元62年頃、使徒パウロによって記されています。この時、彼は60歳を越える老境に入っていましたが(当時の60歳は現代の80−90歳という感じ)、キリストを信じているという理由で、その時代の世界の最高権力者であるローマ皇帝の裁判を受けるために、ローマの獄中に捕らわれています。彼は獄中の中より、三つの教会(エペソ、ピリピ、コロサイ)とピレモンに手紙を送り、それらは多くの人々に読まれ、現在では新約聖書の中に集録され、それを私たちは神の言葉として読み、恵みを受けています。
ところで、今はどんな時代でしょうか。一口に言えば、現代は混乱の時代です。例えば先週結婚式がありました。聖書によれば結婚は男と女によって成立します。しかし、その考えを否定し、男と男、女と女という同性婚を認める国が増えつつあります。またコンピューターが発達し、人は番号によって管理され、日本では携帯電話が発達しています。人は神の前に静まる事を忘れ、携帯のもたらす情報に依存しながら暮らしています。使徒パウロは、エペソ5:16で「今は悪い時代である」と言っています。悪い時代の中にあって、私たちはどう生きるのかという事ですが、パウロは「絶えず祈りと願いをしなさい」と命じる事によって、何かをする前に「先ず祈れ」という事を強調しています。
18節始めに「絶えず祈れ」とありますが、それはどんな時でも祈りなさい。また祈りを絶やしてはならない、やめてはならないという事です。主イエス・キリストは朝早く起きて祈っています(マルコ1:35)。弟子を選ぶ時に徹夜で祈りました(ルカ8:12−16)。食事の時には感謝の祈りを捧げています(マタイ14:19)。病人のために祈り、悪霊を追い出しています(マタイ8:14−17)。最後の晩餐が終わった時に長い祈りを捧げています(ヨハネ17章)。十字架という最大の危機の時には、その直前、ゲッセマネで血の汗を流して必死で祈っています(ルカ22:39−46)。十字架の上では敵を赦す祈りを捧げています(ルカ23:34)。復活して弟子達に現れた時に、「聖霊を受けよ」と息を吹きかけています(ヨハネ20:22−23)。キリストは、今は、天の神の右に座して私たちのために執り成しの祈りを祈っています(ローマ8:34)。そして天より聖霊を送り、私たちを祈るように導いておられます(ローマ8:14−16)。キリストの一生は祈りにあふれた一生であり、キリストは今も祈り続けておられます。キリストこそ祈りを絶やさず、どんな時でも神に祈っておられる、私たちの祈りの模範です。
私たちは一日どれ位祈っているでしょうか。「私は三度祈ります」「ほう、素晴らしいですね。三度とはどういう時で、どの位の時間をかけて祈りますか」「はい、食前に祈りますので1日に3回、時間はあまり長く祈ると、ご飯が冷めてしまうのでごく短かくです」。それも祈りである事は間違いありませんが、ここで言う祈りとは、御言葉を読んで、そして祈るという時間の事です。いつでも最優先すべきは朝の祈りです。一日は、始まれば大変に忙しく過ぎます。忙しさの中にあっという間に一日は暮れてしまいます。ですから一日の活動が始まる前に聖書を読み、祈る時間を持つように生活を工夫して、祈りを実践して下さい。或いはどこかで、この時間はイエス様の時間として聖書を読み、祈る時間にしようという事も大事です。またどんな場合でも祈って行く事が大切です。「絶えず祈りと願いをしなさい」という御言葉に応えるために、「私にもっともっと祈りを与えて下さい」という気持をもって、聖霊の助けを求めて祈ってまいりましょう。
2、御霊によって祈ろう。
現代はストレスが多くて、何かに依存しなければやっていけないという状況が私たちを取り囲んでいます。18節の中で、パウロは「御霊によって祈れ」と命じています。現代は神様に敵対し、反対する悪霊が働いている時代です。悪霊の働きの一例をあげれば、薬物依存という問題があります。日本ではアルコール依存症者は推定約240万人います。それ以上の覚醒剤乱用者がいると言われています。すぐ手に入る睡眠薬、安定剤、鎮咳剤、鎮痛剤などが乱用され、シンナーやガスの吸引などが広がっていることも大きな問題ます。英語にアディクションaddictionという言葉があります。常用癖という意味ですが、drug addictionといえば 麻薬の常用を指します。アディクシヨンとは魂が満たされていない。魂に飢え渇きがあり、それを何かで埋めようとする行為であると言われています。ですから麻薬でなくても、アルコール依存、食べては吐き、また食べては吐くということを繰り返す過食、仕事中毒、ギャンブル、なんでも買い込んでしまう買い物依存症、過度な競争心、性にのめり込むのもアディクションの表れと言われています。特に性は少女売春の問題があり、先日は授業中に女子生徒のスカートの中を盗撮して40代の男性教師が懲戒免職になっていています。なぜ麻薬に依存したり、買い物依存になるのかという原因は種々ありますが、その一番の原因は寂しさと言われています。寂しさの源は、例えば小さい時から愛を受けることが少なかったり、幼児期に大人によって人生のトラブルに巻き込まれ、心が傷ついているなどという事が考えられます。寂しさの根底には、自分は本当に必要とされているのだろうかという思いが強くあって、自分は除け者になっているという疎外感があります。また、差別され、除け者にされて、どうせ自分は認めてもらえない、だめな人間だという劣等感に悩んでしまう。そこに悪霊がつけ込んで、寂しさを紛らすために麻薬などに捕らわれて行くという事になってしまうのです。
麻薬、覚醒剤は、それを服用すれば魂の飢え渇きが即効的に、劇的に癒されるような気持の高まりを与えてくれる。だが、それは数時間で消えてしまう。すると「もう一回」という気持になって「やめられない。止まらない」というアディクションの状態になり、薬が欲しいために、犯罪を犯すということになり、金も家も家族も仕事も、人間としての誇りも全てを失ってしまうという状況に追い込まれてしまいます。近藤恒夫さんという方は「覚醒剤は当時の自分にとって神そのものであった。覚醒剤こそ自分の全ての問題を解決してくれると信じていた」と言っています。しかし神様を信じて分かったことは、自分は覚醒剤という悪霊を神とする偶像礼拝に陥っていたのだと告白しています。今はそこから救われてカトリックの教会に属しています。(信徒の友。2002.5月号参照)
ですから、パウロは「魂に忍び込もうとする悪霊に隙を見せるな。御霊に満たされて、キリストの十字架を仰ぎ見て祈れ」ということを命じているのです。5回も夫を変え、6人目の男性と同棲していた男性依存症という形で破滅の人生をおくっていたサマリヤの女性がいました。キリストはその女性を救うために、わざわざサマリヤの町に立ち寄っています。キリストは「わたしが与える水を飲みなさい」と言っています。破滅から立ち直るためには、キリストの与えて下さる命の水を飲まなければならない。彼女を悪の力か解放するのは、水に象徴されるきよい聖霊の力です。サマリヤの女はキリストを信じて生まれ変わりました(ヨハネ4:1−43)。私たちはキリストが十字架によってサタンの頭(かしら)を打ち砕き、罪の力に勝利している事を信じています。キリストの十字架を見上げて祈り、キリストに信頼する時に、聖霊の力が臨み、罪が赦され、悪霊の力から解放されます。
勝利の源は十字架にあります。キリストは十字架に上り、朝の九時から昼の三時まで「父よ、彼らを赦したまえ」と祈られ、救いの道を開いて下さった愛の救主です。キリストは私たちのために全てを捧げ、裸で十字架に上って下さいました。私たちも、格好をつけないで、自分の弱さ、足りなさをキリストの前にさらけ出し、自分の願うところ、求めるところを祈って行きましょう。「御霊によって祈れ」と言われていますが、御霊は常にキリストを指し示し、キリストの恵みの中へ私たちを導きます。今朝、あなたの問題、病気、家族、仕事のことなど、御霊の導きによって、どんなことでも祈りましょう。御霊の導きの中に、キリストの恵みが与えられることを信じて祈って行きましょう。
3、思いを新たにして、祈り続けることを決断しよう。
18節後半には、「目を覚まして、倦(う)むことがなく、全ての聖徒のために祈り続けよ」と言われています。19−20節には伝道者パウロへが「私のために祈って下さい」という要請をしています。私たち夫婦もパウロと同じ気持です。どうか、私たちが福音宣教の使命を果たして行くことが出来るように祈って下さい。健康のためにもお祈り下さい。教会に多くの方々が集うことによって、働きの量は増えています。それは嬉しい事で感謝しています。働きを充分に果たして行くように健康のために祈って下さい。
私たちクリスチャンには全ての聖徒のために祈る、また多くの方々のために祈るという使命が与えられています。イギリスのメティカフさんは戦争中は日本の捕虜であった。戦争が終わった時に「日本に行き、聖書を通してキリストが平和の君であることを伝えよう」という使命を与えられ、日本に宣教師としてやって来た。彼は「キリストは、平和をつくる者は幸いである(マタイ5;9)と教えて下さった。それは何か平和運動をするとか、平和について講演会をするとか、平和のためにデモ行進をすると言うよりも、祈ることによって神との平和をつくる者であると信じることである。平和運動、平和講演会、デモをすることにも意味があるだろう。だが眞の平和とは、祈ることによって神との平和を得て、自分中心から神中心となる人が増えて行くことによって推進される」。彼はキリストの救いを伝道した。伝道によって、キリストを信じ、一人また一人と神との平和を得て行く人が増え、平和の輪が広がって行き、主のために良い働きがなされた。この宣教師の働きがイギリス政府の注目するところとなって、イギリス政府の人がいろいろとその働きについてインタビューをしに来た。政府から派遣された人が、心から不思議そうに宣教師に尋ねた「しかし、祈りが役にたちますか?」「もちろん」と彼は答えた。「しかし、こればっかりは祈った者にしかわかりませんね」。(御翼180号)そのとおりです。パウロは祈りについて難しい議論を言っていません。祈りは聴かれるという信仰に立って祈って行こうという祈りの実践を勧めています。キリストもご自分が祈る姿を通して、祈りは聴かれるという事を教えて下さっています。祈りは聴かれます。お互いのために祈り合って行きましょう。
まとめ 6:18−20のうち、18節を中心にしました。
1、「絶えず祈れ」、祈りを絶やさないでもっともっと祈りましょう。
2、「御霊によって祈れ」、悪霊を退けるきよい聖霊に満たされて祈りましょう。
3、「全ての聖徒のために、人のために祈れ」、思いを新たにして互いに祈り合いましょう。
祈 り
天地の主である神様、使徒パウロが記したエペソの手紙を通して。絶えず祈れ、御霊によって祈れ、全ての聖徒のため、人のために祈れという御言葉をいただき感謝を捧げます。キリストの十字架によって救われている恵みに感謝し、お互いに祈り合って行くように導いて下さい。悪霊が盛んに活動していますが、きよい神の御霊によって悪霊に打ち勝ち、恵みの道を歩ませて下さい。来週のスティーブン・ケイラー先生の2回の集会に出席し、沢山の恵みをいただける事を信じ、今週は毎日お祈りして来週の集会に備えて参ります。今朝礼拝に出席できた事を感謝し、イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献:エペソ注解―フランシスコ会、黒崎、LAB、口語略解、米田、新約略注。