キリストの福音にふさわしく生活しなさい ピリピ1:27 主の2005.2.6礼拝
日本にはアメリカの基地があります。その是非は別として、基地の中に入ると、中は全くアメリカです。日本でありながら、基地内にいる人々の大多数はアメリカ人です。日本語が通じません。家の建て方にしても、スーパーマーケットの陳列の仕方などでも全部アメリカ流です。アメリカという本国から遠く離れているにも関わらず、そこはアメリカの出先として小アメリカという感じを強くもちました。
本日はピリピ1:27「ただ、あなた方はキリストの福音にふさわしく生活しなさい」という御言葉です。先週は「わたしにとっては、生きることはキリストである」(ピリピ1:21)という御言葉のメッセージでした。キリストを信じ、キリストを心に宿している者は、きょうの「キリストの福音にふさわしく生活せよ」という御言葉に従って生きる者です。パウロは、この御言葉によって、「キリストを信じて生まれ変わった者は、その生活全体を通して、クリスチャンとして生きて行きなさい」ということを訴えています。
「生活しなさい」という言葉には「市民として生きる」という意味があります。そのことから、「キリストを信じて生まれ変わった者は天国の市民として生きなさい」という勧めとして受け取ることができます。基地の中にいるアメリカ人がアメリカを忘れないようにして、アメリカ市民として振舞っているように、クリスチャンは神の国の一員であることを忘れずに、神の国にふさわしい生き方、行動をしなさいという積極的勧めです。要約すれば、「キリストの福音を信じている者は、どこにいても神の国の市民として生きて行きなさい」ということです。今週も短い御言葉ですから、暗誦して下さい。すぐ憶えられると思います。この御言葉を中心にして、主のメッセージを聴き、祈って新しい一週間の旅路を出発して参りましょう。
内 容
1、キリストの福音にふさわしく生活する者は、礼拝をする者である。
2、キリストの福音にふさわしく生活する者は、祈りをする者である。
3、キリストの福音にふさわしく生活する者は、献げる者である。
資料問題
ピリピ書については先週記したとおりである。「生活する」という言葉は「市民である」「市民として生活する」との意である。ピリピはローマの植民都市であった。いわば小さなローマである。市民たちはローマ市民であることを忘れずに、ラテン語を話し、ローマ風の生活様式を守っていた。クリスチャンは神の国の民として、キリストの恵みを忘れずに、キリストを表すように生きて行きなさいということが命じられている。神の国の市民には特権がある。例えば祈りが与えられている。「福音にふさわしく生活」すために、信仰に堅く立つ、キリストにあって一致する、落ち着いて信仰の戦いを進めることが大切である。そして29節では苦しみを怖れないということも勧められている。
1、キリストの福音にふさわしく生活する者は、礼拝をする者である。
私たちはキリストを信じて、罪の赦しを与えられ、クリスチャンになりました。世界人口が60億人と言われていますが、大雑把に言って、その三分の一以上がクリスチャンです。日本では、総人口の1%がクリスチャンですので100万人前後です。少ないといえば少ないのですが、少ないということは、これから増えるということを意味しています。なぜなら神様はすべての人が悔改めて救われることを望んでおられるからです。だから、これから大いに人が救われて行く事を信じて、伝道に励みたいと祈り願っています。
考えてみますと、こんなに大勢の人がいるのに、神様は私に目を留めて、私を選んで、キリストを信じる群れである教会の中に招き入れて下さいました。私はそのことを日々に感謝すると共に、さらに多くの信じる者が起こされ、教会に加えられるように、という事を主に祈り続けています。振り返ってみますと、アメリカから派遣されたクラー宣教師が熊谷で伝道を開始した時は、ゼロからのスタートでした。ゼロから始まった事が、一つの群れとして成長し続けている事は、神様の憐れみであり、祝福です。自分がクリスチャンになっていることを感謝しましょう。2005年、「キリストを喜び、キリストを伝える教会」として、イエス様によって救われ、クリスチャンになる者が大いに増えることを信じ、伝道して行くように祈って進んで行きましょう。
今朝、使徒パウロは、神の御霊に導かれて「キリストの福音にふさわしく生活せよ」と私たちに呼びかけています。「ただ、ただ一つ(新改訳)、ひたすら(新共同訳)」という言葉が、その前についています。パウロは、「ただ一つの大事なことがある、あなた方はひたすらキリストの福音に恥じない、キリストを表すにふさわしい生活をしなさい」と言っているのです。「生活しなさい」という言葉は「市民として行動する」という意味があります。クリスチャンはキリストを信じて、天国の国籍をもっている者です。「キリストの福音にふさわしく生活せよ」とは、「天国の民にふさわしい行動をしなさい」ということです。キリスト信じても、全く前と変わらない生活をしているというのでは、証になりません。クリスチャンとしての生活態度を表して行きなさいという勧めです。
クリスチャンとして、キリストの福音にふさわしく生活することは、礼拝によって表されます。礼拝ということで思い出すのは、クリスマスの時にキリストを礼拝に来た東の博士達のことです(マタイ2:1−12)。博士達は現在のイラン、イラクあたりに住んでいたようですが、不思議な星の出現を見て、2000キロほどの道のりを旅してエルサレムにやってきました。昔のことですから、歩いての旅です。見知らぬ土地に入り、いつなんどき盗人が襲ってくるかもしれないという命の危険を冒して、彼らはひたすらキリストを捜し求めて旅をしてきました。彼らの仕事は占星術といわれる星占いでした。聖書では占いは固く禁じられています(申命記18:10−14)。たしかに彼らの仕事は、聖書的ではない仕事です。しかし、とにかく救主に会いたいという熱心さをもって、彼らは旅をしてきました。たとえ今、その人が間違ったことをしている場合でも、主を尋ね求めるならば、主はその人に出会って下さいます。イエス様の周りには、取税人、罪人、売春婦、病人など,人から嫌われ、蔑まれている大勢の余り者が集っていました。偉い学者、神殿の祭司、パリサイ人は彼らを受け入れませんでした。イエス様は過去の前歴が汚れていても、占いをしていても、どんな罪深い人がやって来ても、一人一人を隔てなく愛をもって受け入れて下さいます。キリストは、どんな人であっても、悔改める者の罪を赦し、新しい生まれ変わりと出発とを与えて、人生を祝福して下さいます。イエス様の御言葉を忘れないで下さい。「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない」(ヨハネ6:37)。
博士達は、救主イエス・キリストを求めて、命を賭けて旅をして、遂にイエス様に出会い、ひれ伏して礼拝を捧げています。私たち人間は多くのエネルギーを用いてお金を手に入れ、地位や権力を手に入れようとします。しかし、それらのものが人間を幸せにするかどうかは分りません。人間の本当の幸せはキリストを自分の救主、また主として心に受け入れることです。その時に人生は恵みに変わって行きます。私は毎週講壇に立っています。礼拝を重ねて行く度に、礼拝を捧げている人の顔が微妙に明るく変化して行くのが見られます(顔の形は変わりませんが・・)。それは自分の人生を支えて下さるキリストにある安らぎがあるからです。2005年、あと45回の礼拝があります。一回一回の礼拝を大切にし、祈り合ってキリストの福音にふさわしく生活するように励んで行きましょう。
2、キリストの福音にふさわしく生活する者は、祈る者である。
祈りこそはクリスチャンに与えられた祝福です。クリスチャンの祈りには二つの特徴があります。
一つは、私たちは聖霊によって天地万物を創造された神さまを「アバ(お父ちゃん)」と呼んで祈ります(ローマ8:15)。それは、キリストを信じて神の子どもになったから当然のことですが、私たちはどれほど神様に信頼しているであろうかということを思います。小さい子どもは無条件で親に信頼しきっています。私事になりますが、先日、諏訪の孫を2週間預かり、合計3人の孫をみるという日々を送りました。孫が好きな遊びに、高い所から飛び降りて抱きとめてもらうというのがあります。飛び降りれば間違いなく抱きとめてもらえると信頼しきって、かなり高い所から私めがけて飛び降りてきます。それを繰り返しながら、私は無条件で神様に信頼しきって、自分の身を委ねているだろうかということを考えさせられました。そして、もっともっと「アバ、父よ」という信頼をもって神様に祈って行こうという新たな決意を与えられました。
二つは、私たちは「イエス・キリストのお名前によって祈ります」(ヨハネ14:14)。どんなことでもイエス様のお名前によって祈る時に、祈りは聴かれて行きます。祈りの聴かれ方ですが、次のような形で聴かれます。
1、祈ったとおりになる。
2、自分の願いとは違う形で聴かれる、
3、すぐ聴かれないで少し時を経てから聴かれる、
4、祈りが聴かれないという形で答がある。
いずれにしても祈りは様々な形で聴かれて行きます。アルプスの少女・ハイジというアニメがありました。原作はヨハンナ・シュピーリ(スイス人1827−1901)の「ハイジ」です・。アルプスの牧場に暮らすハイジは孤児という不幸な境遇であるが、神様を信じて明るく生きています。足の悪いクララが歩けるようになった時、「神様にお礼を言いましょう」と言って二人で祈ります。ハイジが、「神様が私たちの願いを聴いて下さらない時があるが、それは神様が私たちよりも、もっと良いことを知っているからよ」と言います。それは祈りの核心をついている言葉です。作者自身が「ひたすら神様に信頼していれば、道が開ける」という信仰にたっているので、それが作品に影響を与え、読者にキリストの光と希望と勇気をもたらすのです。作者ヨハンナに、信仰を伝えたのは牧師の娘であった母親です。親の信仰は必ず伝わって行きます。お子様をお持ちの方は、子どものために祈り、また共に祈って下さい。私も一人の親として、子どもたちのために、家族のために祈り続けています。
人生の重大事には特に祈りが必要です。それにはふだんからコツコツ祈り続けて行くことが大切です。ある方の証を読みました。その人は独立して建築事務所を始めた。好調に仕事をしていたが、長引く不況で苦しくなってきた。もう潰れるところまできた。その時に、大きな会社から「うちに来て下さい」という誘いがあった。給料も高い、役職につける、これはいいと思ったが、1か月祈ってみた。すると、違う人が自分の誘われていたポストについたということを耳にして、「これは神のサインだ」と思って断った。「別の部門に来てくれ」と言われたが断った。ところが、そんな大きな会社であったのに6年後に倒産してしまった。自分の所はつぶれずに、不思議に仕事が回って来るようになって恵まれている。給料が高い、役職につけるという事で決めずに、何でも一つ一つ祈って進む時に、神様は正しい道に導いて下さるということが本当によく分ったということです。
祈りましょう。祈りは聴かれて行きます。今朝、あなたの問題のために、神様は祈りを叶えてあげようという愛をもって、あなたの祈りを待っています。聖霊によって、イエス・キリストの御名によって祈りましょう。
3、キリストの福音にふさわしく生活する者は、献げる者である。
聖書の原理は、「与えて受ける」ということです。私の心の中にあるキリストの御言葉は「受けるよりは与えるほうが、幸いである」(使徒20:35)というものです。キリストの考えは人の逆です。人は受ける事を好みます。受けて自分が豊かになり、余裕が出来たら分けてあげよう、献げようというものです。それは当然すぎるほどの考えです。しかしキリストは違います。まず与えよう。まず分け与えて行こうというものです。
私たちは、キリストご自身のために時間を献げましょう。テレビをみれば情報でいっぱいです。例えばグルメ番組があって、安くておいしい店や食べ物を紹介しています。これを食べれば健康になりますという番組があり、食べ物の詳しい成分などを調べて食べようということをアッピールしています。隠れた秘湯と称して山奥の温泉を映し出しています。私たちも、ついそうした情報に乗せられて、それを話題にします。でも、それだけで終わっては空しいでしょう。少しでも多くキリストに時間を献げ、キリストの恵みを分かち合うことが出来れば心が満たされ、恵まれます。
私たちは、時間を献げて、友のために祈ることができます。時間を割いて、心を込めて信仰の友のために祈って行くならば、自分が恵まれます。私は、皆さんの祈りを感じて励まされます。私のために時間を献げて祈ってもらっていることは大きな感謝であり、力となっています。
私たちは、自分に与えられ、委ねられているものを献げる恵みを与えられています。キリストが十字架に命を献げて下さった恵みに応えて、十分の一献金を献げることは生活が祝される基礎です。そして、それ以外に祈って助けを必要とするところに献げることができれば幸いです。話は変わりますが、「銭形平次捕物帖」という小説があります。野村胡堂という人が書いています。この人の奥さんがクリスチャンで、彼もクリスチャンになります。この夫婦のモットーは「天に宝を積む」(マタイ6:20)ということでした。毎月の月末にはたくさんの封筒を用意して、助けを必要とする人々にお金をいれてそっと渡していたということです。また音楽評論家として、レコード収集家としても有名でしたが、レコードは寄付しています。私たちにも主が示されるならば、主のお役に立つことが出来ると思います。2月は26日にホームレス伝道がありますが、またおにぎりを携えて行きますので、宜しくお願いします。「受けるよりは与えるほうが、幸いである」という主の御言葉を心に留めて下さい。
まとめ
「ただ(ただ一つ)、あなた方はキリストの福音にふさわしく生活しなさい」。これは暗誦して下さい
キリストの福音にふさわしく生活する者は、礼拝をする者です。祈る者です。献げる者です。
ではお祈りをさげます。
祈 り
天地を造られた神さま、私たちのために救主イエス・キリストを遣わして、十字架によって救いを与えて下さったことを感謝します。私たちは「キリストの福音にふさわしく生活しなさい」という御言葉に従って参ります。礼拝をささげ、聖霊によって主の御名によって祈り、そして主に献金をささげ、そして助けを必要とする方のために手助けをする愛と力とを与えて下さい。キリストの恵みを分かち合い、祈り合って行くように、主にある交わりを祝福して下さい。病気の方々を癒して下さい。困難の中にある方々を支えて下さい。家族に救いと祝福が及ぶようにして下さい。様々な暗いニュースが飛び込んできますが、目を覚まして執り成しの祈りをささげるように導いて下さい。私たちの救主イエス・キリストの尊い御名によって祈ります、アーメン。
参考文献ピリピ注解―黒崎、フランシスコ会、バークレー。 「御翼各号・佐藤順」「世界名作事典・平凡社」「信仰雑誌」