世に勝つ勝利は我らの信仰なり ヨハネ第一5:1−3           主の2005.2.13礼拝

500年前ドイツに宗教改革を進めたマルティン・ルッターという人がいました14831546。彼は当時のカトリック教会の改革を願って95個条にわたる質問状をローマ法王に提出、そのために1521年ヴォルムス国家に召喚されます。もしそこに行けば、ローマ法王側から質問状の撤回を求められ、それを拒否すれば、カトリック教会を破門され、死を宣告されるということが予想されました。ルッターは出かける前に「たとえヴォルムスの国会の屋根瓦の数ほど、沢山の悪魔が私を襲って来たとしても、それでも私は行く」と言って出かけます。この信仰の勇気が、悪魔に勝利する力になり、ドイツ語聖書を翻訳し、宗教改革という偉大な働きにつながって行きます。

本日はヨハネ第一の手紙515です。45節に「世」という言葉が3回でています。世とは悪魔(サタン)によって支配されている世界全体を指し、直接にはサタンそのものを指しています。サタンとは何者でしょうか。サタンはキリストに反対する者です。サタンはローマ法王を通して「キリストを信じるだけで救われる」と言うルッターの信仰を覆そうとしますが、彼は神の力により頼んでサタンに勝利を得ます。4節後半「わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である(私たちの信仰、これこそ世に打ち勝った勝利です=新改訳)」ことが力強く宣言されています。

主の日の朝、心の耳を開いて主の御言葉のメッセージを聴き、勝利の主であるイエス・キリストを見上げ、聖霊によって祈り、新しい一週間の旅路を始めて参りましょう。

 

内 容

1、信仰の恵みは、イエス・キリストを信じ、心に愛が与えられることである。5:1−3

2、信仰の恵みは、イエス・キリストによってサタンに打ち勝つことである。5:4−5

資料問題

1「イエスはキリストであることを信じる」とは信仰の基本告白であり、222「イエスのキリストであることを否定する者」である異端とは正反対である。5節の「イエスを神の子と信じる者」も信仰の基本告白である。キリストに「あなたこそ生ける神の子キリスト」という信仰告白を最初にしたのは使徒ペテロである(マタイ1616)。「イエスをキリストと信じること」によって、1神より生まれた神の子になり(1節前半)、 2、神の子たちを愛する者となり(1節後半)、

3、神の戒めを守り(2,3節)世に勝ち(4,5節)、4、神によって証され「610節」、5、永遠の命を持つのである(11,12節)。4「世に勝つ勝利は我らの信仰」はイエスを神の子キリストと信じる者に与えられる。なぜなら信じる者のうちにいます方は世にいるものよりも大いなるものであり(44)イエス・キリストはサタンに勝ったからである。だから私たちもキリストにあって勝てるのである。

 

1、信仰の恵みは、イエス・キリストを信じ、心に愛が与えられることである。5:1−3

すべてイエスのキリストであることを信じる者は神から生まれた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生まれた者をも愛するのである。(1節)

高校時代の教科書に哲学者カントの言葉が載っていたのを思い出します。たしか、「考えれば考えるほど畏敬の念を誘うもの、そは天にありては星辰の秩序、地にありては我が心の道徳律」という言葉であったと思います。天を仰げば、何千年も宇宙の星々は狂いなく自分の軌道を廻り、星の位置を見て人間は方角を知り、目的地に向かいます。渡り鳥が何千キロも海を越えて違う土地に行けるのは、星を見て方向を決める本能が備わっているからだそうです。アメリカの宇宙飛行士は地球の自転と月の動きに合わせてロケットを飛ばし、それによって月に行ってくることが出来ました。目を転じて私たちの心を見てみると、教えられた訳ではないのに、何故か不思議なことに正邪の観念があります。誰がこの広大な宇宙のバランスを精妙に保っているのか、また誰が心の中に正邪の思いを授けてくれたのか不思議です。そうした事を考える時に、使徒信条で告白している天地の創造主(つくりぬし全能(なんでもできる)の父なるまことの神様がおられることを確信することができます。私たちは、このまことの神様を、神の独り子であるイエス・キリストによって知り、神の愛を受け、クリスチャンになることができました。

神様を知るとは、例えば「神は愛なり」ということをどうやって知るのでしょうか?神様の愛はキリストによって表されていますこの手紙4:8−10を読んでみます。神様の愛の徴としてキリストが私たちの罪のために「贖いの供え物(宥めの供え物となったとあります。これはキリストが十字架に架って、私たちの罪のために死んで下さったという意味です。もし、私たちが神様を信じないままでいれば、死んで地獄に滅んで行きます。それをストップするために、私たちが受けるべき罪の罰の身代わりとなって、キリストが十字架にそのきよい命を捧げ、死んで神様にお詫びをして下さったのです。

使徒信条に、「神は天地の創造主(つくりぬし)であり全能である」とあります。キリストはガリラヤ湖の嵐を「静まれ、黙れ」の一声で静め、万物を創造された力を発揮しています(マルコ439)。ラザロが死んで体中に布を巻かれ、洞穴式の墓地に葬られ、4日も経っていたのに、キリストは「ラザロよ、出て来なさい」という一声をもって彼を甦らせ、生も死も支配する何でもお出来になる全能の力を表しています(ヨハネ11章)。キリスト「わたしを見た者は父を見たのである。わたしと神とは一つである」と言われました(ヨハネ14:9,17:11)。それ故に、私たちはキリストによって神を知り、その救いを受け、神の子にされるのです。それが1節の「イエスがキリストであることを信じる者」という御言葉の意味です。キリストを信じて、神の子になるためには、具体的に三つの決断をします。

第一に、キリストにすべてを任せるという決断です(キリストに人生の全てを任せること)。

第二に、全ての偶像を棄て去るという決断です(偶像の習慣からも解放されて行くこと)。

第三に、キリストを心の中に迎え入れ、いつまでもキリストに縋って行くという決断です。

罪を悔改め、「イエス様は私のキリスト(救主・メシア)です」という祈りをもって、イエス・キリストを心の中に向かえ入れた瞬間に生まれ変わって神の子になる、それが神から生まれたということです。

キリストを信じて神の子になった者は、キリストを愛して喜びの戒めを守ります。

ペテロ第一189を読みます。「輝きに満ちた喜びにあふれている(joy is fulll of glory栄えに満ちた喜

びに踊っているー新改訳)」とあります。昨年軽井沢バイブルキャンプで、井上比呂子師より中国伝道の

証がありました。中国で、その場所に行けばクリスチャン達に会えるという指示があった。しかし、顔

も知らない人達に会うので、「どうやってクリスチャンだと分りますか」と尋ねると「行けば分ります」と

言われて指定の所に行った。そうしたら全く初めて会う人達なのに、すぐクリスチャンだと分った。

それはイエス様を愛する心が喜びとなり、輝きとなって、彼らに現れていたからです。ある証集の中

に、1900年中国で起きた暴動事件(北清戦争)でクリスチャンに対する迫害が始まった時、中国

人クリスチャンは身を隠していることができなかった。それは彼らの顔の輝きがクリスチャンであるこ

とを現していたからであると記されていました。私たちの教会は「キリストを喜ぶ教会」と言っていま

す。あの教会に行くとキリストの恵み、喜び、元気を与えられるというキリストの輝きを現す教会であ

るように祈りましょう。

コリント第一1348を読みます。「恨みをいだかない(人のした悪を思わず)」とあります。これは会計係りの言葉で、忘れないために帳簿に記入するという意味の言葉です。人にしてもらった良いことは結構忘れるのに、ちょっとでも人がした悪いことや不親切を忘れないで帳簿に書いてあれば、きょう消しましょう。イザヤ4325「わたしこそ、わたし自身のためにあなたの咎を消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない(罪を思い出さない)」という御言葉を忘れないで下さい。イエス様は十字架によって私たちの全てを無条件で赦して下さいました(コロサイ2:1217参照)。恨みを棄て、赦すことこそクリスチャンに与えられた愛の戒めです。それは難しくない(重荷とはならない)と言われています。祈れば、神の聖霊が助けて下さって、喜びを満たし、また様々な恨みを忘れるように助けてくれるからです。「イエスはキリストである」と告白し、生まれ変わったことを感謝しましょう。キリストを喜び、輝きあふれるクリスチャンとして、また人を赦す愛の心が成長して行くように祈って行きましょう。

 

2、信仰の恵みは、イエス・キリストによってサタンに打ち勝つことである。5:4−5

世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか。(5節)

この世は憂き世と言われます。どんな人であっても、生きている間にいろいろな苦労に見舞われるので、憂(うれ)いの多い世の中ということで憂き世なのです。しかし、聖書は「わたしの生きている限りは必ず恵みと慈しみが伴うでしょう(詩篇236という積極的な生き方を教えてくれます。イエス様は「あなた方はこの世では悩みがある」と言われました。だから「憂き世だ、諦めて暮らせ、悩みがあるのは宿命だ」ということは一言も言っていません。「しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と言われ、私たちを励ましています(ヨハネ1633

世とは、キリストに反対するサタンによって支配されている、神に背いている世の中全体を表しています。また世とはサタンを指しています。サタンの起源などについて神学的に論じることよりも、或いはなぜサタンがなぜ活動を許されているのかということよりも、サタンが様々に私たちを誘惑し、キリストから切り離そうとしている事実を認め、それに対処して行くことが大切であると考えます。確実なことはサタンの活動は間もなく終り、キリストが全面的に支配する世の終りが近いということです。サタンは自分が最終的に滅ぼされ、永遠の地獄の火の中に投げ込まれる日が近いことを知っているので、地獄に行く仲間を増やそうと思い、必死になって私たちを誘惑しているのです。「主の祈り」の最後のところで「われらを試みに会わせず、悪より救い出(いだ)したまえ」と祈ります。「悪より」というのは、悪の根源であり、私たちを誘惑する悪魔と言われるサタンから、私たちを守って下さいということです。ですから日々「主の祈り」を祈ることはとても大事なことです。心を込めて主の祈りを捧げ続けて下さい。

サタンが私たちを誘惑する常套手段について少し知っておきましょう。

1、サタンは人を失望させます。サタンに会って勇気をもらったということは絶対にありませ。サタンの仕事は人に失望を与え、怖れをもたらし、キリストの愛を疑わせることにあります。

2、サタンは人を高慢にします。「祈らなくても物事はうまく行く」と言います。「それはあなたが素晴らしいからであって、キリストの力ではありません」という高ぶった思いを吹き込みます。実はサタンこそは高ぶって神に背いた反逆者です。サタンは黎明の子、明けの明星と呼ばれる最も麗しい天使であったと言われています。ところが、その麗しさが神様によって与えられたものであることを忘れて高ぶり、「私は雲のいただきに上り、神のようになろう」と言って、神様に背き、審かれてサタンになり、世の終りに滅ぼされるまで存在を許されているにしか過ぎないのです(イザヤ141217)。人と自分を比べる気持、人を見下すような思いが少しでも出てきたら高ぶりの始めですから気をつけて下さい。「高ぶりは滅びに先立ち、誇る心は倒れに先立つ」ことを忘れないで下さい(箴言1618)。

3、サタンは人を限りなく自己中心にさせます。ユダヤ人の律法に関する教えをまとめたタルムードの中に「子どもは自分が一番重要だと思っている。成長しない大人もまたそう思っている」とありました。子どもは小さい時は保護され、何でも与えられます。しかし成長するにつれて分け合い、助け合うことを学び、成長して行きます。サタンは「お前はまだ弱い。だから何もできない。助けてもらいなさい」と囁きます。キリストの御言葉は違います、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」というものです(マタイ712)。キリストが全てを投げ打って、私たちのために仕えてくれたように、キリストの心を心として、互いに祈り合い、助け合って下さい。今週はファミリーの週です。自己中心を棄てて、互いに重荷を担い合って、祈り合うファミリーにさせていただきましょう。

4、サタンが最も好み、また私たちが引っかかりやすいのは、「この次からやろう」ということです。「明日から聖書を読むぞー」、「来週から礼拝を休まないぞー」、「きょうのところは自分で使うが、この次からはいっぱい献金するぞー」・・・これに引っかからないで下さい。この次は、明日は私たちには分りません。分っているのは、きょうという今のこの時です。従うのは今です。キリストは言われます、「私について来なさい。ついてくるのは今です」と。(マタイ4:19参照

だいぶ前ですが、ニュースを見ていましたら、映画「サウンドオブミュージック」のモデルであるトラップ一家の三代目にあたる人たちが歌っていました。その時にずっと以前に見た映画のこと、ドレミの歌、モデルとなったトラップ一家のことを思い出しました。修道女マリヤはトラップ家に家庭教師に行き、7人の子持ちのオーストリヤ海軍軍人トラップ大佐と結婚します。時あたかもナチスドイツが勃興し、オーストリヤはナチスによって占領されます。トラップ大佐はナチスの潜水艦勤務を命じられますが、北イタリアに一家で列車で逃げて行きます(映画ではアルプス越えの設定)。やがてアメリカに渡りますが所持金は殆どゼロ。幸いにも一家に音楽の才能があり、神を信じて音楽活動に乗り出します。一家はオーストリヤ民族衣装で出演し、はじめは英語ができずに苦労しますが、やがてトラップファミリー合唱団として認められて行きます。この一家は成功しても奢らず、音楽キャンプを開いて、神様の愛を分かち与える働きをします。第二次世界大戦の後は、飢えに苦しむオーストリヤの人々のために全米でコンサートを開き、そこで得た利益、寄付金をオーストリヤに送り、多くの人々が飢えから救われ、命を長らえることができたのです。サタンが世を支配しているような、ナチスが治めている時代の中で、それに抵抗し、アメリカに渡ってからは信仰を第一にして音楽活動をし、それを神様を紹介するために用い、また故郷の難民を救うために自分たちの得たものを惜しみなく捧げて人々の命を救うという働きをした一家であったのです。その中心であったマリヤは「神の絶妙な助けが常にあることを信じ、神様に頼る」生涯を送って198287歳で天に帰って行きました。ナチスによる圧迫、亡命、着の身着のままでアメリカに渡り、英語も分らないままに音楽活動に進んで行ったトラップ一家を神様は導いて下さいました。まことに、世にサタンがいて攻めてきても、世を支配するサタンに打ち勝つ信仰がある。その信仰とは神の子イエス・キリストを信じる信仰であることを知ることができます。

 

まとめ

11節、イエス様をキリストとして信じる恵みに与ったことを感謝、しキリストの愛をいただいて、恨みを棄てて、明るい人生を進んで行くように祈りましょう。

25節、キリストはサタンを打ち砕き、勝利を得ています。いかにサタンがやってきても、その誘惑に乗ることなく、ひたすらキリストについて行きましょう。

 

祈 り

天地の主である神様、「イエス様は救主キリストである」という信仰を与えられていることを感謝します。サタンは様々に誘惑し、攻めてきますが、「世に勝つ勝利は我らの信仰である」ことを感謝します。世とサタンに勝つ者は誰か、それは神の子イエス・キリストを信じる者だけに与えられている大いなる恵みであることを信じます。恵み深い神の聖霊によって、真っ直ぐな信仰の道を前進させて下さい。困難の中にある方を守り、勝利を与えて下さい。病気の方を癒して下さい。それぞれのファミリーの家長を支え、ファミリーの集いがキリスト中心であるように御霊が導いて下さい。神様、会堂のこと、そして特に駐車場が緊急に必要です。どうかあなたの導きを具体的に示して下さい。勝利の主であるイエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

参考文献 ヨハネの手紙注解―バークレー、フランシスコ会、黒崎、LAB. 「キリスト教例話事典・教会新報社」「ユダヤ人5000年の教え・実業の日本社」「絶妙なるタイミング」