主の2006年―まず神の国と神の義とを求めなさい。マタイ6:25−34 主の2006.1.1聖日礼拝
ロシヤのトルストイ(1828―1910)は「復活」(1899)という小説を書いています。ロシヤの青年貴族ネフリュードフは、自分のために罪に堕ち、刑務所に入った女性カチューシャを救うために奔走します。彼女は彼のことを赦し、彼は自分の身分に関わりなく、彼女と結婚しようと決意します。やがて、カチューシャに対する判決取り消しの特赦令が出ます。彼はその喜びの知らせをもって、刑務所のカチューシャの所へ駆けつけます。しかし彼女は別の男性を選びます。彼女は、ネフリュードフの将来を思い、彼への愛をこらえ、人に尽くすためにシベリヤの奥地に旅立って行きます。ネフリュードフは複雑な気持で彼女を見送り、自分の生き方を知るために聖書を開き、「まず神の国と神の義とを求めなさい」という聖句を見出します。彼は神の無限の愛で、真実を求めて生きる新しい人生をはじめて行きます。
主の2006年にふさわしい御言葉を与えて下さい、と祈りながら、考えていましたが、その答としてマタイ6:25−34が示されました。特に、この箇所の中心聖句である6:33「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」という御言葉を暗誦して下さい。最初に言ったトルストイの「復活」という小説ですが、マタイの御言葉が引用されたりして、トルストイの信仰が強く反映されています。それはそれとして、マタイ6:33は私の信仰の原点であり、様々な節目節目で常に私を導いてくれた御言葉です。
本年はクラー宣教師によって熊谷伝道が始まって40年ですが、1968年クラー師より伝道を引き継いだ私たち夫婦はマタイ6:33を旗印にして、「自主伝道・自主経済・自主政治」を目標にして開拓伝道の出発をし、37年を過ぎました。ここで、再び「まず神の国と神の義とを求めなさい」という御言葉が与えられたことを感謝し、伝道の原点に立ち、この御言葉を心に刻んで前進して行きたいと決意しています。聖書朗読の箇所、詩篇65:11に、「その恵みをもって年の冠とされる」とありました。主イエスキリストは恵みの神であり、善にして善をなされる愛の神です(詩篇119:68)。2006年が恵みに満ち溢れる一年間になることを信じます。聖霊によって祈りを与えられ、信仰から信仰へと進む一年間であるように、主のメッセージを聴き、共に祈って新しい年を出発して参りましょう。
1、キリストに縋って、思い煩いを捨てて行こう。6:25−32
2、キリストに縋って、「まず神の国と神の国の義と求めなさい」という生活をして行こう。6:33−34
資料問題
6:25−34で、キリストは思い煩いを失くすために、全生活を神に委せ切って行くように教えている。誰にでも分かるように空の鳥、野の花などの卑近な例をあげて、全てを養い、守りたもう神を信じるように、人々の心を神に向け、励ましている。公生涯に入られて、キリストは住む所なく、食べる保証もなく、流浪の旅をしながら伝道をし、十字架に向かって行かれた。神様は様々な人々を用いて、キリストの生活を助け、支えている(例:ルカ8:1−3)。キリストは自らの生き方を通して、思い煩わない生活の見本を示している。30節「信仰の薄い者たちよ」、キリストが弟子達の薄信を責めているのは4回である。その4回を通して、信仰の薄いことから生じる結果が述べられている。第一の結果は「思い煩い」(6:30)、第二の結果は「恐怖」(8:26)、第三の結果は「疑い」(14:31)、第四の結果は「議論」(16:8)である。不信仰は必ずこれらの中の一つまたはそれ以上の結果をもたらすのである。