イエス・キリストは愛と一致の源である エペソ4:14−16          主の2006.11.5礼拝

私が20歳の頃、神田の古本屋で本を探していると、ヘラヘラした学生が近づいてきて「そこのYMCA会館で良い話があります。聖書に関係したことです」と言うので、話を聞きに行ったことがあります。異様な感じの男性が聖書の話を始めたのですが、その解釈はデタラメであり、しかも救主と称する人が以前日本に来た、近い内にまた来られますというのです。あまりにバカバカしいので、「そういうデタラメな話は今後しないで下さい」と伝えて途中で帰ったのですが、後から知ったのですが、それは異端の統一協会でした。統一協会の他にモルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)、ものみの塔(エホバの証人)は異端です。異端の最大の特徴はイエス・キリストを救主、主として信じないことです。その他に様々な宗教があの手この手で近づいて来ます。ある方は、何年も会っていないクラスメート、しかも女性から電話があり、「会いたい、食事しましょう」と言われて、出かけて行ったら、「実は私は○○会に入っています。入るとすごいご利益があります、入らないとバチがあたります。是非あなたも入って下さい」としつこく勧誘されたということです。

本日はエペソ4:14-16です。14節に「だまし惑わす策略、人々の悪巧み(人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略―新改訳)」とあります。だまし惑わす者の親玉はサタンです。サタンに騙されて、最初の女性エバは、神様が食べてはならないと言われた木の実を食べ、彼女は夫アダムに勧めて木の実を食べさせてしまいます。その時点で人間は神様に背く罪人になり、死と病とあらゆる悪を自分の身に招き入れてしまったのです(創世記3章)。しかし神は愛です。独り子であるイエス・キリストがこの世に来られ、十字架に架って罪の赦しの道を開いて下さいました。誰でも罪を悔改めてイエス・キリストを信じれば、神の子になり、永遠の命を受けることができます。本日この後にHご夫妻が洗礼を受けます。お二人は、洗礼をとおしてクリスチャンになったことを神様と人の前に公にし、教会の正式な一員になります。Hご夫妻の新しい人生の出発のために、皆さんのお祈りを宜しくお願いします。

今朝、聖書の御言葉を通して、だまし惑わすサタンを退け、十字架によって愛と一致を与えて下さるイエスキリストの恵みを心から信じ、祈って新しい一週間の旅路を出発して参りましょう。

内容区分

1、私たちは、イエス・キリストに向かって成長して行く者である。4:14−15

2、私たちは、イエス・キリストに結びついて祈り合い、赦し合い、愛し合って行く者である。4:16

資料問題

エペソ書1−3章は祈りと讃美の中にキリストの救いの教えが説かれている。4−6章はクリスチャン生活の実践とクリスチャン道徳の教えである。本日の4章1―16節にはキリストの共同体である教会の一致が説かれている。

14節「子供ではない」、信仰の成人となったのであるから。15節「かしらなるキリストに達するのである」、かしらであるキリストに向かって大きく成長して行きます(フランシスコ会訳)。16節の内容はコロサイ2:19に簡潔に記されている。16節で、キリストはかしらであり、キリストがその体である教会を成長させるのであるが、成長は教会員の相互の触れ合いと愛の交流を通してなされるのである。

1、私たちは、イエス・キリストに向かって成長して行く者である。4:14−15

こうして、私たちはもはや子どもではないので、騙し惑わす策略により、人々の悪巧みによって起こる様々な教えの風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。(14−15節)

きょう洗礼式が行われることを主に感謝します。洗礼によって信仰を公にし、教会中心の信仰生活が始まって行きます。14−15節で、信仰生活を通して、私たちは霊的な大人になり、サタンの策略に騙されず、キリストに向かって信仰の成長を遂げて行くようにという勧めがなされています。

ところで、皆さんに尋ねします。信仰生活で大切なことは何でしょうか・・・

第一に、キリスト中心の信仰生活を貫くことです。

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。誰でもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(黙示録3:20)。

皆さん、キリストは心の真ん中にいるでしょうか。キリストに心の全部を明け渡しているでしょうか。どんなことでもキリストの御名によってお祈りしているでしょうか。

第二に、キリストの体である教会に所属すること。天国の門の内側に入るまで、何があっても教会につながり、信仰生活を続けることです。

「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日(キリスト再臨の日)が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」(ヘブル10:25)。

礼拝を中心にして、教会の一つ一つの集会を大切にして出席し、教会生活を共に継続して行くことが大切です。そして新しい方々に気を配り、声をかけ、キリストの恵みを分かち合って下さい。金曜日は森林公園野外親睦会に33名が集い、5名の新しい方々が参加し、主の恵みを分ち合えたことを感謝します。また皆様のお祈りに感謝します。

第三に、キリストについて行くこと。後ろを見ないで、前に向かって進んで行くのが信仰です。

「わたし(イエス・キリスト)は世の光である。わたしに従って来る者は闇(やみ)のうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)

キリストはいつも前向きで、積極的です。キリストを一番にして、キリストについて行くなら、命の光をもつとあるように、キリストは生きるのに必要な全てを備えて下さいます。私事になりますが、キリストについて行こうと決意してから、学生として学び、社会経験をし、神学校で学び、熊谷に遣わされ、結婚相手に出会い、子供が与えられ、孫が与えられ、伝道を通して多くの方々が救われて教会が形成され、これからの日々もキリストがさらに豊かな祝福を備えて下さることを信じて、前進あるのみと確信しています。皆さんも、キリストを信じて与えられた多くの祝福を数えて下さい。

サタンはいつも後ろ向きで、否定的です。サタンは過去のことを思い出させます。例えば「あの時に病気をしなければ良かった、お付き合いを断らなければ良かった、転職しなければ良かった」等々です。サタンは、過去の出来事に縋りついてグズグズと呟やくように仕向けるのです。キリストは「わたしに従って来なさい」と命じておられます。私たちの過去には失敗があった、罪を犯したこともある、判断ミスがあった等々、それをいくら嘆いても、悔いても過去のことは戻ってきません。戻ってこない過去にしがみついて、嘆きと敗北の人生を送らせること、これがサタンの常套手段です。聖書はサタンの力を滅ぼす教えを告げます、悔改めてキリストに縋るならば、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである」(Uコリント5:17)。私たちはキリストの恵みによって、過去から解放され、前に向かって行く力が与えられています。ところがサタンはしつこい、今度は先のことを心配させようとします。学生であれば「試験に落ちたらどうしよう、卒業して就職できるだろうか」、また「今は健康だが、もし病気になったらどうしよう」、「もしかしたら人間関係が崩れるかも知れない」などと、サタンは起こりもしないことを際限なく心配させます。サタンを打ち破ったキリストは言われます、「あすのことを思い煩うな。あすのことはあす自身が思い煩うであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である」(マタイ6:34)。

以上述べた三つの事柄を心に留めて行けば、サタンの策略、人の悪巧みによる間違った教えにもてあそばれずに、信仰が健全に守られます。信仰がキリストに向かって成長して行きます。私たちは常にイエス・キリストに向かって信仰が成長して行くように祈り求めて行きましょう。

2、私たちは、イエス・キリストに結びついて赦し合い、助け合い、愛し合って行く者である。4:16

また、キリストを基として、全身は全ての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられて行くのである。(16節)

最近は、人間の体の仕組みが科学的に解明されてきています。一番分っていることは、人間の体で最も大事な働きをするのは頭脳です。ここから全ての指令が出され、全身に伝わり、体の機能が動くようになっています。今、説教を聴いています、だが眠くなってきた、すると脳のほうから指令がでます。「目を開けて眠らないようにせよ。背筋を伸ばせ。牧師は見ていないようで、ちゃんとひとり一人のことをよく見ているぞ。目を覚ませ」と。でもどうしても眠くなる。すると「少し目を閉じてもよろしい」という指令がでます。そういうふうに、脳から指令が出て、全身の機能がその指令に応じて動いています。教会はキリストの体であると言われています(Tコリント12章)。教会の頭(かしら)はキリストです。体に様々な器官があって、全体を形づくっているように、私たちもキリストの教会の一員として様々な役割を担い、賜物を与えられ、それぞれが協力して行く時に、教会は健全に成長して行きます。

キリストは、教会にその群れの指導者として、牧師を立てています。牧師は、教会員が霊的に成長し、それぞれの賜物を活用して、主に奉仕して行くように導きます。そのために、御言葉の説教を通して教会員の魂を養い、御言葉の学びを通して個人的にキリストとの関係を深めるように導き、ひとり一人のために祈りをもって仕えています。私と睦子が二人三脚で伝道牧会を続けています。そして荻野倫夫・チャチャ伝道師夫妻が加わり、副牧師として伝道牧会の働きを共に担って行くようになっています。しかし、教会が建てあげられ、成長して行くためには、牧師夫婦、副牧師夫婦だけでは不十分ですので、奉仕役員が教会の実際面で奉仕をし、様々な分野で奉仕をする方々がいます。あるいは家庭を開放して聖書の学びをする方がいる、また周りの方々を励ましてくれる方がいる、あるいは隠れた所で教会のひとり一人のために日々祈っている方もいます。

教会の働きはオーケストラの演奏のようなものです。オーケストラには指揮者がいます。バイオリン、フル―ト、太鼓などあらゆる楽器演奏者は指揮者の振るタクトを見ながら、自分のパートを演奏し、それが全体の響きを構成し、聴く者に感動を与えます。指揮者はあらゆる楽器の音を聞き分け、それらが楽譜に従って、各自の楽器のパートが正しく演奏され、全体として統一を保って、最も良い音楽となるように導きます。この礼拝でもオルガンがあります。プレイズを歌う時には、皆の心が恵まれ、歌いやすく日本語として整っている歌を選ぶ方がいます。ピアノ、ベース、ドラムがあり、歌をリードする方々がいます。全ての音が全体にきれいに響くように音響の方がいます。歌詞を映し出す方がいます。それぞれが役割を担いながら、キリストの御名が讃えられ、讃美を通してひとり一人の心がキリストに向かって開かれ、御言葉を聴く備えがなされて行くのです。それぞれが、お互いのことを思いやり、そして各自が自分の分を尽くすことによって、全体が恵まれて行きます。一つの例として、プレイズのことを言いましたが、教会の全ての働きは皆のチームワークによって成り立っています。それぞれの持ち場にある人のために祈り、また自分の分を果たして行けるように、主の助けを求めて祈り合って行きましょう。

今朝はエペソ4:14−16ですが、この中に「愛にあって真理を語る」(15節)、「愛のうちに育てられて行くのである」(16節)とあります。愛のうちにあるということは、イエス・キリストのうちにあるということを示しています。なぜならイエス・キリストは愛のお方だからです。

愛についての一つの実例があります。世界に福音を届けたアメリカのビリー・グラハム牧師がいます。彼の三番目の娘ルースですが、夫が不貞を働いたが、悔改めて家に戻ってきた。周りはその夫を赦したが、ルースは受けた傷が深く、赦せず、21年目に離婚した。ルースは新しい人生をスタートさせようと思って、姉の住んでいる町に引越しをした。そこで男やもめと出会った。彼女は急速に彼に近づき、優しくしてくれるこの男性に恋をしてしまった。両親や子供たちは反対したが、知り合って6か月後にこの男性と再婚した。しかし、しばらくして自分の過ちに気づいた。この男性が怖くなり、逃げるようにして家を飛び出たのです。実家に帰るしかない。彼女は自分が弱く、罪深く、赦しが必要で、心は愛と憐れみとを求めていた。車が、実家の前までくると、なんと父親であるビリー・グラハムが家の外に立っているのが見えた。車から降りた彼女を、父親はしっかりと抱きしめ、「お帰り」とだけ言った。父は娘を責めなかった。無条件の愛で受け入れてくれたのであった。かつて、不貞を働いていた夫を周囲の者は赦した。その赦しを、今まさにルースが必要としていたのです。両親は、彼女が安心して暮せる場所を提供し、罪を悔改め、心の傷を癒す時間を与えてくれた。彼女は両親に、自分の過ちを悔い、自分を受け入れられずに苦しんでいることを語った。すると父ビリー・グラハムは娘に短く言った、「ルース、最善を尽くすのだ。そんなに自分を責めなくてもいいよ」。ルースは父の慈愛に満ちた言葉で、再生の人生へと踏み出したのです。(御翼・佐藤順師より引用) ビリー・グラハムは、愛にあって真理の言葉であるキリストの無条件の赦しを語り、これを実践しています。ルースは父親を通して、キリストの赦しの恵みを受け、愛のうちに育てられて行ったのです。私たちは愛の頭(かしら)であるキリストにつながっている者であることを感謝します。教会の交わりにあって、私たちも助け合いましょう。赦し合いましょう。キリストが十字架によって私たちを愛して下さったように、私たちも互いに愛し合って行くことを実践して行きましょう。

まとめ

1、14−15節、私たちは、キリストに向かって成長して行く者です。キリスト中心の信仰、教会中心の信仰、キリストについて行く信仰が基本です。サタンは過去にしがみつかせ、先行き不安な気持ちを与えようとします。世の光であるキリストに従って行きましょう。

2、16節、イエス・キリストに結びついて、赦し合い、助け合い、愛し合って行くことを実践して参りましょう。

*お祈りの後にH夫妻の洗礼式を行います。

祈 り

天地の主である神様、クリスチャンである者は独り子であるイエス・キリストによって救われていることを感謝します。キリストを求めている方々に素晴らしい主の救いが与えられることを信じ、祝福を祈ります。恵み深い聖霊によって私たちの信仰がキリスト中心であるように導いて下さい。私たちの教会がキリストを中心にして、祈りの中に、赦し合う群れ、助け合う群れ、愛し合う群れであるように導いて下さい。そのために愛と一致の源であるイエス・キリストに縋って行きます。11月を迎え、クリスマス準備が始まっています。今年のクリスマス、家族や友人にイエス・キリストを伝えることができるように、私たちに祈りを与え、伝道する力を与えて下さい。12月23日のクリスマス祝会に多くのノンクリスチャンが集う時となりますように導いて下さい。

本日洗礼を受けるHご夫妻に祝福を注いで下さい。ハンディキャップをもちながら、誠実に人生を歩んでこられたお二人が、キリストによる罪の赦しを得、永遠の命を与えられ、神様の家族の一員に加えられたことを感謝します。洗礼に備えている方々を祝福し、さらに洗礼を希望する者を起して下さい。愛と一致の源であるイエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

参考文献エペソ注解―文語略解、フランシスコ会、バークレー、米田、LAB、黒崎、尾山。 「聖書学・佐藤陽二・聖文舎」