まことのクリスマス ヨハネ3:16       主の2006.12.23.クリスマス祝会 於:行田商工センター

神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ福音書3:16)

クリスマスおめでとうございます!

クリスマスとはイエスキリストの誕生日をお祝いする日です。キリストが生まれた年が紀元1年です。今年は2006年ですから、キリストの誕生をお祝いするのは2006回目になります。こんなに長く誕生日を祝ってもらっているのはキリストだけです。しかも世界中でお祝いされています。キリストに反対する人々はお祝いしないかもしれません。しかし世界の歴史はキリスト誕生以前(紀元前)と誕生以後(紀元後)に区分され、世界共通の年号はキリストを中心にして決められていますので、みんなキリストの影響を受けています。日本ではクリスマスとはサンタクロースの日である、クリスマスツリーを飾り、ケーキを食べ、プレゼントを贈る日、フライドチキンを食べる日であると思っている人々が多くいます。繰り返して言いますが、クリスマスはイエスキリストの誕生日です。キリストは今から2006年前にユダヤのベツレヘムという村で生まれ、布で体を巻かれ、家畜の餌を入れる飼馬桶の中に寝かされていました。そこへ羊飼いと東の博士達がキリストを礼拝しにきました。空では天使たちがキリストの誕生をほめたたえて歌ったということが聖書に記録されています(ルカ2:1−20、マタイ2:1−12)。クリスマスに「メリークリスマス、クリスマスおめでとう」と言いますが、その意味は、「イエス様お誕生おめでとうございます。私たちの救主となるために、この世界に来て下さったことを感謝します」ということです。

きょうは、聖書の御言葉を通してキリストの誕生の意味を教えられて行きたいと願っています。プログラムの裏にヨハネ福音書3章16節の御言葉が記されていますのでお読みします。

第一に「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」・・・クリスマスは神様の愛が現された日です。

やがて大晦日ですが、その晩に除夜の鐘を聞き、正月に初詣に行きます。しかし何をお参りに行っているのかは殆どの人が知りません。普段は仏壇で仏を拝んでいる人が、仏とは全然違う神道の神社へお参りに行きます。ふだん無信心な人が、「どこでもいいや、ご利益のある所へ行こう」と初詣に行きますが、終わったら無信心な日を送っています。

聖書の示す、世界を創造され、何でもお出来になる、ただ一人の生きているまことの神様です。この中にクリスチャンの人々がいますが、クリスチャンはまことの神様を礼拝しています。神様がこの世を愛されたというのは、世界に住む私たちひとり一人を、隔てなく、差別せず、どんな人でも例外なく、愛して下さるという意味です。

では愛とは何でしょうか。国語辞典には、「愛とは親子、兄弟などが可愛がり慈しむ心、男女が互いにいとしいと思い合うことである(恋愛)。一般的には、愛とは人を慈しみ思いやる事である。そして、聖書の教えでは、神様が人類の全てを無限にいつくしむことである」と記されています(現代国語例解辞典・小学館)。もう少し愛について具体的に考えてみましょう。

*「もし」という条件つきの愛があります。こう言われたらどうでしょうか。「もし、あなたが百点をとったら愛してあげる」、「もし、あなたがお金持ちならば愛します」、「もし、あなたが立派な人であれば、あなたを救い、天国に入れてあげましょう」。これは常に何かを達成しなければならないという追われている気持になります。馬がムチで叩かれて全力疾走するように、ガンバレ、ガンバレというムチを当てられている状態です。ガンバって目標に到達できれば良いのですが、到達できなければ愛してもらえないということになります。この愛の結果は人を絶望に追いやります。

*「だから」という理由つきの愛があります。「あなたは賢い、だから愛します」、「あなたはお金持ちだ、だから愛します」。「あなたは聖書を読み、教会に来ている、だからあなたを救い、天国に入れてあげよう」という愛です。これは愛される理由が備わっています。だから心地よい気持がします。しかし、私よりも賢い人が現れ、私よりお金持ちが現れれば、私は愛されなくなるという心配があります。これは自分が持っている、愛されるという理由が無くなったら愛されなくなるという脅迫観念と不安を抱かせる愛です

*「それでも」という愛があります。「あなたは賢くない、お金もない、立派でもない。神様を信じないでいる罪人だ。人を憎んだり、裏切ったりしている。ダメな人間だ。信じていると言いながら神の愛を疑っている。だが、それでもわたしはあなたを愛そう」という愛です。条件つき、理由つきではなく、そのままのあなたを受け入れ、愛そう、という愛です。イエスキリストは神の愛を現すために来られた救主です。リストカットで自分の身を傷つけている人がいます。キリストは悪霊につかれ、自分の身を切り裂いき血を流し苦しんでいる人を助けています。結婚しないで男と暮しているふしだらな女性がいて、誰も相手にしない。ところがキリストは彼女を見捨てないで助けています。キリストはいつでも「それでも」という愛をもって人に接しています。このキリストの愛こそがヨハネ3:16で言われている愛です。神様の「それでも」という愛を受けて、私たちの人生は恵みに変わります。

アメリカにケネディーという大統領がいましたが、彼の母ローズはは9人の子どもを育てています。その中で一人知恵遅れの女の子がいた。ローズは「神様はひどいことをする」と思い、ひきこもってしまった。お手伝いの女性が言った「奥様、神様に背を向けてはいけません。救主イエス様を心にお迎えして下さい」。ローズは怒ってお手伝いをクビにした。その晩、ローズは「救主イエス様を心にお迎えして下さい」というお手伝いさんの言葉が脳裏から離れなかった。自分はずっとイエス様を信じてきたつもりだったが、膝まずいて祈った、「神様は愛です、私の心の中に入ってきてください」と。すると「あなたはわたしに呟いた、信仰の勧めをしたお手伝いさんをクビにした。それでもわたしはあなたを愛そう」いう神様の祝福を心に感じ、喜びがあふれてきた。神様が遣わされた救主キリストを心に迎えて、知恵遅れの女の子への愛がわきあがってきた。信仰の勧めをしたお手伝いさんは呼び戻され、終生ケネディー家で暮らしたのです。

第二に「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」・・・クリスママスは神の愛を受ける日です。

御子とはイエスキリストのことです。御子イエスキリストを信じる者はひとりも滅びないと言われています。神様はあらゆる良いことの源ですが、人間は神様から離れている罪人です。罪の結果、自分中心の考え、金銭万能主義、神様をそしる者、親に逆らう親不孝者であり、恩知らずであり、冷たい心で他人に接し人を裏切ることをする、良い事を好まないという悪い心になっている、快楽を愛し、例えばギャンブルに走り、麻薬に溺れ、不倫を犯すなどの罪に捕らわれています。これらのことは人のことではなく、私たち自身の中にある問題です。罪があれば死んで地獄へ行きます。折角生まれて来たのに、たった70年か80年の人生を生きて、そして死んで地獄に行くとしたら、こんな惨めなことはありません。

そこで神様はキリストをこの世に遣わして下さったのです。キリストは人間として罪のない33年半の人生を生きて、最後は人間の罪の身代りになって、十字架の上で死んで下さった救主です。キリストは私たちが受けなければならない罪の罰である死を、ご自分の身に受けて下さったのです。しかもキリストは十字架の三日後に復活されて永遠に生きておられます。ここで細かくお話をする時間がないのですが、私たちがイエスキリストを信じれば、罪が赦され、心が新しく生まれ変わります。自分の罪を認めて、「イエス様、私は自分の罪を認め、罪を悔改め、イエス様を救主として信じます。イエス様、私の心の中に入って下さい。そして私の人生を導く主になって下さい」と祈れば良いのです。

Aさんは仕事がよくでき、華やかな生活を送っていた。酒はグイグイ飲む。タバコはスパスパ吸う。女性にももてる。自分で稼いだ金だ、何につかおうと勝手だ。ある日体の調子が悪いことに気づいた。医者に行ったら、「不節制をやめなさい。このまま行けば間違いなく本当の病気になります」との診断であった。彼は仕事をやめ、老人になったら何か宗教をと考えていたが、いま何かを信じるべきだろうか。三浦綾子さんの本を読んだことがあるが、この方はクリスチャンであると記されていた。そこで思い切って教会へ行ってみた。聖書を読むようになった。聖書を読んでみると自分の心の中にある汚いものが見えてきた。その時にキリストが自分の汚い罪の心をきれいにし、罪を赦すために十字架にかかって下さったことを知らされ、「私を救って下さい」と祈った。涙がとめどもなく溢れてきた。そして心が軽くなり、罪が赦されたことを体験した。罪が赦され生まれ変わった時に、酒やタバコから自由になり、健康も戻ってきた。Aさんは御子イエスキリストを信じる者は心が新しくなり、健康になるということを、自分の身をもって体験したのです。

第三に、きょうクリスマスをお祝いしにきた全ての人が神様の愛を受けるようにお勧めします。キリストを信じ、罪を赦され、心が生まれ変わり、永遠の命を自分のものとして受けるようにお勧めします。

もう一度ヨハネ3章16節を読みます。そして、皆さんが神様の愛の現れであるキリスを信じ、まことのクリスマスを祝う者となりますようにお祈りを捧げます。

祈 り

天地の主である神様、クリスマスの集いに参加できたことを感謝します。

「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子イエスキリストを信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という御言葉を通して、神様が「それでも」という愛をもって、私たちを愛して下さっていることを知りました。神様の愛を現すために来て下さったイエスキリストの十字架によって罪が赦され、生まれ変わることができることを感謝します。

全ての方々が罪を悔改め、今この時にキリストを心にお迎えすることができるように助けてください。ここに集われた全ての方々の上に神様の愛が豊かに与えられますように祈ります。

十字架によって私たちの罪を赦して下さるイエスキリストの尊いお名前によって、この祈りを天の神様におささげします、アーメン。