クリスチャンの原点―恵みふかい御霊に導かれて 詩篇143:7−12      主の2007.5.6礼拝

私の反省から始めます。先週2日夜から4日午後の全国聖会に出席するようにというアッピールが不足であったということです。全国聖会は、全国諸教会から約2500名が登録をし、当教会からは35名が登録出席し、主の恵みを豊かに受けました。聖会は、主の臨在の中に、全体的に調和の取れた6回の集会が行われ、プレイズを喜びに満ちて歌い、聖歌を味わいながら歌い、「キリストの教会を建てる」(マタイ16:18)というテーマの下に、メッセージはキリスト中心の分り易く具体的なものでした。参加者はキリストを讃へ、聖霊に満たされ、主への献身を決断して祈りました。荻野倫夫・チャチャ師が補教師として全国の牧師、信徒の方々に紹介され、その大切な瞬間に立ち会うことができて感謝でした。2日夜の聖会で124名の若者達が講壇に跪いて祈り、また何十年という長い年月を経た信徒の方々も多数出席し、30名以上の献身者が起されました。私事ですが、救われた時、牧師夫人から「神学校に行きなさいよ」と言われ、教会を支えていたおばちゃんたちから「あんたは神学校よ」と事ある毎に言われていましたが、私の場合、聖会で献身のために立ち上がることによって神学校行きが現実となりました。霊の祝福はいつまでも残ります。私の聖会出席アッピールが足りなかったことを反省すると同時に、役員を先頭にしてひとり一人が霊の祝福を求めて、聖会に積極的に参加するということも忘れないようにお願いします。

本日は詩篇143篇7−12節です。10節に、「あなたはわが神です。恵みふかい、みたま(御霊)をもって、わたしを平らかな道に導いてください」とうたわれています。御霊とは神の聖霊のことです。聖霊は私たちに「イエスは主である」(Tコリ12:3)と告白するように導いてくれました。聖霊によって、私たちは「アバ、父よ」(ロマ8:15)と日々に祈ることができます。全国聖会で私の母教会のご婦人に会いましたが、恵みふかい御霊によって様々な試練を乗り越え、その方の信仰歴は60年です。私たちを導く聖霊によって、主のメッセージを聴き、恵みふかい御霊によって祈り、主に従って行く決断を新たにして、一週間の旅路の出発をいたしましょう。

内容区分

1、主に信頼せよ、主は我らの歩むべき道を教えてくださる 143:7−8

2、主に信頼せよ、主は我らを恵みふかい聖霊によって導かれる 143:9−12

資料問題

詩篇143篇は七つの懺悔詩(悔罪詩seven penitential psalms)の一つである。七つの懺悔詩は6、32、38、51、102、130,143篇である。143篇は1−6節、7−12節に分けられるが、今回は7−12節を取り上げている。この詩篇で主の僕であるダビデは、彼の受けた苦難が、自分の罪に対する罰であることを認めている。と同時に主に悔改めることを通して罪の赦し、霊の回復を深く体験している。7節「穴にくだる」、死んで陰府に降ることを意味している。9節「あなたのもとにのがれました」、私たちが信頼できる唯一の避け所は神である。新約の時代に生きる私たちは神の愛の現れであるキリストの十字架の御許に逃れ、回復を得る。10節「恵みふかい、みたまをもって」、神の聖霊は慰め主、弁護者であり、常に私たちを正しき道に導かれる。聖霊は真理であるキリストに私たちを導く。12節「わが敵」、ダビデに反対し背く者。旧約時代であるのでダビデででさえ、敵の撲滅を願っている。新約的に飛躍して考えれば、敵はサタンである。サタンはキリストの十字架によって滅ぼされている。

1、主に信頼せよ、主は我らの歩むべき道を教えてくださる 143:7−8

あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。(8節)

詩篇は全部で150篇ありますが、その中に七つの懺悔のうた(seven penitential psalms)があり、これはその七番目のものと言われています(6、32,38,51、102,130、143が七つの懺悔の詩篇)。この詩篇はダビデによってうたわれたもので、罪を悔改めることによって霊の回復を与えられ、主にすがって生きて行くという決意を表した詩篇です。ダビデはイスラエル二代目の王として、神様に頼って堅固な国を打ち立て、エルサレムを都として定め、後の時代の人々はダビデを理想の王としています。

*ここでダビデに関する問題を7つ出します。

1、ダビデの父の名前は・・・。

2、ダビデの兄弟は何人でしょうか。ダビデは何番目ですか・・・。

3、ダビデが「この戦いは主の戦いである」と宣言して、石投げで、一発の石を投げて打ち倒したペリシテ人の巨人の名前は・・・。

4、ダビデと深い友情で結ばれたサウル王の息子は誰でしょうか・・・。

5、「主はわたしの牧者(羊飼い)」ではじまる詩篇は第何篇でしょうか・・・。

6、「『わたしの咎(そむきの罪)を主に告白しよう』と言った時に、わたしの犯した罪(罪のとがめ、罪と過ち)は赦された」という詩篇は何篇でしょうか・・・。

7、「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂(砕かれた霊、打ち砕かれた霊)です」という詩篇は第何篇でしょうか。

 

7節で、ダビデは「わが霊は衰えます」と叫んでいます。ダビデのうちに罪があったので、神様がみ顔を隠している、ダビデは悶々とした気持で、「このままでは穴のような墓場に投げ入れられて死んで陰府に行くだけである、罪を赦し、私を助けて下さい」という悲痛な訴えをしています。あるいは人生の試練の中にあって、「主よ、速やかにこの問題から救い出してください」という叫びを発しているようにも受け取れます。「わが霊は衰える」とありますが、信仰していてもなかなか神様が答えてくれない。神様は私のことを見ておられるのだろうかという気持になり、気持が沈んでしまうような時があります。「穴にくだる」とありますが、穴とは墓場のことです。死んでしまえば問題は解決するということで、死にたいという気持になることもあります。でも死ぬことは怖い、そこで神様を知らない人々は、酒に走って一時的に自分の気持を誤魔かします。人に当たり散らす場合もあります。占いに頼る人もいます。スピリチュアルカウンセラーと称する人によって前世の因縁から、問題を解決しようとする場合もあります。しかし、そんなことでは心は晴れず、問題の真の解決はありません。

ダビデはどうしたのでしょうか・・・。8節後半に、「わが魂はあなたを仰ぎ望みます」とうたわれていますが、ここに人生の大転換点があります。「悩みの日にわたしを呼べ。わたしはあなたを助ける」(詩篇50:15)と約束されていますが、主を仰ぎ見て祈る時に祝福されます。祈りは神様と私たちを結ぶ確実な連絡手段です。多くの方々が携帯電話をもっていて、互いに連絡がすぐにとれます。またEメールという連絡手段で世界中と連絡できます。しかし携帯電話の場合、圏外になると連絡できない、いっぺんに大勢の人が携帯を使うとかからなくなる、さらには電池切れがあります。Eメールですと、サーバーの不具合で通信できないということがよくあります。ところが神様との連絡は、「イエス様の御名によって」(ヨハネ14:14)というパスワード(合言葉)で祈れば、必ず願いや思いが通じます。ダビデは自分の進むべき道を尋ね求め、主を仰ぎ見て、何回も窮地を脱する経験をしていますが、ここでも主を仰ぎ見て祈っています。今朝、主の答えを待ち望んでいる人、病気からの解放を求めている人、家族のこと、経済のこと、自分の進路のことなどで、7節のようなもどかしい気持になっている人がいるかも知れません。

8節前半に、「わたしはあなたに信頼します」とあります。主に信頼する時に祝福の門は開かれます。一つの実例があります。Mさんという男性は、小さい時から教会生活をしていましたが、大学を出て貿易会社に勤め、仕事をすることが生き甲斐になってしまい、教会から遠ざかってしまいました。4年目で貿易会社は倒産したのですが、商社に再就職できて、そこの通信販売部門で何億円という売り上げを記録し、皆から「若いのによくやる」ともてはやされて得意であった。Mさんに対し、母と教会の人々が教会に帰るように言ってくれるのですが、そんな時には酔っ払って大暴れして皆を困らせていた。ところが好調だった会社が潰れてしまい、一年ほど働かずにいて、株に手を出して莫大な借金をつくってしまった。その時に、「自分の霊は衰えている、生きる目的を見失い、独り身で40歳を迎え、このまま穴にくだる者のように、むなしく死んで消えて行くのかなー」という堪らない思いになった。もう一回教会に行こうと思い、20年ぶりに出席してみると、多くの方々が涙ながらに喜んで迎えてくれた。「自分には借金がある、しかし信仰を再びもつことができた、神様に信頼して行きます、私の歩むべき道を教えて下さい。私は主を仰ぎ見て行きます」と決意した。借金を返しながら、主にすがる生活をはじめて行った時に、Mさんのことを受け入れて生涯を共にする結婚相手が与えられたのです。Mさんは霊が衰え、40歳になっても人生の目的が分らず、ただ死に向って進んでいたのですが、主に立ち帰り、主に信頼した時に、霊が恵まれ、主によって歩むべき道が示され、伴侶までも与えられて、主のために生きるという喜びの人生に導かれたのです。

2、主に信頼せよ、主は我らを恵みふかい、御霊によって導かれる 143:9−12

あなたはわが神です。恵みふかい、みたま(御霊)をもって、わたしを平らかな道に導いてください。(10節)

ダビデは、9節で「主よ、わたしをわが敵から助け出してください」と祈っています。12節には「わが仇(あだ)をことごとく滅ぼしてください」という激しい言葉が記されています。ダビデは軍事的に、政治的にあらゆる方法を用いて、敵にあたることができたでしょう。しかし、9節で「わたしは避け所を得るために、主であるあなたの許に逃れました」と告白しています。軍事的、政治的に勝利を得たとしても、心に平安がなければ空しさが残るだけです。そこでダビデは主の前に出て祈り、10節で、「あなたの御旨を行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください」という祈りを献げています。

ここで敵ということですが、新約の時代に生きる私たちにとって最大の敵はサタンです。サタンはキリストの十字架によって決定的打撃を受け、間もなく終わりの時が来て、自分と配下の悪霊どもは火と硫黄の燃える地獄の中に永遠に閉じ込められることを知っています。そこで人間を悪に誘い、地獄に行く仲間を増やそうと躍起になっています。思い出して下さい、私たちはきょうも「主の祈り」の中で「われらを試みにあわせず、悪より救い出(い)だしたまえ」との祈りの言葉をもって、サタンの悪賢い力から守られて行くようにということを祈りました。あるキリスト教の本の中に「今日、神学的用語であるサタンという言葉は使わず・・」という表現がありました。このように巧妙な手段をもって、サタンは「自分はいない」という事を私たちに思いこませようとしていますが、サタンは実在します。サタンの起源は定かではありませんが、創世記の中で、サタンが人間に罪を犯すように誘惑し、人間が罪に陥ったことが記されています(創世記3章)。キリストが伝道を開始し、十字架に向って出発する時に、サタンは三つの誘惑をもってキリストを誘惑しています(マタイ4章)。

サタンの手口は何でしょうか。

第一に、サタンは聖書を読まないようにさせ、聖書の御言葉を疑うようにさせます。先週一週間毎日聖書を読んでいましたか。読んだ御言葉を自分の生活に実践しましたか。

第二に、サタンはキリストに従うことを先延ばしにさせます。サタンの使う言葉は「この次からします」という言葉です。「この次から聖書を読みます、この次から集会に行きます、この次から献金します」などです。聖書は「今は恵みの時、今は救いの日である」(Uコリ6:2)と告げています。キリストに従う時は、今、この瞬間です。

第三に、サタンは人の落ち度、欠点、失敗、罪を数え、それを人に言い触らすようにさせます。聖書は、「愛は多くの罪をおおう」(Tペテロ4:8)と告げています。キリストは神に背いている人間の罪を責めたてずに、「父よ、彼らを赦したまえ」(ルカ23:34)という祈りをもって、人の全ての罪を背負って十字架にかかって、私たちの罪をおおい、赦し、きよめて下さった愛の救主です。

ダビデは、「恵みふかい、御霊をもって、わたしを平らかな道に導いてください」と祈っています。御霊とは神の聖霊であり、真理の霊です。聖霊は、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われたキリストを常に指し示し、キリストを讃えます(ヨハネ16:13−14)。ですから聖霊に満たされた人々は「キリストを喜び、キリストを伝える者」になって行きます。

*恵みふかい御霊はどのように私たちを導くのでしょうか。

第一に、恵みふかい御霊は、私たちを礼拝に導きます。

日曜日、全国で約8000の教会で礼拝が捧げられ、世界の約三分の一以上の人々が各地で礼拝を捧げています。今回の全国聖会では、「わたしの教会を建てる」というキリストの御言葉の実現のために、礼拝に集うことが大切であることがメッセージを通して強くアッピールされました。教会の礼拝がますます盛んになるように祈って下さい。教会が活発に礼拝をしていること自体が主の恵みを世に向って表すことになるからです。

第二に、恵みふかい御霊は、私たちがキリストに従う決断をするように導きます。

ある牧師の証を思い出します。岐阜県の小さな山間の町に、老年の信徒がいました。「自分の父親は、草鞋掛け(わらじがけ)で伝道に来た西洋人の宣教師から、イエス・キリストの十字架と復活の福音を聴き、悔改めてキリストを心に迎えたのです。そして息子である自分に手伝わせ、長い間拝んでいた仏壇を座敷から運び出し、家の前の川に流したが、自分の手から仏壇が離れて行くその感触を今でも覚えている」と証しています。各人、それぞれに決断の具体的内容は異なるでしょうが、御霊はキリストに従うように私たちを導きます。キリストに従うために偶像、お守り、お札の類は順次整理して下さい。また、時と財(たから)とを献げて主に仕えて行きましょう。時という事ですが、時間をしっかりとコントロールして行きましょう。日曜礼拝に備えて、土曜日までに生活のいろいろなことを済ませ、土曜に夜更かしをして翌日の礼拝で眠ることがないようにすることが大切です。財(たから)を献げて主に仕えて行くことは恵みです。一生涯にわたる経済祝福の秘訣は十分の一献金にあります。私事ですが、45年前、高校生の時に年末に果物屋でアルバイトをして得たお金から、初めて450円を十一献金して以来、献金を継続していますが経済の必要が満たされていることを感謝します。若い時からしっかり十一献金をすることが大切です。

第三に、恵みふかい御霊は、私たちに喜びをもって進む力を与えてくれます。

日本基督教団の議長山北牧師が書いています。「『主を喜ぶことはあなた方の力である』(ネヘミア8:10)。主を喜ぶことなくしては、難しい状況に立ち向かう力は出て来ませんし、前進はありません・・・マザーテレサは、『喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛』と言っている・・・暗い雰囲気の教会、額に縦皺(たてじわ)を刻んだままのクリスチャン、これは伝道や信仰以前の問題でしょう。何も明るくしていりゃいいというわけではありませんがね。私など頭、額と共に明るすぎて問題だ!と言われていますから」。

きょう、あなたの問題は何でしょうか・・・。問題を数え、額にたてジワを刻む前に、主の救いを喜び、主の恵みを数えましょう。そうすると聖霊が腹の底から力を与えて下さって祈ることができ、平安と希望が心に戻ってきて、たてジワは消えて行きます。祈りのパスワードは「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしをそれを叶えてあげよう」(ヨハネ14:14)というキリストの御言葉です。キリストの御名によって祈りましょう。主が祈りに答えて下さいます。

まとめ

1、8節、主に信頼して行くならば、霊が恵まれ、主によって祝福の道を歩むことができます。

2、10節、主に信頼して行くならば、サタンは退けられます。御霊は私たちを礼拝に導き、キリストに従う決断を与え、喜びをもって前進する力を与えてくれます。

 

祈 り 主なる神様、独り子イエスキリストの十字架によって救われている事を感謝します。恵みふかい御霊によって、信仰の道を真っ直ぐに歩ませて下さい。水曜日の祈り会に導いて下さい。来週の野外礼拝を祝福して下さい。病気の方をいやし、戦いの中にある方に勝利を与えて下さい。深谷、松江、すわの伝道所を盛んにし、経済の必要を満たして下さい。イエスキリストの御名によって祈ります、アーメン。

参考文献詩篇注解―G・A・F・ナイト、フランシスコ会、共同訳・文語訳・口語訳各略解、LAB、フランシスコ会、浅野,新聖書注解。「それゆけ伝道・山北宣久・教文館」、「選択の時代に生きる道・石丸新・聖恵出版部」、「キリスト教信仰雑誌より」