我らはキリストの大使である  Ⅱコリント5:20         主の2007.8.12.軽井沢にて礼拝



神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者(Christ’s ambassador)なのである。そこでキリストに代って願う、神の和解を受けなさい。(Ⅱコリ5:20)



金曜日から始まったキャンプ最終の集会、聖日礼拝の時を迎えることができたことを主に感謝します。今回は軽井沢と熊谷で礼拝を捧げています。この礼拝に比留間行雄・アケミ牧師夫妻とトポスキリスト教会の方々が出席していることを感謝します。

私は東京郊外にあったカトリックミッションの中学に行きました。職業高校もあり、校門を入ると右手にカトリックの礼拝堂があり、その前を通る時は帽子をとるようにと指導されていました。全体で生徒が900名、校長、教頭は外国人の司祭でした。教頭はアルビノという名前で、バルト海沿岸リトアニア国出身でした。当時バルト海のリトアニア・ラトビア・エストニア三国は、ソ連の独裁者スターリンによってロシアに併合され、アルビノ先生は「私の祖国は無神論者によって支配されている」と言っていました。アルビノ先生は18歳の時に司祭となるためにリトアニアを出て、イタリア・ドン・ボスコ修道会で学び、日本に派遣され、教会司祭として、また学校教頭として神に仕えていました。「私は日本に布教(伝道)に来たのである」という強い使命感を持っていて、アルビノ先生の導きを受けて毎年数名の学生が洗礼を受けていました。私も個人的に聖書を教えてもらったことがあり、そのことが一つの切っ掛けになり、後にプロテスタント教会に導かれ、救われました。

本日の聖書はⅡコリント5:20です。「わたしたちはキリストの使者(使節)である」と言われています。「キリストの使者(使節)」とは、「キリストの大使Christ’s Ambassador」の意です。大使は本国より外国に派遣され、本国の代表として活動をします。アルビノ先生は、地上の祖国はリトアニアですが、神の国の一員となり、日本伝道のために生涯を捧げ、私に聖書を教えてくれました。私たちはイエス・キリストを信じて、クリスチャンになり神の国の一員になっています。クリスチャンである私たちは、誰でもキリストを信じれば、救われて神の子になれるという福音伝道の使命を与えられています。「我らはキリストの大使、Christ’s ambassadorである」という御言葉を心に刻みこんで下さい。メッセージを共に聴き、祈りましょう。そして新しい一週間の旅路を共に祈り合って前進しましょう。



内容区分

1.キリストの大使は、キリストによる神との和解を体験した者である。

2.キリストの大使は、キリストの愛を実践する者である。

資料問題

5:17以下に神との和解が述べられている。神との和解はキリストの十字架の犠牲によって与えられた恵みである。キリストの犠牲とは、5:21によればキリストが罪そのものになって下さったという驚くべき神の秘儀であると言われている。フランシスコ会訳は神との和解という言葉を、神とよりを戻すと訳している。



1、キリストの大使は、キリストによる神との和解を体験した者である



現代は人の心を暗闇が覆っている悪い時代です。犯罪を取り締まる立場にあった元検事のナンバー2であった人が、朝鮮総連の建物を騙し取ろうとして詐欺容疑で逮捕されています。元検事は奥さんに聖書を差し入れてくれと頼み、主人はクリスチャンではないが、きっと神様にでもすがりたい心境になっているのではないかと思いつつ、奥さんは聖書を差し入れたと報じられていました(8/8読売新聞)。人は罪を犯して、事の重大性に気づき、慌てて日本的に言えば神仏に縋る気持になるのかも知れません。犯罪者の心理は、「分からなければよい」という考えに立ち、人の目をごまかし、帳簿をごまかし、平気で嘘をついて人をだまします。犯罪者でなくても、私たちは良いと思うことはすることが出来ず、悪いことだと知りながら、どんどん悪い方向に引き摺られて行きます。それは愛と義と清さの源であるまことの神様から離れているからです。そこで使徒パウロは私たちに対し、「神との和解を受けなさい」と勧めているのです。

神とは世界を創造された、何でもお出来になるまことの神様です。私は小さい頃、暮れの大掃除で家に飾ってある神棚を掃除しました。正月になると、この神棚へ神さまが宿る、そのために家の前に松飾・注連縄をつけて、神様が迷わないようにすると聞かされていました。しかし、家に目印がなければ迷ってしまう神さまは偽物だと気づかされました。あるご婦人が地震の時に、飾ってあった仏像を担いで逃げ、仏様をお守りできたと喜んでいまし。しかし、自分で身動きできない神さまなんて可笑しい話です。聖書の神は、天地万物を創造された創造主、命の源である神、私たちがお父さんと呼ぶことのできる愛の神様です。私たちに命を与え、生まれ出た時から、白髪になるまで、天国に行くまで、私たちひとり一人を愛し、守り、導いて下さる神様です(イザヤ46:1-4)。

ところが人間は、神様の命令に背き、神様を信じない罪人になってしまったのです(創世記3章)。罪の結果、人間は偶像礼拝をしています。例えば人相、手相の占いで将来を予測します。ある

戦国武将は、手相を見てもらったら、生命線が短いと言われ、脇差を抜いて、自分の手の生命線に切れ目を入れ、生命線が長くなったと言って喜んだと言われています。つまり占いには何の根拠もないという事です。

罪の結果、人間の心の中に悪い思いがあります。悪い罪の思いがあるので、例えば、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者になっています(Ⅱテモテ3:1-5)。

罪の結果、人間は死んで、地獄へ行きます。日本人の平均寿命は女性が85歳、男性が79歳です。しかし長生きをしても、死んでから永遠の滅びの中へ行くとすれば淋しい限りの人生です。

しかし、聖書の神は愛の神様です。「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。神の御子であるキリストが人間としてこの世に来られ、人間の罪の身代りになって十字架の上に命を捧げ、罪の赦しの道を開いて下さいました。

なぜキリストは十字架で死なれたのでしょうか・・・それは「罪の支払う報酬は死だからです」(ロマ6:23)。そこで、きよい罪のないキリストが私たちの罪の罰である死を引き受け、十字架に犠牲となって下さったのです。キリストは死んで終りではなう、三日後に死を打ち破って復活されました。ですからキリストを信じれば、罪が赦され、罪の結果である死に打ち勝って永遠に生きるということが明らかにされたのです。

「神の和解を受けなさい」・・・キリストを信じることが最優先の事柄です。皆さんはキリストを心の真中にお迎えしています。「我らはキリストの大使である」と言える者は、キリストを信じた者です。ここにいる小さい子ども達も、年配者に至るまで、全ての者がキリストを信じて神の子になっています。私たちひとり一人が「神の和解を受けなさい」というメッセージを携えて行くキリストの大使として任命されています。



2、キリストの大使は、キリストの愛を実践する者である

 

キリスを信じて、神の子になった私たちはキリストの大使として生きる使命があります。キリストの大使である、使命があると言われると、何か恐れ多いような気持になりますが、難しいことはありません。クリスチャンとして一生懸命にキリストに縋って、信仰生活を持続して行くことが基本です。それがキリストの大使の基本です。そのために、三つのことを考えておきましょう。

1、キリストの大使は、聖書を読み、祈り、教会生活に励む。

信仰がどうも恵まれない、マンネリである、喜びが薄れているなど様々の理由をつけて、サタンは私たちを教会から引き離し、キリストから引き離そうとします。これは多くの人が体験する一つのパターンのようです。これに対処するには、朝起きたら聖書を読み、祈る。そして仕事に、学校に行く。日曜日には何があっても教会に行く。週の半ば水曜日の祈り会に行くことです。いま高校野球のシーズンですが、私も高校の時は野球部に所属していました。打者は毎日バットを何百回も素振りして自分のフォ-ムを作る、投手であれば一つのコースに何回も何回も投げ込んで、投げた球がそこに行くようにするという基本練習が中心でした。元プロ野球の選手や甲子園に出て大学で活躍している選手がコーチに来ましたが、常に基本に忠実であれということでした。私は投手として投球練習をしましたが、練習試合をして腕を試したいと思うが、毎日同じ所へ投げ込む練習ばかりしていて飽きてくる。それを辛抱して続けていると投球が安定してくることを体験しました。試合の結果、都の大会ではずっとイチコロ組で負けていたのが、何と2回戦に進出できましたが、後は力尽きて甲子園ははるか遠くの幻に終わりました。野球の話が長くなりましたが、キリストの大使は、聖書を読む、祈る、教会を休まないという信仰の基本を身につけることが大切です。



2、キリストの大使は、教会生活を持続して行く。

⑴教会を離れたらダメです。教会は、天国の地上の出張所です。キリストの大使は教会生活を通して、キリストを表して行きます。長い方は50年以上の教会生活をしています。30年以上教会生活をしている方、20年以上の方、10年以上の方、そしてつい最近から教会に来ているという方もいます。大事なことはキリストの臨在する教会に休まずに通って、信仰生活に励むことです。キリストは安息日になると、自然にいつものとおり会堂に行き神様を礼拝していました(ルカ4:16)。私たちも日曜になれば、自然に教会に足が向くようになっています。

⑵教会生活の持続のために牧師のために祈って下さい。牧師を通して神のメッセージを聴くので、ぜひ牧師のために祈って下さい。開拓当初から私の話を聞いている方は、日曜日だけで1976回は聞いています。話の傾向、流れ、声の調子、癖などあらゆる事を知っています。本当に長きにわたって聞いていただき感謝しています。若い伝道師夫婦がいますが、今は新鮮(?)ですが、付き合いが長くなってくると、やはり聞いている側は慣れを感じます。牧師である私たち、伝道師である倫夫、チャチャ師のために祈って下さい。今回のキャンプの特徴は礼拝に聖書劇があったことです。この企画指導にあたってくれたチャチャに感謝し、出演して下さった方々に感謝します。これからも聖書劇の時には皆で出演し、盛り上げて下さい。教会学校の教師として奉仕している方々は毎週聖書のお話を子どもにしていますが、教会学校教師たちのためにも祈って下さい。

⑶教会生活持続のため、互いに祈り合って下さい。メッセージの前に、キリストの教会を体に例えた御言葉を中心にして、聖書劇があり、分かり易く楽しい劇でした。体にいろいろな器官があって、頭からの指令に従ってそれぞれの役割を果たし、全体の調和があり、働きがあるということを知りました。互いの違いを受け入れ合い、そして互いに助け合って行くことが全体に調和をもたらします。教会生活は一つのチームのように互いに支え合って行くものです。また野球の話になりますが、高校は都立の学校で進学を目指す人が多く、野球部は弱いこともあって人数が少数でした。ライトを守っている仲間がいましたが、フライがあがると、モタモタしてなかなかスタートが切れない。ボールの落下点に来ても、上を見上げてフラフラしている状態でした。ある試合の時に、私が投手で相手は左バッター、踏ん張って投げてライトフライにし止めたと思った、ライトの彼がグラブを差し出した、シメタ、これで終りと思ったら、彼がボールをグラブに当てて落としてしまったのです。せっかく打ち取ったと思ったのに本当にガッカリしました。ところが先輩も顧問の先生も誰一人として彼を責めず、「惜しい所で取れなかったが、今度の時には頼むぞ」と明るく彼を励ましたのです。野球部の大切な仲間として、下手は下手なりで全力を尽くす、そして欠けているところを補い合って行こうというところに、弱い私たちの野球部の存在があったことを思い出します。教会にも様々な人々がキリストの救いを受け、共に集まっていますが、お互いのために祈り合って行きましょう。



3、キリストの大使は「受けるよりは与えるほうが、さいわいである」(使徒20:35)ということを忘れないで行く。

キリストは愛の与え主です。ヨハネ、「主は私たちのために命を捨てて下さった。それによって私たちは愛ということを知った」(Ⅰヨハネ3:16)と述べています。キリストの字架の時に、少数の婦人とヨハネを除いて、弟子達は逃げ去ってしまいます。彼らが戻ってきた時に、復活の主は弟子達を責めず、「平安あれ!」と呼びかけ、彼らに世界伝道の使命を与えています。やがて彼らは聖霊を受けて、世界伝道を開始し、全世界に教会が始まり、それが今日の私たちに受け継がれていることを感謝します。ナポレオンは一代でフランス皇帝になった英雄でしたが、ロシア侵攻に破れ、ワーテルローの敗戦により、皇帝の地位からセントヘレナ島に囚人として流され、淋しく一生を閉じて行きます。彼は言っています、「私は武力で国々を攻め取り、多くの者達が私について来たが、しかし彼らは私の凋落と共に去って行った。ナザレのイエス・キリストは愛をもって人々に接し、キリストの愛を受けた者たちは世界の国々から起こされ、これからもキリストに従う者が起こされ、キリストの愛の軍団は力強く前進し続けるであろう」と。

愛を蒔けば、愛を刈り取ります。1924年パリ・オリンピックで、イギリスのリデル選手は日曜日が自分の専門の100メートルであったので、「私はクリスチャンですので日曜日は礼拝をします」と言って棄権、大問題になりますが、週日に行なわれた専門外の400メートルに出場、金メダルをとります。彼は中国への宣教師になりますが、戦争になり日本軍に捕らえられてしまいます。メティカフ少年も捕虜になり、リデルから「日本を恨まないで祈りなさい、イエス様は迫害する者のために祈れと言われている」と教えられます。戦争が終わった時、メティカフ少年は18歳でしたが、日本に対する愛が心に芽生えてきたことを意識します。そして1952年から36年間日本に住み、宣教師としてキリストの愛を伝え続けます。それはキリストの愛を実践し、日本のために祈り続けたリデル宣教師の良い影響を受けたからです。(闇に輝くともしびを継いで・メティカフ著・ことば社)



*最後にお勧めします。主イエス・キリストに、「私をキリストの大使として用いて下さい。イエス様に私は従って参ります。聖霊によって私を導き、用いて下さい」という決断の祈りをささげましょう。「イエスその御名は」をさんびしましょう。そしてお祈りをささげます。



祈 り  

天地の主である神様、金曜日から今に至るまで、この軽井沢の地で「我らはキリストの大使である」という主題のもとに恵みの三日間を過ごせたことを感謝します。各分科会で有意義な学びができたことを感謝します。受けた学びを生かして行くように導いて下さい。

主イエス様、「我らはキリストの大使である」との御言葉を心に刻みます。私たちはキリストの大使として、イエス様にどこまでも従って行きます。私たちを導いて下さい。

熊谷の礼拝も祝福された集まりになっていることを信じ、主に感謝をささげます。

軽井沢で、また熊谷で、多くの方々が奉仕していますが、主が豊かに報いて下さい。教会全体の祈りが結集されていることを感謝します。このキャンプにトポス教会を加えて下さったことを感謝し、比留間師夫妻を用い、トポス教会の働きを祝福し、ホームレス伝道を祝福して下さい。

 私たちをキリストの大使に任命して下さるために、十字架に命をささげ、死を打ち破って甦ってくださり、私たちに救いと永遠の命を与え、永遠に生きておられる、私たちの愛する主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。