キリストのゆるし エペソ4:25-32                 主の2007.8.26礼拝

ある老婦人から聞いたことです。長年連れ添ってきた夫がいました。夫は、奥さんが家事をし、夫に仕えることは当たり前のことだと考えていたので、奥さんに感謝を表し、ねぎらいの言葉をかけたことはありませんでした。ところが病気になり、今まで以上に奥さんの世話になる日々が続きました。ある日、夫が奥さんに、「ずっと世話をかけっぱなしで悪いな、ありがとうよ」と声をかけたのです。夫からの、始めてのねぎらいの言葉に、奥さんは今までの苦労がいっぺんに吹き飛ぶような気持になったということです。そのお話を聞きながら、人に感謝し、相手を励まし、心を温かくする言葉をかけることの大切さを教えられました。

本日の聖書はエペソ4:25-32です。29節に「人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい」との勧めがあります。ひとりの男性が、「夫である自分に妻がいろいろと仕えることは当たり前だ」という高ぶった思いを捨てて、謙って「ありがとうよ」と言ったことによって、奥さんの心に長年の間くすぶっていたご主人への不満が解消し、心に恵みが与えられました。この夫は人生の終わりになって、奥さんへの感謝を表しましたが、クリスチャンは毎日感謝の気持を表すということを忘れてはなりません。本日の聖句は、「真実を語りなさい。罪を犯してはならない。悪魔に機会を与えてはならない。聖霊を悲しませてはいけない。赦し合いなさい」など全部現在形です。キリストを信じる信仰とは、きょうのこと、今のこと、今この瞬間のことです。先日、佐賀の普通の県立高校が甲子園で優勝し、全国4000以上の高校野球の頂点を極めました。彼らの合言葉は「地道な努力」でした。学ぶ時には学び、野球の時には手を抜かずに黙々と練習を積み重ねた結果が優勝につながったということです。クリスチャン生活もきょうという時に、今という時に、今この瞬間に主に従って行くという一日一日の地道な積み重ねが大切です。

本日は2007年34回目の聖日礼拝です。「キリストのゆるし」という主題のもとに、主からのメッセージを共に聴き、祈って、新しい一週間の旅路を出発いたしましょう。



内容区分

1、罪を憎み退けよう。悪魔に機会を与えるな。 4:25-29

2、聖霊を喜ばせよう。キリストにあってゆるし合って行こう。4:30-32

資料問題

25節「おのおの隣人に対して真実を語りなさい」、ゼカリア8:16からの引用。26節「憤ったままで日が暮れてはならない」、日没から翌日が始まるので、太陽が沈まない中に問題を解決し、怒りを持ち越すなとの意。27節「悪魔に機会を与えてはいけない」、機会はトポス(場所)のこと。29節「悪い言葉」、教会生活において言葉を慎むことは大切である。悪い言葉とは他人の心を腐敗させる言葉。30節「神の聖霊を悲しませてはいけない」、私たちの中に宿り、教会に宿っている聖霊は、人の悪口を言う時に深く憂い、悲しむ。何故なら聖霊は神の聖霊であり、キリストを指し示す霊であるが、私たちが人の悪口を言う時は、キリストから離れてサタンに従っている状態なので聖霊を悲しませることになる。32節「赦す」、先ず人の罪を赦すこと(マタイ6:12,14,15)。十字架によって赦されたことを感謝し、キリストに倣って他人の罪を赦す者に変えていただこう。



1、罪を憎み退けよう。悪魔に機会を与えるな。4:25-29

また、悪魔に機会を与えてはいけない。(27節)

人生には様々な問題がありますが、特に人間関係は一生ついて回るものです。この教会に、今朝100名ほどの方々が集まっていますが、単純にいうと100の個人的立場があり、問題があり、人間関係があります。また集まっている皆さんには家族がいます、親族がいます、友達がいます。また職場や学校、地域社会などで関わっている知人がいます。ですから問題や人間関係は100ではなく、もっと多く複雑多岐にわたっています。新聞に「人生案内」の欄があって、読者の種々の相談事に対して作家、精神科医師などが解答しています。相談の内容は、90%いや100%が人間関係の事柄です。その欄を読みながら、全ての人々が人間関係の悩みやストレスを抱えていることがよく分かります。教会は人の集まりですから、様々な事柄があり、人間と人間との問題もあります。しかし、どんなに問題があったとしても、クリスチャンには信仰と生活の唯一の基準である聖書が与えられています。聖書には人間関係も含めたあらゆる人生の問題に対処する処方箋があります。また私たちの主イエス・キリストは生きておられ、私たちの祈りに答えて、すべてを恵みに変えて下さいます。

そこで、先ず4:25-26を読みます。これを実践すればトラブルなしです。皆さんも何かあった時、この個所を声に出して読んで下さい。必ず聖霊によって良き助けが与えられます。

26節、「憤ったままで、日が暮れないようにせよ」とあります。

昔は日没から次の日になりました。嫌なこと、怒ること、ムシャクシャすることを明日に引きずらないで、その思いから離れて行きなさいという勧めです。イエス様を信じ生まれ変わっていても、ふっと心の中に人に対する怒り、憤り、また醜い思い、或いは罪の思い出が湧き出てくる時があります。しかし、それに支配されて、否定的な事柄にズルズル引っ張られないように、主イエス・キリストの御名によって祈ることが大切です。宗教改革者マルティン・ルッターはサタンが彼の過去を暴きたてた時に、インクビンを投げつけ、「主イエス・キリストの血によってすべての罪が赦されている」と叫んで勝利を得ています。

27節、「悪魔に機会を与えてはいけない」と言われています。

機会というのは場所という言葉です。私たちの心の王座におられるのはイエス様です。イエス様が私たちの心の支配者なのですが、怒りの気持を持ち続けているなら、サタンに入り込まれて、サタンに場所を与えて、心の中に居座られてしまうかも知れません。

28節に「盗み」とあります。

ここでは、かつて実際に盗みをしていた者が救われ人がいました。悪い中から救われた者は、キリストの恵みに感謝して、自分の手で働きなさい、得たものを貧しい人々に分け与えて行きなさいとの勧めです。芸能人が何億円もかけて豪華な結婚式をする、ある芸能人は18億円かけて住いを建てたということが報じられています。それはその人の生き方ですから論評はできませんが、そこには自分の名声と莫大な経済力を誇るという気持が見受けられます。聖書の示す生き方は「分け与える」という事です。昨日上野ホームレス伝道に行きました。一年前に一人のホームレスの人が救われた。一年経って、その人は比留間牧師に「洋服を買っていいですか」と訊ねた。比留間牧師は自分のものを買うのになぜ聞くのかなーと思った。すると彼は「自分のものではなく、上野の集会に集う人々のために洋服を買いたい」と言ったそうです。自分の手で正当な働きをして、貧しい人々に分け与えるということの生きた実例です。

29節に「悪い言葉」とあります。

これは人の心を腐敗させる言葉、悪口、ゴッシプということです。人の心を腐らせるような言葉、審く言葉、人を冷たく批評し分析するような言葉を「いっさい口から出してはいけない」と厳しく言われています。クリスチャンは、29節後半、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさいとの勧めを受けています。キリストはどうだったでしょうか・・・。

キリストは、長血という恥ずべき病気の女の人が無断で自分の着物に触って癒やされた時、彼女を叱らず、「娘よ」と優しく呼びかけ、癒やしと共に魂の救いを与えています(マルコ5:25-34)。

キリストは、十字架の場面で三度も自分を裏切ったペテロに、彼を責め、叱るのではなく、逆に三度も「あなたはわたしを愛するか」と語りかけ、彼を再献身に導いています(ヨハネ21:15-22)。

キリストは、クリスチャンを根絶やしにしようと、殺害の息をはずませながらダマスコへ向うパウロに、彼の母国語のへブル語で、また小さい時からの呼び名であるサウロという名前で、「サウロ、サウロ。なぜあなたはそんなに荒々しくクリスチャンを迫害するのか。わたしが彼らの神である」と言って、パウロを回心に導いています(使徒26:12-18)

キリストの愛をいただいて、私たちも人を励まし、支え、愛する言葉を語って行く者となるように祈って行きましょう。



2、聖霊を喜ばせよう。キリストにあってゆるし合って行こう。4:30-32

神の聖霊を悲しませてはいけない(30節前半)。互いに情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストに合ってあなた方をゆるして下さったように、あなた方も互いにゆるし合いなさい(32節)。

「聖霊を悲しませてはならない」、と言われています。聖霊は神の聖霊と言われています。聖霊の働きは何でしょうか。聖霊には多くの働きがありますが、今回はイエス・キリストが直接聖霊について言われた二つの御言葉を引用します。



「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう」(ヨハネ15:26)



「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)



聖霊はキリストをあかしする霊であり、聖霊を受けた者はキリストの証人になると教えられています。キリストは復活の後に天に帰りましたが、ご自分の代わりに聖霊を送ると約束され、ペンテコステの日に待ち望む120名の弟子達に聖霊が降り、伝道がなされ、3000人の人々が救われて初代教会が始まりました。聖霊は今やキリストを信じる者の心の中に住んでおられます。聖霊はキリストを証しするきよい霊です。聖霊を心に宿している者が、悪い言葉を口から出し、あるいは32節にある「ゆるし合いなさい」という命令に反して、人を赦す事を忘れるなら、それはキリストの愛の心を踏みにじり、聖霊を悲しませることになるのです。聖霊を悲しませるのではなく、聖霊を喜ばせなければなりません。私たちがキリストの愛と赦しによって救われていることを感謝し、互いのために祈り合って行くことが、聖霊を喜ばせることです。

31―32節に「互いに」と言われています。

相手のことを思い遣る気持をもって、自分のほうから悪意を棄て去り、ゆるしの心をもって行くことが大切です。相手が変ったら赦そう、憐れみをしめそうというのは間違いです。こちらから語りかけることが大切です。

32節に「ゆるし」ということが言われています。

キリストは十字架上で、「父よ、彼をおゆるしください。彼らは何をしているか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と祈りながら、罪人である私たちの救いのために、罪の身代りになって命を捧げて人々が罪から救われ、永遠の命を与えられています。罪から救われて、永遠の命を受けている者の特徴は何でしょうか・・・明るく、感謝をもって、讃美をうたいつつ生きるということです。キリストの赦しは私たちの全生活に及びます。トラウマという言葉があり、過去に受けた心の傷によって苦しむことを言う時に使われています。確かに過去の傷によって心が痛手を受けて苦しみから立ち直れないということもあると思います。そのためにカウンセリングがあります。では聖書は何と言っているか、「キリストにあるならば、古いものは過ぎ去り、全てが新しくなった」と宣言されています(Ⅱコリント5:17)。つらい時こそ十字架を見上げて下さい。受けた傷も痛い。しかし、自分が人に与えた傷もあるはずだ。イエス様、十字架の恵みによって全てを新しくして下さいと祈って行く時に、きっと傷は癒され、自分が与えた傷は赦されるでしょう。そのために悔改めの思いを深め、「赦せないでいる心を赦して下さい」と素直に祈って下さい。そこにゆるしと救いが豊かに与えられます。



キリストの十字架のゆるしを信じる時に与えられることを三つ申し上げます。



第一に、キリストの十字架のゆるしを信じる時に、キリストの救いは確かであると確信できます。

キリストの救いを確信し、聖霊によって感謝の日々を送るようになります。「イエス様、十字架は私のためでした」という感謝をもって、救いを心から信じることができます。

第二に、キリストの十字架のゆるしを信じる時に、キリストの平安が与えられます。

東京に住んでいた方が救われたのですが、ある時から教会に行かなくなり、かなり長い間にわたりました。ところが突然に病気になりましたので、祈りに行きました。信仰にブランクがあるので、祈りを受け入れるかなと思いましたが、素直に祈りを受け入れ、手術が成功し、それから召される日まで信仰生活に励みました。それは、祈りを通して、自分は赦されているということを心から感謝し、平安を与えられたからです。

第三に、キリストの十字架のゆるしを信じ、ゆるしを実践する時に主の御業が現されます。

「キリスト新聞」という新聞があり、日本、世界のキリスト教情勢が報じられています。銀座に「教文館」というキリスト教書店があり、本の販売と数々のキリスト教関係の書物を出版しています。この二つの経営に携わっていたのが武藤富男という方でした。この人は学生時代に「キリスト教をぶっ潰してやれ」ということで、英語が出来たので、ミッションスクールであった青山学院主催の英語弁論大会に出て、「神は愛ではない。神は人間を苦しめる暴虐の神だ。私は神を罵る」という弁舌をした。審査委員にウエンライト宣教師がいた。弁論大会が終わってから、ウエンライトから武藤のところに手紙がきた。「神が存在するという前提で、宇宙のことや物事すべてを説明するのは難しいでしょう。しかし神が存在しないという前提の下に宇宙のことや物事すべてを説明するのはもっと困難です。聖なるものの存在を否定すると、いろいろな困難にぶつかります。あなたには将来世の役に立つ仕事が待っています。弁論大会であなたの弁論を聞いた私の印象です。ところで、私はあなたの英語の発音を直す手助けをしますので、次の日曜日の午後に家に来て下さい」と記されていた。武藤はウエリントンの人柄に惹かれて、聖書を学び、洗礼を受けた。後に彼は政治の世界で活躍をし、やがてクリスチャン経営者として、「キリスト新聞」、「教文館」の経営や明治学院大学、東京神学大学の理事長を務め、福音伝道に寄与する者として用いられて行きました。それは神を罵った武藤を、キリストの十字架の愛とゆるしとをもって受け入れてくれたウエリントン宣教師の存在があったからです。



まとめ

1、27節を読みます。罪を憎み退け、悪魔にたいし絶対に機会を与えないようにして、キリストに従う信仰生活に励んで行こう。

2、30節前半、32節を読みます。聖霊を喜ばせ、キリストの十字架のゆるしを信じ、キリストにあってゆるし合って行く時に恵みを受けます。



祈 り

天地の主である神様、独り子イエス・キリストの十字架による救いに感謝します。キリストを常に心の真中に迎えて、決して悪魔に機会を与えることがないように導き、守って下さい。キリストの愛で心を満たされ、ゆるしを実践して行くことができるように導いて下さい。午後からの聖歌隊、奉仕役員会、夜の聖日礼拝(夕拝)を祝福して下さい。今朝、特に病気の人が癒やされることを信じます。十字架による赦しを与えて下さったイエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献エペソ注解―黒崎、フランシスコ会、バークレー、榊原、LABN、口語新約略解、文語新約略解。 「原語はー新約聖書原語研究・ピアソン・教文館」、「キリスト新聞資料