キリストはよい羊飼い ヨハネ10:11―16 主の2007.9.9礼拝
人生において良い師に巡り合うことは、私たちの人生を豊かにします。私事ですが、多くの良き霊的指導者に恵まれたことを感謝しています。
力丸牧師は伝道の初期、九州の地から手弁当で何回も伝道応援に来て下さり、熊谷が3年9か月目に、本部よりのサポートを返上し自給伝道に踏み切った時に、励ましの手紙と共に伝道献金を送って下さいました。
吉野牧師は、毎朝5時から祈る日々をおくり、召される朝も私たちのために祈っておられ、祈りの尊さを教えてくれました。
豊留先生は、ロスアンジェルスに住み、年に2回日本の教会で奉仕をされていましたが、1973年以来、来日するたびごとに熊谷に来られ、20年にわたってネームレスによる個人伝道を私たちに打ち込んでくれました。「熊谷は私の愛する母教会です」と言われ、キリストを伝えるために「キリストきちがいJesus crazy」となるように、私たちを導いて下さいました。
これらの先生方はキリストを愛し、自分たちの持っている信仰の恵みを惜しみなく与え、教え、私たちが一人前の伝道者になるように祈り、支えて下さった霊的恩人です。
本日はヨハネ10:11-16です。キリストは、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」(11節)とおっしゃっています。良い羊飼いは、羊を愛し、命を賭けて羊を守り抜きます。私たちの恩師である先生方は、若い未熟な私たちをキリストの愛をもって愛し、自分たちに与えられている全ての賜物を惜しみなく分け与えて下さいました。弱い羊を守り、導くまことの羊飼いであるキリストのように、恩師の先生方は私たちを霊的に養ってくれました。
今朝、キリストは言われます、「わたしは良い羊飼いであって、わたしの羊はまた、わたしを知っている」(14節)。私たちはキリストによって愛されて、守られています。キリストの愛は十字架によって明らかにされています。メッセージを通してキリストに心を集中し、キリストの愛に感謝を捧げ、キリストに仕える献身の思いを深め、祈って新しい一週間の旅路を出発して参りましょう。
内容区分
1、キリストは、私たちのよい羊飼いである。10:11-15
2、キリストは、すべての人のよい羊飼いである 10:16
資料問題
11節「わたしはよい羊飼いである」、古代近東諸国では、牧畜は生活のために必要であり、羊飼いは重要な存在である。旧約聖書では神ヤーウェが羊飼い、イスラエルが羊の群れとして描かれている(詩篇23、80:1、95:7、イザヤ40:11)。新約聖書ではイスラエルの民(マタイ9:36)、使徒(ルカ12:32)、信者(使徒20:28)が羊にたと
えられ、キリストが偉大な羊飼い(Ⅰペテロ5:4)と呼ばれている。14節「知る」、単に知り合うという意味ではなく、両者の間に信頼と愛の関係、心の交流があることを意味する。16節「囲いにいない羊」、まだキリストを信じていないイスラエル人、異邦人のこと(イザヤ56:8、ヨハネ11:52、17:21)。彼らもキリストの声を聴いて信じる(18:37)キリストを信じる者が、新しいイスラエル、すなわち教会を形成する(エレミア23:3,4、エゼキエル34:23、エペソ2:14-18)。この個所に、唯一の羊飼いキリストの下に、キリストを信じる者が一つの群れになるという崇高なビジョンが明示されている。
1、キリストは、私たちのよい羊飼いである 10:11-15
「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」(11節)、「わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている」。(14節)
私たち日本人は羊のことはあまりよく分かりませんが、羊は聖書の中にしばしば登場します。旧約聖書では、主なる神様は羊飼い、イスラエルの民が羊として表されています。新約聖書では、主イエス・キリストは偉大な羊飼い、イスラエルの民、使徒、信者が羊として表されています。この個所に、偽りの羊飼いとまことの羊飼いが出てきます。
偽りの羊飼いは、金を得るために羊を守る仕事をしています(12-13節)。
偽りの羊飼いは、獣がやって来て羊を襲うようなことになれば、「こんな仕事は割りに合わない」と言って羊を捨てて逃げてしまいます。彼の関心事は羊ではなく、お金であり、自分のことであり、羊に対する愛がないからです。
まことの羊飼いは、命を賭けて羊を守ります(11節)。
羊は、目が悪いので迷いやすく、獣に襲われたらすぐに命を落としてしまう弱い動物です。そこで羊飼いが、草のある所、水のある所へ羊の群れを導いて行きます。野には獣がいて羊を餌食にしようと狙ってきますが、羊飼いは身を挺して羊を守り、時には自分の命を犠牲にして羊を守ります。羊飼いは小さい時から羊の群れと共に育っているので、羊をよく知っていて、羊を1頭1頭愛しています。キリストはよい羊飼いです。命を賭けて、羊である私たちを愛し、守って下さる救主です。キリストが命を賭けて、愛を表されたシルシは十字架です。羊は羊飼いがいなければ道に迷います。私たちは主である神様から離れているので、人生の道に迷い、遂には死んで永遠の滅びに向って行く羊のような無力な者です。キリストは神の独り子であり、罪のない御方でしたが、人間の罪の身代りになって十字架で命を捧げて下さいました。そのことが「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」(11節)という御言葉によって言い表されています。「十字架は罪人である私のためでした。イエス様、罪を悔改めます。イエス様の十字架によって私の罪を赦し、新しい生まれ変わり、新しい出発を与えて下さい」と祈れば、誰でも間違いなく救われます。
キリストは私たちを知り、私たちもまたキリストを知っています(14-15節)。
知るというのは単に知っているというのではなく、お互いの間に愛と信頼、心の交流があることを意味しています。イエス・キリストは十字架にかかって愛を表して下さいました。私たちは十字架によって罪を赦されたことを感謝し、「イエス様、ありがとうございます」という思いをもって主に仕え、従って行くのです。
よい羊飼いであるキリストの恵みを知った方がいます。ゴスペル歌手キキさんの証があります。彼女は父親が倒産し、両親が子どもを置いて家を離れ、兄は不良の道へ走った。彼女は16歳で夜の世界に入り、17歳で札幌・すすきののネオン街で働くようになり、21歳で自分の店を持った。店でピアノの弾き語りをはじめ、特にアメリカの黒人音楽に心を惹かれていた。水商売は緊張を強いられ、それをアルコールでまぎらしていたが、23歳の時に心臓に痛みを感じ、自律神経失調症と診断された。27歳の時に黒人音楽の本場に行きたいとアメリカへ行った。ロスアンジェルス・黒人街の教会を訪れた、教会は初めての世界だった。「教会の音楽に純粋なものを感じた。目に見えない何かに向って歌っている」と思い、気がつくと泣いていた。帰国し、再び札幌・すすきので歌手として、ソウルミュージックを歌い、注目された。別れた母と、アメリカから帰ってから一緒に生活していたが、30歳の時に母がガンと宣告された。さらに長年付き合っていた黒人男性の間にひびが入っていたが妊娠していた。兄が刑務所に入ったこともショックだった。生きることに疲れ、教会へ。日本の教会はアメリカの教会とはイメージが大きく違っていたが、教会へ通い始めた。ある礼拝後、隣のクリスチャン婦人が「そんなにがんばらなくてもいいのよ。ひとりで背負わなくてもいいのよ。あなたはイエス様を知っていますか。イエス様は本当の神様で人間をその罪から救うため十字架にかかってくれたのです」。それを聴いているうちに、自分の醜さ、ドロドロに汚れた姿に気づき、泣き崩れた。泣けて泣けて仕方なかった。その女性は祈ってくれた。2000年はじめ、彼女はイエス・キリストを信じ、受け入れた。身ごもっていた子どもの父親と正式に入籍、教会で結婚式をあげた。その年の10月に洗礼を受けた。母のガンの腫瘍マーカーが下がって行き、母も教会へ出席。母と父は離婚したが、現在彼女と共に礼拝に出席。人生の破船にあった兄もキリストの許に帰った。彼女はアメリカの教会で「目に見えない何かに歌っている」という感動にふれた時、それが何かは分らなかった。しかし、彼女はキリストによって救われ、キリストの無限の愛を知り感謝して、彼女がよい羊飼いであるキリストに縋りついて行った時に、彼女の家族が救いに与っていった。ゴスペルを歌っている彼女は、その感動の源泉が何かを知っている(註:感動の源はキリストの十字架であるとの意)。それで彼女の歌声が多くの人に感動を与えているのだ。
2、キリストは、すべての人のよい羊飼いである 10:16
「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない、彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、遂に一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう」。(16節)
囲いとはキリストの教会を指しています。聖霊に導かれてキリストを信じた人は、キリストの教会に入ります。
クリスチャンは、キリストの教会で礼拝を捧げ、神の御言葉である聖書によって心を養われ、祈り、信徒の交わりをし、伝道奉仕を通して主イエス・キリストに仕えて行きます。キリストは言われました、「わたしにつながっていなさい。そうすれば心を恵まれ、生活が支えられ、祝福の人生を歩んで行く」と(ヨハネ15:1-17参照)。パウロは、「教会はキリストの体である。私たちは体の各器官である。互いに祈り合い、また弱いところは皆で補い合って行こう」と言っています(Ⅰコリント12:12以下参照)。
この囲いにいない他の羊とは、まだキリストを信じていない人々を指しています。神の選民といわれるユダヤ人であってもキリストを信じ、キリストの教会に入って来なければ、神の子になることはできません。異邦人も同じです。現在、世界人口の三分の一ぐらいが教会に繫がっています。日本では全人口の百分の一ぐらいが教会に繫がっています。
キリストは「この囲いにいない人々をも導かねばならない」と言われています。
キリストが実際に伝道活動をされたのはユダヤ人の間だけです。キリストは先ず12弟子を訓練し、彼らを通して全世界に向って伝道して行く備えを為されました。異邦人伝道は使徒たちに委ねられましたが、伝道の働きを遂行するためにキリストは天より聖霊を遣わし、パウロをはじめとする多くの人々が聖霊の力にあふれて世界伝道の働きを展開したのです。初代教会以来、クリスチャンは、キリストの「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」という命令に従い、伝道を続けています。
熊谷の旧家にあった1930年(昭和5年)の熊谷に関する本の中に、熊谷にキリスト教講義所があり、毎週10数名が出席しているという記述があったのを覚えています(旧家焼失の際に残念なことに本も焼けてしまった)。私がその本を読んだのは30数年前で、礼拝が20名になろうとする時であったと思います。私は、熊谷の群れは小さい、しかし、キリストの言われた「この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、遂に一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう」という御言葉を思いつつ、とにかく伝道して行こう。キリストを伝えれば、キリストご自身が救われる人々を教会に加えて下さるということを信じて進んで来ました。主は救われる人々を起こして下さり、群れが成長していることを感謝します。しかし、まだまだ教会という囲いの外にいる人々が多くいます。
私たちの家族がキリストを信じて、教会の中に入ってくるように祈りましょう。
私たちの友達がキリストを信じて、教会の中に入ってくるように祈りましょう。
一度は教会の中にいたのに、教会の外に出て行った人々がいます。それらの人々が教会の中に戻ってくるように祈りましょう。
囲いの外にいる人々に対する伝道の一つの例にイスラム圏伝道があります。イスラムの世界はキリスト教禁教国ですが、アメリカ人宣教団体では、働き人を英語教師として現地に住まわせ、英語を学びにくる人々に注意深く、静かにキリストを伝えています。この教会を始めて下さったポール・クラー師の次女ポーラはご主人と四人の子ども、ご主人の両親とチームを組んで、イスラム圏に住み込み、伝道をしています。熊谷の伝道の歴史を振り返ってみると、クラー宣教師が家族五名で熊谷に住み込み、囲いの外にいる人々へ英語を通して近づき、福音の種が蒔かれ、教会の土台が据えられて行きました。最初に福音の種を蒔いてくれた人々の働きはムダになることはなく、伝道の働きは継続され、私たちも救いに入れられていることを感謝します。
囲いの外(教会の外)にいる人々が救われて行くように祈りましょう。
突然話が変わりますが、今、アメリカのプロ野球で日本人選手が活躍しています。ゴジラこと松井選手は昨年の左手首骨折を克服して大活躍しています。彼の愛読書は聖書で、ニューヨーク・ヤンキースの仲間たちと一緒に聖書を学んでいます。クリスチャンのアンディ選手に誘われ、教会礼拝にも出席しているということです。主イエス・キリストはあらゆる人々を救い、用いて下さる救主です。時々、福音がなかなか浸透して行かないように感じますが、キリストは意外なところで、意外な人物を救いに導き、救いの働きを拡大して行こうとされています。意外な人物といえば、私たち自身が救われたということが不思議です。私たちは救われて囲いの中である教会にいます。私たちの使命は、教会の中に安住しないで、囲いの外にいる人々にキリストの十字架と復活とを知らせて行くことです。7月24日さいたまアリーナで「ラブソナタ伝道集会」が開かれ、日本側380教会が協力し、2万人が参加したのですが、その報告書が教会に送られてきました。何よりもすごいことは、韓国のオンヌリ教会が企画し、全費用を捧げ、音楽、映画などあらゆる分野のクリスチャンを動員して、囲いの外にいる人々に呼びかけ、キリストの救いのメッセージを伝えたことです。組織があって、お金があったから大きな集会ができたと思いがちですが全く違います。それは祈りから始まったという事です。これは、日本のクリスチャンに対するチャレンジであると思います。クリスチャンが増大するように祈って、伝道して行きましょう。16節にあるキリストの御言葉の実現を信じて、家族のために祈り、友のために祈り、日本の救いのために祈って行きましょう。
まとめ
1、11,14節、イエス・キリストは、私たちのよい羊飼いであり、救主です。主の救いを喜び、感謝して行きましょう。
2、16節、イエス・キリストは全ての人のよい羊飼いであり、救主です。キリストの救いを知らず、教会の外にいる人々にキリストの救いを知らせましょう。そのために祈りましょう。
祈 り
創造主である神様、独り子イエス・キリストが私たちのよい羊飼いであることを感謝します。私たちは罪人でしたが、キリストの十字架によって愛され、罪を赦され、教会の中にいることを感謝します。囲いの外、教会の外にいる私たちの家族や友人が一日も早く救われて、教会の中に入ってくるように導いて下さい。病気の方が癒やされることを信じます。仕事を求める者に答を与えて下さい。よい羊飼いであり、全ての人の救主であるイエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献・ヨハネ注解―バークレー、フランシスコ会、文語略解、LABN。「この深い河を越えて・マナブックス」