「虚しさと苦しみの中でも、主を恐れよ」

ヨブ記16-22

2007年10月21日 荻野伝道師

 

導入

blake.jpg (69149 バイト)今日は、「虚しさと苦しみの中でも、主を恐れよ」と題し、メッセージを聞く。水曜の夜もヨブ記から、「悩みの日に主を呼ぼう、主は答えられる」と題して、メッセージを取り次いだ。しかし、主が答えたのは、38章に至ってからである。主は必ず答えてくださるが、主の沈黙が長く感ぜられることがある。今日は、その主の答えを待つ間の心構えを学ぼう。

今日、私たちがヨブ記から受け取るメッセージ、それは、あなたはいついかなるときも、神を恐れよ、ということである。ヨブ記は語る。たとえ人々の理解が得られず落ち込むときも、神を恐れよ。たとえ病によって肉体的、精神的に苦しめられていても、神を恐れよ。たとえ家族のことで、心がねじ切れるように痛むときでも、神を恐れよ。人生に疲れ果て、虚しさに襲われている時も、神を恐れよ。心配事があり心がふさぐときも、神を恐れよ。仕事におけるプレッシャーのためにつぶれそうなときも、神を恐れよ。人間関係で悩む時も、神を恐れよ。絶望の時も、神を恐れよ。

当初、「主を恐れよ」と「う」を入れて、題を柔らかくしようともした。しかしヨブ記1章の迫力に押されて、「主を恐れよ」と命令形で終えざるを得なくなった。私たちは、ヨブ記1章を通して、他の何を失っても「主への恐れ」を失ってはならない、との、ヨブの命がけのメッセージを、受け取りたい。

 

 では、ヨブ記1:6-22を読もう。(拝読)

 

岩波のヨブ記を訳した並木浩一という人が、ヨブのあった苦難について、4段階にまとめている。

 

ヨブを襲った苦難

@財産の喪失

A忠実な使用人たちの死

B自分の子らの死

C「信仰は虚しいのではないか」との疑念―最大の試練

 

@財産の喪失

 私は塾で働いている。授業をするときの命綱ともいえる電子辞書。英和、和英、広辞苑、漢和辞典が詰まっていて、とてもコンパクト。あるとき悲劇が私を襲った。私の手元から、するするっと辞書が滑り落ちてしまった!…中の液晶が割れ、下半分は見えない状態に。皆さん、この時の私の動揺を想像できるだろうか。数万はする電子辞書が壊れてしまった。その後ショックで、教えていても、力が入らない。

 たかが数万の電子辞書でこれだけ落ち込む。ヨブは、東の人々一の大金持ちだった(ヨブ13)。その全財産を失ったのである。私の電子辞書を落としたときの何千倍、という喪失感、落ち込みようだったに違いない。

 

A忠実な使用人たちの死

 かつて内村鑑三という魅力的なクリスチャンがいた。あるときにはこんなことがあった。彼は塚本虎二という弟子を目に入れても痛くないほど可愛がっていたが、この塚本が、あろうことか師匠内村の元から出ていった。ところでこの塚本と言う人物は女性に大変人気があった。それで多くの内村の女弟子も、ごっそり塚本についていったそうである。伝記によると、内村はこの時かなり落ち込んだそうである。それはそうであろう。手塩にかけた弟子と、多くの女弟子を失ったのだから。

 ヨブに戻る。ヨブは忠実な使用人たちを失ってしまった。ただいなくなった、と言うだけでなく、全員即死である。このことだけを取り上げても、ヨブは内村以上のショックだったに違いない。

 

B自分の子らの死

 先日の祈り会で、ある少年がピアノに合わせて、タンバリンを中々上手にたたいていた。私も可愛いと思って見ていたのだが、ふとその子の両親の姿に気付いた。その子の両親は、わが子のタンバリンを叩く姿に、目が釘付けになっていた。我が子の姿は、毎日もう十分すぎるくらい見ていると思うのだが。どれだけ見ても、どれだけ可愛がっても飽き足りない、それが親の子に対する愛なのだろう。親は正に無償の愛で、子を愛している、といえる。

 ヨブには、7人の息子と3人の娘があった。ところがその愛する子たちを失ってしまった。それも全員。泣きっ面に蜂、弱り目にたたり目という言葉すら、薄っぺらに思える苦難の数々。ヨブを襲った悲しみ、苦しみはいかばかりか想像を絶する。誰も想像できないものだったと思う。

 

C「信仰は虚しいのではないか」との疑念―最大の試練

 だが先ほど紹介した並木浩一によると、ヨブにとっては今までのこと以上の、最大の試練、苦しみがある、という。それは「神を信仰することは虚しいのではないか」という疑念であり、信仰の根本を揺るがす試練である。神とサタンの会話を思い出してみよう。サタンは、ヨブが理由もなしに神を信仰するはずがない、と断言した。神はまがきを作って、ヨブを守っているではないか。もし彼の所有物を打つならば、彼は必ず神に向かって呪いを発する、つまり信仰を捨てる、それがサタンの見立てであった。

 実際ヨブは、彼の財産や子供に恵まれる、いわゆるこの世的繁栄を、神の祝福の証拠と考えていた。ヨブはいわばこれらのすべての神の祝福の証拠を失ったのである。文字通りすべての希望が絶たれ、絶望の状態となった。だがヨブの口から出たのは次の言葉だった。「主は与え 主は取られる 主の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21 新改訳) ヨブは、与え、また取られる主を賛美した。与えるゆえに賛美するなら私たちにも分かる。だがヨブは、取られるゆえにも同様に賛美した。

 神へのおそれ、の大事さ、真剣さ、それが命がけであることを、ヨブ記は雄弁に物語る。たとえ神の御心が分からず、信仰が虚しく感じられるときでも、神を恐れよ。決して信仰を捨てるような、神に向かって呪いを発するような、愚かなことしてはならない、ということ。

 神へのおそれ。これは、私たちが文字通り、命に変えても守らなければならないもの。死守するもの。財産を失い、愛する人を失い、虚しさと苦しみの中でも、神へのおそれを捨ててはならない。

 では実際に信仰の試みと絶望の中で、神への信仰を捨てた人と、神への信仰を貫いた人の生涯を比べてみよう。

 

 虚しさの果て、信仰を捨てたフリードリッヒ

 少年フリードリッヒは、牧師の息子として生まれた。母方の親も牧師。いわゆるキリスト教信仰のサラブレット。実際幼い頃の彼は、涙が出るほど聖書を上手に読むことができ、親しみをこめて「小さな牧師さん」と呼ばれていた。

1861年のニーチェ ところが大学で彼は信仰を捨て去ってしまう。この後彼は、ニヒリズムという考え方の創始者となる。ニヒリズムとは、人生のすべては無意味である、と考える哲学である。

 そして彼は更に神は死んだ、という思想に至る。彼によれば、もはやキリスト教信仰の神は信じるに値しない、神は死んだのだ、という。いわば人生の苦しみと虚しさの中で、サタンが言うところの「神を呪うこと」を選んだ、と言えるだろう。

 彼の生涯は波乱万丈である。だが特に彼の最晩年を見ようと思う。実は彼の最後の11年間は発狂してしまったのである。苦しみと虚しさの中、人間の精神は、神信仰なしには正気を保つことはできないのではないか、と思う。神への恐れなしには、それに飲み込まれてしまうのではないか。

 彼の思想は後にナチズムに利用される。しかし、フリードリッヒは反ユダヤ主義者に反対しているし、良く見るとナチズムと彼の思想は違う、というのが大方の意見である。彼の思想は、以下のコメントが、良く説明している。「ひょっとしたら、[ナチズムより]もっとひどいことに手を貸していたかもしれない人物なのだ」[1]ナチズムほど酷いことは、人類の歴史上それほどない、と思われる。そのナチズムよりもひどいことになりうる、という。実際、フリードリッヒの思想は、そのような危険に満ちた思想であるといえるだろう。このことは、私たちに信仰を捨てないように、との警告として受け取ることができる。

 どうか苦難や虚しさの中で、サタンの誘惑に乗らないように。神への信仰を捨てることがないように。


 

信仰と苦しみの中で、神へのおそれを捨てなかったセーレン

 今度は、苦悩の中で、神を熱心に信仰したセーレンという人物に注目しよう。セーレンは父から厳格なキリスト教で育てられる。幼い頃から、優秀気質の人物だったようである。彼の言葉を見ると、実際彼が深い絶望に捉えられていたことが分かる。「人生はぼくにとっては苦い飲み物になってしまったのに、しずくのように、ゆっくりと数を数えながら飲み込まなくてはならない。」[2]ヨブの言葉のような、セーレンの苦しみが伝わってくるような言葉といえる。ではそんな絶望に捉えられたセーレンは神を呪ったか?彼は信仰に生きた。彼は膨大な著述を残したが、そのすべては、伝道のため、神が彼に与えられたその役割を果たすために、多くの祈りと共にその著述は神にささげられた。彼の墓には、セーレンが生前愛した以下のような詩が刻まれている。「しばしのときが逝けば、そのときわたしは勝利していよう、そのとき、なべての戦いはつとにやんで わたしは憩うこととなる バラの間に。そしていついつまでも わがイエスに語る。」[3]天に召され、キリストにお会いするとき、この地上における苦しみと虚しさの戦いの一切は終わりを告げる。そして私は愛する私のイエスといつまでも語り続けよう。この苦しみは、もうしばらくの間だ…そのようなセーレンの信仰が表現されている詩である。彼程、虚しさと苦しみに喘いだ人物はいない。正に現代のヨブのような人物だった。また神に対して呪いを言わず、むしろ益々熱心に神信仰に生きた、という意味でも、ヨブ的であった。この憂愁の人の終わりはどのようであったか。彼のかたわらで観察した人の言葉をみてみよう。セーレンの姪の言葉から。キルケゴールは間もなく死のうとしていた、その病床を訪ねたときの、彼女の率直な印象である。

 

その痛みと悲しみの中に勝利を誇る感情がこもっていた、そのためかわたしは、その小さな病室に足をふみ入れたとき、まるで彼[セーレン]の顔から流れ出るような輝きで迎えられる、強い印象をうけた。わたしはこのような仕方で、精神が地上の幕屋を打ち破って、復活の朝の曙光のなかで変貌した肉体そのものとなったような輝きを示すのを、未だかつて目にしたことがなかった……。[4]

 

 セーレンが痛みと悲しみの内にあるのは、姪も証言しているのだから事実だったろう。しかしその苦しみのさ中に、勝利を誇る感情がこもっていた、という。それは十字架の悩みに打ち勝ったイエス・キリストにつく勝利であったのだろう。その顔は輝いていた。この後、セーレンは数日後に死ぬことになる。しかし姪の証言によれば、既に復活の朝を迎えたかのような輝きが、セーレンに宿っていた、という。

なぜこのようなことがセーレンの身に起きたのか?彼は苦しみと絶望の中で、神信仰を捨てなかったからである。否、捨てなかったのみか、益々熱心になり、神を信仰した。私たちも、たとえ虚しさと苦しみの中でもも、信仰を捨てることがないように。否、益々敬神、神への恐れを深めて生きたい、と思う。

 

 最後に、先ほどちょっと触れた内村鑑三という人のある本を紹介して終わりにしたいと思う。その本は「後世への最大遺物」という題名。私たちの人生は儚い夢のようであり、地球や宇宙の歴史から見れば、一瞬にして消えてしまう朝露のようなものである。しかし、私たちの地上の命がなくなっても、この世に遺すことができるものがある。第一にお金、第二に事業、第三として思想。これらはこれらで、良い目的のために使えばすばらしいものである。しかしこれは選ばれた人のみできることであり、万人が残すことはできない。また、これらには一長一短が常にある。では万人が残すことができて、最大の、最高の遺物、遺産とは何か。それは勇ましく高尚な生涯である。

 

そうして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと‥すなわち、この世の中はこれは決して悪魔が支配する世の中にあらずして神が支配するということを信ずることである。失望の世の中にあらずして希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲歎の世の中でなくして歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中の贈り物として、この世を去るということであります。この遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う[5]

 

 例え苦しみのさ中であっても、虚しさと失望に淵に沈むことがあっても、神の信仰に基づいた希望と喜び、平安のうちに、勇気と誇りをもって、人生の戦いを立派に戦い抜く。その勇ましく高尚な生涯を、私たちは自分たちの周りの人々に、自分の後の世代に贈り物とすることができる。私たちの命はたとえ果てても、信仰により、いつまでも後の時代に語りかけることができる。

 皆さんの抱える問題や悲しみ、苦しみは、皆さん個々人のもので、他の誰も変わってあげられないものである。それゆえ、皆さんしかできない、固有の、勇ましく高尚な歩みをすることができる。これは個々人のものであり、他の誰も奪えないものだ。この生涯を、ヨブのように、信仰と虚しさの中にあっても、神を恐れていこう。



[1] 永井均『これがニーチェだ』(講談社現代新書,1998)52

[2] セーレン・キルケゴール『あれか、これか 第一部()』「キルケゴール著作集1」 (白水社,1963) 46

[3] 橋本淳『キェルケゴール 憂愁と愛』(人文書院,1985)228-229

[4] 前掲書216

[5] 内村鑑三「内村鑑三信仰著作全集1」『後世への最大遺物』250-251