苦しむ者よ、祈れ!喜ぶ者よ、さんびせよ!病の者よ、祈れ! ヤコブ5:13-18 主の2007.10.28礼拝



先週タイ・バンコックで、聖霊の導きの下に礼拝をささげ、礼拝に引き続いて「名和正人・のりえ結婚式」はイエス様の愛に充たされ、喜びに溢れる式でした。皆様のお祈りに心から感謝します。

4日間のタイ滞在で感じたことはキリストの愛です。タイは、統計では95%が仏教、3%がイスラム教、1%がヒンズー教、1%がクリスチャンです。仏教の遺跡が数多くあり、家の庭に仏教の祭壇があり、店にはお札が貼られ、僧侶が町を歩いています。日本にも多くの寺があり、また神道の神社があり、生活の様々な分野に仏教・神道の行事が染みこんでいます。クリスチャンの数はタイと同じ1%です。しかし神様は愛の神様です。仏教の国タイにも、神社仏閣の多い日本にも太陽を昇らせ、雨を降らせ、緑で国土を覆い、人が住めるようにして下さっています。宣教師がタイ、日本に遣わされ、聖書の翻訳がなされ、伝道が進められ、1%のクリスチャンが起こされています。私はクリスチャン人口1%という数に希望があると思います。南の島に靴のセールスマンが二人派遣され、一人は「この島の人は裸足で暮している。これでは靴は売れない」と絶望のため息をつきました。もう一人は「しめた、みんな裸足で暮している。靴を売り込む絶好のチャンスになる」と考え、希望をもって仕事を始めたという事です。熊谷伝道はゼロから出発し、聖霊の働きによって救われる人々が起こされ、熊谷福音キリスト教会が形成され、なお成長しつつあります。先に救われた私たちが喜びをもって信仰生活に励み、時が良くても悪くてもキリストを宣べ伝えて行くならば、キリストの愛によって多くの人々が救われ、1%の壁は必ず崩壊して行くことを信じています。

本日はヤコブの手紙5:13-18です。この個所に苦しむ者、喜ぶ者、病める者などあらゆる状況にいる人々に対し、適切な勧めがなされています。ヤコブは、キリストの地上における弟で、キリストが復活してからクリスチャンになり、エルサレム教会の牧師になった人です。彼は跪いて日々に祈ったので、彼の膝にはらくだのコブのような大きな座りだこがあったと言われています。今朝、ご一緒に主のメッセージに耳を傾け、祈って、新しい一週間の旅路へと出発して参りましょう。



内容区分

1、クリスチャンは、あらゆる状況の中にあって主を信じて祈る者である。5:13-16

2、クリスチャンは、祈りの力を与えられていることを信じて祈る者である。5:17-18

資料問題

ヤコブ書は紀元45年ごろ主の弟ヤコブが記し、諸教会に回覧された公同書簡(他にペテロ、ヨハネ、ユダ書がある)。14節「教会の長老たち」、病人の救いと癒やしのために、その土地の長老たちが一緒になって祈った。「オリブ油を注いで祈る」、当時の治療法と共に祈れと言われている。祈りに強調点があり、真の癒やしは神よりくることを示している。15節「罪を犯していたなら」、病気の原因が罪であった場合には罪が赦されるが、しかし罪が原因でない場合もあることを示している。17節「エリヤ」、列王上17:1、18:1以下、18:41以下。エリヤはモーセと並ぶ旧約の大預言者である。バプテスマのヨハネはエリヤの再来と言われている。



1、クリスチャンは、あらゆる状況の中にあって主を信じて祈る者である。5:13-16

あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は讃美するがよい。あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ち上がらせて下さる。(13、14、15節)

ヤコブの手紙の特徴は、信仰の実践が強調されていることです。彼は、キリストを信じているならば、その信仰は生活の中に現れてくるはずだ、信仰は言葉と行いによって証明される、と述べています。

言葉の面で、ヤコブは、3章で「同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。このようなことは、あるべきでない」(3:10)と、舌を制するようにと言うことを教えています。4章では、舌を制することの続きとして、「互いに悪口を言い合ってはならない」(4:11)との教えがあります。完全に舌を制することができたのはイエス・キリストです。キリストと3年半寝食を共にしたペテロは、「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった」(Ⅰペテロ2:22)と証言しています。

行いの面で、ヤコブは、2章で「人を分け隔てしてはならない、分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される」(2:9)と教えています。キリストは、結婚離婚を五回した後に、6人目の男性と結婚しないまま同棲生活をし、地域社会から村八分にされているサマリヤの女性を訪ねて救いを与えています(ヨハネ4:3-42)。キリストは公生涯の最後に十字架に上り、全ての人々のために命を捧げ、救いの道を開いて下さいました(マルコ10:45)。

*本日の個所で、ヤコブは苦しむ者、喜んでいる者、病気の者に対して呼びかけています。

苦しみに直面している者に「祈ろう」との勧めがあります。ぜひとも心に留めてほしいことは、ただ「祈ろう、祈れば解決だ」というのではなく、苦しむ者に寄り添って、苦しみの気持を聴いて共感する態度を表すことをしてほしい、ということです。ある人が息子を病気で失った時のことを述べています。「多勢の人が訪れてくれて慰め、励ましを与えてくれたが、『何の病気でしたか。若いのに残念でしたね。気を落とさないで下さい。亡くなった息子さんの分も生きて下さい。聖書を読んで御心を教えていただきましょう。祈りましょう』という紋切り型の言葉が殆どで、自分の悲しい辛い心を汲み取ってくれず、『祈ろう』という気持が湧いてこなかった。たった一人、自分の傍に座って長い時間を過ごしてくれた友人がいた。切れ切れに話す息子に先立たれた悲しみの言葉を受け入れ、受け止めてくれた。そして静かに祈って帰って行った。その時に、『自分も祈ろう』という思いになって祈ることができた」。

喜びを得ている者に「さんびしよう」という勧めがあります。きょうも力いっぱいさんびしましたか。午後は聖歌隊があります。聖歌隊のために、また第二週のゴスペルのために祈って下さい。タイで象に乗るチャンスがありました。象の背中にくくり付けられたイスに座ると、象使いの命令に従って象がゆったりと歩き始めます。するとタイ人の像使いが日本語で「象さん、象さん、お鼻が長いのね。そうよ、母さんも長いのよ」と歌い始め、それからタイの歌だと思うのですが民謡調の歌をうたい続けていました。これを聴きながら、クリスチャンも歌うべし、もっともっと主をさんびしようという思いになりました。私たちは、象さんではなく、主イエス・キリストを大いにさんびしましょう。

病気の者に「教会の牧師達に祈ってもらおう。主が癒して下さる」という勧めがあります。オリブ油は当時の治療に使われていたものです。医療と祈りが言われていますが、癒やしの根本は祈りです。15節に「信仰による祈りは病んでいる人を救い、主が病んでいる人を立ち上がらせて下さる」と明言されています。もし病気が罪に起因するものであれば、罪が赦され、健康になることが言われています。ここで申しあげておきますが、教会の「ファミリー」では自分の敗れ、罪などを知り、主の憐れみを求めて祈ることにしています。その時に主の愛が聖霊を通して心に充たされてきます。

私が東京カリフオニヤ神学大学院で学んでいた時、秋田で伝道している松山牧師がいました。松山牧師は1968年韓国で韓国人女性と結婚。しかし当時の日韓関係の難しさで、奥さんが日本入国ビザを得るまで2年半かかった。1970年来日が許可され喜び勇んで空港に迎えに行った。何と奥さんの可愛いらしい、ふっくらとした面影はなくなり、結核でやせ衰え、薬の副作用で鼻の下は真っ黒になっていた。ハンマーで脳天を叩かれたような大ショックを受けた。これでは、両親や教会の人に紹介できないと思った時に、十字架のイエス様の姿が浮かんだ。血潮にまみれたイエス様が「わたしは、奥さんより、もっと醜いあなたの罪のために十字架にかかった」と言われているように感じた。奥さんを秋田の病院に入院させ、名医と言われる先生が主治医になってくれたが、左肺全部が真っ白、右肺にも空洞がいっぱいある。本当に直るのかという不安に襲われた。その時、自分も辛いが、妻はもっと辛いはずだ。親、兄弟と別れ、言葉のわからない異国の地でベッドに横たわっている。松山牧師は「妻を愛せるように、妻を守って下さい、主よ、助けて下さい」と祈った。2年、3年と入院が続いた。3年を過ぎて奥さんは夜中の2時に起きて、ベッドの上で祈った、「わたしはイエス様のために献身します。わたしは夫の献身に反対する心があり、牧師夫人にはなりたくないという気持があった、しかし今は違います、この身をイエス様に献げます」と祈った。毎晩毎晩祈った。祈り始めて百日目ごろに癒やされた。癒やされた朝、五分刈り頭で、悲しそうな顔をした悪霊が病室を出て行くのを奥さんは見た。入院して3年半で退院できたのです。



2、クリスチャンは、祈りの力を与えられていることを信じて祈る者である。5:17-18

エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈りをささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから再び祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。(17,18節)

私たちはキリストを信じて心が生まれ変わり、神の子になることができました(ヨハネ1:12)。神の子にされた私たちに、神様から聖霊が与えられ祈ることができるようになりました(ロマ8:26-27)。私たちは祈りというと、何かをお願いすることが祈りであると思い込んでいるかもしれません。本当の祈りは、何かを願い求める前に、主の恵みを数える事から始まります。祈りの中で、感謝を数えることは大切であり、感謝を数えると心が恵まれます。先週、荻野伝道師のメッセージの中に内村鑑三(1861-1930)について述べられていたのを覚えていると思います。彼は江戸幕府の滅びる幕末に生まれ、明治、大正、昭和のはじめまで、文筆活動を通して伝道の働きをし、多くの著作を出版しています。彼の著書は、現在もクリスチャンはもちろんのことノンクリスチャンにも読み継がれています。彼の「祈祷の事」という文の中に「わたくしの祈祷の大部分は祈願でありません。わたしはまず満腔(全身、体全部、心からの)の感謝をもってわたくしの祈りをはじめます」という祈りについての文章があり、その中で「感謝せよ」と言うことが強調されています。繰り返し言いますが、祈りは感謝を数えることから始まり、感謝を数えると心が恵まれます。聖日の朝、私たち夫婦と倫夫・チャチャ伝道師は、祈りをもってスタートします。聖日の夕拝が終わってから、四人で日曜日全体を振り返って、感謝を分かち合い、祈りをもって、聖日の活動を閉じることにしています。聖日の終りに恵みを数えると、毎週毎週実にたくさんの恵みがあり、感謝を分かち合っていると魂が恵まれて、喜びが全身に溢れてきます。

ヤコブは祈りの尊さを教えていますが、祈りの人であるエリヤのことを引き合いに出しています。エリヤは旧約聖書中のモーセと肩を並べる大預言者です。キリストが山の上で姿が栄光の姿に変わった時に、エリヤはモーセと共に現れ、キリストの十字架のことについて語り合うほどの大預言者です(ルカ9:28-36)。



*ここでエリヤに関するクイズを出します。

1、エリヤの時代、イスラエルの王と女王の名前をあげよ(列王上16:29-30)。

2、エリヤはケリテ川のほとりで、どのようにして朝ごとにパンと肉を得たのか(列王上17:2-6)。

3、ザレパテのやもめはエリヤに食物をささげ、どのような祝福を受けたか(列王上17:8-16)。

4、エリヤが、バアルの預言者と対決した山の名前は何か(列王上18:18-19)。

5、エリヤは祭壇を修復し、その上に牛を切り裂いてささげたが、主はどのようにして彼に答えたか(列王上18:30-40)。

6、エリヤは神の山ホレブで主に会ったが、主はどのようにして彼に現れたか(列王上19:9-13)。

7、エリヤの後継者は誰か(列王上18:19-21)。

8、エリヤはどのようにして天に帰って行ったか(列王下2:9-12)。

9、イエス・キリストの前に現れた、エリヤの再来と言われる人物は誰か(マタイ11:2-10)。



エリヤはカルメル山でバアルの預言者450人、アシラの預言者450人と祈り比べをし、見事に勝利します。そして偽預言者たちをキション川に連れくだり、彼らを殺してしまいます。エリヤは祈りにおいて優れ、偽預言者たちを滅ぼしてしまうという強さをもっていましたが、しかしイゼベル女王の脅しにあって、40日40夜、歩いて神の山ホレブに逃げています。人は成功した時に油断をしてはならないのです。エリヤは危うくイゼベルの脅しに屈するところでしたが、神の山に向って行きました。あの大預言者がと思うような行動ですが、それが「エリヤが私たちと同じ人間である」ということです。しかし、彼の偉大な所は主の御許に逃げて行ったことです。まず主の御許に行く時に、まず主に祈る時に突破口が開かれます。キリストは十字架にかかる前に、ゲッセマネの園に行き、徹夜で父なる神に祈り、神よりの確信を与えられて、十字架に向っています(マルコ14:32-42)。

エリヤはホレブの山で主に出会うという経験をします。強い風が吹き、地震が起り、火が燃えたが、それらの中に主はおられなかったと記されています。主はどこにおられたのか・・・風、地震、火の後に、静かな細い声が聞こえてきたとあります。心を主に向けて静まり、主に祈る時に、主は現れて下さいます。

原宿竹下通りでチユチユアンナという靴下の店があり、上田社長が経営しています。彼は大学卒業後ニチイに勤め、独立して会社を経営し、事業は伸びて行った。ところが家族を顧みないで、仕事と酒とギャンブルの日々をおくっているうちに、奥さんと子供3人が統一協会に入ってしまった。その頃新体操の山崎浩子選手が統一協会を脱会したことを知り、彼女を救出した牧師の所へ相談に行く。まず奥さんと長女をマンションで見守り、説得することにした。すると統一協会の者達10名ぐらいがマンションの扉を叩き、連れ戻しに来た。上田さんは聖書を読んでいたが、「隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい」(マタイ6:6)というキリストの言葉があることに気づいた。神は住吉大社のように大きな所にでんと構えていると思ったが違うらしい。聖書を見ながら「御名が崇められますように」(マタイ6:9)と生まれて初めて神様に祈った。すると統一協会信者達は帰って行き、長女が大声で「怖い」と言った瞬間マインドコントロール(洗脳)が解かれ、やがて残る二人の子供も救われた。しかし奥さんは逃げ出し、40か月間行方不明となった。上田さんは静まり、お金中心、快楽中心の人生をやめ、洗礼を受けた。奥さんの居場所を突き止めたので、ある人を介して定期的に奥さんに手紙を送り続け、遂に40か月後のクリスマスの日に家に戻ってきた。その半年後に奥さんのマインドコントロールが解け、キリストを受け入れ、洗礼を受けた。キリストにより縋って行った時に家族が救われ、仕事中心から家庭中心主義になった時に、事業は3倍に拡大するという祝福を得ています。



まとめ

1、13,14,15節、クリスチャンは、あらゆる状況の中にあって主に祈るという恵みを与えられています。苦しい時に祈りましょう。喜びの時に主をさんびしましょう。病気の時に祈りましょう。主がいやしの手を差し伸べて、主が立ち上がらせて下さいます。

2、17,18節、クリスチャンは、祈りの力を与えられていることを信じて祈ることができます。静まって祈りましょう。必ず祈りは応えられて行きます。



祈 り

天地の主である神様、独り子であるイエス・キリストの十字架によって救われ、神の子になっていることを感謝します。苦しい時に主に祈れるように導いて下さい。よろこびの讃美を絶やすことがないように導いて下さい。病気を癒して下さる主の助けを与えて下さい。きょう病んでいる人に特別に十字架の血潮の力が働いて癒やされることを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈る祈りは聴かれることを信じて、聖霊によって絶えず祈りをささげて行くように導いて下さい。午後から夕べの礼拝に至るまで導いて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ヤコブ注解―黒崎、フランシスコ会、文語新約略解、LABN、バークレー。

「あなたを生かすこの愛・松山裕・アガペー・ミニ・クルセード」、「内村鑑三・宗教座談・教文館」、「バイブルに見るビジネスの黄金律・マナブックス」、「データ・アトラス・同胞社出版」