クリスマスー心を開いてキリストの愛を受ける時 ロマ5:6-11
主の2007.12.23クリスマス礼拝
クリスマスおめでとうございます!
クリスマスは不思議なシーズンです。人の心が優しくなり、人のことを思いやる気持ちが強くなります。この時期には、キリスト教関係の様々な団体から、クリスマス献金の依頼の手紙が送られてきます。そうした依頼に対し、少しでも協力の献金をするようにしています。私たちの教会では、開拓途上にある当教会出身者の教会・伝道所に伝道会計よりクリスマスとイースターに教会一同よりとして献金を送っていますが、今年もクリスマス愛の献金を送っています。クリスマスシーズンになると、人の心が優しくなるのは、キリストの愛が私たちに迫ってくるからです。2007年前、イエス・キリストは天地万物を創造された神の独り子でしたが、天の栄光の位を捨てて、聖霊によってマリヤに宿り、ユダヤのベツレヘムの馬小屋に誕生されました。キリストは人の子として33年半の人生を歩まれました。最初の30年間は隠れた生活をしていましたが、最後の3年半はユダヤ全土を巡り歩いて、ご自分が救主であることを知らせながら伝道の旅を続け、最後には裸で十字架に架けられ、エルサレムの郊外・ゴルゴタの丘で人の救いのために命を捧げて下さいました。クリスマスは楽しい華やかな時ですが、実はイエス・キリストが死を覚悟してこの世に誕生された尊い犠牲の日です。今年のクリスマスは「キリストを喜び、キリストを伝える」ことを大きな目的にしています。先週は「子どもクリスマス」を行い、祝福されました。本日は「朝・夕二回のクリスマス礼拝」です。明日24日は行田商工センターで「クリスマスの集い(祝会)」を行います。参加申し込みが約190名、その中の約80名はノンクリスチャンです。皆で声をかけて歓迎し、またポットラックのために奮発してたくさんの料理を運んで、食卓を賑わせて下さい。
本日の聖書はロマ5:6-11です。8節に「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」という御言葉があります。クリスマスは、罪人である私たちを救うために、キリストがこの世に来られた日です。キリストが私たちを救うために死んで下さったというのは、キリストは私たちの罪の身代りになって十字架に架るために、この世に来られたということを意味しています。8節の御言葉を中心にして、クリスマスメッセージを聴きましょう。メッセージを通してキリストの愛を受け、聖霊によってキリストを遣わして下さった天の神様に感謝の祈りを捧げましょう。
内容区分
1、私たちは、キリストが罪人のために死んで下さった救主であることを信じる。5:6-8
2、私たちは、キリストの愛を受けて、愛と喜びを人々に伝えて行くのである。5:9-11
資料問題
ロマ書は使徒パウロによって記され、神がキリストを通してなされた救いの奥儀が体系的に説き明かされている。7節「善人」、情け深い人。8節はヨハネ3:16を思い起こさせる。「示された」は現在動詞である。9節「怒りから救われる」、滅びるべき状態より救われること。10節「敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受ける」、人は罪を犯し、神の敵となった。罪は人間の側から始まった。和解は神がキリストを遣わし、十字架の死によって与えて下さった。和解は神の側から始まったことである。11節「喜ぶ」、誇る、崇めるなどよい意味での誇りを示す語。確信を持ちつつ、力強く自分の思いを表白すること。
1、私たちは、キリストが罪人のために死んで下さった救主であることを信じる。5:6-8
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神は私たちに対する愛を示されたのである。(8節)
ロマ書は、使徒パウロが人間の罪の問題、キリストによる救いの奥義を説き明かしている書簡です。ロマ書に関する私の思い出です。神学校二年の時、弓山校長から一年間にわたってロマ書を習いましたが、前期の試験の時に大きなミスをして、百点満点で60点という成績でした。一人一人校長室に行き、答案を返してもらうのですが、先生は私をじっと見て、「君はロマ書を読んどるのかね。聖書全巻が人類の宝であるが、ロマ書はその宝の中の宝だ」と教えてくれました。後期はロマ書をよく読んで、先生の講義をもれなく筆記し、前期の試験を挽回したことを思い出します。私たちはキリストのことを知るために四つの福音書を読みます。福音書にキリストの奇蹟、十字架、復活が記されていますが、パウロの書いた13通の手紙によって、キリストのなされたことについての説明、特に十字架と復活についての深い意味を知ることができます。とりわけロマ書によってキリストの十字架による救いの恵みがいかに素晴しい救いであるかを知ることができます。
この6-8節の短い個所で、2回も「キリストが私たちのために死んで下さった」と言われています。さらに「神を信じない不信心な者たちのために」、「罪人のために」とやはり2回も言われています。ここに、キリストがクリスマスの日にこの世に誕生された目的が明確に告げられています。キリストがこの世に誕生された目的は、神様を信じないで罪を犯し、地獄の滅びに向っている私たち人間を救うために、十字架に架って、私たちの罪の身代りになって死んで下さるためであったのです。正しい人に同情して身代りになって死ぬ人は殆どいません。善人(情け深い人)のためには身代りになって死んでくれる人が、或いはいるかも知れません。ところがキリストは、神を信じない不信心な者、罪人のために死んで下さったお方であると言われています。なぜキリストが私たちの罪の身代りになって十字架に架って死んで下さったのでしょうか。それは「神の愛を示すためであった」と言われています。この神の愛は今、この瞬間にも示されている愛です。ですから、私たちが自分の罪を認めて、キリストの十字架を「私の罪のためでした。私の罪を赦して下さい」と祈るならば、誰でも例外なしに、今というこの時に罪を赦され、新しく生まれ変わって神の子になることが出来ます。
「なぜ人を殺してはいけないのですか」という本を書いた北アイルランド出身で、神戸で伝道をしているヒュー・ブラウン宣教師がいます。アイルランドの独立を主張するテロ組織IRAに対抗するために、英国派のUVFというテロ組織があります。彼はUVFに属するテロリストでした。15歳でテロリストになり、IRAのメンバーを殺すように命令されたが、弾が当たらず、殺人の罪は犯さなかったのです。しかし組織の命令で、警察官を襲撃し、ピストルを奪ったことがあり、組織の資金調達のために銀行強盗をしたこともあります。18歳で逮捕され、6年間の刑を受けます。出所する半年前に、刑務所内で映画「ベン-・ハー」を見て、キリストを信じ回心します。映画の中で、キリストが十字架に架けられる場面を見た時、自分の罪を知り、「キリストを十字架につけたのは自分である」ということが分った。彼は子どもの頃、教会に行っていたが、自分の罪のことは分らないままだった。映画を通して、彼は自分の最大の罪は、テロ活動をしたことではなくて、本当の神を信じないで、自己中心に生きてきたことであることを知ります。彼は獄中でクリスチャンになった仲間の導きを受けて、「神様、私の罪をお赦し下さい。そしてキリスト様、私の心の中にお宿り下さい」と祈った。彼は救いの確信を得るために、キリストを心に迎えた日から出所までの6ヶ月、聖書を読み、祈り、神様との交わりを深めた。その結果、彼は刑務所を出る時には全くの別人になり、「どうすれば、こんなにも見事に変われるのだろう」と双子の弟が驚いたが、彼は「神と出会ったから」と答えています。1978年に出所しましたが、テロ組織を抜けた者は、組織から命を狙われる危険があったのですが、何と組織にいた6名ほどがクリスチャンになり、クリスチャンになった者は組織のことを警察に密告しなければ殺さないということになって、彼は組織を抜けたのです。彼はやがて日本への宣教師となり、神戸刑務所の教誨師として、犯罪を犯した人々の更生のために働いています。
キリストは罪人のために十字架に架り、罪の赦しの道を開かれ、十字架を信じればテロリストでさえも救われ、神の愛を現す宣教師として用いて下さっています。クリスマスの日に、キリストの十字架によう救いの恵みをほめ讃へ、感謝の思いを祈りと讃美を通して主に捧げて行きましょう。
2、私たちは、キリストの愛を受けて、愛と喜びを人々に伝えて行くのである。5:9-11
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。(11節)
9節に「キリストの血によって」とありますが、私たちの救いはキリストの十字架の死によって与えられたことが、この短い一句の中に現されています。本来、私たちは罪を犯し、神の敵であったのですが、キリストの十字架によって神と和解をし、救いを与えられています。そして、「キリストによって神を喜ぶ」ということが言われています。神を喜ぶとは、神を崇める、神を誇るなどの意味があります。神様は独り子であるキリストの犠牲の死によって、私たちのために罪の赦しの道を開いて下さった愛の神様です。キリストの十字架の犠牲によって与えられた救いの恵みに感謝し、独り子であるキリストを十字架に架けて下さった神の愛を誇りに思い、神様に感謝し、神様ありがとうございますという気持を込めて「わたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶ」と言われています。
昨日、上野公園ホームレス伝道に行って来ましたが、皆さんのお祈りとおにぎり、生活物資などの献げ物を有り難うございます。一年間毎週第四土曜日12回の奉仕が無事に守られたことを感謝します。2時の礼拝前、公園の端っこの方で二人のホームレスの人に会いました。一人は何故かラジカセを持っていて、テープで昔の演歌歌手三波晴夫の演歌を流していたのですが、ボリュームが大きくて単なる騒音にしか聞こえませんでしたが、その人はラジカセをもって集会とは違う方向に進んで行きました。もう一人は、ラジカセの演歌を聞きながら、この歌は昭和59年ごろの歌だと言っていました。「よく知っていますね。オジサンは失礼ですけど何歳ですか?」、「自分は昭和28年生まれの54歳になるところだ。けっこう大変だが、ハレルヤに来ているからいいよ」と言って、集会の中に入って行きました。ホームレスの人々が救われる、そして教会に出席するようになる、社会復帰への道を辿るという人々がいます。まだ救われていないが、集会に来て、キリストに近づいている人もいる。神様の愛は全ての人に示されているということは真実であるということを思います。比留間師夫妻は足立区梅島でトポス教会を牧会していますが、頼まれて日曜日午後から千葉にあるホームレスの施設に行き、礼拝をしていますが、きょうは千葉の施設で一人の方が洗礼を受けるという恵みを与えられています。
私たちはキリストの十字架の身代りによって、罪を赦され、神様の子どもになるという和解を与えられています。クリスマスは、クリスチャンにとって、「自分は神様から愛されている。その印がキリストの十字架である」ということを再確認する時です。そして「自分はキリストによって愛されている。この愛を他の人々に分け与えて行こう」ということを決断する時です。
アメリカの実話です。愛を分かち合うということは性別、年齢、民族などを越えて普遍的な恵みですので、この話を紹介します。
小学校5年生のテッドはまったくの劣等生であった。無表情で、目はどんよりとして、焦点が定まらず、輝きがなかった。髪はぼさぼさ、着ているものは古くさかった。先生から声をかけられても、返事をしない。好奇心はなく、人と隔てがあり、好かれるということはなかった。担任のトンプソン先生は「クラスの一人一人を同じように愛している」という態度であったが、心の底ではそう思っていなかった。トンプソン先生は、テッドの答案用紙を採点する時、彼が間違ったところに☓をつけることに一種の喜びを感じ。得点の欄にF(落第点)をつけることが楽しみにすらなっていた。トンプソン先生は、クラスの担任として、テッドの家庭環境を知っていたので、本当はもっと彼に配慮してあげるべきだったのです。彼は小学校2年の時に母親が重病になり、家庭で彼を保護し世話してくれる人がいなかった。3年の時に母親が死去した。父親は殆ど彼に無関心という状況にいたのです。クリスマスになり、生徒達が先生に綺麗に包装したプレゼントを持ってきた。テッドのプレゼントはスーパーの紙袋に入れセロテープで閉じられていた。先生が開けると、半分模造ダイヤがなくなっているブレスレット、安物の香水が出てきた。クラスの子ども達は馬鹿にして笑ったが、先生は子ども達を静め、ブレスレットをはめ、香水をつけて「いい匂いでしょう」と言った。放課後、テッドがやって来て「トンプソン先生、先生は僕の死んだお母さんと同じ匂いがする。お母さんのブレスレットもよく似合います。先生、僕のプレゼントを気にいってくれて有り難う」と言った。彼が帰った後に、先生はその場にひざまずき、神に赦しを願った。翌日から先生は新しく生まれ変わった。キリストによって自分は愛されている者である。心から子ども達を愛してゆこう。特に厳しい家庭環境にあるテッドを助けた。するとテッドは劇的にすべての点で向上した。その後テッドからは何の連絡もなかったが、ある日、先生の所に短い便りが届いた、「先生、高校を2番で卒業します。先生に最初に知ってもらいたかったのです」。その4年後、「先生、大学を首席で卒業します。先生に最初に知ってもらいたかったのです。大学は簡単ではなかったけれども楽しかったです」。さらにその4年後、「先生、僕は医学博士になりました。先生に、一番最初に知ってもらいたかったのです。来月27日に結婚します。式では、母が座るはずであった席に座って下さい。今や、先生だけが僕の家族です。昨年、父が他界しました」。
ひとりの人が、キリストの愛に目覚め、心から人に愛を分かち合って行く時に、その人は救われ、その人生は変えられて行きます。変えられた人は、またその愛を分かち合う者になって行きます。
今日はクリスマスです。お互いに感謝を分かち合い、キリストの愛によって結ばれている神の家族であることを感謝しましょう。今晩7時からはクリスマスさんびの集まりです。楽器、デュエット、独唱、バンドなどをもってクリスマスの主であるキリストを讃えます。夜しか来られない方々もいますので、皆さんで出席して主の恵みを分かち合って下さい。明日24日は行田商工センターで、全体約190名の中、新しい人を約80名迎えてのクリスマス祝会です。祈って下さい。主の恵みが満ち溢れるように祈って下さい。新しい方々に声をかけて歓迎して下さい。ポットラックの食べ物をたくさん持ち寄って、主の恵みを分かち合いましょう。
まとめ
1、8節、キリストは、罪人であった私たちのために、十字架の死をとおして救いを与えて下さった救主です。
2、11節、私たちはキリストによって愛されています。愛されている喜びを他の人々に分ち与えて行く者となるように、私をキリストの愛のお使いとして用いて下さいと祈りましょう。
祈 り
天地の主である神様、独り子イエス・キリストの十字架によって救われていることを感謝します。クリスマスを通してキリストの愛を分け与えて行く者として、私たちを用いて下さい。午後からの聖歌隊、明日のクリスマス祝会の準備を導いて下さい。チームワークをもって準備させて下さい。今晩のクリスマス讃美礼拝を祝福して下さい。
明日24日の行田商工センターにおけるクリスマス祝会を祝福し、特に80名の新しい方々の心にキリストの救いが与えられて行くように、会場に聖霊の豊かな働きが現されて行くように祈ります。クリスマスの日に私たちを救うために誕生されたキリストを讃えます。私たちの愛する救主であるイエス・キリストの御名によってお祈り致します、アーメン。
参考文献
ロマ注解―黒崎、フランシスコ会、木村、LABN、文語略解、福田、松木、バーネット。
「なぜ、人を殺してはいけないのですか」・ヒュー・ブラウン著・幻冬舎」、「御翼・佐藤順主筆・アンカークロス社」