天にわたしの名が記された喜び ルカ10:17-20       主の2008.1.27礼拝



昨日は2008年度第一回上野公園ホームレス伝道の日でした。ホームレス伝道に献身し、トポス教会を牧会伝道している比留間師夫妻より「熊谷の皆様のお祈り、クリスマス愛の献金、毎回のおにぎり、生活用品などの尊い献げ物に心から感謝します」との事でした。ところでホームレスとは家がないという意味です。ホームレスとは、帰るべき家がない、受け入れてくれる家庭がない人であり、家という定住の場所がない人のことです。ホームレスの中には、家を借金の担保に取られてしまい、引越しをしたいが次の住むべき家がないので路上で暮すということになっている場合があります。あるいは自分のいるべき所から逃げ出し、住民登録をせず、路上で暮している人もいます。いずれにしても路上暮らしでは、住民票を持っていません。住民票がないので、履歴書に自分の現住所を記すことが出来ず、ホームレスという事が発覚し、仕事に就くことが出来ませんし、生活保護も受給できません。ホームレス伝道によって、信仰決心をした人がトポス教会に集うようになる、そしてトポス教会を現住所として役所に届出る、就職試験を経て仕事を得る、そして社会復帰を果たして行くことができるようになる、この過程を経て多くの方々が社会復帰しています。

本日はルカ10:17-20です。20節に、キリストの「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」という御言葉があります。私たちの地上の生涯は平均すれば70年から80年ぐらいです。地上の生涯の後はどこに行くのでしょうか・・・。クリスチャンは「キリストを信じて、天の『いのちの書』に名前が登録されている(黙示録20:12)。生きている限りは、主によって必ず恵みといつくしみが与えられる。地上の生涯が終ったら永遠に主の宮である天国に行ける(詩篇23:6)」ことを信じています。地上においてホームレスであれば、受けられるべき生活保護も受けられずに、何の保証もない不安の日々を送らねばなりません。私たちがキリストを信じ、天国に名前が登録され、主によって日々を守られ、やがて天の御国に行けるという恵みを与えられています。ペテロは「あなたがたは、この世の旅人であり寄留者である」(Ⅰペテロ2:11)と言っています。この地上は天国へ行くための備えの時です。自分の名前が天に記されていることを感謝して、パウロと共に「我らの国籍は天にあり」(ピリピ3:20)ということを確信して、祈って、今週も信仰の道を共に前進して行きましょう。



内容区分

1、キリストは、サタンを滅ぼした勝利の主である。10:17-19

2、キリストは、「真の喜びはあなたがたの名が天に記されたことである」と告げている。10:20



資料問題

17節「72人が喜んで帰ってきた」、弟子たちは伝道の成果を携えて帰り、喜んでいる。喜びの源は主イエス・キリストの名に権威と力があったからである。18節「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」、サタンは既にその力を失っていることを示す。19節「敵」、単数形で冠詞がついているので、あの敵すなわちサタンのこと。

20節「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」、黙示録13:8に「ほふられた子羊のいのちの書」とあり、いのちの書に名を記す権能をもっているのはイエス・キリストであることがわかる。私たちはイエス・キリストを信じて生まれ変わり、永遠の命をいただき、国籍を天に持つ者になるのである。



1、キリストは、サタンを滅ぼした勝利の主である。10:17-19

「わたしはサタンが電光のように(稲妻のように)天から落ちるのを見た」。(18節)

この場面は、キリストの命令を受けて72名の弟子達が伝道に出かけ、帰ってきたところです。弟子達は喜びに満たされて、「主よ、伝道は祝福されました」という報告をしています。いつの場合でも伝道に出かけると喜びが与えられます。この場面では「主イエス・キリストの名によって祈ると、悪霊までがわたしたちに服従しました」という成果を得て、特に喜びが大きかったようです。しかし伝道に出かけて見ると、良い結果であろうが、時には思わしくない結果を得たとしても、やはり喜びが与えられます。

2008年元旦に、「主に遣わされて出て行こう」ということを共に祈りました(ヨハネ20:21)。キリストが父なる神に遣わされてこの世に降り、「失われた者を尋ね出して救う」(ルカ19:10)ために、町々村々を巡り歩いて福音を伝えたように、私たちも復活の主イエス・キリストに遣わされて、人々の所へ出かけてイエス・キリストを伝える時に喜びが与えられます。先週は伝道グループの集まりがあり、多くの方々の名前をあげて救いのために祈りました。祈りを込めて多くの方々に手紙を送りました。私は4名の方々と共に小林春江さんを訪問する恵みを与えられました。小林さんは一時だいぶ弱っていたので、少し心配しながら行ったのですが、「あー、先生」と言われました。多くの点で記憶が定かでないのですが、共に聖歌をさんびすると、歌詞を諳んじていて一生懸命に歌い、皆と手を取り合って祈りました。訪問した5名の心に喜びが溢れました。私たちはしばらくぶりで訪問したのですが、一人の姉妹が小林さんを訪問し、祈ってくれていたということで、それを聞いてさらに私たちに感謝と励ましが与えられました。皆さんも出かけて行き、あるいは手紙を書き、メールをし、また自宅に人を招いてイエス様の恵みを伝えていることを感謝し、祝福を祈ります。

伝道の敵はサタンですが、18節で、キリストは「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た」と言われ、サタンはキリストの力に勝てないことを明らかにしています。キリストがサタンに打ち勝っているので、弟子達が祈った時にサタンの手下である悪霊どもの力を制圧することが出来たのです(17節)。さらに19節で、キリストは弟子達に対し、さらに私たちために「安心して伝道しなさい。わたしが敵であるサタンのあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた」という勝利の宣言をしています(19節の敵とはサタンのことです)。

サタンにとって一番怖いことはクリスチャンが主イエス・キリストの十字架と復活を伝道することです。サタンは伝道するクリスチャンを憎みます。それはキリストの十字架と復活に救いがあるからです。サタンは自分が地獄に行くのを知っているので、なるべく多くの人を地獄へ道連れにしたいと思っているので、クリスチャンが十字架と復活の福音を語らないように必死になって妨害します。なぜならキリストの十字架と復活の福音を聴いて人々が救われることを知っているからです。サタンは言います、「お前には聖書の知識がない」、「救われたばかりではないか」、「お前は信徒ではないか。伝道は牧師、伝道師がするものだ」、「お前の行いはなってない。それでもクリスチャンか」、「忙しいではないか」、「キリストのことを語ると嫌われるぞ」などと言って、クリスチャンが伝道をしないように誘います。

聖書は何と言っていますか・・・。キリストは「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と全クリスチャンに命じています。牧師も伝道します、また信徒も伝道します。聖書の知識がなくても、救われて日が浅くても、行いの面で少し足りないところがあっても、「私は罪を悔改めて、イエス・キリストの十字架の救いを信じ、甦ったイエス・キリストを心にお迎えし、生まれ変わってクリスチャンになった。キリストを信じれば誰でも救われる」ということを信じ、体験しているならば、それで良いのです。恐れずにキリストが救主であることを伝道することができます。アンデレはキリストを信じた次の日に、兄のシモン・ペテロをキリストの所に導き、ペテロは救われました。アンデレは「私たちはキリストにいま出会った」という救いの恵みの体験をシモン・ペテロに伝道し、ペテロはその言葉によってキリストを求め、救われたのです(ヨハネ1:40-42)。アフリカで一人の方がキリストを信じて救われました。あまりのうれしさに、すぐに伝道に出かけました。救われたばかりで、まだ聖書全体を読んだことがない、教会生活も始まったばかりです。でも「私の心の真中にいるイエス・キリストは素晴しい救主です」という恵みを伝えたいと願った。そこで彼はヨハネ3:16の御言葉をもって伝道して行き、多くの者が救われて行きました。サタンは「お前は救われたばかりだ。聖書を通読していない。ヨハネ3:16だけで伝道できるのものか」などと言ったと思います。しかし彼は「私の救主はイエス・キリストです」という恵みに満たされて、「キリスト一筋、キリストきちがい Jesus crazy」になって伝道し、多くの人々を救いに導く恵みを与えられました。サタンはキリストによって敗北しています。私たちは勝利者であるキリストを信じ、十字架と復活の恵みを、祈って、伝道して行くことが大切です。



2、キリストは、「真の喜びはあなたがたの名が天に記されたことである」と告げている。10:20

「しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」。(20節)

キリストは弟子達の伝道をねぎらっています。そして「伝道で成果を得ることができ、悪霊どもに勝利をしたことは大いなる喜びである。けれども何にも代え難い本当の喜びは、あなたがたの名前が天にあるいのちの書に記され、あなたがたに永遠の命が与えられていることである」と告げています。何か目覚ましい働きをした時に「私はこれだけのことをした」という自負心が生まれ、プライドを持つようになる場合が多いのです。しかし、忘れてはならないことは、私たちにとって本当の誇りは、天に自分の名を記されているという一事です。

牧師が顔を合わせると「そちらは何人ぐらい集まっていますか」という話題が出ます。私は、これは警戒すべき質問であると考えています。人数を言えば、多く集まっている所は優越感をもち、少ない所は劣等感を持つという危険性があります。優越感は高ぶりを生み、劣等感はやる気を失わせることになって行きます。私は一生懸命に伝道して行けば、結果は主が与えて下さることを信じて、ただ真っ直ぐに伝道して行くことを願っています。

思えば熊谷開拓はゼロからのスタートでした。開拓数年目の時に軽井沢で開かれた超教派のキャンプに参加したことがあります。そこで一人の牧師が「開拓の最初は大変でしょう。でもコツコツ伝道して行けば、祝福は天から下ってきます」と言ってくれました。それから数年後に、「出かけて伝道しよう。イエス・キリストの愛に満たされて、キリストきちがいになって伝道しよう」という聖書の伝道法を世界に紹介していた豊留先生に出会い、ゆるぎない確信をもって伝道するという指針が与えられ、今日まで歩んでくることが出来たことを感謝します。

キリストは「悪霊があなたがたに服従するような華々しいことだけに目を奪われることなく、十字架によって救われ、天に名を記され、天国に行けることを最大の喜びにし、誇りにし、感謝として生きて行きなさい」と言われます。

使徒パウロは、「キリストという土台の上に、どういう信仰生活をしたか、どんな奉仕をしたか、最後の時に火によって試される。もし燃え尽きてしまえば損害を受ける。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のようにではあるが、救われる」と言っています。その人が地上の生涯で、燃えてしまう木、草、わらのような奉仕しかできなかったとしても、キリストを信じていれば、その本人は天に名前が記されていて、天国に入ることができると言われています(Ⅰコリント3:10-15)。

ですからキリストは「天に名前が記されていることが重要である。あなたがたクリスチャンは、ひたすら十字架の救いに感謝し、それを最大の喜びにして行きなさい」と教えて下さっているのです。

皆さんは、キリストの救いを受けていることを人生最大の喜びにしていますか・・・。

「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」という御言葉を読み、祈り、考え、思い巡らしていた時に、十代の終わりに矢内原忠雄というクリスチャンが記した何十冊もある全集を読んだことを思い出しました。この方は、経済学者として、東大総長として活躍され、また自宅を教会とし自らメッセージを伝え、聖書の注解書も多数書いている方です。すごい人だなと思いながら全集を読みました。信仰的にも優れた方であったのですが、晩年になり召される時が近いことを知った時に、彼は真剣に祈り、苦しみ、考えます。そして、自分のなし得た業績ではなく、ただ罪を悔い改めて、キリストの十字架によって救われるという一点に平安の源があることを確認します。私はそれを読みつつ、キリストを信じれば救われるということの素晴しさが、強く心に残ったことを覚えています。輝かしい学問の業績、大きな教会を建て上げること、社会事業をすることなど傑出した働きをすることは尊いことです。しかし、最も尊いことはキリストを信じ天に自分の名を記されることです。

天に名前が記されるためには、罪の赦しを得なければなりません。

罪があったままでは、きよい天のいのちの書に名前を記入してもらえません。人は自分で自分の罪を消し去ることはできません。罪の代価は死です、死んで地獄に行くことです。人は罪を抱えたまま、虚しく死んで滅んで行くだけであるとするならば、こんな悲しい、惨めなことはありません。その悲惨な人間の定めに対し、「わたしが罪の身代りになろう」と言って、罪のないキリストが十字架に架って、私たちの罪の身代りになって下さったのです(ロマ5:8参照)。誰でも罪を悔い改めてキリストを信じれば、罪が赦され、新しく生まれ変わることが出来る救いの道が開かれたのです。

皆さんは、自分の名前が天に記されていることを感謝し、讃美していますか・・・。

遠くない時期に、キリストが来られて、いのちの書が開かれ、私たちひとり一人の名前が確認される日がやってきます。キリストを信じた者の名前は「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」とあるように、すべてキリストのいのちの書に記されています。自分の名前が天に記されているように、家族も友人も、全ての人の名前が天に記されて行くように祈りましょう。2008年家族が救われるように祈って下さい。友人知人が救われて行くように祈って下さい。キリストは命を捧げて救いを下さった主です。キリストに感謝し、願いや求めを祈りましょう。癒しを信じて祈りましょう。



まとめ

1、18節、キリストは、サタンを滅ぼした勝利の主であることを感謝します。キリストに頼りつつ信仰の日々を前進して行きましょう。

2、20節、キリストは、「真の喜びはあなたがたの名が天に記されていることである」と告げている。キリストの救いを伝えることが出来るように、キリストの救いを最善の喜びとして行こう。また自分の求めることを祈って行きましょう。



*聖歌683番(旧634番)、「世の終わりのラッパ」をさんびし、祈ります。



祈 り 
天の神様、独り子イエス・キリストによって救われていることを感謝します。どんな時でも、天に名前が記されていることを喜びとし、感謝します。今週も、恵み深い神の聖霊によって信仰の日々を導いて下さい。午後の聖歌隊、クリスマス委員会、夜の礼拝を祝福して下さい。明日からの仕事、学びを祝福して下さい。受験生を守り導き、良き結果を与えて下さい。天に私の名が記されていることを感謝します。救主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

参考文献:ルカ注解―黒崎、バークレー・榊原、フランシスコ会、文語略解。  「矢内原忠雄全集・岩波書店」