雄々(おお)しかれ、我すでに世に勝てり ヨハネ福音書16:33   主の2008.3.9聖日礼拝



高校生の頃に、父母が中国宣教師であったアメリカ人女性の書いた本を読みました。17世紀イギリスでは、国王を教会の長とする国教会の定めに従って信仰をするように命じられていました。例えばお祈りは祈祷文によって祈り、自分の言葉で自由に祈ることは禁じられていました。そこで、心からイエス・キリストを礼拝し、自由に祈り、讃美したいという信仰の自由を求めて、多くの人々が大西洋を船で越えて新大陸アメリカに移住して行きました。ある村でイギリスからアメリカに移住する可否を巡って、村中の人々が討議をし、どんな困難があろうとも信仰の自由を得て心に平安を与えられ、天国への希望をもって日々を行きたいということで皆の思いが一つになります。彼らは海を渡り、アメリカで新しい生活を始め、やがてその中から中国伝道に献身する人々が起こされて行き、世界伝道の一端を担って行きます。もし教会が政治の中に組み込まれ、自由にイエス・キリストを礼拝し、讃美し、自分の言葉で祈ることが出来ないとしたら、そこには心の平安がなく、喜びも無くなってしまいます。信仰を持ちはじめた高校生時代に、その本によって命をかけてキリスト信仰を守り、揺るぎない平安を持って生きることの素晴しさを教えられた事を感謝しています。

本日はヨハネ福音書16:33です。この個所から何回もメッセージがなされているイエス・キリストの力ある御言葉です。皆さん、ぜひこの御言葉を暗誦して下さい。この聖句を通して、キリストは私たちに「平安を得なさい」と語っています。ヨハネ福音書14章から16章にかけて、十字架にかかる前にキリストが弟子達に語った説教が細大漏らさず記されています。キリストは14章の始めで「あなた方は心を騒がせるな」、14:27では「わたしの平安をあなた方に与える」、そして、13:33で「わたしにあって平安を得なさい」と言われています。イギリスの村の人々はイエス・キリストの平安がほしいという切実な願いから、住み慣れた故郷を離れてアメリカに移住し、平安を得ました。

今朝、皆さんは平安でしょうか・・・。家族のこと、健康のこと、将来のこと、経済のこと、人間関係のことで心配があるとするならば、平安の与え主であるイエス・キリストを見上げて祈りましょう。勝利者であるイエス・キリストによって、物事すべてが最善に導かれるという希望をもって、祈って、新しい一週間の旅路へと出発いたしましょう。



内容区分

1、クリスチャンは、キリストにあって平安を得ている。16:33前半

2、クリスチャンは、キリストにあって勝利を与えられる。16:33後半



資料問題

本日の御言葉は、最後の晩餐後、十字架を目前にしたキリストの弟子達への訣別遺訓である。平安の約束と共に聖霊のについての詳しい教えがある。「わたしにあって平安を得る」、罪の赦し、永遠の命を与えられて心に平安が与えられ、聖霊が慰め主、弁護者、助け主として来られ、私たちを真理(キリスト)に導く。「わたしはすでに世に勝っている」、キリストはこれから十字架の受難に向かうが、「すでに世(サタン)に勝っている」と勝利宣言をなさっている。このキリストの勝利に与る者がクリスチャンである(Ⅰヨハネ2:13-14、4:4、5:4-5)。



1、クリスチャンは、キリストにあって平安を得ている。16:33前半

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである」。(16:33前半)

ヨハネ福音書14章から16章にかけてキリストの説教が記されていますが、今回は16章の最後にあるキリストの御言葉に注目して行きます。

キリストは弟子達に対し、「わたしにあって平安を得るように」と告げています。人間は罪のために平安を失っています。その原因は人間は神様に背き、罪人になったからです。神様が最も嫌うものは罪です。罪のために人間は死んで、神様の審(さば)きを受けて、永遠の滅びであるゲヘナ(地獄)の中へ投げ込まれます。そこで、人間を救うために罪のないキリストが十字架で、「父よ、人間の罪を赦して下さい」と祈りながら、人間の罪の身代りになって死なれたのです。キリストを信じれば罪が赦され、心が新しく生まれ変わり、永遠の命を与えられて天国へ行く者に変えられます。キリスを信じて罪が赦され、もう神様は私のことを罰することはないという喜びを与えら、心が穏やかになり、安心が与えられますが、それが平安ということです。キリストは「わたしにあって平安を得る」と言っていますが、それは自分の罪を悔改め、キリストを救主、また人生の主として、自分の心にお迎えするという意味です。キリストの与えて下さる平安について三つの大事なことがあります。

第一に、キリストを信じる時に罪が赦され、心の平安を得て、新しい人になります。

キリストは十字架の上で罪の身代りになって死んで下さった唯一の救主です。読売新聞2月8日号に、「万引き 13年後の謝罪」という記事が掲載されました。水戸市のスポーツ用品店「ビバスポーツ水戸店」に一通の手紙と共に1万円が郵送されてきた。手紙は「13年ほど前、つくば店からパーカー1着を万引きしてしまいました」という文章で始まっていた(つくば店は既に閉店されていたので水戸店に送ってきたらしい)。盗みを謝罪し、自分はクリスチャンだと打ち明け、「盗むものはもう盗んではなりません」と聖書の一節(エペソ4:28)が引用されていた。その三日後の2月11日号に「13年後の謝罪は続く・・・」という記事が掲載された。今度は13年前の自転車の盗みを詫びる手紙と3万円を持った30代前半のスーツ姿の男性が、つくば市内の民家を訪れ、「13年ほど前にお宅の自転車を乗っていってしまった」と謝罪した。そして手紙と3万円の現金が入った封筒、菓子折りを「これで自転車が買えるかどうかわかりませんがお受け取りください」と言ったという。その家の主婦は自転車を盗まれた覚えがあった。「菓子折りだけで、お金は結構です。許します」と現金受け取りを断った。しかし男性が納得しないので1万円だけ受け取った。手紙には自分はクリスチャンと明かし、聖書の「盗んではなりません」が引用され、反省の意を示していたということです。スポーツ店も主婦も、1万円は慈善団体に寄付を考えているとのことでした。この男性は自らの救いの恵みを感謝し、深く主に感謝し、謝罪できるところはしようとしたということがわかります。

第二に、キリストを信じる平安を得て、感謝を分かち合うことができます。

キリストにある平安をもっている人は心が温かくなり、相手に恵みを分ち合うようになります。あるしっかり者のご婦人が、夫の会社が倒産した時に「あなたのやり方が悪いからだめになった」と主人を責め立てた。教会のメッセージで、姦淫の罪を犯した女を皆が責めたが、キリストだけは愛をもって彼女を支え、罪の赦しを与えたということを知らされた(ヨハネ8:1-11)。その時に夫の経営の苦労を理解せずに、夫の失敗だけを責めていた冷たい自分の姿に気づいた。「主よ、ごめんなさい」と叫び、主人に謝り、本当に主を見上げる者に変えられた。今では家庭集会を開き、恵まれている。キリストの平安を得て家庭が変り、周囲に恵みを分ち与えるようになったのです。

第三に、キリストの平安を得て、キリスト中心の人生を歩み、よい影響を与えます。

あるクリスチャン女性が、医師と見合いをしたが、医師はノンクリスチャンであった。食事をした時に医師はビールを注文したが、彼女はウーロン茶を注文し、さりげなく「自分はクリスチャンですから」と伝えた。洋食を食べても、イタリヤンを食べても彼女が「ミネラルウオーター」を注文するので、医師もアルコールを飲まなくなった。すると医師は飲まないと朝の目覚めがよいことに気づいた。医師はクリスチャンになり、今では聖霊に満たされ、知能障害をもつ子どもを重荷をもって診療し、その親のケアもする医師として活動しています。キリストの平安を得て、この世と調子を合わせることなく信仰中心であった女性が用いられ、見合い相手が救われ、今では夫婦で祝福の人生を歩んでいます。

2、クリスチャンは、キリストにあって勝利を与えられる。16:33後半

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(33節後半)

キリストは「この世では悩みがある」」とハッキリと告げています。キリストに従う人生を歩めば祝福されます。しかし信仰の故に悩みがあるということも事実です。キリストは信仰を持てば萬々歳とは言いません。私がキリストに惹かれるのはこのおうなキリストの正直さです。世の中の宗教と言われるものは、信心すればご利益があります、病気が直りますなどデタラメを言います。それじゃ信じてみようと思って信じたら、ご利益がないので抗議したら「あなたの信心が足りない。お布施が少ない」と言われたということです。キリストは一生懸命信心したら、お布施をたくさん出せば恵みましょうなどいう取引信仰を言っていません。キリストは私たちがまだ罪人であった時に、既に十字架にご自分のきよい命を捧げて、罪の赦しの道を開き、救いを備えて下さった愛の救主です(ロマ5:8)。

キリストを信じれば救われます。だが信仰生活をして行く時に「なやみがある」と言われました。この世に生きている限り生活の問題、健康の問題、人間関係の問題などのなやみに遭遇します。キリストの「この世ではなやみがある」という御言葉は人生の現実を言い当てています。さらに、ここで言われているなやみという言葉は信仰の迫害によって受ける悩み、艱難のことを指しています。人生には様々な種類のなやみがある。そして信仰の故に受けるなやみ、迫害がある。だがキリストは言います、「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。キリストは十字架にかかる前に、この御言葉をもって勝利の宣言をされ、その御言葉どおりに死を滅ぼして甦り、永遠に生きている救主です。ですから、私たちはこの16:33の御言葉を額面どおりに受け取って勝利を得ることができるのです。キリストの下さる勝利について三つの大事なことがあります。

第一に、キリストは生きておられる勝利の主です。

23日日曜日、間もなく本年のイースター・主の復活祭が巡ってきます。キリストは生きておられる真の救主です。イスラエルに行きました時に、ダビデの棺といわれる大きな石の棺がありました。また大きな洞窟の中にあるユダヤ人の墓所へ入りましたが、石の棺が並べられ、棺には大きな蓋があり、様々な装飾が施されていました。それからキリストの墓へ行きました。キリストは三日間だけ墓が必要だったので、それが残されています。人間が立って入れる位の横穴に石の戸がはめてあり、それをガラガラと開けて中へ入りましたが、内部は遺体を横たえる石の段があるだけで空っぽです。墓の前に英語の聖句で「キリストはここにはおられない。キリストは甦った」と記されています。ふつうの宗教ですと、教祖の墓は飾り立てられていて神聖な場所になっています。キリストに墓は必要ないので何の飾りもありません。あるおばあさんがキリストの話を聴いて感激し、花束をもって牧師を訪ね、「ぜひとも十字架にかかってくれた有り難いキリストさんの墓参りに行き、お花を飾りたい」と申し出た。そこで牧師が「キリストは甦って生きています。おばあちゃんが心を開いてキリストをお迎えすれば、いつまでもおばあちゃんの心の中に住んで下さいますよ」と教えると、喜んでキリストを心に迎える決心をして、救いの祝福を受けたのです。キリストは私たちの心の中に住んでおられる、生きている救主です。イースターの日、早朝にキリストは甦りました。そこでイースターの早天礼拝にお出で下さい。早朝の爽やかな空気の中で、讃美をささげ、御言葉のメッセージを聴き、祈って甦ったイエス・キリストを礼拝することは喜びと祝福を受ける素晴しい時です。

第二に、キリストは心の闇を追い払って下さる、生きている愛の主です。

Mさんは結婚し、2回子どもを宿したが、二人とも胎児のままで死亡した。ようやく起き上がれるようになった時、今度は主人が悪性リンパ腫になり、必死になってキリストに縋って祈り、病状は治まったが、5年間寝たきりの状態が続いた。主人が元気になり仕事に復帰し、子どもをどうしても授かりたいと思い、不妊治療を受けたが、望みはないという残酷な診断結果であった。すると、子ども好きであった自分の心の中に、子どもや妊婦さんを見ると、憎らしいという思いが心の中に広がり、信仰をもっているはずなのに、自分の心の醜さに驚き失望した。ある聖会に行き、メッセージの中でキリストを信じて、貧しさの中で食べ物を分け合い、助け合っている人々の話を聴いて、羨ましく思った。すると何故かMさんは心が恵まれて笑い出していた。ずっと笑えないまま、暗い心の闇を持ったまま日を過ごしてきたが、笑いつつメッセージを聴いた。メッセージが終わってから、あれと思った。何年間も辛く悲しい暗い日を送ってきたが、心が自由になり、「うれしい、有り難い」という感謝の気持に満ち溢れた。情けないような、苦しい心の状況から、キリストが感謝の気持になるように助け導いて下さったのです。皆さんの中に、もし人に言えないような心の闇があれば、人と比べる思いがあれば、人の喜びを素直に喜べない気持ちであれば、隠さずにイエス・キリストに祈って下さい。嫌な気持が取り去られ、心が明るくなり、悩みから解放されます。

第三に、キリストに縋り続けることが信仰です。

信仰をもっていても困難や試練に遭うことがあります。Tさんは医師で、一男三女の父親であった。三女が小学校一年の夏に右首が腫れ、おたふく風邪と軽く考えていた。12月になって、極めて稀な小児がンであり、日本では数例の報告しかないという難病であることが分かった。祈りながら必死になって治療を受けたが、6月に病床洗礼を受け八歳で天に召されて行った。心は癒されず、礼拝に出ても心は空虚であった。その時にある説教を聴いた。「ユダヤ民族は迫害され続け、第二次世界大戦では600万人のユダヤ人が虐殺された。ユダヤ人は『神様どうしてなのですか』と叫び、神様に詰め寄りたくなったであろう。しかし神様には神様の言い分があるのでしょう。私たちは主の十字架によって罪赦された者としてみ前に立つ時、どうしてなのですかという気持は感謝の思いにかき消され、ただみ前にひれ伏す事だろう」という内容であった。それが心に染み入ってきた。娘が病気でいた時に、キリストはベッドの傍らに慰めの眼差しで立たれていたのだ。今、礼拝に出席するたびに、価の無い者がキリストの十字架によって救いを受け、キリストによって捕らえられ、永遠の命に入れられている恵みを喜び、娘のいる天国に導かれることを思い、主の愛と慰めを感謝して日々を生きています。



まとめ  ヨハネ福音書16:33を読みます。

第一、キリストの十字架によって救いを受け、平安を得ていることを感謝しましょう。罪が赦され、感謝の心を与えられ、平安に満たされ、周りの方々にキリストを信じる信仰の良い影響を与えて行く者になるように祈って行きましょう。

第二、キリストによって勝利を与えられることを感謝しましょう。キリストは生きておられる救主です。キリストは心の闇を追い払って下さる愛の主です。このキリストにどこまでも縋って行き、天国を目指して進んで行きましょう。



*聖歌534番(旧516番)「よびとはてきに」を讃美し、お祈りを捧げます。



祈 り

天地の主である神様、独り子イエス・キリストの十字架によって救われていることを感謝します。キリストの平安を受けて、何があろうともキリストの御名によって祈り、キリストに縋り、信仰の道を前進して行くように導いて下さい。各ファミリーを祝福し、ゴスペルをキリストを歌うゴスペルとして祝福し、夜の礼拝に恵みを注いで下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ヨハネ注解―榊原、フランシスコ会、黒崎、バークレー、LAB、文語略解、ライル。「信仰雑誌・証しより」、「御翼・佐藤順・アンカークロス社」、「信徒の友・日本基督教団」、「読売新聞より」