御霊(聖霊)によって歩きなさい ガラテヤ5:16-26        主の2008.4.27礼拝



以前ある男性が、ある宗教に入って得たご利益について、「入会してから、毎日太鼓を叩いてお経を唱えている。そのお陰で商売が繁盛し、お金が溜まり、やがて愛人まで囲えるようになった」と自慢げに語ったということです。その宗教では自分にご利益があることが重要なことで、ご利益を受けていれば、不道徳な生活のことは何にも言わないのです。一般的に、宗教とは私たちが人間を越えた存在に出会い、心に平安を与えられ、他人に迷惑をかけずに人生をきよく生きる力を授けてくれるものである、と言われています。しかし、ある人々は、宗教は心の平安よりも人間に幸福を授けてくれるものでなければならない、人間が幸福であるということは富の豊かさによる、そこでご利益を授けてくれるものなら何でも拝むということになり、最初に紹介した人のようなご利益中心で、モラルのこと、罪のことは考えない、自己中心の生き方になってしまいます。

本日はガラテヤ5:16-26です。この個所に、「御霊によって歩きなさい」(16節)、「あなたがたが御霊に導かれるなら・・」(18節)、「御霊によって生きるのなら、御霊によって進もうではないか」(25節)との勧めがあります。御霊(聖霊)は常にキリストを指し示し、神の深い思いを極める尊い働きをしています。御霊によって歩くということは、『キリストを信じて救われ、神の子となる特別な恵みを与えられた者は、日々聖書の御言葉によって人生を歩み、永遠の天国に向かって進んで行きなさい』、ということを意味しています。御霊に従わない生き方は、自分の欲を満たすご利益中心の、生まれつきの罪に支配された肉の欲を満たす生き方であり、そのことが19-21節に述べられています。

私たちはクリスチャンです。御霊に導かれてキリストに従う日々を歩み、22-23節にある御霊の実を結ぶように祈りましょう。喜んでいる人は主を讃美しましょう。苦しんでいる人は祈りましょう。病気の人は「信仰の祈りは病める者を救わん、主かれを起こし給わん、もし罪を犯しし事あらば赦されん」という約束を信じ、牧師の按手を受けて祈りましょう。キリストは中風の者を癒やし、38年間寝たっきりの人を癒やし、12年間長血に苦しむ女性を癒やしたお方です。キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変らない、生きている救主です。キリストの癒しを信じて祈りましょう(ヤコブ5:13-15)。



内容区分

1、二つの道がある。御霊(聖霊)に従う道と肉の欲に従う道がある。5:16-24

2、私たちは御霊に従い、キリストにある一致を保って信仰の道を進んで行こう。5:25-26

資料問題

御霊と訳されている語は「霊」である。これは神の聖霊を指しているので御霊と訳されている。19節「肉の働き」、肉の業。悪徳は、人間が自分の力で造りだすものとみなされ、肉の働き(業)と言われている。22節「御霊の実」、22-23節にある実は、人間の働きによって結ばれる実ではなく、キリストと一致した人間に宿る聖霊によって結ばれるものである。一番にあげられている愛は、他の実の基礎であり源である。新約聖書におけるクリスチャンの愛は、他人を尊び、その価値を認め、自分の利益を度外視して他人の幸せを望むことである。24節「・・自分の肉を情と欲と共に十字架につけてしまった」、聖霊によって生きるクリスチャンの生活は、自己中心的な人間の欲望を十字架につけてしまうのである。



1、二つの道がある。御霊(聖霊)に従う道と肉の欲に従う道がある。5:16-24

わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。(16節)

この手紙は使徒パウロによって直接にはガラテヤ地方(現代のトルコ)のクリスチャン達に記された手紙であり、また現代の私たちに対する手紙です。クリスチャンであるならば、神の御霊(聖霊)によって導かれ、キリストに従っているのが当然であるのに、使徒パウロは「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい」と人々に訴えています。パウロは、あなたがたは救われている。だが、あなたがたの内には肉の欲、すなわち生まれながらの欲望に支配されている罪の性質が残っている。そこで、あなたがたは、罪を捨てて御霊に従ってきよい道を歩むか、或いは罪に支配された肉の欲に従うかという二つの道のどちらかを選ばなければならない。勿論この手紙を読む全てのクリスチャン全てが御霊によって歩むようになってほしい、という呼びかけをしているのです。

クリスチャン生活はキリストに従うことを日々に決断して行く生活です。人生には二つの道があります。キリストに従う道と自分の肉の欲に従う道です。キリストに従えば命があり、天国に行きます。22-23節には御霊に従う者の祝福が述べられています。キリストに従わず肉の欲に従って生きる道は死であり、地獄に行きます。19-21節には肉の欲に従う者の惨めな姿が記されています。*御霊によって歩きなさいということについて具体的に知って行きましょう。

第一に、御霊(聖霊)によって歩む者は祈ります。

「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ロマ8:15)。

キリストは人の子として地上33年半の人生を歩みましたが、常に祈っていました。ペテロは3年半寝食を共にして師であるキリストに仕えていましたが、「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれた」(使徒10:38前半)と証言しています。聖霊によってキリストは一日の始め、朝早く祈って一日を始めています(マルコ1:35)。弟子達を選ぶ時に徹夜で祈っています(ルカ6:12-16)。祈って五つのパンと二匹の魚を5000人の人々に分け与えています(マルコ6:35-42)。兄弟ラザロを失って悲しんでいるマリヤを見て涙を流され、祈ってラザロを生き返らせています(ヨハネ11:33-44)。十字架に架る前にゲッセマネで血の汗を流して祈っています(ルカ22:44)。十字架に架った時に、自分を十字架に架けた人々を赦し、全ての人の救いを祈っています(ルカ23:34)。私たちにも聖霊が与えられていることを感謝し、「御霊によって歩きなさい」という勧めに従い、祈りに励みましょう。

第二に、御霊によって歩む者は聖書を読みます。

「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである」(ロマ1:2-4)。

聖書を読む目的はキリストを知ること、キリストをもっともっと愛するようになることです。キリストの御言葉に従う者になることです。聖書を一番よく読んでいるのはキリストです。荒野の試みの時に、サタンの攻撃に対し御言葉をもって勝利なさっています(マタイ4:1-11)。学者たちが難しい議論をしかけてきた時に、御言葉をもって正しく答えています(マタイ22:34-40)。



突然ですがキリストの奇蹟に関する聖書クイズを出します。

①キリストが、初めて行なわれた奇蹟は、どこで、何であったか?

②キリストが死からよみがえらせた者は、会堂司ヤイロの息子だったか娘だったか

③キリストは群集に食べさせるために、どのようにしてパンと魚を手に入れたか?(ヨハネ福音書)

④キリストは、誰に向かって、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われたか?この奇蹟の場所は?

➄復活のキリストは、ペテロ達に舟のどちらに網をおろすように命じたか?獲れた魚の数は?



第三に、御霊によって歩む者は御霊の実を結びます。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、自制であって、これらを否定する律法はない」(ガラテヤ5:22-23)。

19-21節には肉の働きが出ています。ここに述べられていることは悪い事ですが、悪い事はキリストから離れた人間の肉の欲によって作り出すものなので、肉の働きと呼ばれています。人間が神に背き、逆らうという罪を犯していることによって刑罰を受けますが、その刑罰は、例えばただちに病気になる、或いは仕事に失敗して経済的に破綻する、或いは社会的地位を失うというものではありません。逆に多くの場合においては、神様を捨て自分勝手に歩んでいる者のほうが何かうまくやっているようなケースがあります。では、キリストに逆らい、肉の欲に従って歩むことの刑罰は何かといえば、それは品性の堕落です。きよいこと、正しいこと、良いことが分らなくなって、醜いこと、不正なこと、悪いことを追求するようになることです。大会社で機械の検査結果を誤魔化し、何十年も不正な報告がなされていたり、賞味期限の札を張り替えたりということが暴露されています。クリスチャンは、「主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている」(箴言15:3)ことを知っていますから、悪を避け、神の前に正しいことをする力を与えられています。しかし、神を知らないと、どんなに頭が良くても、品性が堕落し、悪いことにのめり込んで行きます。これが神の刑罰です。そして、その結果が肉の働きということで述べられています。

15の肉の働きのリストがあります。幾つかの肉の働きについて見てみましょう。

一番目に不品行(ポルノ)ということがあげられていますが、これは不倫ということです。不倫の結果エイズなどの問題が大きな社会問題になっています。偶像礼拝があります。現代においても偶像礼拝は盛んです。昨日は上野公園ホームレス伝道でした。寒い中でしたが、300名のホームレスの人々が集まり、奉仕者として韓国、ミャンマーなどのクリスチャンも加わり幸いな礼拝の時、給食活動の時を与えられました。皆さんのお祈り、おにぎり、お米、生活用品の献げ物に感謝します。上野公園は徳川幕府時代からの仏教寺院が数多くあります。上野周辺には七福神巡りのコースがあり、上野不忍(しのばず)の池には弁財天の女神が祭られていますが、これはインドの女神です。国立博物館前の広場でホームレス集会をしていますが、現在国立博物館では奈良の薬師菩薩の展示会をしています。日本の偶像礼拝が集約されているような上野公園で、生きておられるまことの救主イエス・キリストを直接伝道するホームレス伝道が約10年近く行なわれていることを感謝します。ホームレス伝道を通して、私たちの教会も偶像礼拝の最前線で戦っていることを覚え、祈って下さるようにお願いします。

まじないがあります。現代も占い、手相、人相が盛んです。先日高嶋易断が警察に摘発されていました。占いに来た人に出来るだけ希望のないことを占い、それから逃れるために高い祈祷料、或いは物品を買わせるというインチキ占いをし、占い者には月々の祈祷料収入のノルマが課せられていたということでした。まじないには絶対に関わらないで下さい。お札などが家にあったりしたら全部教会にもってきて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈り、私が責任をもって処分します。仏壇、神棚などについては牧師に相談して下さい。

敵意、争い、そねみ、怒りなどとあります。こうした思いに支配されている人は不幸です。先日郵便局に行きましたが、混雑していました。私も番号札をもって待っていました。一人の年配者がやって来て、窓口に待っている人を無視して通帳を差し出したので、係りの人が「すみません。番号に従って行なうようになりましたので、番号札を取って少しお待ち下さい」と伝えると「そんなことは知らなかった」と怒って番号札を取った。2-3分したら、「遅いなー」と呟き始めた。私が済んで、その人の番になったのですが、係りの人に「すみません、この用紙にお名前、金額を記入して下さい」と言われると「面倒くせーなー。そっちでやりゃいいんだー」と怒り出した。それを見ながら、この人は心に平安がない、だからイライラ怒っている、キリストが心にいない人は肉に支配され、不安に満ちていて、それが人への敵意、怒りなどになって表れて来るということを学びました。

22-23節の御霊の実を見ましょう。御霊の実としてあげられている九つの実は、人間の働きによって結ばれるものではありません。私たちが罪を悔改めてキリストを心にお迎えすることによって、人間の働きではなく、聖霊の働きによって結ばれるものなので、御霊の実と呼ばれています。

御霊の実の一番目にあげられているのは愛です。先週も愛について学びましたが、今朝も愛について述べます。皆さんがクリスチャンになって与えられる賜物の中で最も大いなるものは愛です(Ⅰコリント13:13)。愛の特徴は何でしょうか。愛の特徴は与えることです。ヨハネは「主はわたしたちのために命を捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のために命をすてるべきである」(Ⅰヨハネ3:16)と言っています。キリストは尊い罪のないお方であるのに、私たちの罪の身代りになって十字架で死んで愛を現して下さいました。ヨハネは、キリストの十字架の愛を受けた者は、兄弟のために命を捨てるべきであると勧めています。命を捨てるということは簡単には出来ないことです。先ず私たちに与えられている大切な時間を捧げ、人のために祈ることを実践して行くことをして行きましょう。重荷をもっている方々のために、病気の方々の癒やしを願って祈りましょう。教会は祈りの家です。祈りの家で心を合わせて祈るために、水曜日の祈り会(朝10:30、夜7:30の2回)に出席して祈りましょう。



2、私たちは御霊に従い、キリストにある一致を保って信仰の道を進んで行こう。5:25-26

もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。互いにいどみ合い、互いにねたみ合って、虚栄に生きてはならない。(25-26節)

時間がなくなりましたので、25-26節の別の訳を読んで祈ります

「私たちは御霊によって生まれ変わったのであるから、御霊に従って真っ直ぐに進んで行こうではないか、そして、自分の名声や人気のために、互いにケンカをしたり、ねたみ合ったりして、 生まれながらの利己的な生き方をすることは、やめようではないか」(尾山師現代訳)。

御霊に従って歩む者の特徴はキリストにある一致です。先週Kさん・Fさんの婚約式がありました。Fさんの母親が「はじめて礼拝に出ましたが、教会はまるで大きな家族のようですね」という感想を述べてくれたことを感謝しています。明後日はBさん・Tさんの結婚式です。私は二人のために司式できることを感謝し、すでに心に喜びが満ちています。二人の新しい門出を皆で祈って祝福しましょう。そして更に多くのカップルが誕生して行くように祈って下さい。



祈 り 天地の主である神様、独り子イエス・キリストによる救いに感謝します。どんな時でも、肉の欲ではなく、神の御霊によって信仰の道を歩むように導き助けて下さい。私たちに御霊の実を豊に結ばせて下さい。主よ、病気の方々のために祈ります。心の病、肉体の病を完全に癒し、勝利を与えて下さるキリストの愛と力が病んでいる全ての人々に今この瞬間に臨み、栄光のみ業を現して下さい。救主イエス・キリストの尊いお名前によってお祈りをいたします、アーメン。



参考文献:ガラテヤ注解―田中剛二、フランシスコ会、黒崎、文語略解、LABN、米田、竹森、塚本。 「感想十年・内村鑑三・教文館」、「聖書現代訳新約・尾山令仁・現代訳聖書刊行会」