救い主 来たりたもうーキリストを迎えた人々(Ⅲ) ルカ2:8-20  
主の2008.12.14アドベント第三週礼拝


アドベント第三週に入り、命の光であるキリストを象徴する3本のローソクが灯っています。来週は4本のローソクが灯り、クリスマスの週になります。私事ですが、高校2年生の夏に教会に行くようになり、9月にキリストを信じ、11月に洗礼を受け、12月クリスチャンになって最初のクリスマスを迎えました。それ以来、毎年クリスマスを祝い続け、今年は52回目のクリスマスになります。クリスマスを迎える度ごとに、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」(Ⅰテモテ1:15)という御言葉を思い出します。この中には50回以上クリスマスを祝う方々、クリスチャンになって始めてクリスマスを祝う方々など様々な方がいます。ハッキリして置きたいことは、クリスマスは、サンタクロースの誕生日ではなく、キリストの誕生日であり、クリスマスとはキリストを礼拝するという意味だという事です、今から約2008年前、私たち罪人を十字架によって救うために、この世に来られた真の救主イエス・キリストの誕生を感謝し、キリストを礼拝するのが本当のクリスマスです。

本日の聖書はルカ2:8-20です。世界を救うために来られたキリストのご降誕を一番初めに知ったのは野にいた羊飼い達でした。彼らは救主誕生の知らせと共に、天の御使いと天の軍勢の大合唱を聴くという恵みを与えられ、ベツレヘムの馬小屋で生まれた嬰児イエス・キリストを最初に礼拝するという祝福を受けています。最初のクリスマスに思いを馳せながら、主のメッセージを共に聴き、祈って、新しい一週間の旅路へ出発し、来週のクリスマスに備えて参りましょう。



内容区分

1、キリストの恵みは、すべての人に与えられる救いの喜びである。2:8-14

2、キリストの恵みは、礼拝する者に、神を崇め、讃美する心を与える。2:15-20

資料問題

8節「夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた」、羊飼いは、過越(すぎこし)の祭の頃から、雨期に入る11月ないし12月まで昼夜の区別なく屋外で生活した。夜は羊を囲いに入れ、交代で番をする。11節「救主」、マタイ、マルコになく、ヨハネで1回(4:25)出てくる。「主なるキリスト」、主とキリスト(へブル語でメシア)の二語を結びつけているのは、新約聖書中ここだけに見られる。キリストは、油を注がれた者の意で、王や大祭司を指しているが、後に約束された救主を指す称号となった(サムエル上24:6,10、26:9参照)。14節「み心にかなう」、ギリシャ語ユードキア。良い気持、好感、好感、善意。「平和」、ギリシャ語エイレーネ。喧嘩をしない、争いごとをしないという対人関係が平和であること。話し合いができるという意味で、人と話ができる関係は平和である。20節「見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので神をあがめ、さんびし・・・」、原文では「見聞きしたことに基づいて、神をあがめ、さんびした」。



1、キリストの恵みは、すべての人に与えられる救いの喜びである。2:8-14

御使いは言った、「恐れるな、きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは幼子が布にくるまって飼馬おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(10-12節)

キリスト降誕にまつわる出来事はまるで劇のようです。ルカ福音書1章には、キリストの到来を告げる務めのためにバプテスマのヨハネが誕生したこと、ナザレに住む乙女マリヤに天使ガブリエルが現れ、「あなたは聖霊によって神の子キリストを宿し、男の子を産む」というメッセージが伝えられ、マリヤが信仰をもって神のメッセージを受け入れたこと、そして2章始めのところにはキリストが馬小屋に生まれ、飼馬オケの中に寝かされている様子が記されています(2:7)。本日の個所(2:8-20)では羊飼い達が生まれたばかりのキリストを捜しあて、礼拝を捧げたことが記されています。続く

2:21以下にはヨセフとマリヤがユダヤの律法に従い、エレサレムの神殿にキリストの献児式に行った時に、ふたりの老預言者がキリストを見て、救主が来られたという感謝の祈りを捧げています。マタイ福音書では東の博士達が星に導かれて、キリストを礼拝しに来て、黄金、乳香、没薬を捧げています(マタイ2:1-12)。クリスマスの出来事は劇のようであり、また絵画的であり、一度聞いたら心に刻みつけられ、忘れることの出来ない内容になっています。

本日の個所には、羊飼い達が天使からキリスト降誕を知らされ、真夜中にもかかわらず、大急ぎでキリストを礼拝するために出かけて行った最初のクリスマスの様子が記されています。

2:8-14を通して、世界で初めてのクリスマスから三つの恵みを知っておきましょう。

第一に、キリストは心へりくだる者の救主であるという恵みです。

キリストの生まれた地方では、春の過越の頃より11月、12月ぐらいまで羊飼い達は昼夜の区別なく外で生活をし、羊を飼っていました。夜は羊を囲いの中に入れ、羊飼いは獣から羊を守るために寝ずの番をしていました。すると暗い夜空に主の栄光が輝きわたり、御使いの言葉が聞こえてきました。聖書の神様は、いつでも言葉をもって語りかけます。羊飼い達は貧しい、学歴のない人々であったかも知れませんが、しかしユダヤ人として彼らは小さいときから聖書の言葉を口伝えに聞いて暗誦していました。特に救主がこの世界に来られることは繰り返し聞かされていましたので、御使いの「きょうダビデの町であるベツレヘムに旧約聖書の預言通りに救主がお生まれになった。これは、すべての民に与えられる喜びのニュースである」というメッセージを素直に信じています。今、旧約聖書、新約聖書が一つになって聖書となっています。信仰で最も大事なことは、聖書は神の御言葉であり、聖書が信仰と生活の唯一の基準であることを信じ、受け入れることです。羊飼い達は、神の御言葉を信じ、15節で「主がお知らせ下さった救主誕生の出来事を見てこようではないか」と話し合い、急いでキリストを礼拝するために出かけて行き、世界で一番初めにクリスマスをお祝いする祝福を与えられ、神を崇め、讃美しています。羊飼い達を通して、神の御言葉を素直に信じ、御言葉に従って行く信仰の正しい姿勢を教えられます。

第二に、誰でもキリストを信じれば、罪の赦しと永遠の命の喜びが与えられるという恵みです。

御使いは「すべての民に与えられる大きな喜びをあなたがたに伝える」(10節)と言っています。すべての民ですから、羊飼い達も、私たちも含まれています。ところで、喜びとは何でしょうか・・・聖書は、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」(Ⅰテモテ1:15)と告げています。もし、心の中に悪い考え、ねたみ、意地悪、憎しみ、争いなどの馬小屋よりも汚い罪があれば、それは私たちを不幸にし、永遠の滅びを招くことになります。頭がよくても、健康でも、立派な家に住んでいても、地位や名誉を得ていたとしても、罪があれば心に喜びはありません。学びによっても、或いは政治の力、お金の力、科学の力も、そして人間が努力し、難行苦行しても、罪を取り去ることはできません。罪を赦し、罪の力から私たちを解放し、本当の喜びを下さるのは救主イエス・キリストです。なぜなら、キリストは私たちの罪を取り除くために、十字架にかかり、私たちの受ける罪の罰を、ご自分が引き受けて下さったからです。私たちは、ただ罪を悔改めて、キリストを信じるだけで救われ、神の子どもになる恵みを与えられています。クリスマスは、キリストを信じれば救われるという聖書そのままの裸の福音を伝える絶好の機会です。最近、偉い学者が書いた本に、「我々はキリストの福音をいろいろな人の言葉で飾り立て、複雑化し、キリストを見えないようにしてしまった」という反省が述べられていました。それを読んだ時、私は35年前に、「キリストの福音を飾りをつけずに、聖書そのままを、特に十字架と復活とを語りなさい」と言われた.豊留真澄の先生の教えにより、聖霊によってひたすらにキリストを伝えるように導かれていることを感謝しました。

第三に、神に栄光、地には、み心にかなう人々に平和(エイレーネー)があるようにという恵みです。平和があるようにというのは、喧嘩をしない、争いごとをしないということで、対人関係が平和で

あるという意味です。私たちは、神様を「アバ、父よ」と呼ぶ神様との平和を持っている、と同時に人と人との間も平和をもっていることが大切です。神様の愛を受けながら、人と人との間で問題がある、平和がないということがあります。そうした人間の現実を受けて、パウロの書いた手紙の大部分は「あなたがたに平和(エイレーネー)があるように」との祈りがあります。

以前に韓国で、山の中の祈祷院に行きました。牧師のお母さんは、かなりの年配で、戦争前に日本の統治下で日本語教育を受けていて、きれいな日本語を話されました。食事をしている時に、「私は日本の植民地時代を経験し、親友は日本によって弾圧され、命を奪われた。私はずっと日本を怨み、クリスチャンになっても赦せない気持のままでいた。しかし今回あなた方に会い、また韓国で生まれた奥様に親しみを感じ、日本に対する心のわだかまりが主によって消え去り、心が平和になりました」と話してくれました。まさに「地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」という御言葉の通りで、私たちの心に大きな恵みが与えられたことを感謝しています。



2、キリストの恵みは、礼拝する者に、神を崇め、讃美する心を与える。2:15-20

「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と互いに語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼馬おけに寝かしてある幼子をさがしあてた(15-16節)。羊飼い達は、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った(20節)。

天における大合唱が終ると、羊飼い達はベツレヘムへ行き、一軒一軒宿屋を廻って、遂に御使いが教えてくれたとおりの幼子を捜しあて、礼拝を捧げています。彼らの心は喜びにあふれ、神を崇め、讃美しつつ野原に戻っています。

2:15-20を通して、三つの恵みを教えられます。

第一に、信仰の積極性です。

羊飼い達は「主がお知らせ下さったことを見てこようではないか」(15節)と語り合い、急いでベツレヘムに向かっています。信仰は、キリストの選びによって救われるという面がありますが(ヨハネ15:16)、私たちの側でも求めて行くことが大切であることを教えられます。

キリストが伝道を始めた時に、キリストについて行った二人の人がいました。ついてくる二人に対して、キリストは振り返って、「来てごらんなさい。そうしたら分るだろう」と招きの声をかけています。彼らはキリストの招きに従い、キリストを救主として信じることができました。その一人アンデレは、すぐに兄弟シモンをキリストの御許に導き、シモンはペテロという名前をもらい、キリストを信じています。その後にピリポがキリストを信じ、すぐに友人ナタナエルにキリストを紹介しますが、ナタナエルは疑います。すると、ピリポは「来てみなさい」と積極的にナタナエルを導いたことによって、ナタナエルもキリストを信じるようになります(ヨハネ1:35-51)。

キリストは「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである」(マタイ7:7-8)と言われました。信仰が受身である間は、信仰の成長が鈍いかもしれません。信仰が積極的になる一つのコツは聖書をもっともっと読むことです。私事ですが、高校二年生の終わりごろ、洗礼を受けた身である、よし聖書全巻を読んでみようと決意して、3ケ月くらいで聖書を完読しました。ほとんど意味不明のところも多かったのですが、読んで得た恵みは聖書全般の流れが分り、説教を聞いても他の個所との関連がつかめるようになったことです。それから、教会では木曜日に祈り会があったのですが、それに出ようという思いが与えられ、礼拝と祈り会出席によって信仰の土台が形成され、それが後に献身につながって行くことになったと思っています。信仰が積極的になり、教会生活を通して信仰の成長が与えられるように祈って行きましょう。

第二に、信仰によって神を崇め、さんびする恵みが豊かに与られます。

羊飼い達は、ベツレヘムの宿屋を捜し廻って、目指すキリストを捜しあて、マリヤとヨセフに会っています。マリヤとヨセフは、羊飼い達による真夜中の来訪に驚いた事と思いますが、彼らが話してくれた御使いのメッセージと天使たちの大合唱のことを聴いて、自分たちが信仰によって受け入れたキリストの誕生が、確かに神様からのものであったことを確認することができて感謝した事と思います。すべてのことを心に留めて、思いめぐらしているマリヤの姿も記されています。

20節で「羊飼い達は見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った」とあります。これですと、自分たちが見聞きしたことが、御使いから聞いたことと一致したので讃美したということになります。そうではなくて、このところは、「羊飼い達は見聞きしたことに基づいて、神をあがめ、讃美した」というのが正しい内容です。

羊飼い達はキリストを礼拝したことによって、神様を崇めています。旧約聖書四千年間の歴史を通して、「人の救いのために救主(キリスト)が遣わされる」という神様のメッセージが伝えられて来ましたが、遂に救主イエス・キリストが誕生したのです。世の学者、時の権力者、地位身分のある者、財産のある者ではなく、最も貧しい、低い地位にあった羊飼い達が最初のクリスマス礼拝を捧げるという特権に与ることが出来ました。彼らは神様の愛に感謝し、恵みを讃え、喜びの讃美を歌いつつ、野原に戻って行きました。

話は変りますが、現在のところ、日本のクリスチャンは少ないというのは事実です。私たちは少ないことを気にしますが、それは逆です。大勢の人々より先に私たちが救われるという特権に与っていることを感謝しましょう。私は、クリスチャン一人一人がキリストに固く結びついて、教会生活を忠実に行い、心から心への個人伝道をして行けば、確実にクリスチャンの数は増えて行くことを信じています。クリスマスはキリストを伝える良い機会です。皆で家族、友人などの周りの方々に声をかけ、クリスマスを共にお祝いすることによって、救いの機会が与えられます。今年のクリスマスが伝道クリスマスとなるように祈って備え、新しい方々を心から歓迎いたしましょう。

第三に、信仰を与えられていることを大いに喜び、感謝しましょう。

羊飼い達は神を崇め、讃美したと記されています。彼らはキリストを礼拝することによって、御使いが伝え通りに、大きな大きな喜びを心に得たので、高らかに讃美をうたっています。皆さんは、今朝、喜んでいますか?もちろん喜んでいると思います。キリストを信じている喜びを顔に表し、態度に表し、言葉に表し、祈りに表し、讃美に表して行きましょう。



まとめ

1、2:10-12、キリストの恵みは、すべての人に与えられる救いの喜びです。キリストは心へりくだる者を救います。誰でもキリストを信じれば、罪の赦しと永遠の命を与えられ、周りの人々との平和が与えられます。

2、2:15-20、キリストの恵みは、礼拝する者に神を崇め、讃美する心を与えてくれます。積極的な信仰を持って行くように祈りましょう。神様を崇め、大いに主を讃美して行きましょう。喜びのクリスチャンとして成長させて下さいと祈りましょう。



祈 り

主なる神様、独り子イエス・キリストの救いを受けるようにして下さった神様に感謝し、救いを成就するために十字架にかかって下さったイエス・キリストの無償の愛に感謝します。クリスマスに向かって進められているすべての準備を祝福して下さい。教会大掃除、ゴスペル、夕べの礼拝を導いて下さい。一人一人の祈りに応えて下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ルカ注解―フランシスコ会、LABN、黒崎、榊原、バークレー、文語略解、口語略解。

「すばらしい夜・クリスマス・高木輝夫著・エンゼル社」