信仰の確信 ダニエル1:1-21 主の2009.3.15礼拝
小学校時代に、担任の先生がよく諺の話をしてくれましたが、その中の一つに「孟母三遷の教え」というのがありました。孟子の母は初め墓に近い所に住んでいたのですが、幼い孟子が墓をつくる遊びをするので、そこを去って市中に移りましたが、今度は孟子が商いの真似をして遊ぶようになりました。そこで更に学問所のそばに移ったところ、孟子は学ぶこと、祭礼の儀式の真似をして遊ぶようになったので、母はそこに住むことに決めたということです。この話は、子どもの教育には環境が大切であるということを教えたものと言われています。
本日はダニエル1;1-21です。今から2500年以上の昔、ユダ王国は当時の超大国バビロンの攻撃を受け、エルサレムの神殿は破壊され、神殿の宝物はバビロンに持ち去られ、ユダ王国は消滅し、多くのユダヤ人がバビロンに強制移住させられるという悲運に見舞われます(バビロン捕囚)。バビロン王ネブカデネザルは、捕らえてきたイスラエルの人々(ユダヤ人)の中から自分に仕える若者を三年かけて教育することに決め、選ばれた若者の中にダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤの四青年がいました。王によって選ばれるという光栄を得ましたが、彼らはバビロンの偶像を拝まない、偶像に捧げられた王の食べ物、酒を飲んで身を汚すまいと思い定め、信仰の勝利と祝福を得ています。彼らは日本の中学、高校生の頃にバビロニアに連れてこられたのですが、まことの神様を信じる信仰を貫いています。ユダヤ人は小さい時から家庭で信仰教育を受けて受けているので、四人の心の中に主の御言葉が深く刻まれていて、彼らは試練を受けた時にも信仰を守って死に至るまで忠実であることができたのです(3章、6章参照)。子どもが小さい時に、父母が神様に従う生活をし、聖書の真理を子ども達に慎み深く教えるならば、それは子ども達の心の中に深く刻み込まれ、困難や誘惑にあっても、御言葉が人生を照らす灯火となって、神様に従って行く道を指し示してくれます。聖書にはこう言われています、「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言22:6)。
内容区分
1、四人の若者は、信仰を第一にしている。1:1-16
2、四人の若者は、信仰の祝福を得ている。1:17-21
資料問題
ダニエルはネブカデネザルの時代、おそらく14,5歳の身でバビロンに捕らえ移された。彼は神の特別な知恵を受け、ネブカデネザルの夢を解き、一躍バビロン全州の総督となり(2:48)、王の死と共に隠退するが、再び引き出されてベルシャザル王の見た幻を解明し(5章)、バビロン後のメデアのダリヨス王、次いでペルシャのクロス王に仕え(9:1,10:1)、言い伝えによれば90歳余りで召されたという。本書の純正性は70人訳に編入されていること、キリストがダニエル書を引用していること(マタイ24:15)、本書の内容によっても疑い得ないところである。1-6章はダニエルの個人的歴史とそれに関係ある事実、7-12章は預言的部分で世界歴史が記されている。7節、ダニエル(神はわが審判者)をベルテシャザル(バビロンの神の軍)、ハナ二ヤ(憐れみ深き主)をシャデラク(王の友)、ミシャエル(神は尊くして比べるものなし)をメシャク(バビロン人の崇拝する神を拝すべし)、アザリヤ(主の助けるもの)をアベデネゴ(神は星座の軍なり)とバビロニア人化政策のため改名させられる。
1、四人の若者は、信仰を第一にしている。1:1-16
ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分の身を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。神はダニエルをして、宦官の長に、恵みとあわれみとを得させられたので・・・(8,9節)。
神様によって選ばれた民族であるイスラエルが、神様を信じないバビロンによって滅ばされて国を失い、人々は遠くバビロンの地に捕囚になって移住させられてしまいました。その厳しい情勢の中で、神様への信仰を持ち続けたダニエルと三人の仲間によって、神様の力と威厳とが示され、神様の御名が崇められて行きます。(70年の捕囚の後に、ユダヤ人は祖国に帰還し、国を再建します) ダニエル書前半はダニエル達四人の信仰、後半は世界歴史についての預言が記されています。第一章では、捕らえ移されたダニエルと仲間の三人が信仰を第一にして神様に従い、信仰の豊かな恵みを受けていることが記されています。
1:1-16を通して、ダニエルと三人の仲間が、信仰を第一にしている姿を見てまいりましょう。
❶彼らは王によって選ばれているが、そこにワナがあることを知っていた。
ネブカデネザル王は、イスラエルの人々の中から、4節にあるような若者達を選び、彼らにバビロン風の教育を授け、王に仕える者にするということを実施することにしました。これに選ばれた者達は立身出世の機会を得ることになり、捕囚の身にとっては破格なことでした。4節に「カルデヤ人の文学と言語」とあります。カルデヤ人というのは、一般的にはネブカデネザル王の築いたバビロン王国を形成する民のことです。ここでは、狭い意味でバビロン帝国の祭司階級を意味していて、祭司達は占い、天文、魔術の知識を持っている人々です。カルデヤ人の言葉はお祭りの時に祭司が用いるもので、その文字は柔らかい粘土に楔(くさび)で記された複雑なものです(楔形文字)。王のそばに仕えることを目的にしての教育ですが、若者達にバビロンの占い、魔術を学ばせ、バビロン王国の頂点にいて、バビロンの神々を崇めているネブカデネザル王と同じ食物を食べ、酒を飲むことが強制されています。
この教育の最大の目的は、王に仕える者を養成するということを通して、実は偶像に仕える者を養成するということです。偶像に仕える者は、自分のご利益のみを考えています。その例が、無病息災、家内安全、商売繁盛という言葉の中に表されています。自分だけが健康であればよい、自分の家族だけが守られればよい、自分だけが儲かればよいという考えです。日本では進化論に基づく教育がなされていますが、強い者が勝ち残るという考えがあります。キリストは言われました、「第一に神様を愛することが大事である。そして自分を愛するように、自分の回りにいる人々を愛しなさい」(マタイ22:37-40参照)。まことの神様を信じる者は、神は愛であることを信じて自分が愛に満たされ、その愛を周りの人々に分け与えて行きます。愛があるかないか、それが偶像礼拝者とまことの神様を信じる者との決定的差になります。四人の若者達は王の教育を受けることになりましたが、心の中ではまことの神様を信じるという強い信仰がありました。それが王の食べ物を拒否するという思いきった行動になって行きます(そのことはこの後で取り上げます)。
❷彼らはバビロンの神々を表す名前に改名させられますが、信仰を失っていません。
イスラエルの人々にとって名前はとても大事で、名前には魂が宿っている、或いは、名前はその人自身を表していると考えていました。ところが7節に彼らの改名の事が出ています。ダニエル(神はわが審判者)がベルテシャザル(バビロンの神の軍)、ハナニヤ(憐れみ深き主)がシャデラク(王の友)、ミシャエル(神は尊くして比べる者なし)がメシャク(バビロン人の崇拝する神を拝むべし)、アザリヤ(主の助けるもの)がアベデネゴ(神は星座の軍なり)という名前に変えられています。
彼らは名前をバビロンの神々を崇拝する名前に変えられていますが、しかし彼らまことの神様を信じる信仰によって行動しています。ダニエル3章にはネブカデネザルが建立した金の像を、このユダヤの若者達が拝む事を拒否したという事が記されています。
私たちはキリストを信じたことによって、クリスチャンという呼び名を与えられています。クリスチャンの額には神様の名前が印されています(黙示録22:4)。クリスチャンはキリストの御名を宣べ伝えます(使徒8:12)。ノンクリスチャンの中にあって、その行いによって神様の御名を宣べ伝えます(Ⅰペテロ1:15)。神様の御名の前にあらゆるものが膝をかがめて礼拝をささげます(ピリピ2:10)。
ダニエル達はバビロンの権力によって偶像を現す名前に変えられましたが、彼らはそれに影響されることなく、まことの神様を信じ続けて行きました。私たちは、キリストが罪のために十字架に死んで下さったことを信じ、罪を悔改めて生まれ変わり、神の子になり、クリスチャンという名前を与えられていることを感謝して行きましょう。
❸彼らは王の食物を断る勇気を与えられ、神の力によって養われています。
食物の問題は大きな問題になります。現代でもユダヤ人は律法に適合しているマークが付いているものを食べます。イスラム教徒も彼らの教えによって処理済みのマークがついているものを食べます。ダニエル達の場合は、偶像に捧げられた食物であり、酒であるということで、自分の身を汚してはならないと判断し、そのことを宦官の長に申し出ます。神様は生きておられます、宦官の長に恵みと憐れみの心、ダニエルを愛し、慈しむ心を与えて下さって、彼の申し出を受けるように導いています。彼らは宦官の長に、信仰を譲ることをしないで、「十日の間、野菜と水で試して下さい」と願い出ます。神様に従うことが祝福と力とをもたらすことを信じている彼らの信仰が伝わってきます。真の健康の秘密は信仰と服従とにあります。キリストは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」(マタイ4:4)と言われました。私たちの霊的食物は神の御言葉です。またキリストの体と血とを表す聖餐の式です。日曜日ごとに神様のメッセージを聴いて、信仰を豊かに成長させてもらいましょう。聖餐式は4月5日にあります。キリストの十字架に感謝して、聖餐の式に与り、救われている喜びをもって、主をほめ讃えましょう。
2、四人の若者は、信仰の祝福を得ている。1:17-21
この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した(17節)、王は彼らにさまさまのことを尋ねてみると、彼らは知恵と理解力において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった(20節)
ダニエル達は、三年後の結果ですが、豊かな知識、知恵が与えられて、他の若者達より優っていたので、王のそばで仕える者になっています。また彼らは知恵と理解力において、バビロン中の博士、法術師(バビロンの知者で呪いに関係している)より10倍も優っていると記されています。彼らは神様に従うことによって、豊かな祝福を与えられています。この出来事を通して、私たちも信仰を第一にして、神様の祝福を得る者になって行くようにという励ましを受けます。
❶神様は忠実な者に報いて下さいます。
創世記に出てくるヨセフは逆境の中で神様を信じ続け、エジプトの総理大臣になっています。捕らわれていたペルシャの宮廷で高い地位に上ったネヘミヤがいます。ここでは四人が王様に仕える者になったことが記されています。外国の血で高い地位を得たことも恵みですが、彼ら自身に与えられている恵みのことを考えてみますと、体に傷がないこと、能力があることなどの恵みを与えられています。私たちも、きょう健康を与えられていることを感謝しましょう。きょう礼拝に出席できたことを感謝しましょう。当たり前に思える全ての事柄が神様からの贈り物です。神様に出来るだけ多くのことを感謝して下さい。それが祝福をもたらします。
彼らはカルデヤ人の言葉などを身につけましたが、一番素晴しいことはカルデヤ人の知恵に優ること10倍の知恵を神様から与えられたということです。これは博士たち、法術士達が誇っているバビロンの神々を、天の神様が打ち負かしたということを表しています。預言者エリヤがカルメル山でバアルの預言者450人、アシラの預言者400人、計850人と対決したことがあります。バアルの預言者達は朝から夕方まで答を得ようと必死になり、体に傷をつけて血を流しながら踊り狂いましたが、偶像ですから何の答えもありません。それを見て、エリヤは「バアルの神は眠っているのか、考えにふけっているのか、旅に出かけたのか」と皮肉っています。エリヤが祭壇を築いて祈ったところ、直ちに火が下り、人々はひれ伏して「主が神である、主が神である」と言って神様を礼拝しています(列王記上18章)。
❷神様はどんな場合にも従ってくることを望んでおられます。
神様は忠実な者に報いて下さいますが、しばしば困難の中にある時に、私たちの信仰は試されます。信仰を持っているから、何の問題もないということを聖書は教えていません。キリストは「あなたがたは、この世では悩みがある」(ヨハネ16:33)とハッキリと告げています。また、「日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(ルカ9:23後半)とおっしゃっています。私たちはキリストを信じることによって、罪の赦しによる霊の救いという祝福を受け、永遠の命を与えられています。生活全般が祝福され、健康も支えられて行きます。しかし、しばしば信仰の戦いがあることを経験します。今がよくても、また悪かったとしても、信じる者を辱めることのない主によって必ず逃れの道、祝福の道が開かれてきます。Aさんは父が酒乱で破産し、一家離散となってしまいます。親戚の家に厄介になり、その中で病気になり、普通の人の倍もかかって高校を卒業するという状態でした。その苦しみの中で、キリストを信じました。しかし、姉が病気になり、甥の面倒を見るようになりました。様々な困難がついてまわりましたが、キリストを信じ続けて行きました。すると酒乱だった父親が、母と共に救いの恵みを受けて生まれ変わることが出来たのです。主は生きておられます。祈って、信仰の道を前進し続けて行きましょう。
❸キリストは「信じ続けよ」と励まし、支えて下さる主です。
主は言われます、「恐れるな、小さい群れよ、御国を下さることは、あなたがたの父の御心なのである」(ルカ12:32)。またパウロは聖霊に導かれて、次のような励ましの言葉を伝えています、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ロマ8:28)。状況はどうであれ、天地を支配しておられる神様はすべてを支配しておられ、信じる者を守って下さるという約束の言葉です。
苦しい状況の中にある方々もいるでしょう。病気と闘っている方々もいるでしょう。仕事の問題を抱えている方々もいるでしょう。人間関係のトラブルを抱えている方々もいるでしょう。
祖国から遠く離れ、偶像に囲まれた外国で、四人の若者は神様だけに頼り、信仰によって試練を乗り越え、豊かな祝福を受けることができました。キリストは「恐れるな、神様は御国を私たちに下さるほど、私たちを愛している」と言われます。「何事でも、わたし(キリスト)の名によって願うならば、わたし(キリスト」はそれを叶えてあげよう」という御言葉を信じて、主に祈りましょう。
まとめ
1、8,9節、四人の若者は信仰を第一にして神様に従いました。彼らは王のワナに陥ることなく、名前を変えられても信仰を失わず、王の食べ物、酒によって身を汚さずに信仰第一に生きて恵みを受けています。
2、17,20節、四人の若者は信仰による祝福を受けています。神様は忠実な者に報いて下さいますが、どんな時にも従うことを望んでおられます。キリストの励ましの言葉を心に留め、神は万事を益として下さることを信じて行きましょう。
祈 り
天地の主である神様、イエス・キリストの十字架によって救いを受けていることを感謝します。偶像に囲まれ、誘惑の多い時代にあって、私たちはどんな時でも信仰を第一にして行きます。私たちを助け導いて下さい。信仰を第一にして行く時に、神様の祝福が豊かにあることを感謝します。主の祝福を受けるものとして、信仰を強くして下さい。病気の方々に癒しを速やかに与え、心に平安を満たして下さい。戦いの中にある方々、仕事を求める方々の上に、主よ、速やかに逃れの道を備え、また良き仕事へと導いて下さい。来週は荒井幸喜牧師を迎えての礼拝です。主よ、私たちに必要なメッセージが与えられますように、祈って期待し、待ち望んで行きます。きょうの午後からの活動を祝福し、特に伝道の働き、奉仕をするネームレスの集まりを祝福し、その働きを通して救われ、教会につながる者を起して下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献:ダニエル書注解―ジャフリー、米田、石橋、ラッセル、黒崎(文語訳略註)、高橋(口語訳略解)、内村。