愛―いつまでも存続し最も大いなるものー コリント第一12:31後半-13:13   主の2009.5.17礼拝

「自己実現」という言葉があり、就職活動、企業セミナーなどで使われ、高校の教科書にも出ています。人間は自分を高め、自分で何かを達成する力を養うことが必要である、それによって、他に迷惑をかけないで生きることが出来るという考えのもとに、自己を高め、自立して、立派になろうという考えです。良い考えのように思われますが、しかし、神様を抜きにしての自己実現は、「自分さえ良ければいいのだ」という自己中心の身勝手な欲望を満たす方向に向かって行きます。
それでは聖書は何と言っているでしょうか。聖書朗読レビ記19章18節の中で、「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」という主の御言葉がありました。「自分中心ではなく、自分を大事に思うように、他の人のことを大事に考えてあげなさい、愛して行きなさい」という教えです。レビ記は3500年前に記されたものですが、そんな古い旧約時代の昔から愛についての教えがありました。例えば、麦刈りの時に刈り残したものは、貧しい人が拾って食べて良いという決まりがあり、貧しい者、働けない者を助けることが実践されていました。レビ記から1500年後にキリストは隣人を愛するということを徹底的に表して下さいました。キリストは罪に苦しみ、滅びに向かって行く人間を見て、「もし自分が罪に苦しんでいれば、誰かに助けてもらいたいと願い、求める」と人間の立場に立って考えて下さいました。ただ考えるだけではなく、キリストはご自分の命を十字架に捧げて人間の罪の身代りになって下さいました。その結果、罪を悔改めてキリストを信じれば、誰でも罪の赦しと永遠の命を与えられ、救われて神の子になることができるのです。このすばらしいキリストの愛の救いによってクリスチャンとなっている恵みを感謝しましょう。
本日はコリント第一13:1-13です。1-3節に「もし愛がなければ、いっさいは無益である」との教えがあります。4節以下に愛の内容について具体的に記されています。13節に愛はいつまでも存続し、最も大いなるものであるという不滅の教えがあります。ここに記されている愛は具体的、実際的であり、すべてキリストによって表された愛です。
キリストの十字架によって救われたことを感謝しつつ、主のメッセージに耳を傾け、「私の心に、きれいで混じりけのないイエス様の愛をいっぱいに満たして下さい」と祈りましょう。

内容区分
1、愛がなければ、いっさいは無益である。13:1―7
2、愛はいつまでも存続し、最もおおいなるものである。13:8-13
資料問題
12:31「最もすぐれた道」、いっそうよく他人を助け、教会の公の益となる賜物のこと。13章は愛についての格調高い深遠な教えである。13:2「山を移すほどの強い信仰」、マタイ17:20、21:21、マルコ11:23を見よ。13:3「焼かれるために」、火刑で殉教すること。13:12「鏡に映して見るようにおぼろげに見ている」、古代の鏡は青銅などを磨いたもので、表面が滑らかでないので、今日のガラス製のように鮮明に映らなかった。我々は現在この世においてぼんやりと神を見ているが、天国では直接ハッキリと神を見るであろう。13:13「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛と、この三つである」、信仰・希望・愛は人間を神に結びつけるものである。クリスチャンは聖霊により、神の愛を心の中に注がれている(ロマ5:4)。神は愛であり、不滅であるので、心に注がれた愛によって我らは永遠に生きることができるので、愛は最も大いなるものなのである。

1、愛がなければ、いっさいは無益である。13:1-7
わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう(12:31b)、もし愛がなければ、いっさいは無益である(13:3)。

使徒パウロは、12章で聖霊によって教会に与えられる霊の賜物について述べています。様々な聖霊の賜物が列挙されていますが、それらは「教会全体の益になるためである」(7節)ということが強調されていることを心に留めて下さい。霊の賜物の豊かさを述べながら、パウロは一息入れるかのようにして、12:31後半、「わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう」と言っています。手紙を読み進んできた私たちは、パウロ先生は一体どんなことを言うのかと期待しながら13章に導かれて行きます。
ここで「最もすぐれた道」と言われていることは、今まで述べてきた霊の賜物より、すぐれた賜物のこと、あるいは人目を引く賜物という意味ではありません。これは「いっそう良く他人を助け、教会の公の益となる賜物」を意味しています。最もすぐれた道として示され、教会に与えられている最大の賜物とは愛であるということが明らかにされ、13章に入って、愛の具体的姿について詳しく教えられています。
13章1-3節までに、「愛がなければ」という言葉が3回繰り返えされています。人々の言葉とは世界中の言葉、御使いたちの言葉とは異言のこと、体を焼かれるためとは殉教のことです。その他どんなすばらしい霊の賜物があっても、もし愛がなければ全ては空しいと言われています。
では愛とはなんでしょうか。これは人間の愛ではなく、神様の特別な愛のことです。人間の力、知識や学問で得ることの出来ない特別な神様の愛のことを指しています。この愛はキリストによって表された愛です。この愛を知るために、キリストの特別な愛を受けた人のことを考えて見ましょう。
例えばマグダラのマリヤに注がれたキリストの愛です。彼女は悪評高い罪の女として知られていました(ルカ7:37)。彼女は石打の刑を受けるところをキリストによって助けられ、罪を赦された女性とも言われています(ヨハネ8:1-11)。マリヤは罪ある女として軽蔑されていましたが、キリストの特別な愛を受けて生まれ変わり、罪ある者から罪なき者へと新しく生まれ変わることが出来ました。彼女はキリストの特別な愛を受けて救われたことを感謝し、高価な香油をキリストの頭に注いでいます(ルカ7:36以下)。彼女はキリストの特別な愛を受けて救われたことを感謝し、キリストの母マリヤなどと共にキリストの十字架に最後までつき従い(ヨハネ19:25)、キリストの復活に最初に出会っています(ヨハネ20:1-18)。
コリント教会への手紙を記したパウロもキリストの特別な愛を受けています。彼はキリストを迫害する者でしたが、キリストの大きな特別な愛によって救いを受け、生涯を賭けてキリストに従う弟子となり、全世界に福音を伝えて歩きました(使徒9:1-26)。彼は新約聖書中に13通の手紙を残し、キリストの特別な愛を私たちに分かるように記すという大きな働きをしました。
ヨハネは若くしてキリストの弟子となり、100歳近くまでキリストの弟子として活動しましたが、ヨハネ福音書と三つの手紙、黙示録を通してキリストの愛を伝えています。
マグダラのマリヤ、パウロ、ヨハネは自分の罪を悔改めて、自分は罪人であると告白した時に、キリストの愛を注がれ、生まれ変わることが出来ました。私たちも同じです。マリヤは自分の涙でキリストの足を洗い、髪の毛で拭っています(ルカ7:44,45)。私たちも主の前に涙を流して悔改めました。パウロは「わたしは罪人のかしらである」(Ⅰテモテ1:15)と主の前に遜っています。私たちも罪を認めて主の前に心を砕かれて祈りました。ヨハネは「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」(Ⅰヨハネ3:16)とキリストの十字架を讃えています。私たちもキリストの十字架によって救われたことを感謝します。私たちがキリストの愛を受けて救われ、キリストを心にお迎えした時に、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(へブル13:5)という主のお約束をいただきました。そして「死に至るまで忠実であれ」(黙示録2:10)という主の励ましを受けて、私たちは日々信仰生活を続けています。ですから、キリストの愛を受けた者は決してキリストから離れることをしません。キリストに固く結びついて信仰生活をして行きます。
罪の女であったマリヤが、キリストの復活に最初に立ち会うという祝福を受けています。罪人のかしらであったパウロが使徒となり、雷の子と言われた気性の激しいヨハネが愛の人に変えられています。キリストの愛を受けて、全てが愛に変えられて行きます。パウロはキリストの愛がコリント教会に満ち溢れることを願って、13章で愛のことを詳しく教えています。熊谷福音キリスト教会にもキリストの愛が満ちあふれるように祈りましょう。
13章4-7節に、キリストの特別な愛について記されています。

寛容(人々に対する忍耐)、
情け深い(すべての人に優しい)、
ねたまない、
高ぶって、誇らない(自慢しない)、
不作法をしない、
自分の利益を求めない、
いらいらしない、
恨みをいだかない(いだくとは会計係りがある事項を忘れないために帳簿に記入するという意。むかしの怒りをいつまでもあたため、恨みを思い返したりしないこと)
不義を喜ばない、真理を喜ぶ、
すべてを忍び、信じ、望みをもって、耐え忍ぶ。

今、述べた愛の姿はキリストの内にすべてあります。4-7節の愛の個所にキリストの名前を入れて読めばピッタリです。間違っても自分の名前を入れて読まないで下さい。私は、この個所を読みながら、愛の欠けている自分のことを思って、悔改めました。
愛の教えを聞きながら、私たちは愛をなかなか実践できないことに悩みます。あるクリスチャンが、クリスチャンの先輩に「私はクリスチャンです。でも、口もききたくない人がいます。どうしたらよいでしょうか」と尋ねたそうです。先輩クリスチャンは「それは苦しいですね。私の場合はこうしています。『この人は世界にひとり。明日はこの世に生きていないかも知れない。この人のためにもキリストは死んで下さった』。そう思うと、気持が静まり、相手を受け入れる心になる。キリストの愛が心に注がれてくるように感じる。そして憎む心からだんだん解放される」と答えています。

2、愛はいつまでも存続し、最も大いなるものである。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(13節)

「愛はいつまでも絶えることはない」と言われています。なぜ愛はいつまでも絶えることなく、滅びないのかと言えば、神は愛だからです。神様は永遠の昔からおられ、永遠に生きておられるお方で、滅びることがないので、愛も永遠に滅びることがないのです。やがて、私たちは神の国である天国にみな移されて行きます。天国に行く時に、私たちは神であるキリストを直接に見ることができ、直接にお話をすることができます。今は天国に行く前ですので、預言、異言、知識などの霊の賜物によって神様のことを知る恵みを与えられています。しかし、それらは部分的です。天国に入った時には全てが明らかになるので、預言、異言、知識はすたれて、いらなくなるのです。
今の状態は、救われていることは確かですが、キリストのことを「鏡に映して見るようにおぼろげに見ている」ような状態です。現代の鏡はガラスで出来ていて、姿、形をハッキリと映すことができますが、コリントの手紙が書かれた頃の鏡は青銅などを磨いて作ったものです。どんなに磨いても凸凹があり、ハッキリと姿を映すことはできず、にボンヤリとした状態でしか映らなかったようです。私たちは救われています。今は肉眼でキリストを見ることはできませんが、やがて私たちはキリストの御許で恵みを感謝し、ハッキリとキリストを仰ぎ見ることができるようになります。
13節は記憶すべき大切な御言葉です。愛は永遠に続きます。
皆さんにお尋ねします。ずっと怒っていることができますか。怒っていて心は恵まれますか・・・怒っていると疲れます。心が空しくなります。喜びがなくなります。気持がイライラして、だれかれ構わずに当たり散らし、物を壊したりします。世の中一般では自棄(やけ)酒を飲みます、また、やけ食いをします。一つもよいことはありません。愛は心に喜びと感謝と平安を与えてくれます。
13節を見て下さい。まず信仰があります。キリストの十字架を信じる信仰によって救われたことを感謝します。希望があります。キリストの復活によって永遠の命の希望を与えられていることを感謝します。信仰と希望を与えられて、神の子になり、神に愛されていることを日々に感謝しています。
キリストの愛を受けて、私たちも人々に対する愛を表して行きましょう。すぐに出来る愛の実践があります。誰でもできます。これを実践するとキリストの愛が心に注がれてきます。それは「相手の話を聴くこと」です。クリスチャンはしゃべりすぎです。時には、相手の話をじっくりと聴いてみて下さい。礼拝が終ったら、さっそく実践して下さい。今まで以上に深いキリストにある交わりができるようになります。
愛はいつまでも存続し、最も大いなるものです。愛はキリストの十字架の犠牲によって与えられたものです。キリストの愛を受けて、行動した人々のことを伝えてお祈りします。
アメリカで世界貿易センター、国防総省(ペンタゴン)などに、ハイジャックされた飛行機が突っ込み、多くの人々が死ぬというテロ事件がありました。9月10日乗客34人を乗せ、サンフランシスコに向かうユナイテッド飛行機93便もハイジャックされ、ワシントンDCに進路を変更しホワイトハウスに突っ込むという危険の中にありました。ビーマーさんは妻と子ども二人に見送られて、この飛行機に乗っていました。彼は飛行機が進路を変えているのに気づき、機上電話で電話会社の交換手にハイジャックされたことを伝えると、世界貿易センター、ペンタゴンにすでに飛行機が突っ込んだことを知らされ、自分たちの飛行機がホワイトハウスを標的にしていることを知ります。彼は3名の人と共にハイジャックを阻止することを伝え、妻に愛しているという伝言を頼み、また「主の祈り」を共に祈って下さいとお願いした。彼は教会学校の教師をしている献身的なクリスチャンでした。祈り終わると、「さあ行こう」という声が聞こえ、電話が途切れ、その数分後に飛行機はピッツバーグの野原に頭から突っ込んだのです。墜落場所には深さ13メートルの穴ができたほどでした。彼ら4人がキリストのために身を捧げ、他の乗客もそれに従い、地上での犠牲者が出ないですみ、ホワイトハウスに被害が及ばなかったのです。これは、まれに起こる特殊な事件かも知れませんが、キリストの愛を受けたクリスチャンの行動によって、最小限度の被害で終ったということで、犠牲になった人々を偲びつつ、多くの人々に感動を与えた事件として語り継がれています(「御翼」より引用)。

まとめ
1、12:31b、13:3、愛がなければ、いっさいは無益です。キリストの愛で心を満たして下さいと祈りましょう。13:4-7の愛の一つ一つを心に留めて、愛を実践するものとなるようにお祈りしましょう。
2、13:3、愛はいつまでも存続し、最も大いなるものです。すぐに出来ることとして、人の話を聴くことを実践して下さい。

祈 り
天地の主である神様、キリストの十字架の愛に感謝します。愛がなければ、何をしてもいっさいは無益であることを心に留めて、キリストの愛を基準にして祈り、考え、行動できるように導いて下さい。キリストのうちに愛の全てがあります。キリストの愛を求めて祈り、キリストに倣って愛を実践できるように導いて下さい。病気の方々を癒して下さい。仕事を求める者にふさわしい仕事を早く与えて下さい。私たちは21日から6月3日までイギリス、オーストリヤに伝道旅行に行きます。多くの日本人が主の恵みを求めています。礼拝、個人伝道研修会、家庭集会、訪問伝道などをとおして、イエス様の福音を伝えることが出来るように聖霊によって導き、用いて下さい。イギリスで私たちに家庭を開放し、お世話をしてくださる馬場さん夫妻を祝福して下さい。留守の教会を守る荻野伝道師夫妻を用いて下さい。教会に泊り込んでくれる愛雄一家をお守り下さい。
私たちに愛を与えて下さる主イエス・キリストのお名前によって祈ります、アーメン。

参考文献:コリント注解―佐藤、フランシスコ会、榊原、福田、バークレー、黒崎、竹森、LAB、
文語略註、モリス。