『キリストを喜び、キリストを伝えよう』 ヨハネ21:15-17
熊谷福音キリスト教会 伝道師:荻野倫夫 2009・5・31(ペンテコステ礼拝)
◆挨拶と導入
 今週の渡辺先生ご夫妻情報。金曜日に、ご子息にお電話が。これからオーストリア入りの予定とのこと。ヨーロッパ伝道旅行を実に楽しんでいるもよう。早天祈祷のメンバーは、楽しすぎて、先生ご夫妻が日本に帰ってくるのを忘れているのではないかと心配し、ちゃんと日本を思い出して帰ってくるようにと祈ろうと言い合った。冗談ですよ、もちろん。
 真面目に話すと、この度の伝道旅行は、かなりの過密スケジュールのよう。というのも各地で、離れた海外の地で、日本語による聖書の解き明かしが待ち望まれているから。私たちの先生が、海外でも大きく用いられていることを誇りとしたい。
 一方、渡辺先生ご不在の中でも、熊谷教会の諸集会が守られていることに感謝。皆様の祈りに感謝。皆様のご協力と奉仕に感謝。何よりも、この教会のかしらなるキリストが、私たちを御霊の一致に導いてくださっていることに感謝。

 本日は英語でペンテコステ、日本語で5旬節と呼ばれる。イースターから数えて、足かけ50日目に当たる。この50という言葉のギリシャ語がペンテコステ(πεντηκοστή )であり、ラテン語を経由して英語となった。
 別名「聖霊降臨日」。礼拝の中で読んだ使徒2章が、ペンテコステの記事に当たる。使徒行伝によれば、ペテロの説教によって、3,000人がクリスチャンとなる、教会の誕生、これが現在まで続き、今の私たちもこうして教会を形作っている
 ところでこれが3度イエスを裏切ったあのペテロだろうか、ペテロの力強い説教の源は何だろうか。そんなことを考えながら、今日のメッセージに耳を傾けてほしい。

 キリストはペテロに「わたしを愛するか」と3度尋ねた。「愛しています」と答えるペテロに対し、キリストは3度「わたしの小羊を養いなさい」と語った。すなわち、
 ①キリストを愛することと同様、キリストの小羊を養うこと(=伝道)が、やはり3度強調されるほど重要ということ。
 ②キリストへの愛が、ペテロをして、キリストの小羊を養う者とする。
 ③キリストへの愛の他、ペテロがキリストの小羊を養うのに必要な条件はない。
 ということが分かる。
 なお、ペテロの答え「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたが御存じです。」というのは愛の告白として弱いと思われる向きもあるかもしれない。だが実際は、神なるキリストは、ペテロの心をすべてご存知である。そのキリストの前に「わたしがあなたを愛することは、あなたが御存じです」とは、最も深くもっとも真実な愛の告白と言える。そのような最高度に高まったキリストへの愛のゆえに、キリストは「わたしの羊を養いなさい」と語った。

 伝道者として再献身するペテロ。その条件はたった一つ。「わたしキリストを愛するか」。君は過去の経歴に傷が付いているから、伝道は無理だね、とは言われない。3度の裏切りの穴埋めをしろよ、とは言われない、もっと人間性を磨いて、伝道者にふさわしい人格者になれよ、とは言われない、条件はただ一つ、キリストを愛しているということ、キリストへの愛、それが、それだけが、ペテロをキリストの証し人とする

◆メッセージ導入
 昨年、神学校で「キリスト教と哲学」と題して講義をした。その講義を受けた神学生から、手紙をもらった。「講義、面白かったです。」加えて「素敵な奥様にぜひ一度お会いしたいです。」私は講義の中で、チャチャ先生のことに触れて、それが印象に残っていたようである。そういえば、講義の後の食事の時も、「チャチャ先生にお会いして、お話したい」と言っていた。
 さて、私はチャチャ先生について、「講義」したのか。これこれこういうわけで、チャチャ先生は立派な人です云々。そのように論理的に説明し、説き伏せ、生徒にいかに彼女が素晴らしいかを納得させたのか。
 そうではない。
 私がチャチャ先生に惚れているので、言葉のそこかしこに、彼女への愛があふれていたのだと思う。準備した講義録には、彼女のことは触れていない。だが私のチャチャ先生に対する愛が講義の中で滲み出てしまったようで、結果として神学生の中に、チャチャ先生に対する興味を引き起こしたらしい。
 伝道には、様々な形がある。個人伝道、教会に連れてくる、手紙を書く、訪問をする等々。だがこれらの形式が問題ではない。問題は中身である。もし私たちの伝道が、キリストへの愛に裏打ちされているなら、どんな形式であれ、必ずキリストを伝えることができる。少なくとも、その人の心に確実に種をまくことができる。
 最高の説教者と言われたスポルジョンという人がいた。彼は何と神学校に行っていない。どうやら人を最高のキリストの証し人とする条件は、神学校に行っていることではないらしい。だが確実に言えるキリストの証し人の条件、それは、キリストを愛している、ということである。スポルジョンは、神学校に行っていなくても、キリストへの燃えるような愛をもっていた。それがスポルジョンをして、最高の説教者となさしめた。

◆メッセージ
 ところで、キリストの証しは、牧師、伝道師によってのみなされるのだろうか。確かに牧師、伝道師はキリストを伝える働きをしている。だが、キリストが世の中に伝わっていくための主役は、牧師、伝道師ではなくむしろクリスチャンの皆さんなのかもしれない。
 先日のゴールデンウィークに、私たちの教団アッセンブリーで、宣教会議が開かれた。その中で牧師だけが集まって、今後の伝道の展望を話し合うという時をもった。
 そこで言われたこと。牧師伝道師のできることはたかが知れている。世の中に出て行って、未信者の方々と、様々な接点をもっているのは、牧師以外のクリスチャンである。だからそのクリスチャンの方々が伝道する教会は元気である。だが教会のクリスチャンが伝道しない教会は伸びない。宣教会議の結論。その教会の将来は、クリスチャンの皆さんにかかっている。
だからという訳ではないが、聖書のメッセージとして、ペテロに語られている言葉をご自分自身にあてはめてほしい。「わたしの小羊を飼いなさい」と3度私たちに語られていると思いつつ、このみ言葉を読んでいただきたい。
 ところで中には、自分には伝道はとてもできない、という人がいるかもしれない。自分は口下手で‥等々。だが誰でもキリストを愛することができるのと同様、誰でもキリストの証し人となることができる。例えば。既に天に凱旋している、睦子先生の父親に当たる森のおじいちゃん。物静かで、ほとんど人前でしゃべるのを聞いたことがない。私自身は、子供時分、森のおじいちゃん、おばあちゃんの部屋が好きで、良く遊びに行っていたものだが。その森のおじいちゃんは、私の母方の、富田おじいちゃんの命の恩人なのである。何と、あの物静かな森のおじいちゃんが、私のおじいちゃんを伝道して、おじいちゃんは信じたのである。おかげで私のおじいちゃんはキリストを信じて、やはり天国に凱旋していった。睦子先生は、あの無口な森のおじいちゃんがどうやって伝道したのかしら、まさかしゃべらないで伝道したわけでもないでしょうに、と首をかしげていた。
 誰でもキリストの証し人になることができる。ただただキリストへの愛さえあれば、その人は立派なキリストの証し人である。

キリストは、私たちをキリストの証し人とするのに、何ら条件をつけない。キリストは、
①過去の経歴
②失敗の穴埋め
③立派な人格
を条件としない。ペテロは3度キリストを否定し、痛い痛い過去の経歴があった。だがキリストはそのことを問題となさらなかった。ペテロはまた失敗の穴埋めを条件ともされなかった。ペテロはまだおっちょこちょいなところがあり人格が練られていなかったので、もっと練られる必要がある、ともいわれなかった。ただキリストを愛していれば、キリストの証し人となることができた。
 私たちも同様である。私たちの過去がどうであれ、キリストの証し人となるための妨げとはならない。また過去の失敗を穴埋めせよとは言われない。あるいは立派な人格者になってから、ともいわれない。条件はただ一つ。キリストを愛している、というこのことである。
 私たちがキリストへの愛にあふれているとき、人々はキリストに対して興味をもつこととなる。私たちが比較宗教学的に、いかにキリストが本当の神で、他の宗教よりも優れているかを論理的に説明しても、恐らく人々はキリストのもとへとはこないだろう。人々をキリストの元に連れてくるのは、他の何物でもなく、ただただキリストへの愛が、私たちを最高の証し人とする。

使徒行伝の記事を再び思い出してほしい。これがあの3度イエスを裏切ったペテロだろうか。ペテロの力強い説教の源は何だろうか。それはキリストへの愛に他ならなかったといえる。キリストへの愛を深め、その愛が3,000人の人をキリストに導くという感化力へとつながった。伝道の力はその始まりからキリストへの愛であり、現在でも同様である。

◆実践
 愛する家族の救い。その原動力はキリストへの愛。直接キリストを語っていない時でも、キリストの愛にとらえられている私たちは、24時間キリストの広告塔である。
 私は大学で事務をしていたが、人員削減ということで、5月いっぱいと言われた。そこで1日就業時間が6時間くらいで、日曜休みの職を探した。そしてある子供英会話学校に申し込みをした。そこであれば、大学の事務より拘束時間が短くなり、伝道の働きに差しさわりがない、と判断。
 すると予想だにしなかった長い戦いが待っていた。一次試験、2時間の英語の試験。二次試験、ネイティヴスピーカーとマネージャーの面接。次に学校研修、熊谷の学校で1週間研修を受けた。最後に本社がある岡山にて1週間研修を受け、最終的に合格が出た。
 さて、その岡山における研修の最後、合否が出て後、会社のNO.2とトップが講義をされた。非常にインパクトが強かった。その人格が「子供英会話への情熱」でできあがっていた。同僚は講義後「すごいやる気になった。ついて行きたいって思わせる。」と言っていた。子供英会話への情熱が、語らずともその存在で伝わってくる。人々はそれに感化され、自分もまた、同じ情熱に燃やされる。
 自分はこれらの方々のような、キリストへの愛において、純粋だろうか、と考えさせられてしまった。クリスチャンとして、キリストへの愛の純度を高めていきたい。その愛の炎が、人々に次々点火していくような、キリストの愛に燃やされる者となりたい、そう思わされた。
 私たちは、キリストへの愛、この一点における純度を高めていきたい。キリストへの愛に燃やされれば燃やされるほど、その感化力は増す。語る言葉に説得力があるのはもちろん、語らずとも伝わるその情熱が、人々をキリストへと惹きつけるだろう。

◆まとめ
今日はペンテコステ。使徒2章によれば、様々な国からきた者が集まる中で、聖霊に満たされた者たちが、それぞれの国の言葉で神の恵みを語り、伝道がなされた、という。極めつけにペテロが説教をし、その日3,000人の人が一挙にクリスチャンになったと言う。
 そのペンテコステの炎は、この極東日本にも及び、私たちも信じることができた。さあ、この聖霊の炎を、次の人に渡さなければならない。私の家族や友人に渡さなければならない。
 私たちはキリストを伝えたい。家族に信じてほしい。友人に信じてほしい。そのためには、私がキリストへの愛を深めることだ。ますます深めることだ。それによってあふれ出る私たちのキリストへの愛は、私の家族を、友人をキリストに惹き付ける。

熊谷教会の標語は「キリストを喜び、キリストを伝える」である。私自身の理解では、「キリストを深く愛すれば愛するほど、目覚ましい伝道のわざがなされる。」いわば「良く愛し、良く伝道せよ。」と言ったところか。
 そういう訳で、今日の結論は先週と同じ。私たちは神なるキリストを、心をつくし、精神をつくし、思いをつくして愛そうではないか。その時私たちは、きっと私たちの家族に、友人に、この素晴らしいキリストを知っていただき、それらの人々が救いへと至る、そのような御わざを見させて頂くに違いない。

◆祈り
 すべての喜びの源である主キリストよ。あなたを愛します。他の全てに優ってあなたを、あなただけを愛します。どうかいつも私をあなたへの愛に満たして下さい。この中に初めの愛を失いつつある者がいましたら、どうぞキリストへのあの純粋な愛に立ち帰らせて下さい。もしまだキリストへの愛に踏み切ることができない者がいましたら、どうか今日この時、キリストの前に決断することができるようにお導き下さい。既に恵まれ、その信仰生活が充実している者には、ますますキリストへの愛が深められるようにお導き下さい。愛だけは、これで十分ということはなく、愛すれば愛するほど美しく、愛すれば愛するほど慕わしく、愛すれば愛するほど喜びが増し加わるものだからです。どうか私たち一人一人を、キリストへの愛に満ちあふれさせて下さい。そしてそのことによって、私たちを最高のキリストの証し人として立ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。