キリストの復活を信じる者は最も祝福された者 コリント第一15:12-34 2009.6.28礼拝
世の中に何百という宗教があり、どの教えも人間が死ぬことを認めていますが、死後については漠然とした教えしかないというのが実状です。ある宗教では輪廻転生を教え、死後は何かに生まれ変わって行く、と説いていますが、確たる証拠はありません。ある宗教では死後のことは分からないので、今を一所懸命に生きなさいと教えます。死は眠りであるという教えもありますが、いつまで眠り、目覚めがあるのかどうかは不明です。死について、いろいろの考えがありますが、多くの人々が、「人間は死んで終わりではない」という考えをもっているようです。共産主義は無神論であり、死は絶滅であるとします。ところが、指導者が亡くなると、その遺骸を保存し、人々に見せています。それは、死んだ人が、どこかで生きていてもらいたいという願望の表れのようです。
私たちの主イエス・キリストは死を経験しています。キリストが死んだのは、私たち人間の罪の身代りのためでした。キリストは十字架にかかる前に弟子たちに、「わたしは人の罪の身代りになって一度は死ぬが、三日後に死を滅ぼして復活する」ということを繰り返し告げていました。その通りに、キリストは十字架に命を捧げて私たちの罪の身代りになり死にましたが、三日後に私たちに永遠の命を与えるために復活され、今も、そしていつまでも生きている救主です。
本日はコリント第一15:12-34です。もしキリストのよみがえりがなければ、「わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」(19節)と言われていますが、「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(20節)と力強く宣言されています。すべての宗教の教祖は死んで行きました。イエス・キリストは、一度は十字架で死にましたが、三日後に墓を破って復活され、今も生きておられる主です。私たちはキリストを信じて罪が赦され、天国を目指して、喜びに満ちて生きる日々を与えられています。僅か5歳の子どもが「ぼく、天国に行くよ」と上を見上げながら召されて行きました。それを見た両親は心からキリストが生きている主であることを確信しました。イエス・キリストは生きておられます。私たちは、死んで終わりという最もあわれむべき者ではなく、永遠の生命をもつ最も祝福された者になっていることを感謝します。
内容区分
1、キリストは、眠っている者の初穂として復活された、生きている主である。15:12-22
2、復活のキリストを信じる者は、永遠の命を信じ、罪を犯さないように生きる。15:23-34
資料問題
この個所で「キリストは死者の中から復活した。キリストを信じた者は、キリストによって永遠の命を受け、死から復活するのは確かなことだ」という事が述べられている。17節「あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる」、復活したキリストは信仰により、また洗礼により、罪に対して死んだ人間にとって新たな生命の源である(ロマ6:4-11)。もしキリストが復活しなければ、永遠の生命の源がないので、人はいまだに罪の状態にあり、罪の奴隷であり、その終わりは死である(18節)。19節「最もあわれむべき存在」、復活がなければ全ては虚しい。20節「眠っている者の初穂」、旧約時代に穀物の初穂を神に献げた(レビ13章)。初穂は全体を代表し、初穂が刈り取られて全収穫がなされるように、キリストの復活によって眠っている者がキリストに在って復活する。29節「死者のためにバプテスマ」、当時死者のために身代り洗礼があったが、聖書的根拠なく395年ヒッポ会議で禁止。
32節はイザヤ22:13から。33節はギリシャ・メナンドロス(BC342-291)の「タイス」からの引用。
1、キリストは眠っている者(死んだ者)の初穂として復活された、生きている主である。15:12-28
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう(17節)、しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである(20節)。
12-19節には、キリストは復活して生きている主であることが述べられ、20-22節には、私たちに永遠の命を与えるために、キリストが復活の初穂となられたことが述べられています。初穂とは穀物の最初の収穫を神様に献げ、それから全てのものを刈り入れ、収穫します。全ての人の先駆けとして、初穂としてキリストが復活されたことによって、キリストの復活の力が救われたすべての者に及び、私たちが復活することが述べられています。
*12-22節を通して大事な教えを見て行きましょう。
第一に、キリストの復活によって罪の赦しと永遠の生命が確かなものになりました(17節)。
キリストは人の罪の身代りになって十字架の上で死んで下さった救主であり、死んで三日後に肉体をもって甦えられた、生きている主です。キリストを信じると、キリストは私たちの心の中に入って来られ、罪を赦し清めて下さるので、心は新しく生まれ変ることができます。私たちの肉体は罪の故に一度は滅んで死にますが、キリストが肉体をもって甦って下さったので、私たちの肉体もキリストのように甦るという保障が与えられたのです。聖書は、「御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠の命をもつ」(ヨハネ3:36)と告げています。キリストを信じると罪の赦しが与えられ、永遠の命が与えられます。罪の赦しを受けた者が永遠に生きるということは、キリストの復活によって確かなものとして私たちのうちに実現しています。それを受けて、17節で「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう」と言われているのです。
第二に、キリストは眠っている者(死んだ者)の初穂としてよみがえった主です(20節)。
初穂とはその年の初めての収穫物で、初穂のあとに多くの収穫物があるということを表しています。キリストは死人の中から最初に甦った初穂であり、永遠に生きておられます。キリストを信じ、キリストに属する者は、眠りから覚めるように、死から復活するということを表しています。
21-22節に述べられている、ひとりの人とは人類の先祖アダムの事ですが、アダムが神様に背いて罪を犯したために、死がこの世界に入って来ました。救主イエス・キリストは十字架によって救いをもたらし、キリストによって永遠の生命がこの世に入ってきて、私たちはキリストを信じて、永遠の生命を受ける者になっていることを感謝します。
第三に、復活の順序があります(23-28節)。
使徒パウロが聖霊に導かれて記した復活の順序は三段階になっています。
第一段階
①キリストの復活(23節前半)
復活はキリストが神であることを証している。復活はクリスチャンの罪の救いと永遠の生命の保証である。
②クリスチャンの復活は23節後半である。
第二段階
①キリストの空中再臨(23節後半、Ⅰテサロニケ4:13-17、Ⅰコリント15:51-52、黙示録20:4-6)。
キリストに在って死んだ人々が甦って空中に携え挙げられる。その時生存している者は聖化されて空中に携え挙げられる(携挙)。そして共に空中で主にお会いする(マタイ24:40―41)。
②この後、地上に大患難時代がやって来る。
教会のない時代。3年半から7年続くと言われている。
③千年王国時代がやって来る。
大患難時代の終わりに、キリストが復活した聖徒と共に地上に来られ、千年王国時代となり、サタンは縛られる(黙示録19-20章)。
第三段階
①サタンの最後。
千年の終わりにサタンが最後の反抗を試みるが、火と硫黄との池に投げ込まれ、世々限りなく苦しむ(黙示録20:7-10)。
②万民の審判。
すべての死者が大きな白い御座の前に立ち、「いのちの書」に名前のない者は火の池に投げ込まれる(第二の死)。(黙示録20:7-15)。
③終わりがやってくる。
最後に死も滅ぼされ(26節)、キリストは国を父なる神に渡し(24節)、神がすべてのすべてになられる(28節)、これが終わりである(24節)。
2、キリストを信じる者は、永遠の命を信じ、罪を犯さないように生きる。15:29―34
目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。(34節)
キリストは生きておられます。キリストは清い、裏表のない正しい主です。キリストは全てのものを見通すお方です。全てを見通されるキリストに心から従って行くために、29-34節を通して主の教えを聴いて行きましょう。
第一に、聖書を正しく読み、理解して行くことが大事です。
29節に「死者のバプテスマ」と言われています。これは洗礼を受けないと天国に行けないので、洗礼を受けないで死んだ人の身代りに洗礼を受けてあげれば、死んだ人は天国に行けると考えた人がいたのです。これは聖書にないことで間違っています。パウロはこれを正しいと認めたのではなく、もし復活がなければ、そのようなことは意味がないということを言っているのです。身代り洗礼は395年のヒッポ教会会議で禁止されています。
聖書を正しく読むということで、洗礼のことを考えてみましょう(来週洗礼式があります)。キリストは言われました、「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)。この御言葉は洗礼を受けて救われるのではなく、キリストを信じることが救いであり、キリストを信じた者は洗礼を受けると告げています。キリストは罪のないお方でしたが、皆の模範になるために、バプテスマのヨハネによってヨルダン川で洗礼を受けています(マタイ3:13-17)。私たちは、洗礼によってキリストを信じていることを公にし、教会の一員になり、信仰生活に励んで行くのです。
ここにある、死んだ人の身代りに洗礼を受けるということは聖書にありません。私たちは何事も聖書に照らし合わせて行くべきです。聖書は文学、歴史、詩歌、預言などの様々な形式で記されています。聖書66巻をコツコツ読んで行く時に、聖霊の助けによって、聖書全体を正しく理解することができます。また教会の集会で聖書のメッセージを聴いて、心を養って行くことが大切です。
第二に、キリストの復活の力を受けることによって、人生の困難を越えて行くことができます。
30-32節にキリストの復活を信じるパウロの気持が記されています。パウロは、復活を信じるから迫害に耐えることができる、と言っています。日々死んでいるとは、復活に備えて自分の欲望を殺し、神様の御心に従って行くことである、また、この世と調子を合わせないで、罪から遠ざかって行く生き方をする、ということです。
32節では、エペソで獣のような人々がパウロを迫害したと言っています。激しい迫害の中にあって、パウロ生きておられるキリストの助けによって迫害に負けず、また、誘惑、困難に負けずにいるのである、と言っています。キリストの復活を信じない者は、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命なのだから」(イザヤ22:13からの引用)という刹那的な人生を送り、死んで、滅んで行くだけであると警告されています。
33節に、「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」というギリシャの作家の言葉が引用されています。悪い交わり、悪いつき合いは信仰のよい習慣をそこないます。悪い雑誌、映画、ギャンブルなどは私たちの心を汚します。
ところで、信仰の良い習慣を損なう原因はなんでしょうか・・・。あるクリスチャン雑誌の読者アンケートの答は次の通りです。
信仰の良い習慣を損なう原因は81%の人々が神様と共に過ごす礼拝を自分の都合で休み、神様に礼拝を捧げることを怠ったことに原因があると言っています。この事から一回一回の毎週の礼拝をはじめ諸集会に出席することがいかに重要であるかを教えられます。
信仰の良い習慣を保つためには、祈りが大切であると84%の人々が答えています。次に、自分の都合を優先するのではなく、神様を優先することが大切であると76%の人々が答えています。この事から日々聖書を読み、祈りを捧げる事、教会生活を第一にすることの重要性を知ることができます。信仰生活は教会生活です。教会優先、集会に忠実な人は必ず祝福を受けます。
3、キリストの復活を信じる時に、誰でも罪の赦しと永遠の生命を与えられます。
34節で、主は「目覚めて身を正し、罪を犯すな」と告げています。主の祈りで、「我らを試みに会わせず、悪より救い出だしたまえ」と祈ります。甦ったキリストを心の真中に迎えて、信仰によって罪を犯さない日々を送るように聖霊の導きを求めて行くことが肝心です。
最後に再び言います。イエス・キリストは生きている主です。キリストを信じれば誰でも救われます。
キリストの復活の恵みを受けた人の実話です。
大嵐の中で船が難破し、救命ボートに乗る人の数は限られていたので、くじを引いて乗ることになった。自分はくじに外れ、友がくじに当たった。救命ボートに乗る人々を見送っていた時に、友が私の背をどんと突いて、救命ボートに押し込んだ。友は叫んだ、「君はこのまま死んだら大変なことになる。僕は大丈夫だ、天国で会おう」。ボートが船から離れると、友を乗せた船は沈んで行った。無事に岸に着いてから救いの道を尋ね求めた。でも分からない、いつも私を船に送り込んだ友の平和な顔が浮かんでくる。友が聖書を読んでいたので、自分も聖書を手にいれ読み始めた。読んでも分からない。何度も聖書を閉じたが、「天国で会おう」と言った友の声に励まされ読み進んだ。ルカ福音書23章で、ひとりの強盗がキリストに赦しと救いを求めている記事を読んだ時に、「私はこの強盗のように悪い人間だ」と考え、ひれ伏して、「主よ、私はこの強盗のように悪い人間です。彼を救ったように私のことも救って下さい」と祈った。祈って目を開けると、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ23:43)というキリストの御言葉が目の中に飛び込んで来た。自分はこの御言葉を祈りの答えとして受け取り、救いの確信を握ったのです。キリストを仰ぐことにより、罪の赦しと永遠の命を受けることができた、自分は天国で待っている友に会う日を待ち望んでいます。
まとめ
1、15:12-28(中心17,20節)、キリストは眠っている者(死んだ者)の初穂として復活された、生きている主です。キリストを信じる私たちも復活します。死んで終わりではない、永遠の生命を与えて下さった復活の主に感謝します。
2、15:29-34(中心34節)、キリストを信じる者は、永遠の生命を受け、罪を犯さないで生きて行きます。キリストの復活を信じる者は人生の困難を乗り越えて行くことができます。また誰でもキリストを信じる者は罪の赦しと永遠の命を受けることができます。
祈 り
創造主である神様、救主イエス・キリストが生きている主であることを感謝します。私たちはキリストによって罪の赦しと永遠の生命を与えられて、天国に行く身であることを感謝します。ひとりひとりの祈りに主が適切な答を与えて下さることを信じます。病気の方々が癒されることを信じます。様々な戦いの中にある方々に平安を与え、助けの道を示して下さい。主は生きておられる救主です。私たちの家族を救いに入れて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献:コリント注解―黒崎、文語略註、佐藤、バークレー、LANTC、フランシスコ会、Morris、山谷。「涙のち晴れーマナブックス」