信仰の継続と完成 ピリピ1:3-6 主の2009.9.6礼拝
新聞のスポーツ欄の中で、「良川審判員が1000試合出場」というタイトルに目が留まりました。「パ・リーグの良川昌美審判員(49歳)が2日ソフトバンク対オリックス戦で、二塁塁審を務め1000試合出場を達成した。パ・リーグの現役審判員で12人目。初出場は1990年9月22日」と小さい活字の記事でした(読売新聞9月3日号)。30歳で審判員になり、19年をかけての記録です。「長く務めていれば、そんな記録は当然だ」という人もいますが、しかし一つのことを継続して行くためには自分でやり抜くという意志と共に健康が必要です。優勝などの華やかな記録に関心が集まりますが、一つのことを地道にコツコツとなし続けて行くことは尊いことであると思います。
本日はピリピ1:3-6です。ピリピ教会への手紙の著者である使徒パウロは、5節で、「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している」と記しています。ピリピ教会は、パウロのヨーロッパ伝道の最初の実として紀元50年頃に設立され、この手紙が書かれたのは紀元62年ごろですので、かれこれ12年の間、ピリピ教会の人々はキリストに従う信仰生活をしていることが分かります。当時ピリピの町はギリシャにあるロマ帝国の植民地でしたので、ロマ皇帝礼拝や異教の神々にまつわる宗教行事があり、クリスチャンにとっては信仰の戦いの多い町です。パウロはピリピ教会の人々が、この世と妥協せずに、神様に忠実に従っていることに感謝を捧げています。忠実にキリストに従い続けて行くならば、神様が私たちの信仰を完成に至らせて下さると励ましのメッセージを伝えています(6節)。
主のメッセージを共に聴き、祈って、新しい一週間への旅路へ出発いたしましょう。
内容区分
1、キリストの福音にあずかることは感謝と祈りと喜びをもたらす。1:3-5
2、キリストを信じる信仰は神によって始められ、守られ、完成に至る。1:6
資料問題
3-4節「わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り」、パウロはピリピの教会と親しい交わりがあり、一人称を用いている。喜びはピリピ書の特徴の一つで、1:18,25、2:2,17、18、29、
3:1,4:1,4,10にも出る。5節「福音にあずかっている」、福音を弘めることにあずかることで、福音への交わり(コイノーニア)で、その交わりは時に助力となり、時に金銭的助力となって表れる。本書では主として後者を指している。6節「良いわざ」、心の中に神を信じる新たなる人を創造する良いわざを始めて下さったことである。「キリスト・イエスの日」、主の日であり、神が歴史の中に介入し、怒りを表して悪人を罰し、正しい人を救って契約に対する忠実さを示される最後の裁きの日を指す(Ⅰテサロニケ5:1、アモス5:18-20、使徒2:20)。キリストの再臨と審判と万物復興の日のことである。パウロは、旧約聖書の「主の日」、すなわち神の日がキリストのパルーシアの意で使われていて、パウロはその日を「主イエスの日、また「キリストの日」と呼んでいる(Ⅰコリント1:8、Ⅱコリント1:14、)。主の日は「盗人のようにやってくる」(Ⅱペテロ3:10)と言われ、時間的な不確実さを指している。キリストもマタイ24:43-44、ルカ12:39-40で同様の表現を使っている。「完成してくださる」、キリストの審判の座の前に完全と認められること。
1、キリストの福音にあずかることは感謝と祈りと喜びをもたらす。1:3-5
わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。(3-5節)
この手紙はパウロの晩年に、ロマの獄中からピリピ教会宛に記された手紙です。この時パウロは60代に入り、彼の信仰はますますキリスト中心の信仰に燃えていることが手紙の随所に記されています(例えば1:21)。パウロは紀元50年にピリピ伝道に行きましたが、ピリピ教会の発端はルデヤという女性の救いから始まりました。彼女は救いを受けた直後に、パウロとその一行を自分の家に招いて、彼女の家を教会にしてピリピ伝道が進展して行きました。パウロ達は迫害され、牢屋に閉じ込められましたが、神様の起こした地震によって自由を得、牢屋番一家が救われる素晴しい出来事が起こりました(使徒16:11-40)。ピリピ教会の人々は世界伝道のために世界各地を巡回伝道しているパウロのために祈り、彼の伝道先に愛の献金を送り(4:15-19)、伝道を支援しました。
*1:3-5を通して教えられることを見てみましょう。
第一に、パウロは神様のことを「わたしの神」と呼んでいます。
パウロは自分のために祈り、愛の献金をもって世界伝道を支えてくれるピリピ教会の人々のために感謝し、彼らのために祈り続けています。パウロは神様のことを「わたしの神」と呼んでいます。キリストが教えて下さった「主の祈り」では「天にまします我らの父よ(神よ)」と祈ります。神様は天地の創造主であり、全ての者の父なる神様ですので、「我らの父(神)」と呼ぶのは当然です。ところが、パウロは「わたしの神」と呼んでいます。これは、神様は全ての人の神であると同時に、パウロのことを愛し、守って下さる個人的な神様であることを表しています。
日本では「私の家は仏教です」と言います。家の宗教は仏教ですが、本人が仏陀を個人的に信じている本当の仏教徒であるかどうかは分かりません。仏教の行事を習慣として行い、それで仏教です、ということを言っているに過ぎないのです。
クリスチャンの場合は本人の信仰が大事です。「私の家はキリストを信じる家族です。私はキリストを個人的に自分の救主として信じて、洗礼を受けたクリスチャンです」と言います。私のところに娘、息子がいます。牧師の家に生まれたので、ふたりとも生まれつきクリスチャンであったというわけではありません。ある日、聖霊に導かれてキリストを個人的に信じて、心に迎え入れ、洗礼を受け、神様のことを「わたしの神」と呼べる神の子、クリスチャンになったのです。
第二に、パウロは祈りを強調しています。
パウロとピリピ教会の人々と遠く隔たった場所にいます。当時は電話、Eメールという便利なものはなく、手紙が唯一の連絡手段でした。しかし、パウロは「あなたがたを思うたびごとに」と言っています。自分が開拓伝道したピリピ教会の人々のことを忘れないでいる、パウロの温かい心が感じられます。パウロはピリピ教会の愛と祈りを覚えて神様に感謝し、ひとりひとりのために祈っています。彼は喜びをもって祈ると言っています。人のために祈る時に、喜びをもって祈れるということは素晴しいことです。
ところで私たちの教会の大事な三つの目標があります。
❶伝道方策はネームレス(自分をキリストに献げること)による「個人伝道」です。
❷教会形成はファミリーによる「祈りの家族」です。
❸信仰生活は「朝の祈りに打ち込」ということです。
三つ全部が大切ですが、祈りということを考えてみましょう。祈りについて論じるよりも、私たちの主イエス・キリストの生活から祈りについて教えてもらいましょう。
主イエス・キリストは朝ごとに祈っていました(マルコ1:35)。子供たちを祝福して祈りました(マルコ10:13-16)。本日松葉真理ちゃんのためにキリストの御名によって祝福を祈る献児式があります。病人のために祈りました(マルコ1:40-41)。食事の時に感謝の祈りを捧げています(マルコ6:41)。弟子達を選ぶ時に徹夜で祈りました(ルカ6:12-16)。十字架にかかる前の晩、ゲッセマネの園で徹夜の祈りを捧げました(マタイ26:36-46)。十字架の上で、敵のために「父よ、彼らを赦したまえ」と祈っています(ルカ23:34)。天に帰って、今は神様の右の座にいて、私たちのために執り成しの祈りを捧げています(ロマ8:34)。
キリストほど祈りに打ち込んだお方はいません。私たちもキリストの弟子として、主イエス・キリストに倣って祈りましょう。
第三に、パウロはピリピ教会の人々が「福音にあずかっていることを感謝しています」。
「福音にあずかっている」とは、福音への交わりという言葉が使われています。福音への交わりというのは、交わりを通して助けの力が与えられる、また交わりを通して金銭的に助けの力が与えられるということを意味している言葉です。ピリピ教会の人々は、パウロとの交わりにおいて、祈りをもってパウロを助け、また愛の献金をもって伝道の助けをしたのです。それをパウロは感謝して、「あなたがたは私の福音を伝道する働きに加わってくれている。私と共に福音にあずかっている」ということを伝えているのです。私たちも福音をひろめる働きにあずかって行きましょう。今月も救われる方々が起こされて行くように祈って下さい。私たちの献金を通して伝道の働きが活発になされ、他の教会の助けることが出来るように祈って下さい。教会の様々な奉仕を通して福音の恵みにあずかって行くようにお祈りして下さい。主は私たちの祈り、献金、奉仕などあらゆる事柄を喜ばれ、私たちの霊と心と体を守り、経済を支え、家族に祝福を及ぼして下さいます。
2、キリストを信じる信仰は、神によって始められ、守られ、完成に至る。1:6
そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。(6節)
*6節からの恵みを教えていただきましょう。
第一に、信仰の始まりは神様が与えて下さいます。
大勢の人々の中から、私たちは選ばれてキリストの救いをいただき、神の子にされています。普通の宗教ですと、修行をしたり、たくさんの経文を暗誦したり、滝に打たれたり、断食をしたり、たくさんお賽銭を差し出したり、聖なる水を飲んだりという自力で頑張れば、悟りを得、安心立命を獲得できると考えています。しかし、そうしたことによって、救いを得た人はいないようです。もし出来たとしても、それはごく少数の人々ということになります。大多数の人々は自分の罪から生じる様々な苦しみを抱えて、罪の赦しを受けて救いを得たい、平安を得たい、苦しみから解放されたい、永遠の命を得て希望をもって生きたいと必死に求めています。この世界には天地を創造された愛の神様がいます。神様は愛の印として、私たちのために救主イエス・キリストをこの世に遣わされ、キリストは人として33年半の人生を送られ、最後に私たちの罪の身代りになって十字架にかかって下さったまことの救主です。キリストは死んで終わりではなく、十字架の死後三日目に甦って下さった、生きている主です。キリストを信じれば、永遠の命が与えられます。私たちが自分の罪を認め、キリストの十字架を信じるならば、すぐに罪が赦されます。心に平安が与えられ、永遠の命の希望と喜びとが即座に与えられます。
*聖書は告げています。
神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ
救いの日にあなたを助けた」。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。(Ⅱコリント6:2)
私は男5人、女2人の7人兄弟で、私は次男です。5年前に四男の弟を亡くしています。その弟の妻の公子が乳癌になり、救急車で日大・光が丘病院(東京・練馬)に入院しました。知らせを聞いて祈っていましたが、8月27日私たち夫婦でお見舞いと共に、イエス様を伝えようということで出かけました。6人の相部屋でしたが、静かでユックリと話をすることが出来ました。家内が「公子さんのためにお祈りしていいですか」ときくと「お願いします」との返事でした。「私たちはイエス・キリストに祈るので、お祈りの前にイエス様について聴いてくれますか」、「ハイ、お願いします」ということで、家内が十字架の絵を見せながら、罪のこと、イエス様の十字架のこと、甦りのことを話ししたのですが、真剣に、一生懸命にキリストの福音に耳を傾けてくれました。最後に「罪を悔改めて、イエス・キリストを自分の救主として、主として、きょう、今、公子さんの心の中にお迎えしませんか」と勧めると、「はい、そうします」という信仰の決心を告白しました。家内が祈りを導いたのですが、公子さんははっきりと祈りました。祈り終わってから、「今、イエス様はどこにおられますか」と尋ねると、手を胸に置いて「私の心の中にいます」と答え、その顔は喜びに輝いていました。そして、昨日5日に主の御許に召されて行きました。
私たちのうちに救いの良いわざを始めて下さるのは神様です。救いの良いわざは、今、きょう、この瞬間です。私たちは救われています。キリストの救いに感謝し、私たちも「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」ということを忘れずに、家族に、周りの方々にキリストの福音を伝えるならば、神様が聖霊を通して救いのわざを始めて下さいます。
第二に、神様が守って下さることを信じて行くことが大切です。
「キリスト・イエスの日」とはキリストの再臨の日です。キリストはもう一度この世に来られ、信じる者を天国に携え上り、信じない者に審きを与えます。聖書朗読の詩篇98:9に、「主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平を持ってもろもろの民をさばかれる」と歌われていました。キリストは私たちを迎えに再臨されます。キリストの再臨の日に備えて、私たちの信仰は神様が守って下さり、完成に至らせて下さいます。
*ここで大切なことは、私たちは何があろうとも、神様に信頼し、自分の信仰を鮮明にして行くという決意です。信仰の旗色を鮮明にした青年の証しを紹介します。
クリスチャン新聞8月3日号に掲載された記事です。・・・・日本テレビ「人生が変る1分間の深イイ話」の番組から誕生したイケメン5人のユニット「新撰組リアン」が10月14日CDでビューする。司会の島田紳助さんが京都の観光人気復活のためにとプロデュース。5人は番組が募集した関西の大学生たちだ。その一人で滋賀大学2回生の関義哉さんは京都市山科区の京都グレースバイブルチャーチの関誠牧師の次男。2002年に洗礼を受けたクリスチャンで、番組で紳助さんが「こいつのオヤジ牧師やねん」を連発している、あのイケメン君だ。礼拝ではギターの奉仕をし、学校ではアカペラグループでボイスパーカッションもやる音楽大好きな青年。・・応募はお父さんがしたとのこと・・・(少し略)。書類審査が通り、2次、3次審査も通って、本人はもちろん家族もびっくり仰天!2518人の中から11人にしぼられて、京都大覚寺の合宿で最終選考となった。「お経・写経のおつとめはクリスチャンのなのでできません」と義哉さんが番組に伝えると、審査対照外だからとすんなりOKがもらえた。この合宿の様子は7月27日の放送でオンエアされ、「関くんには何かひかれるものがある」という紳助さんの談話も放映された。・・・これは全国的にデビューさせる大きなプロジェクトのこと・・・関牧師は義哉さんと三つの約束をした。「みことばに堅く立ち、礼拝者として神の国とその義を第一とすること」「学業との両立。必ず大学を卒業する」「芸能界にキリストの大使として福音を携え、良い証しをたてる」。関牧師と母の美淑さんは「体力、精神力のいる世界で、勉強になると言っています。霊と心と体が強められて、若い魂の救いのために良き証し人になってほしい」と、そのための熱い祈りの支援を願っている。・・・・・
第三に、神様が私たちの一生を導いて下さいます。
私事ですが、神学校へ行く確信を与えてくれたのはピリピ1:6です。神様が私のうちに良いわざを始め、私に献身の志を与え、それを完成に導いて下さるという確信が与えられた,生涯忘れることのできない恵みの御言葉です。
ご一緒に、きょうもキリストの御名によって祈りましょう。神様が良いわざを始めて、完成に至らせて下さることを信じて祈りましょう。
まず信仰の旗色を鮮明にして、主に信頼し、関青年のように、まず神の国とその義とを求めて、妥協しない信仰生活をおくりましょう。毎週の礼拝、祈り会に励んで行くようにお祈りして下さい。
それから、神様に信頼し、問題の解決のために、病気の癒しのため、仕事のために、家族の救いのために祈りましょう。祈りが聴かれることを信じて祈りましょう。
お祈りを捧げます。
天地の主である神様、独り子であるイエス・キリストの救いをいただいていることを感謝します。私たちが個人的に神様を信じ、祈りを与えられ、福音をひろめる働きにあずかる恵みも与えていただき感謝します。私たちのうちに良いわざを始めて下さった神様によって、守られ、完成に至る約束を与えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献:ピリピ注解―フランシスコ会、黒崎、LABN、文語略註、米田、口語略解。