主に選ばれ、天国に向かって行く民 Ⅰペテロ2:9-12         主の200909.13礼拝



世界に様々な民族がいますが、4000年の歴史を持っているのはユダヤ民族です。神様はアブラハムを選び、彼の孫ヤコブから12人の男の子どもが生まれて12部族となり、ユダヤ民族を形成しました。彼らは、「我らは神の選びの民(選民)である」という誇りをもっていましたが、神様に不従順であったために、10部族は他の民族に吸収、併合されてしまい、失われた部族と言われています。残ったユダとベニヤミンの2部族は旧約聖書を保ちつつユダヤ民族として生き続け、その中より今から約2009年前に、旧約聖書の預言どおりに救主イエス・キリストが生まれました。キリストは人として33年半の人生を歩まれ、最後に十字架と復活によって全ての人のために救いの道を開いて下さいました。ところがユダヤ人は民族としてキリストを救主として信じませんでした。彼らは紀元70年、ロマ帝国によって国を滅ぼされ、民族として住むべき所を失ってしまいました。ユダヤ人は世界を流浪する民になりながらも、ユダヤ民族として生き抜き、1948年にイスラエル国家が再建され、世界中からユダヤ人が帰還して今日に及んでいます。ユダヤ人は民族としてキリストを信じていませんが、最初のクリスチャンは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロなど全てユダヤ人です。ユダヤ人から救いが異邦人に及び、今や全世界の三分の一以上の人々がクリスチャンです。

本日はⅠペテロ2:9-12です。この手紙は、使徒ペテロが各地にいるユダヤ人クリスチャンをはじめ、ユダヤ人以外のクリスチャンに宛てて記したものです(1:1-2)。9節に「選ばれた種族」という言葉があります。これはキリストを信じ、クリスチャンになった全ての人々を指しています。ユダヤ民族が神の選びの民であるように、私たちクリスチャンも神様の選びによってキリストを信じて神の子になり、祝福の道を歩む者になっていることを感謝します。

主のメッセージを聴き、信仰の決断をして祈り、新しい一週間の旅路へと出発いたしましょう。



内容区分

1、クリスチャンは、神様によって選ばれ、神様の民になった者である。2:9-10

2、クリスチャンは、この世でクリスチャンとして生き、天国に向かう者である。2:11-12

資料問題

9節「選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民」、イザヤ43:20後半-21、出エジプト19:5-6参照。本来神様がその民イスラエルに対し用いた呼称。信じる者はこの世より「選ばれた種族」であり(ヨハネ15:16,19)、神様との関係において「祭司」であり、「聖なる国民」として神様に聖別され、キリストを主として仰ぐ「神につける民」である。11節「愛する者たちよagapetoi」、クリスチャン同士の呼びかけ、特に注意を喚起し、または推奨する場合に多く用いられる。「旅人」、この世の家族の一員ではない。「寄留者」、この世に市民権がない。クリスチャンの国籍は天にあり、神の家族の一員である。故にこの世の欲を退け、避けるのである。12節「りっぱな行いをしなさい」、クリスチャンとしてキリストを表す証しの生活をしなさい。「あなたがたを悪人呼ばわりする」、ロマ帝国において、クリスチャンは、国の宗教を無視する(皇帝礼拝、異教の神々の宗教行事)悪人として非難され、迫害された。「おとずれの日」、善人と悪人を審くために神が訪れる終わりの日を指す。



1、クリスチャンは、神様によって選ばれ、神様の民になった者である。2:9-10

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗闇から驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、今は神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、今はあわれみを受けた者となっている。(9-10節)

この手紙を記した使徒ペテロは私たちに対し、9節で「あなたがたは、選ばれた者である」と呼びかけています。神によって選ばれる前は、10節で、「あなたがたは、以前は神の民でなかった」と言われています。確かに私たちは、以前はまことの神から離れ、偶像礼拝に日を過ごし、滅びに向かっていた者でした。私事になりますが、中学時代に小野さんという若い修道士が、まことの神様の存在を教えてくれました。しかし、神様を身近に感じられず、遠くから眺めているだけでした。高校生になって友達から聖書を借りて拾い読みをしましたが、理解する力はなく、教会の礼拝に出席しました。そして徐々に罪のこと、キリストの十字架のこと、復活のことが分かって来て、洗礼を受け、神の子になり、神様を身近に感じるようになり、今日まで50年以上の日々を守られて来ました。「以前は神の民でなかったが、いまは神の民である」という恵みを与えられていることを感謝します。

*2:9-10から大事なことを教えていただきましょう。

先ずクリスチャンについて四つの恵みが語られています。

①クリスチャンは選ばれた種族である。

神様の方から私たちを選んで救いの手を差し伸べ、神の子になるように導いて下さったので救われたのです。私が子どもの頃はラジオだけでテレビがない時代でした。ある青年が結核に罹り、人里離れた山奥の療養所に入院しました。新聞、雑誌も遅れて配達されてくる山の中で、唯一の娯楽はラジオ放送だけでした。早朝ラジオのスイッチを入れると、讃美歌が流れ、聖書のメッセージが語られました。何か心を惹かれ、次の日もその番組を聴き、連続して聴くようになり、キリストを受け入れ、クリスチャンになりました。私の知人は過疎地の村に生まれましたが、聖書販売人が来たので、新約聖書を買い、何回も読んでいる内にキリストを信じ、畑の中で祈り、クリスチャンになり、後に牧師になりました。皆さんは神様によって選ばれて、救われたことを感謝しましょう。

②クリスチャンは祭司の国である。

祭司の国とは神の国の祭司と訳せば分かり易くなります。祭司の主要な務めは祈ることです。私たちは救われて聖霊によって祈りを与えられ、祭司の役割をもって人々のために祈ります。教会に集まる私たちは様々な事柄のために祈ります。今週はファミリーの週です。聖書の御言葉を分かち合い、祈りを共にする集まりであるファミリーに出席して恵まれましょう。

③クリスチャンは聖なる国民である。

「聖」とは他から区別されたもの、神にふさわしいものとの意です。クリスチャンとノンクリスチャンとを区別するものは何か・・・クリスチャンは聖書を信じ、ノンクリスチャンは聖書を信じません。聖書を通して、神様のこと、キリストの十字架と復活を信じて生まれ変わっているのがクリスチャンです。キリストを信じて、罪を赦され、神にふさわしい者になっているのがクリスチャンです。

④クリスチャンは神につける民である。

神につけるとは神様によって所有されているということです。一本の万年筆が、ガラス棚の中に展示されていました。それは有名な小説家が使っていたもので、この万年筆を使って数々の名作が生み出されたということで、価値ある万年筆として展示されていたのです。万年筆はごく普通の物ですが、所有者が偉大であったので価値あるものとなったのです。私たくクリスチャンは、ごく平凡な人間ですが、キリストの救いを受けて神につける者となっているので、永遠に滅びない価値ある者として生かされていることを、主に感謝します。

次に、クリスチャンはキリストの救いを語り伝える者である、と言われています。

私たちに与えられた四つの恵みを知りました。話が突然に変りますが、日本の教会の伸び悩みの原因は何かということですが、議論が多すぎるということが指摘されています。神学、歴史、社会状況、比較宗教などを論じているが、もっともっと生けるキリストを率直に伝えて行くことが最優先されるべきです。何故ならキリストを伝えることなしには誰も救いに与れないからです。

今週はファミリーの週ですが、キリストの恵みをたくさん分ち合って下さい。キリストの恵みを分ち合わなければファミリーにはならず、心も恵まれません。ファミリーでは人のことを言わない、批判しない、審かない、噂話をしない、人の行動をあれこれ言わないことが大切です。私たちがキリストに集中し、キリストを喜び、キリストに感謝し、キリストを崇めるならば、キリストのきよい愛が心に流れ込んできて、心が喜びに満ち溢れます。それが表に出てきて、目が優しくなり、顔が輝いてきます。皺が伸びて、肌のたるみもなくなってきます。自分のことを考えれば、顔の色はあくまで黒いのに、黒髪は捜しても見つからず、身長も1センチほど縮まっています。確かに外の顔かたちは衰えて行くことを身をもって体験しています。そんな私ですが、毎朝早天祈祷会で祈る時に、「主が心の中におられる」という平安、恵み、喜びを与えられ、群れの責任を担って行く決意を新たにさせられます。パウロが言った、「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされて行く」(Ⅱコリント4:16)ということは本当であることを感謝しています。と同時に私たち夫婦のために、今まで以上に皆さんのお祈りを宜しくお願いします。

話が少しそれましたが、私たち一人ひとりが神の選びによってキリストを信じる信仰を与えられています。救いを喜び、感謝しましょう。聖霊によって祈り、キリストの恵みを表し、語り伝えて行くように伝道して行きましょう。



2、クリスチャンは、この世でクリスチャンとして生き、天国に向かう者である。2:11-12

愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたたがを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派なわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。(11-12節)

ペテロはキリストの素晴しい救いを受けた私たちに対し、「愛する者たちよ」(11節)と呼びかけています。これはクリスチャン同士の呼びかけですが、特に注意を促したり、良いものを選んで人に勧める時に使われた言葉でです。それで「あなたがたに勧める」という言葉が続いているのです。

*2:11-12でペテロは何を勧めているのでしょうか。

まず「肉の欲を避けなさい」(11節)との勧めがあります。

肉の欲、肉欲という言葉が使われています。普通、肉欲とは肉の罪ということで、性的な罪を意味しています。しかし、聖書では肉の罪とは広い範囲のものを意味しています。パウロは肉の罪についてガラテヤ人への手紙5:19-21に次のように述べています。

「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、及びそのたぐい」

これらのことから、肉の欲とは、不品行、好色などの肉体の欲望以上のものを含んでいることが分かります。新約聖書においては、肉という言葉は、神様から離れた人間の本質をあらわしています。神様から離れているので、偶像礼拝をし、怒り、党派心などの生まれ変わっていない人間の醜い本性が示されています。肉の欲とは、キリストを信じないことによって、サタンの奴隷として罪を犯し続けている、滅び行く人間の姿をあらわしていることが分かります。

私たちはキリストを信じて生まれ変わった者ですが、サタンは私たちの魂をキリストから引き離そうとして、戦いを挑み、誘惑をしてきます。ペテロは「肉の欲を避けなさい」と言っています。避けるとは、それを自分より遠ざけるということです。肉の欲を退け、肉の罪に負けない秘訣はなんでしょうか。それは聖書を読み、祈ることです。

聖書は毎日読むことが絶対に大切です。聖書は全体を読むことが絶対に必要です。週報に毎日旧約1章、新約1章を読むように聖書日課が記されています。これに従えば、2年5ヶ月で旧約全巻、新約全巻を3回半読めます。この方法で聖書を読み始めて20年ほど経っていますので、少なくとも旧約全巻を8回、新約を28回通読しています。聖書通読の秘訣は一日一日の積み重ねです。聖書を読むと祈りの心が与えられ、祈るようになり、キリストとの親しい交わりが与えられます。心に聖霊の知恵と働きが与えられ、肉の欲に打ち勝つ力が与えられます。

私たちの目指す所は天国です。

ペテロは、私たちは、「この世の旅人であり、寄留者である」と述べています。私たちクリスチャンは地上に永住しません。私たちの国籍は天国にあるからです(ピリピ3:20)。

ヨハネはこう言っています、「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲は過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(Ⅰヨハネ2:16-17)。地上のものは消えてなくなります。「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世に来た。また何ひとつ持たないで、この世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」(Ⅰテモテ6:7-8)という御言葉を心に留めましょう。

最後に、1私たちは天国へ行くまでは地上で暮しますので、12節のペテロの呼びかけに耳を傾けましょう。

「異邦人の中にあって、立派な行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派なわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう」。

異邦人とは神を信じない人々です。クリスチャンのことを悪人呼ばわりするのは、ロマ皇帝礼拝、異教の神々の宗教行事に参加しないので、クリスチャンは悪い奴だという悪口を言っているということです。クリスチャンにとってはイエス・キリストのみが主です。それ故に皇帝礼拝をせず、異教の宗教行事に参加しませんが、それ以外の事柄は、例えば仕事、学びなどはキチンとして行くことによって証しを立てることが大切です。キリストの御言葉を忘れないで下さい。「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かして、そして、人々があなたがたのよい行いを見て、天にいますあなたがたの父を崇めるようにしなさい」(マタイ5:16)。

3世紀初期、ケルソスはクリスチャンを攻撃し、クリスチャンは無知だとか愚かであるなどと言っていますが、しかしクリスチャンが不道徳であるということは一言も言っていません。4世紀に教会の歴史家エウセビオスは述べています、「教会に対してなされた中傷的非難はなくなり、ただ私たちの教えのみが残り、その教えは全世界に行き渡り・・・今ではだれも、私たちの信仰に対して・・・誹謗をするものはなくなっている」。

クリスチャンが、武力ではなく、そのきよい立派な生活によって異教徒を打ち負かしたことは歴史上の事実です。クリスチャンはどんなに迫害されてもロマ皇帝を礼拝しませんでした。そのために悪人呼ばわりをされました。しかし、彼らは立派な行い、すなわち信仰に基づく生活をしました。一つの例として、当時は不倫が横行し、そのために離婚が増大して親が子を捨てる、子が親に歯向かうという乱れた世の中でした。その中にあって、クリスチャンは一夫一婦を守り、きよい明るい家庭を築くという証しを立てて、教会に対する一切の非難、中傷を沈黙させたのです。

私たちも、日々の愛の生活を行動を通してキリストを信じていない人々に、信仰を勧めて行く務めがあります。



まとめ

1、2:9-10、クリスチャンは、神様によって選ばれ、神様の民になった者です。選ばれた種族、神の国の祭司、聖なる国民、神につける民にされていることを感謝します。素晴しいキリストの救いの恵みを周りの方々に伝道して行きましょう。

2、2:11-12、クリスチャンは、この世でクリスチャンとして生き、天国に向かって行く者です。肉の欲を避け、クリスチャンとして信仰を貫き、キリストを表す生活をして行きましょう。



祈 り

天地の主である神様、私たちをキリストの十字架の救いの中に選んでいただき、神の子にされていることを感謝します。選ばれた種族、神の祭司、聖なる国民、神につける民であることを感謝します。肉の欲を避け、この世でキリストを信じる生活を貫き、天国に向かって進んで行くように導いて下さい。ファミリーの集まりでキリストの恵みをたくさん分かち合い、祈り合うことができるように聖霊によって導いて下さい。私たちの主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ペテロ注解―バークレー、LABN、黒崎、フランシスコ会、文語略註、口語略解。

「エウセビオス教会史2巻・秦剛平訳・山本書店」