主を尋ね求め、主に祈れ。主は答えて下さる。エレミア29:10-14      主の2009.9.27礼拝

アメリカのエジソン(1847-1931)は蓄音機(日本ではレコードと呼ぶ)、白熱電球、映写機、電気鉄道など数多くの発明及び改良をした発明家、企業家として有名です。彼が電球の発明に取り組んだ時、1万回の実験を積み重ねたということです。毎日々々必ず電球を作り出して見せるという信念をもって、根気よくひたすら研究と実験に励み、それが夜を昼のように明るく照らす電球という発明になって実を結び、私たちの生活に便利さをもたらしています。

本日はエレミヤ29:10-14です。13-14節で、私たちに対し、「もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる」という主の御言葉が語られています。主イエス・キリストは、「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ11:12)と教えて下さいました。使徒パウロは、「兄弟たちよ。わたしはすでに捕らえたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ3:13-14)という信仰の決意を言い表しています。エジソンは1万回の失敗の後に電球を発明しました。それは必ず電球を発明できるという信念を持ち続けたからです。私たちは信仰生活の中で時には躓き、疑ったりすることがあります。しかし何があろうとも、「世の終わりまで共にいて下さる」(マタイ28:10)主イエス・キリストが、私たちの信仰を完成して下さることを信じ、主に縋って行くならば、天国へ向かって行く私たちの信仰の確信は揺らぐ事がなく、日々主に守られて行きます。

今朝も主のメッセージによって信仰を養われ、祈って、新しい一週間へ出発して行きましょう。



内容区分

1、主は大きな愛をもって私たちを導かれる。29:10-11

2、主に祈り、呼び求め、主を尋ねる者は恵みを受ける。29:12-14

資料問題

エレミヤとは「主によって崇められ」または「任ぜられる」の意である。彼はエルサレム北方5キロ程の祭司の町ア

 トテの一祭司の子。ユダの王ヨシアの第13年(BC626)若年で預言者の召命を受け(1:1,2,7 25:3)、エルサレム滅亡(BC586)まで迫害のうちに40年間エルサレム及びユダの町々で預言した。当時ユダ王国末期の王エ

ホヤキムもゼデキヤも始めはバビロンに臣服しながら、のちに背いてバビロン王の怒りをかった。エレミヤはエル

サレム陥落を預言し、バビロン王に服することが神の御旨であることを伝えたために投獄された。エルサレム陥落後エジプトに連れて行かれ、偶像礼拝に反対し、石で打ち殺されたと伝えられている。彼は神に聴き従わない人々の末路を思って深い悲哀を感じ、涙を流して神の言葉を伝え人々から、泣き預言者と呼ばれた。10節「70年」、70は人の生涯の長さを表す(詩篇90:10)。また聖書の70はさいはてもなく巡る無限数(キリストは7を70倍するまで赦せと言われた)、非常に長い期間、多くの日々をあらわす。70年という日数は神のあわれみのうちに短縮された。BC597年に第一次捕囚があり、BC539年ペルシャ帝国のクロス王によって捕囚から解放されたが、それは58年後のことであった。12節「わたしはあなたがたの祈りを聞く」、マタイ7:7-11を見よ。14節「あなたがたの繁栄を回復し、あなたがた万国から・・・あなたがたを導き帰ろうと主は言われる」、捕囚の暗い日々の中に希望の光を与える御言葉である。




1、主は大きな愛をもって私たちを導かれる。29:10-11

主は言われる、わたしたがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(11節)

私たちは礼拝を捧げるために神の宮である教会堂に集まっています。皆さんは何かを求め、あるいは祈りの課題をもっていると思います。主に願い、祈り求めることは大切なことですが、しかし、先ず神様の御言葉に耳を傾け、その教えを自分の中に取り入れ、キリストに従う決断の祈りを捧げることが最も大切な事柄です。それから、主に自分の求めることや願うことを祈って行く時に、その祈り求めることに対して、主からの導き、答えが与えられて行きます。



*10-11節を通して、主が私たちに語りかけておられることに注目して行きましょう。



第一に、主は私たちに語りかけておられます。

「主はこう言われる」(10節)、「主は言われる」(11節)と2回も言われています。主は常に人々に向かって語りかけておられ、私たちはどこかで主の語りかけを聴いています。「そんなことを言われてもまことの神様のことを知らされていない人もいる」という人がいます。それに対し、聖書は「神について知りうる事柄は、彼らには明らかであり、神がそれを明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ロマ1:20)と告げています。今は秋ですが、日本では春夏秋冬が間違いなく巡ってきます。これは天地を創造された神様が万物を支配し、支えているからです。神様は自然を通して語りかけ、この終末の時代には聖書を通して全人類に語りかけておられます。私事ですが、小6の時、近所の神社で映画があるというので行って見ると、宣教師が「自然を通して神のおられことを知ることが出来る。見えない神様を現されたのがイエス・キリストである」と語ったのをうろ覚えに覚えています。集会後に大人子供合わせて60人ほどの出席者に神社の中で新約聖書が配られました。その次に中学校でカトリックの修道士を通して神様のことを教えてもらい、高校で同級生が貸してくれた聖書を通して神様を信じる決意をし、教会に導かれ、洗礼を受けました。神様はそれから60年の月日の中で聖書を通して私の心に語りかけ、日々に私を導いて下さっています。

第二に、主は私たちに良き時を備えて下さいます。

主は「あなたがたを顧みる」、「平安、将来、希望を与える」と言われます。この言葉が伝えられたのは今から2600年ほど前です。この時イスラエルの人々は不信仰のためにバビロン王国によって国を滅ぼされ、多くの人々が捕虜になり、何百キロも離れたバビロンの国に移住させられていました(バビロン捕囚)。慣れない外国の地で捕虜として生きて行く生活がはじまり、前途に何の希望も感じられない人々に向かって、主は言われました、「70年の期間が満ちるなら、あなた方は故国に帰ることができる」と。ダビデは、「夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇30:5)と主に向かってうたっています。私たちの人生には、ありえないような出来事、避けたい事柄、病気、トラブルなどが押し寄せてくるように感じます。いつまでもいつまでも困った時が続くような思いになりますが、それは70年であると言われています。70年というのは文字通りの数ではなく、神様の定めた長さを示しています。神様は私たちがいつまで苦しんでいるままにはしておかず、その時を縮めて下さることもできます。イスラエルの人々は70年を58年に縮めてもらって故国に帰還し、イスラエル国家を再建しています。今の状況が悪いようであっても、それは永遠には続きません。主は平安と共に将来への道を開き、生きて行く希望の力を与えて下さいます。

ある婦人が子どもを二人立て続けに亡くし、雨戸を閉め切って泣き暮していましたが、心にキリストの救いの光を受け、雨戸を開け放って生活するようになりました。その後に3人の娘さんを与えられて感謝の日々を送っています。問題があったとして、主が必ず良い方向に変えて下さるという信仰をもって、主に縋って行く思いを強めていただきましょう。

第三に、主は個人的に私たちを導いて下さいます。

ある牧師の証しです。神学部を卒業したのですが、音楽への夢を捨てきれず、フリーターをしながらバンドに加わりましたが、生活できずにやめ、バイトをしながら細々と生活をしていました。音楽を諦めていたのですが、道が開かれアメリカに行き、神学生時代ですら真面目に出席しなかった教会に行くようになりました。友達も増え、音楽の仕事が与えられ、教会で奉仕をするようになりました。3年後に一時的に帰国した時に、引退牧師であった祖父が危篤となり、余命2年の宣告を受けたので、1年間は遣り残した仕事をアメリカで行い、帰国しました。飛行機の中で、「自分は神学部を卒業しながら、支離滅裂な人生を歩んで来た」という不安を抱えつつ、自分の将来に何の希望も持てない帰国した。帰国後はアルバイトをしながら、時々演奏をし、祖父の見舞いに日を過ごしていました。両親の通う教会で証をした時に、牧師が「君も牧師になりなさい」と言われ、気のない返事をした。ところが祖父の見舞いに行った時に、祖父が「お前、牧師にならないのか」と言われた。その瞬間に、絶対に牧師の道だけには進まないと思っていたのですが、「牧師試験を受けようかな」と答えると祖父は笑ってうなずき、それから間もなく天に召されて行きました。遠回りをしたようであるが、牧師への道が開かれたのです。自分の知らないところで家族、友人、教会の方々の祈りの支えがあったことを感謝し、牧師の務めにいそしんでいます。

天地を創造された神様は、大きな計画をもって私たちを導いておられます。それは災いを与えようという計画ではなく、平安を与え、将来の道を開き、希望をもって神様に従う祝福の道です。



2、主に祈り、呼び求め、主を尋ねる者は恵みを受ける。29:12-14

その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈りを聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。(12-14節前半)

12-14節で主は祈りを聞いて下さると言われます。また主を尋ねる者の願いに答えて下さり、繁栄を回復するという言葉で祝福を下さることをを約束しておられます。



*12-14節の中より教えられることを見て行きましょう。



第一に、祈りがあります。

私たちはキリストの十字架によって救いを与えられ、神の子になりました。神の子になった私たちに主は聖霊を与えて下さって、神様に向かって祈りをするように導いて下さっています。

話は少しそれるかも知れませんが、祈りに関連する事柄を伝えます。昨日の上野公園ホームレス伝道のためにお祈りを感謝します。比留間師夫妻が上野公園ホームレス伝道に献身して11年目に入ります。熊谷は10年間にわたって毎月1回ホームレス伝道のために祈り、協力して来られたことを主に感謝します。皆さんのお祈り、おにぎりの献げ物、衣類、食料品などの献げ物に感謝します。このホームレス伝道に協力しているムラサキスポーツ会長の金山さんとお会いしました。「この頃、公明党がキリスト教だけに上野公園で集会をさせているが、我々にもやらせろ」と公園当局に圧力をかけてきたとのことです。それに対し金山さんは、「上野公園での集会は、実は40年ほど前に遡り、尾竹橋教会の金城周奉牧師(私は学生時代に何度も会い大学の伝道集会で講師をしてもらいました)が伝道をしている記録があり、公園当局も認めた働きであった。それが継続され、今日の比留間師の働きにつながっている」と言って、圧力に屈しない姿勢を示したとの事です。ホームレスの人々に平安と将来と希望を与える主の働きに対してサタンも必死になっています。何故なら上野公園のメッセージは常にキリスト中心です。キリストの十字架、復活が語られ、キリストを信じて新しい人生に入ることが伝えられ、多くの決心者が起されています。皆さん、祈って下さい。伝道はサタンとの戦いです。キリストは、公明党を通して働くサタンの頭を十字架で砕いている勝利の主です。キリストの御名によって祈るならば、サタンは退いて行きます。皆様のお祈りをお願いします。

祈りについては後日詳しく述べます。12節の「わたしはあなたがたの祈りを聞く」という主の御言葉を心に刻み込んで、皆さんひとりひとりが、祈りに励んで行く決意を新たにするように心からお勧めします。

第二に、一心に(心を尽くして)主を求める心が大切です。

信仰生活は継続して行くところに祝福があります。キリストを信じる決心をする、洗礼を受ける、そしてキリストの教会につながり続けて行くことが信仰生活の勝利の原則です。

馬場さんの芦屋にいる妹さんのご主人さんが昨年よりガンと戦っています。大きな試みの中で、神様の愛によって、姪である恵さんの伝道によって、夫婦でハッキリとキリストを信じ、心の中に受け入れました。そして昨日洗礼の恵みに与りました。亨さんは滴礼で、睦さんは浸礼で、夫婦そろって洗礼を受けました。古い過去を葬り、キリストのよみがえりの命に生きる洗礼を通して、亨さんは「天にものぼる心持で、喜びでいっぱいです」という気持を素直に電話で伝えてくれました。睦さんも本当に喜んでいました。「もしあなたがたが一心に(心を尽くして)わたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会う」という主の約束が見事に実現し、主の輝かしい勝利の喜びの中にふたりとも引き上げられたのです。多くの方々の祈りに感謝します。しかし依然として病気との戦いがありますので、皆さんの祈りを継続して下さるようにお願いします。

第三に、主による新しい人生が与えられます。

主は「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」と言われています。

ひとりの青年の実例です。彼は国際結婚で生まれた所謂ハーフでした。小さい時から病気を繰り返し、入院生活が長く、家族との関係が薄くなり、悪い友達と付き合うようになり、タバコ、酒に走り、15歳で麻薬を始めた。16歳で家出をし、盗みをして暮すようになり、麻薬の密売をし、5回の逮捕、2回の刑務所暮らしをした。ある時、金が無くなり、家に帰ると、大声で泣き叫ぶ声が聞こえる。それは母が息子の魂を救って下さるように神様に祈っている声であった。それを聞いて「すまない」と思うよりも、母親のお金を盗むチャンスだと思って、財布から全額を抜き取って麻薬を買いに行った。28歳の時に再び逮捕され、身元引受人がいれば執行猶予になるので両親に頼んでみた。すると母親が、毎週教会に行くことを条件に引き受けると言ってくれた。「2回ぐらい出席して、あとは行かない」と心の中では思っていた。母親によって、小さい時に行った教会に連れて行かれ、集まる人々の顔が希望と平安と喜びに満ちていて、彼を差別無く温かく迎え入れてくれた。クリスチャンの信仰が本物であるかを知りたかったので、彼は教会に通っていた。ある日、誕生会があり、誰かと思ったらケーキに彼の名前があり、クリスチャンの信じているものは本物だとわかった。と同時に教会に行きながら、教会員の財布から麻薬を買うためにお金を抜き取っていた自分自身の醜い罪を恥じた。牧師をはじめ皆の祈りの中でキリスト教の更生施設に入り、聖書の学び、健康な食事、教会の活動に参加という生活が続いた。その中でイエス・キリストを救主として信じた。そして、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」(Ⅱコリント5:17)ということを求めて祈った時に、自分を覆っていた重荷がなくなるのを感じ、麻薬などの罪の力から解放され、イエス様が本当に生きておられるのを知った。聖霊によって氷のような冷たい心が温かいものに変えられ、微笑むことができるようになった。もはや、自分が生きているのではなく、キリストが自分の内に生きておられることを知ることができた。やがて傷つけ悲しませた家族と和解し、弟達も救われ、家族全員がクリスチャンになり教会を支えている。そして彼は結婚という祝福までいただいたのです。

主を求めて行くなら祝福が与えられます。例え失敗に満ちた人生であっても、あるいは罪の悪習慣に縛られていた者であったとしても、主に祈れば、主は祈りを聞き、新しい人生を備えて下さいます。私たちを造り変え、新しい人間にする力を与えて下さるのはキリストです。酒、タバコだけではなく、麻薬に溺れ、刑務所暮らしをし、人のお金を盗んでいた手のつけようのない人が生まれ変わって主に仕えています。誰でもキリストにあって新しくなれるのです。



*もう一度エレミヤ29:10-14を読んで祈ります。



祈 り・・・天地の主である神様、私たちにキリストによる救いを与えて下さったことを感謝します。災いではなく、平安、将来を与えて下さる神様に縋り、キリストの御名によって祈り、一心に、心を尽くして信仰第一の人生を歩んで行けるように導いて下さい。病気の方々に平安と癒しを与えて下さい。様々な戦いの中にある方々を守り、勝利を与え、必要を満たして下さい。私たちの家族を速やかに救いに入れて下さい。今週も恵み深い御霊によって祝福の道を歩ませて下さい。私たちの祈りを聴いて下さる主イエス・キリストの尊い御名によってお祈りをいたします、アーメン。