主の翼の下に  詩篇91:1-16           主の2009.11.1礼拝


テレビ、新聞の広告で最もよく宣伝されているものは保険です。テレビでは有名なタレントを用いて、「不意の入院などに備えましょう」など様々な種類の保険がひっきりなしに宣伝されています。新聞でも1ページを使って大々的な広告が掲載されています。電話でも保険勧誘があります。ダイレクトメールで、「いま加入すれば安心です。すぐ返事を下さい」という文面での勧誘があります。災害、交通事故、病気などを考えれば、保険に入っておけば、いざという時に金銭面である程度の安心ができるとも言えます。不安の多い時代、先行き不安の時代にあって、「安心を得るために、保険に入りましょう」との呼びかけが続くものと思われます。
本日は詩篇91篇です。
冒頭で、「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人」(1節)と言われています。「いと高き者」とは天地を創造された神様のことで、「全能者」とも呼ばれています。この詩篇の作者は、自分が神様の守りの中にあることを強く意識しながら、91篇全体を通して神様への揺るぎない信頼を告白し、讃美し、感謝しています。私たちは不確実な、不安の時代に生きています。目まぐるしく変化して行く時代の中にあって、人々は何を頼りにし、何を土台にして生きるべきかを求めています。しかし、多くの人々が自分を支えるものを見出せないまま、不安の中にいます。そうした人々に対し、保険によって安心を得ましょう、という宣伝がなされているように思います。しかし、私たちの心の問題、経済のこと、死んだ後のことなど人生の全てをカバーする保険はこの世にはありません。詩篇91篇は、私たちにお金や物では得られない真の平安を与え、人生を支えて下さるのは、天地を創造されたまことの神様であることを告げています。詩篇91篇こそ私たちの人生の全てをカバーする神様の保険です。この保険に入るために必要なのはキリストを信じる信仰です。主のメッセージに耳を傾け、共に祈って、新しい一週間の旅路へと出発いたしましょう。


内容区分
1、主は、私たちを守る全能の神である。91:1--13
2、主は、私たちの呼びかけに答えて下さる愛の神である。91:14-16
資料問題
主はおのれを避け所とする人々をあらゆる災いから守ることを歌った詩篇。前の90篇とその用語、思想などにおいて類似している。90、91篇は申命記32章と多くの共通点をもっている。おそらく90,91篇は同一の作者によるもので、互いに補足するものである。91篇は90篇の祈りの実現を表したものであろう
1節「いと高き者エルヨーン」、「全能者シャダイ」、創世記14:22、17:1、出エジプト6:2を参照。「住む」、「宿る」とは継続的居住、また習慣的な往訪をあらわす言葉。4節「羽をもって、おおわれる」、「翼の下(もと)に」、母鳥が雛を翼の下に守ることを意味する。すなわち主の恵みの中に護られ、安息している有様である。
11-12節はキリストの荒野の試みの時にサタンが引用した個所。サタンは「すべての道で」を省いている。すべての道とは信仰と経験の道(詩篇23:3→箴言3:17)に見出されるもの。「大盾、小盾」、新改訳は小盾をとりでと訳しているが、原語の語根などから小盾とするほうがよい(小畑師)。14節「彼はわが名を知るゆえに」、全能の神が私たちの小さな信仰を最大限に受け入れ、親密な交わりを持ってくださるという恵みである。名を知るとは、その名前の所有者の人格の本質そのものを知っていることである。



1、主は、私たちを守る全能の神である。91:1-13

主はその羽をもって、あなたをおわれる。あなたはその翼の下(もと)に避け所を得るであろう。(4節)

現在の世の中は多種多様な人生観、価値観が生まれ、社会は複雑になっています。世界は激しく変動しています。日本では政治が大きく変りました。私たちは働いて生活の糧を受けていますが、不景気の波が世界を襲い、日本でも仕事を失っている人々が続出しています。多くの人々が、変化の激しい時代の中にあって不安を抱えながら生きています。変動、変化の時代の中にいると、個人でいくら頑張ってもダメだという諦める気持になってしまいます。諦めが絶望に変り、日本では年間3万人以上の自殺者があります。日本だけに限らず、例えばフランスでも働き盛りの人々の自殺が増えています。諦める代わりに何とか上手にその場その場を切り抜けて行けば良いという刹那主義になって行く人々もいます。
私たちキリストを信じるクリスチャンは、諦めではなく、また刹那主義でもなく、詩篇91篇を通して、神様が私たちを守って下さるという信仰に立って、お互いのために祈り合って、支えあって行く恵みを与えられていることを感謝します。
私たちは、1節、「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人」という恵みを得ています。「隠れ場」とは風雨や危険などからの避難所のことです。シェルターと言いますが、シェルターとは原爆やミサイルの攻撃から身を守るための場所を指していますので、安全な隠れ場所、避難所という事ができます。「全能者の陰」というのは、親鳥が自分の羽の下に雛鳥を守る姿を指しています。4節に「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう」と言われています。私たちは、力なく、知恵なく、貧しく小さな者であって、ただ神様に縋り、その翼の下に守られている者です。
山の麓にある農場に山火事が襲ってきました。火事がおさまってから、お百姓さんはまだ火がくすぶっている農場の火を消して歩きました。向こうに何か黒いバレーボール位の黒い塊があるのに気づきました。近寄って見ましたが、何か分からず、ポーンと足で蹴ってみました。すると、中から小さなフワフワした雛(ひよこ)たちが飛び出してきました。黒い焦げたものは、雛(ひよこ)たちを自分の羽の中に覆って隠し、身代りになって焼け死んだ勇敢な雌鶏(めんどり)の姿でした。焼け焦げた雌鶏(めんどり)の姿を見ているうちに、お百姓さんの目から熱い涙がポロポロと流れ落ちました。身代りとなって死んだ雌鶏(めんどり)を見て、イエス様の十字架を思い出したからです。私たちの罪の身代りになって、ご自分の命を十字架に捧げて死んで下さったのはイエス様だけです。私たちは主の十字架によって救われ、日々主の翼の下に守られていることを感謝します。
3節の「かりゅうどのわなと疫病から助け出される」とはあらゆる誘惑や危険、病気から守られるということです。
5節の「夜の恐ろしい物」とは私たちを狙っているサタンの働きの事です。「昼に飛んでくる矢」とはサタンの手先のことです。ある時は光の天使の姿をとって現れ、ある時は独裁者、圧制者、権力者として命令し、私たちを迫害するもののことです。しかし、どんなに恐ろしいことが起ったとしても、7節にあるように、「たとい千人はあなたのかたわらにたおれ、万人はあなたの右に倒れても、その災いはあなたに近づくことはない」のです。これは知識、理論で分かることではありません。主に縋って歩む人生の実際の経験によって、始めて分かることです。私事になりますが、牧会伝道41年、ただひたすら必死になって、主に縋り、聖霊に導かれて来ましたが、この御言葉どおりに守られていることを感謝します。
*1節に「住む」、「宿る」とありますが、これは継続的に住む、宿るということです。神様を信じることは一生に渡って継続することです。何があっても神様から離れずにいることが信仰です。イエス・キリストは私たちに対し、「わたしの愛のうちにいなさい」(ヨハネ15:9)と命じています。これはキリストを信じ、キリストの教会につながり、キリストの愛のうちに永住しなさい、という意味です。私たちはキリストを信じて神の子になりました。神の子になった者は神様の所に、継続的に住む者、宿る者です。神様から離れたら恵みは無くなって行きます。ただひたすら神様に縋ることが大切です。
*神様のうちにいる者は、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」(2節)と主の名を讃美します。神様を讃美すると、心は感謝で溢れます。不平、不満、愚痴、つぶやきは消えてなくなります。喜びが心から湧き出てきます。主を讃美しつつ日々を歩んで行きましょう。
*神様のうちにいる者は、正しい聖書の意味を知るように導かれ、心を養われます。
11-12節の御言葉があります。キリストが荒野の試みで、サタンが引用して聖句です。サタンは、キリストを神殿の頂上に立たせ、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りてみよ『神は天使たちに命じて、あなたの足が石に打ちつけられないように、あなたを手で支えるであろう』と書いてあるから」と言います(マタイ4:5-7)。このサタンの聖句は詩篇91:11-12からです。このサタンの聖句引用は一部を抜かしています。「あなたの歩むすべての道であなたを守らせるからである」という部分が意識的に抜いてあります。ここでは神様は飛び降りた者を助けるとは言っていません。「すべての道であなたを守る」と言っています。すべての道とは信仰によって歩む人生の全ての道のことです。高い所から飛び降りて信仰を試すようなことで、あなたを守るとは言っていません。ですからキリストは「主なるあなたの神を試みてはならない」(マタイ4:7)とサタンを退けています。
毎週キリストの教会に来てメッセージを聴いている者は、聖書の前後関係、意味をキチンと理解
し、信じて、正しい御言葉の光に照らされて信仰の道を進んで行く力が与えられます。


2、主は、私たちの呼びかけに答えて下さる愛の神である。91:14-16

彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救いを彼に示すであろう。(14-16節)

14-16節には神様からの語りかけがあります。1-2節の神様に対する信頼の讃美に答えるように、神様からの力強い約束の言葉が読む私たちに迫ってきます。

*神様は言われます、14節、「彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る」。

信仰とは神様に結びつくことです。「彼はわたしを愛して離れない」と言われています。愛して離れないとは、神様のことを抱きしめるという深い信頼の気持で、神様にしっかり縋っているということです。「彼はわが名を知る」とあります。名前を知るとは、その名前をもっている人のことをよく知っているということです。「神様は創造の主である、神様は愛の主である、神様は天の父と呼べる親しい主である、神様は常に善を行われる主である」など神様のことを知って、信じて、神様と親しい交わりをしていることを言っています。神様に対する真っ直ぐな信頼の気持です。それを神様は受け入れて下さって、守って下さるということを表しています。

私たちが「神様!」と呼ぶのは、頭で、理論的に考えて神様のことを知り、それから神様に向かって呼びかけるということではありません。神様を呼ぶというのは知性の働きを超えたものです。神様のお名前を呼ぶのは心の働きであり、聖霊の導きによるものです。小さい三歳の子供であっても、「神様」と呼んで祈ることができます。例え心に何らかの障害といわれるものがあったとしても、「神様」と呼ぶことができます。11月15日に礼拝で子供祝福式を行います。教会に出席している小学生以下の子供が何人いると思いますか・・・。25人の子供がいます。お母さんのおなかにいる時から、そして赤ちゃんの時から教会に来ている子供達は幸いです。イエス様の恵みが一生に渡って豊かにあるように、18日礼拝で、皆で祝福のお祈りを捧げたいと心から願っています。大人になってから、イエス様を求める人に聞いて見ると、多くの人が「小さい時に日曜学校に行っていた、教会の幼稚園に行っていた」という体験を話してくれます。「彼はわが名を知る」とあるように、少しでも神様のことが心に打ち込まれている人は幸いです。子供に限らず、大人に対しても、天地の創造主、イエス・キリストによって表されたまことの神様のことを、機会を見つけて伝えることが大事です。12月23日(水・祝日)は行田商工センターでクリスマスを祝います。神様の愛の現れである独り子イエス・キリストを伝える絶好の機会です。祈って、家族や友人たちと出席するように備えて下さい。神様の愛の現れであるイエス・キリストを信じる者が起こされて行くクリスマスとなるように、皆で祈って備え、奉仕いたしましょう。

*信仰とは神様のお名前を呼ぶ事です。15節、「彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう」。

神様と叫べば、神様は答えて下さいます。私たちが名前を呼ぶのは親しい関係にあるからです。小さいときの友達、あるいは学生時代に親しかった友達と会うと、まず名前が出てきます。長い間ご無沙汰していた相手でも、名前を呼ぶと、もうそれだけで全てが分かり合えるような不思議な親しい感覚がよみがえります。

私たちが神様を呼べば、神様は私たちを受け入れ、親しくして下さり、特に悩みの中に共にいて私たちを励まし、力づけてくれます。16節には「長寿」という言葉があります。昔ユダヤ人は長寿は神様の祝福であると考えていました。私たちクリスチャンは、キリストの十字架と復活によって、永遠の命という長寿を超えた素晴しい祝福を受けています。キリストは言われました。「わたしが来たのは彼らが生命を得るため、しかも豊かにそれを持つためである」(ヨハネ10:10)。私たちは滅びることのない永遠の命の恵みを受けるという特権に与っていることを感謝します。

3人の子供をもつ母親がいました。近所の家庭集会に導かれ、聖書を通してキリストの姿に感動し、信仰を与えられ、人生の様々な問題も乗り越えて進んで来ました。ところが、大きな悲しい事件が起きました。離れて暮していた次男が、自分から命を断ってしまい、呆然として何も手につかなくなってしまった。次男を死なせてしまい「神様に申し訳ない」と思い、また自ら命を断った息子に「自分の愛が足りなかった」という思いで心がいっぱいになり、大きな壁にぶつかってしまった。ただ悶え苦しむ日々が続き、どこか人の知らない所へ逃げたいという気持を抱えながら生きていた。教会の人々が息子の記念会をしてくれた。その時、キリストの「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わされたかたは信じる者は、永遠の命を受け、また審(さば)かれることがなく、死から生命(いのち)に移っているのである」(ヨハネ5:24)との御言葉が語られた。それを聴いて救いの恵みを思い起した。息子も神の言葉を聴いているので、神様に任せるという思いが与えられた。神様は苦しみを覚えていて、苦しみを取り去るキリストの恵みの御言葉を語って下さった。「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」は生きておられるのだ。沈んでいた心が一気に恵みに満たされたのです。そして、復活の主が「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:22)と言われましたが、聖霊を豊かに注がれる体験をし、悲しみのどん底を通りましたが、「わたしは彼の悩みの時に、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう」(15節)という何にも替え難い主の慰めをいただいたのです。



まとめ

1、91:1-13、主は、私たちを守る全能の神です。雌鶏(めんどり)が自分のひよこ達をその羽の下に覆い守るように、主はその翼の下に私たちを安全に守って下さいます。

2、91:14-16、主は、私たちの呼びかけに答えて下さる愛の神です。どんな時でも、「主よ!」と呼べば、それは神様に届いて行き、答えが与えられます。主の名を呼んでお祈りしましょう。



*The Power of Your Love を讃美し、お祈りを捧げます。



祈 り

「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」である天の神様、イエス・キリストの十字架によって救われ、神の子にされていることを感謝します。主の翼の下に常に守られていることを感謝します。うれしい時も悲しい時も「主よ!」と神様に縋る信仰を与えて下さい。私たちは神様の愛を信じ、神様を愛して行きます。神様の守りの中に、今週も喜びと感謝に溢れた日々を歩ませて下さい。病気の方々、インフルエンザの方々に平安と癒しを与えて下さい。日々の仕事を祝福し、仕事を求めている方々に神様の強い導きを与えて下さい。新しい月が始まりましたが、救われる方々を起し、洗礼決心者を与えて下さい。クリスマスに向かっての全ての祈りと準備を導いて下さい。感謝と祈りと願いとを尊い主イエス・キリストのお名前によって神様にささげます。アーメン。


参考文献:詩篇注解―米田、フランシスコ会、小畑、口語詩篇略解、文語詩篇略註、ナイト、福田。 「信仰証し誌より」、「小さな赤いめんどりの物語」