あなたがたのための救主-神に栄光、人に平和あれー  ルカ2:8-14  

主の2009.12.13アドベント第三週礼拝


私が最初にクリスマスを祝ったのは中学生の時で、クリスマスの意味を知らないまま、12月24日カトリック教会の深夜クリスマスミサに参加しました。式が始まりましたが、その頃は司祭がラテン語で祈るので意味が分からない、深夜12時からですので眠くて仕方がないという中で、聖歌隊の讃美が美しく心に響いたことが思い出されます。高校生になってから、東京の一角にある小さなプロテスタントの教会に導かれ、キリストを心に迎えて洗礼を受け、まことのクリスマスをお祝いする恵みに与りました。牧師のクリスマスメッセージを聴き、みんなで肩を寄せ合ってクリスマスの歌をたくさん讃美し、心が温かくなったことを思い出します。
本日はルカ2:8-14です。キリストが誕生された夜、羊飼いたちに天使のメッセージが朗々と告げられています、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」(11節)。天使のメッセージに続いて、おびただしい天の軍勢が現れ、天使たちと神を讃美している情景が記されています(13-14節)。この箇所を読むと、天の軍勢と天使たちの讃美の素晴しい大合唱が聴こえてくるように感じられます。
クリスマスの中心は主イエス・キリストです。キリストがこの世に来られた目的は、十字架にご自分の命を捧げて私たちを罪の縄目から解き放ち、心の生まれ変わりと永遠の命を与えるためです。「サンタクロースはおとぎ話でも、神の子キリストは、いずこの家にも、救いを土産(みやげ)に来られたお方です、クリスマスおめでとう、どなたもどこのお方も、お恵みをいただいて過ごしましょう、この日を」(中田羽後作)という讃美が心に浮かんできます。私たちの救いのために来られたキリストに感謝し、祈って、クリスマスを迎える心の準備をして参りましょう。


内容区分
1、キリストは、全ての人を救うために来られた救主である。2:8-12
2、キリストは、全ての人に平和をもたらすために来られた愛の主である。2:13-14
資料問題
8節「羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた」、パレスチナの羊飼いは、過越の祭の頃から、雨期に入る11月または12月頃までは、昼夜の別なく、屋外で生活をした。夜は羊を囲いに入れ、交代で番をする。羊飼いは軽蔑されていた。彼らは絶えず羊の群れを見張っているので、手を洗うことなど細々とした規則を守れなかったからである。彼らは神殿で捧げる羊を飼っていたと考えられる。10節「すべての民」、イスラエル人の意であるが、ルカ福音書が主張する万民救済という立場から全人類を指すと思われる。11節「主なるキリスト」、主とキリストを結びつけたもので、新約中、ここだけに見られる。主(キュリオス)は旧約ヤハウエの神に用いられた言葉。新約では使徒2:36から、ナザレのイエスが復活し、昇天され、聖霊を送って下さったが、それで神様がイエスを主(キュリオス)とされたことがはっきりと分かるようになった。キリストはヘブライ語メシヤの訳、油を注がれた者の意で、王や祭司などを指すが、救主を表す称号となった。13節「おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして・・・」、キリストの降誕によって、全人類の救いが完成し、神の栄光が現れることをさんびした、天地を貫く大讃美であった。しかし、極めて少数の者が聴いただけである。すべて高い真理は少数の者にのみ示されるのである。天の讃美を聴き、神の御言葉に従う者は幸いである。


1、キリストは、全ての人を救うために来られた救主である。2:8-12

「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」(10-11節)

ユースバンドの演奏があり感謝でした。来週日曜日はクリスマス礼拝、親子クリスマス、クリスマス夕拝が行われます。礼拝では3名の方々が洗礼を受けますので祝福をお祈り下さい。
本日の聖書には、世界で最初のクリスマスの情景が記されています。全宇宙の創造主である神の独り子イエス・キリストが誕生された時、真っ先にお祝いに来たのは、野原で羊の群れの番をしていた羊飼い達でした。彼らはキリストの降誕を御使(天使)から知らされ、天の軍勢と天使の大合唱を聴くという素晴しい恵みに与り、急いでベツレヘムに行き、生まれたばかりの救主イエス・キリストを礼拝する特権を与えられています。

2:8-12を通して主の語りかけを共に聴いて参りましょう。


第一に、キリストの誕生は一番初めに羊飼いたちに伝えられています。

神様は全宇宙の創造主です。その独り子イエス・キリストの誕生であれば、もっと大々的に、誰にでも分かるような形で行われてもよかったのですが、名もない羊飼いたちに、キリスト降誕が告げられています。この当時、羊飼いは人々から軽蔑されていましたが、その理由はユダヤ人が日常生活で守る細かい戒めを守れないという事でした。例えば手を洗うことについての決まりがありました。羊飼いは一日24時間、羊を世話しているので、決まりを守って念入りに手を洗っている余裕がありませんでした。それが戒めに反していると言われたのです。この地方の羊飼いは、神殿で犠牲に使う羊を飼うという大事な働きをしているので、宗教指導者は、忙しい生活をしている羊飼いの生活を考慮し、彼らを助け、励ますようにすべきでした。実際は、その逆で「あなたがたは戒めを守っていない」と羊飼いは責められていました。羊飼いの信仰のことは記されていませんが、彼らは旧約聖書に基づいた天使のメッセージを正しく理解しています。天使たちの大讃美を聴いて心を恵まれています。それが15-20節にあるように、キリストを礼拝しに行くという信仰の決断となって表われています。彼らはキリストを礼拝した後に神をあがめ、さんびしています(20節)。
ひるがえって考えて見ますと、私たちよりも優れている人々、聖書の知識がある人々、地位や権力をもっている人々が大勢いるのに、私たちのような、知恵のない、権力、身分もない取るに足らない者が救われていることは不思議な事です。使徒パウロは言っています、「神は知者を辱めるために、この世の愚かな者を選び、強い者を辱めるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間も、神のみまえに誇ることがないためである」(Ⅰコリント1:27-29)。
第二に、キリストはすべての民の救主です。
10節に「すべての民に与えられる大きな喜び」とあります。その喜びの内容は、11節、「きょうダビデの町にあなたがたのための救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」と言われています。「ダビデの町」とはダビデの出身地である「ベツレヘム」のことです。羊飼いはベツレヘムの郊外の野原で羊を飼っていました。主とは神様を指す言葉です「キリスト(ギリシャ語)」は、「メシヤ(ヘブル語)」という言葉の訳で、「油を注がれた者」との意です。ユダヤでは、王様、預言者などの務めにつく人に油を注いで、その人が特別な使命を与えられていることを表しました。現在では、人間を罪から救うという特別な使命を受けて、この地上にやって来られたイエス・キリストを指す言葉になっています。「主なるキリスト」とは、クリスマスの日に生まれたイエス・キリストこそが人間を罪から救うために来られた救主である、ということを示している大切な御言葉です。
第三に、キリストはすべての民の救主ですが、心へりくだる者がキリストに出会うことができます。
天使のメッセージを受け、天の軍勢と天使たちの大コーラスを聴いた羊飼いたちは幸いでした。人類の歴史を変えるキリストの誕生がごく少数の人たちに告げられていることは不思議なことです。しかし、神様の真理は、はじめはごく少数の人たちに表されている場合が多いのです。
キリストが最初に登場した時、それに気づいたのはバプテススマのヨハネだけでした。バプテスマのヨハネが指し示したキリストを尋ねて行ったのは二人だけです。その一人がアンデレで、彼は救いを受けると直ぐに自分の兄弟シモンをキリストのところに導き、シモンはペテロという名前をもらってキリストの弟子として献身して行きます(ヨハネ1:35-42)。
キリストは「生ける神の子キリストです」というペテロの信仰告白を受けて、ご自分が十字架にかかることを予告されていますが、それを聴いたのは12弟子だけです(マタイ16:15-21)。
復活のキリストから「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ「(マルコ16:15)という宣教命令を受けて、エルサレムの二階座敷で祈っていたのは120名の弟子達です。全世界を相手にたった120名の人々が立ち上がって行け、というのが主の命令でした。どう考えても無理な命令のようでしたが、聖霊が注がれで弟子達は力を受けて伝道に乗り出し、今や全世界に福音が伝えられているという時代を迎えています。
日本に一億二千万の人々がいて、クリスチャンは120万人と言われています。日本全体から見れば少ない数のように思えます。でも考えて下さい。今年はプロテスタント宣教150周年ですが、150年前はほんの一握りのクリスチャンがいただけです。しかし、キリストの救いを受けた人々によって伝道が継続され、120万人に達していることを主に感謝します。熊谷の教会は44年前に宣教師が伝道を始めた時は信徒ゼロでした。私たち夫婦が伝道を引き継いで41年ですが、主の憐れみによって救われる者が起こされ、今の群れになっていることを感謝します。それは救われた皆さんが主に祈り、奉仕をし、献金を捧げ、伝道の業を継続しているからです。23日クリスマスの集いに大勢の新しい方々が申し込みをしています。クリマスメッセージ、聖書ドラマ、クリマス讃美、こども讃美、手話讃美、ボディーワーシップ、バンド讃美、ピアノ演奏、ゴスペルのプログラムが用いられるようにお祈り下さい。食事をたくさん持ち寄って、交わりの時が祝福されるように祈って備えて下さるようにお願いします。私たちが主の前に謙って主の恵みを受け、新しい方々を歓迎し、一人一人の祈り、信仰の捧げ物、奉仕によって、今年も手造りの、温かいクリスマスマとなることを信じ、救われる者が起こされて行くように、今日からいっそう祈って下さるようにお願いします。


2、キリストは、すべての人に平和をもたらすために来られた愛の主である。2:13-14

するとたちまちおびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神を讃美して言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(13-14節)

クリスマスの夜に、天に響き渡る天使たちの合唱がありました。天使たちの讃美の内容を記したのが14節です。



2:13-14から教えられることを見て参りましょう。



第一に、讃美が神様に捧げられています。

「いと高きところ」とは神様のおられるところです。天使は、もともとは「いと高きところ」で神様を讃美し、神様に仕える存在なのです。聖書朗読の詩篇148篇の1-2節で歌われていました、「主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ」。詩篇の詩人は、「主をほめたたえよ、ハレルヤ!」と心の底から主にむかって讃美の声を張り上げています。私たちも心の底から主をほめたたえ、主に向かってうたうことが恵まれる秘訣です。あるノンクリスチャンの方が言っていました。「妻はある時、アッセンブリーの教会に行った時に、満ちあふれる讃美の中に、明るさと喜びを感じ、心を恵まれたそうです」。讃美の中に主は臨在されます。クリスチャンの特徴は日々聖書を読む事です。日々主イエス・キリストの御名によって祈ることです。日々主の恵みをほめ讃えて讃美を歌うことです。讃美をうたいましょう。聖歌は古今の歌を取り入れた素晴しい讃美集です。ワーシップ、ゴスペルはキリストの恵みを直接的にうたう讃美です。先ほどはバンド演奏による讃美が捧げられました。私事ですが、私は風呂に入っていると、歌いたくなります。風呂は狭いので音が程よく響いて気持がよくなるので、歌いたくなるのかも知れません。もちろん風呂だけではなく、あらゆる所で讃美を歌いたくなります。

第二に、「地の上では、みこころにかなう人々に平和があるように」と歌われています。

これは平和を願う祈りです。平和という言葉ですが、健康である、幸福であるということよりも、ケンかをしな、争いごとをしないという対人関係が平和であるという意味の平和です。神様に栄光があるように、そして地上ではお互い同士の間で、わだかまりなく話ができるようにということが、平和であるとの意です。ここでは特に、「みこころにかなう人々に平和があるように」と言われています。新約聖書は、教会員同士が仲良くなりなさいということが繰り返し言われています。せっかくキリストの救いを受けたのに、審き合い、批判し合い、陰口を言い、そして自分は間違っていない、賢い、だが相手が間違っているという姿はクリスマスにふさわしくない姿であると教えられています。

クリスマスを前にして、私は主の前に悔改めます。主の赦しと愛を受けていることを感謝し、リストを心の真ん中に迎え、純粋な心をもってキリストの愛を伝えるメッセージを語ることができますように、と祈ります。皆さんも牧師のために祈って下さい。皆さんの祈りがなければ、一瞬たりともこの講壇に立つことはできません。私の心からの祈りは次の御言葉です。



「どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように」(Ⅱテサロニケ3:16)。



第三に、キリストの愛と平和とを伝えるクリスマスになるように祈りましょう。

Tさんは両親の病気により、7歳で弟二人と共に施設に預けられた。朝5時に起きて掃除をし、急いで朝食を食べ、学校へ行く生活が続いた。子供ながら辛さをこらえている内に暗い性格になってしまった。クリスマス間近のある日、両親の行っている教会の牧師夫妻が訪ねて来た。自分と弟二人のためにクリスマスケーキを持ってきて下さった。それぞれの部屋に持ち帰り、部屋の友達と分け合って食べた。あまりの喜びに涙があふれてきた。ようやく両親が退院し、家に帰ったが、父は間もなく天に召されて行った。母がTさんたち三人兄弟を育ててくれた。40数年たった今、「牧師夫妻を通して、さびしい、氷のような心を溶かしてくださったイエス様、私も愛のケーキを持ち運ぶ者になります、という気持をもって今年もまことのクリスマスを迎えるように祈って行きます」と証をしています。



まとめ

1、2:8-13、キリストはすべての人を救うために来られた救主です。卑しい者とされていた羊飼いにキリストの誕生が真っ先に告げられています。キリストはすべての民の救主ですが、特に心へりくだる者に現れて下さる救主です。大勢の人々の中から、私たちのような取るに足りない者を救って下さった主に感謝します。

2、2:13-14、キリストはすべての人に平和をもたらすために来られた愛の主です。神様を讃える讃美を日々に捧げましょう。キリストを信じた私たちの間に、いつも平和があるように祈って行きましょう。私たちの周りには淋しい人々がいます。淋しい、暗い心のTさんが牧師夫妻の訪問とプレゼントによって、キリストの愛を受け、心が変えられました。Tさんはそれ以来だれかにクリスマスの喜びを分かち合って行くことを実践しています。私たちもキリストの愛を周りの方々に表して行きましょう。



祈 り  天地の主である神様、私たちの救いのためにキリストをこの世に送って下さったことを感謝します。罪を赦し、永遠の命を与えるために、十字架にご自分のきよい命を捧げるために来られたキリストの愛に感謝を捧げます。今年のクリスマスを通して、多くの方々がキリストの愛を知り、救われて行くことが出来るように導いて下さい。キリストの愛を伝えるために、聖霊によってひとりひとりを用いて下さい。礼拝後の大掃除を段取りよく導いて下さい。ゴスペル、夜の礼拝を祝福して下さい。病んでいる方々に平安を満たし、快復を与えて下さい。今週の水曜日の祈り会を祝福して下さい。来週はクリスマス礼拝、クリスマス祝会の週です。キリストの恵みが全ての人々の心の中に宿るように導いて下さい。私たちの主であるイエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ルカ注解―フランシスコ会、榊原、黒崎、バークレー、文語新約注解、LABN、米田。「信仰証し誌」。