わたし(イエス・キリスト)のもとに来なさいー重荷からの解放- マタイ11:28   主の2009.12.27礼拝


本日は2009年53回目の礼拝です。一年間のいろいろな恵みを数えながら、礼拝を捧げるために導かれていることを感謝します。本日は2009年最終日曜日ですので、礼拝後1時より荻野伝道師司会・メッセージで、感謝会を行います。昨年は多くの方々が参加して、一人ずつ恵みの証をして、主を讃える感謝会でした。今年も皆で恵みを分かち合って、主を喜び讃える感謝会となるように祈って下さい。

聖書はマタイ11:28です。日本では年の暮れとなり、正月を迎えると何かも新しくなって行く、と考えられています。教会の新しい一年はアドベント(待降節)からはじまります。アドベントの後にキリストのご降誕であるクリスマスを祝い、2009年から2010年に向かいます。私たちの教会は、20日(日)クリスマス礼拝(洗礼式がありました)、親子クリスマス、クリスマス夕拝、23日(水・祝日)クリスマスの集い(於・行田商工センター)を行い、主イエス・キリストのご降誕をお祝いできたことを感謝します。
クリスマを終え、2009年も残り少なく、2010年が間近いことを実感します。年の暮れを迎えると、私の心に浮かぶ聖書の御言葉は、きょう取り上げたキリストの御言葉です。2009年を閉じるにあたって、主は皆さんに呼びかけておられます、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。健康、経済、人間関係、仕事、先行きのことなど重荷に感じることはたくさんありますが、主は「わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われます。主の御許に重荷を下ろして、私たちの心が恵まれ、健康を守られることを信じ、祈って2010年に向かって行きましょう。


*キリストは、私たちひとりひとりに向かって、「わたしのもとに来なさい」と呼びかけておられます。



キリストは、「わたしのもとに来る人は重荷を背負っている人、重荷のため疲れている人、苦労している人」であると言われます。キリストは、心を圧迫する重荷を抱えている人、その重荷のために心も体も疲れている人、なかなか物事がうまく進展しないという気苦労をもっている人に向かって呼びかけています。この呼びかけの中にキリストの愛が示されています。何故なら、この世の中にあって、重荷、疲れ、苦労のない人はひとりもいないからです。

昨日は、キリストの「わたしのもとに来なさい」というメッセージを上野公園に集うホームレスの方々に伝える日でした。いつものように教会を出発して、東北道・羽生ICまで、あと10分ほどの所で、8人が乗っていたハイエースのブレーキが突然効かなくなるという出来事に見舞われました。主の助けによって何とか緊急停止できて感謝でした。車はJAFによって教会まで運ばれ、現在修理工場で原因を調べています。立ち往生している私たちの所に、斉藤正樹君と愛雄が応援に駆けつけてくれました。斉藤号で5名が上野に行き、皆さんのオニギリ、お米、生活用品などを無事届けることができて感謝でした。私を含めて3名は愛雄号で教会に戻りました。ブレーキ故障で、あと50センチ位で前の車に追突するところでしたが、追突寸前で守られ、事故にならずに済んだのは、皆さんのお祈りがあったからであることを覚え、感謝しています。これから3月頃まで寒い日が続きますが、寒空の下に路上で暮しているホームレスの人々のきびしい状況を思うと胸が痛くなります。来年度も毎月第四週土曜日ホームレス伝道を継続し、「わたしのもとに来なさい」と言われる救主イエス・キリストを宣べ伝えて行きます。毎月毎月必ずキリストを信じて救われ、社会復帰する人々が起こされて行くようにと、祈り願っています。

新聞には、1月―11月まで自殺者が1万181人あり、12年間連続で自殺者が3万人を越えているという悲しいニュースが報じられていました。心の苦しみから逃れるために、キリストのもとに行くことを知らないまま、自ら命を絶つに至った人々のことを思うと、心が苦しくなります。

主の呼びかけは重荷を背負い、疲れ、苦労している人に対し、そして、何よりも私たち自身に対する呼びかけであることを覚え、私たちの重荷を主のもとに降ろして、新しい年に向かって前進して行きたいと願っています。

繰り返し言いますが、重荷を負っている者が行くところはキリストです。キリストは他の何ものも示していません。「あなたが来るところはわたしのもとです、あなたを救うのはわたしです」と明言しておられます。キリストはなぜ「わたしのもとに来なさい」と呼びかけることができるのでしょうか。詳しいことは後日に述べますが、キリストは人の罪のために十字架にかかって一度は死にましたが、三日後に死を打ち破って復活され、今も、そして永遠に至るまで生きておられるまことの救主だからです。

私事ですが、キリストを信じて洗礼を受けたのは高校2年の時でした。細かいことは分からず、理解できていませんでしたが、神の子キリストが私たちのために十字架で罪の赦しの血を流して下さったことを聞き、これを信じた時に罪が赦されたという思いをもち、洗礼を受けて教会につながり、あれからずっと信仰の道を歩ませてもらっています。「わたしのもとに来なさい」と言われるキリストのもとに行って良かったと感謝あるのみです。ここにおられる皆さん一人一人が同じ思い、感謝を持っていることを信じます。

Nさんは、小学生の時に父親が無実であるのに、事件に巻き込まれて警察に連行されるという大きな事件がありました。世間の冷たい目の中で成長しましたが、いつも人生は何のために生きるのかという重荷を持ち続けていました。大学3年の時に父親が事故によって大怪我をしてしまい、大学を中退して、母を助けて、父親の面倒を見ることになりました。父親の容態が安定してきたので、大阪に出て仕事をすることになりましたが、人生を何のために生きるのか分からないと思って、知っている先生の所へ相談に行きました。先生はNさんの思いつめた顔を見て、「私はクリスチャンだから日曜日に教会に行こう」と言われ、一緒に礼拝に行きました。讃美歌を聞いているNさんに涙が溢れてきた。先生が彼のために祈ってくれた。その時はよく分からなかったが、心が潤され、何のために生きるのかということで悩まなくなった。後から分かったことはキリストの愛が心に注がれ、救われ、生まれ変わり、それ以来40年の信仰生活を送っています。キリストのもとに真っ直ぐに導かれたことによって、Nさんの人生は喜びに変わったのです。



*キリストは「重荷を負うて苦労している者は・・・」と招いておられます。



キリストのもとに行く条件は「重荷を負うて苦労している」ということです。他には条件はありません。重荷を負うて苦労している者とは、キリストの御言葉で言えば次のとおりです。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)。具合が悪いことを自覚する病人は医者のところに行きます。自分に罪があり、また重荷があって助けが必要であると自覚する者はキリストのもとに行きます。キリストは私たちを癒し、心に愛を注いで下さいます。

今年のクリスマス祝会は166名が出席し、そのうちノンクリスチャンの方々は58名でした。アンケートを見ますと、メッセージを聴いて「キリストを信じたい」という人が2名ありました。その他もっとお話を聞きたいという答えが多数ありました。私はクリスマスに向かって進んでいる時に、例年にないキリストに反対する悪しき圧力を感じました。次から次へと様々なことがありました。クリスマスの大事な時に「何でこんなにいろいろなことが起るのか」と思いました。その時に聖霊が御言葉を心に囁いてくれました、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)、「重荷を負うて苦労している者はわたし(キリスト)のもとに来なさい」と。また私たちの恩師、豊留真澄先生が語ってくれた「困難に会う時、サタンの攻撃を感じる時、キリストによって不思議な勝利の力が心に湧いてくる」という霊的体験の事を思い出しました。私は御言葉と恩師の霊的体験をわが身に当てはめて祈り、キリストによって心の中に平安とクリスマスの勝利を感じることができました。何よりも皆さんの祈りと献身的な奉仕が結集されて、クリスマスが祝福されたことを感謝します。



*キリストのもとにあなたの重荷をおろそう。



すべての重荷をキリストのもとにおろして、新しい年に向かいましょう。仕事、家族の救い、経済、病気、人間関係、先行きのこと、死の問題、罪の問題など私たちの全ての重荷を背負い、赦し、癒し、解決を下さるキリストに任せて祈りましょう。聖歌460「心にもだえあらば」を歌い、お祈りを捧げます。



祈 り 創造主である神様、キリストを信じ2009年を導かれたことを感謝します。重荷を背負い、解決して下さるキリストを信じ、2010年に向かいます。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。