真理の御霊・聖霊の偉大な働き ヨハネ福音書16:12-15 主の2010.1.31礼拝
現在、様々なキリスト教の集まりがあり、「こうすれば恵まれる」、「教会成長の秘訣」などというテーマを掲げて、特別集会を開いています。また、「珍しい現象が起り、奇蹟、預言などがあります」という呼びかけもあります。それらはキリスト教の集会なのですが、案内や広告には殆んどキリストという名前が見当たりません。そうした案内を見ながら、私の心に浮かぶ御言葉があります、「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。わたしがこう言うのは、あなたがたが、だれにも巧みな言葉で迷わされることのないためである」(コロサイ2:3-4)。私たちの信仰の中心はキリストです。キリストが一番です。先ず、第一にキリストを求めて行けば必ず祝福を受けます。
本日はヨハネ16:12-15です。ここに記されているのはキリストの御言葉です。キリストは弟子達に約束されました、「わたしは十字架と復活の後に天国に行き、あなたがたのために祈り、あなたがたの場所を備える。わたしは地上にいなくなるが、わたしを表し、わたしのことを教える真理の御霊である聖霊がやってくる。聖霊はあなたがたをわたしの所に導く」。キリストは私たちの重荷を負って下さり、罪を赦し、永遠の命を与えて下さる救主です。聖霊は常にキリストを表し、私たちをキリストの御許に導いて下さいます。聖霊の最大の働きはキリストを表すことです。
内容区分
1、聖霊は、私たちをキリストに導く偉大な働きをする。16:12-13
2、聖霊は、キリストに栄光を得させる偉大な働きをする。16:14-15
資料問題
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書がある。ルカ福音書の終わりに、キリストは弟子達に「上から力を授けられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)と命じている。ルカが記した使徒行伝1-2章にかけて、キリスト昇天後120名ほどの弟子がエルサレムの二階座敷で祈っていた時、ペンテコステの日に聖霊降臨があったことが記されている。聖書がルカから使徒につながっていれば、聖霊の突然の出現は読者に戸惑いを生じさせるであろう。そこで、ルカと使徒の間にヨハネ福音書が入り、キリストを通して聖霊について詳しく述べられているのである。12節「言うべきことがたくさんある」、教会の奥義(エペソ3:5)、終わりの審判(黙示録)、十字架の真の意義(ロマ書)、復活の意義(Ⅰコリント15章)などの真理が、後に聖霊によって使徒に示されている。13節「真理の御霊」、聖霊を指す。「きたるべき事」、キリストの贖罪、復活、再臨、新天新地の出現、万物の復興などの事。14節「御霊はわたしに栄光を得させる」、聖霊は御子イエスを崇める。キリストの栄光は神の栄光であって、恵みと真理、愛と義とに満ちている人格の光である。イエスを見た者は神を見た者でありイエスの栄光を完全に示す者は聖霊である。
1、聖霊は、私たちをキリストに導く偉大な働きをする。16:12-13
「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」。(13節前半)
ヨハネ福音書14-16章は、キリストが十字架に架る前の晩に弟子達に語られたものです。マタイ、マルコ、ルカには記されていない貴重な教えがたくさんありますが、特に聖霊についての教えがあることで有名な箇所です。
*先ず16:12-13から聖霊の偉大な働きについて注目して参りましょう。
聖霊は、私たちをイエス・キリストの御許に導く
クリスチャンの信仰の特徴は、個人的にキリストを自分の救主であると信じ、告白することです。ある時、キリストは弟子達に「世間ではわたしのことをバプテスマのヨハネ、旧約時代のエリヤ、エレミヤなどの預言者であると言っているが、あなたがたはわたしをだれと言うか」と問いかけています。シモン・ペテロが、「あなたこそ生ける神の子キリストです」とキリストを個人的に告白しました。キリストはペテロの信仰告白を喜ばれ、「あなたにわたし(イエス・キリスト)を信じる信仰を与えたのは人間の知恵、力ではない。神様があなたの心に信じるという思いを与えたのである」と言われました(マタイ16:13-20)。キリストを信じるという信仰を与えたのは神の力であり、それは聖霊の働きです。
聖霊は私たちをキリストの御許に導きます。導かれた私たちひとりひとりに対し、キリストは私たちの心の扉を叩いて、「わたしをあなたの心の中に入れて下さい」と呼びかけています。その呼びかけに応じて、「主よ、私の心の中にお入り下さい」と答えるならば、キリストは心の中に入って来られ、いつまでも私たちと共にいて下さいます。これがまことの信仰です。このまことの信仰に至るように、聖霊は私たちをキリストの御許に導きます。
聖霊は、私たちが個人的にキリストを信じるように導く
信仰の真髄は、キリストを自分の個人的な救主として心に迎え入れることです。聖霊は、私たちをキリストの御許に導き、キリストを個人的に信じるように導いて下さいます。
ある女性が洗礼を受けましたが、残念ながら様々なことがあって教会を離れてしまいました。心の隙間を埋めるために夢中で働きましたが、腫瘍ができて手術をし、その後40度の高熱が続き、ようやく熱はおさまりましたが、心も体もボロボロでした。布団の中で、「神様、自分の人生は冬のようで、なにもかも枯れつくしたような状態です、人生の荒野にいます、心の扉を開きます、こんな私のところに来て下さい」と祈ってみました。すると荒れはて、カラカラに干からびたような心に熱いものが込み上げてきて、涙があふれてきました。そして一瞬のうちに布団から起き上がる力が与えられたのです。それから、教会に戻り、キリストの十字架を信じ、今も活きておられるキリストを心に迎えることことができました。それはまさに聖霊の働きです。聖霊の導きによって、彼女は心の扉を開いて、個人的にキリストを迎え、まことの救いに与る恵みを与えられました。聖書朗読のイザヤ書44:3、「わたしはかわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らに注ぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである」という約束は現実のものです。
聖書に、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」(Ⅰコリント12:3)と告げられているように、キリストを個人的に信じるように導くのは聖霊です。ここにおられる大部分の方々が、聖霊によってキリストを信じる信仰を与えられていることを感謝します。まだキリストを心に迎えていない方々は、キリスト迎え入れて下さい。聖霊が祈りを助けて下さいます。「イエス様、私の心の扉を開きますので、お入り下さい」と、どうぞ思い切って祈って下さい。キリストを心に迎え入れて、新しい祝福の人生へと歩み出すように心からお勧めします。
聖霊は、私たちをあらゆる真理に導かれる
聖霊は、私たちをキリストの御許に導き、キリストを個人的に信じるように決断を与え、私たちを神の子にして下さいました。それだけではなく、聖霊は私たちを「あらゆる真理に導き、来たるべき事を知らせる」と言われています。あらゆる真理、来たるべき事とは、直接には聖書の真理を指しています。私たちは、最初に罪を悔い改め、キリストを信じて生まれ変わりました。そして信仰生活を続けて行くうちに、復活のこと、教会のことなどを知り、来たるべき世の終わりのことなどを知るように導かれます。
また、現代は、神様を忘れて絶対的なものを見出せずに、多くの人が迷っているポストモダンと言われる時代です。迷いのない人生の道を歩むために、聖霊は常に真理であるキリストを示しています。キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは父の御許にゆくことができない」(ヨハネ14:6)と言われました。また、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者はやみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)とも言われています。聖霊はいつまでも変わることのないキリストを示し、迷いのない人生を送るようにと導いて下さいます。
2、聖霊は、キリストに栄光を得させる偉大な働きをする。16:14-15
御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。(14節)
キリストは、「御霊はわたしに栄光を得させるであろう」と言われました。聖霊はキリストを讃へ、キリストを尊び、常にキリストを指し示します。
*14-15節から、聖霊がキリストに栄光を得させるということを知って行きましょう。
聖霊は、私たちが何を見て行くべきかを教えています。
聖書は、私たちの目が何を見るべきか、どこに焦点を合わせるべきかを教えています。今日、私たちの目を奪うものが数多くあります。
私たちは自分自身を見てしまいます。また、他の人を見てしまいます。この世の華やかなものを見てしまいます。現在、二部礼拝をしていますが、多くの人々が集まれる大きな広い会堂に目が行きます。いろいろなものが目に飛び込んできますが、真理の御霊である聖霊は、私たちの目をキリストに向けさせて下さいます。
聖霊はなぜキリストに目を向けさせるのか・・・それは、自分を見ても、周りの人を見ても、人間には問題解決の力がないからです。この世のものを見つめても、「世と世の欲とは過ぎ去る」ものであって、頼りにはならないからです(Ⅰヨハネ2:17)。人間から目を離し、この世のものから目を離して、キリストを見つめる時に、キリストの活きている力が私たちに与えられます。
キリストは言われます、「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)。キリストは神の独り子であるのに、人間となり、人生のあらゆる苦しみを体験されました。人生の終わりには、罪がないのに私たちの罪の身代りになって十字架に命を捧げて下さいました。しかし三日後に甦り、今も活きておられる救主です。キリストのもとに行けば、キリストは私たちを無条件で受け入れて下さり、重荷を共に背負い、平安と喜びとを与えて下さいます。私たちは、聖霊によって常にキリストと共に生きるように導かれ、キリストの御許に重荷を下ろして、希望の日々を送るように導かれます。
先日、神学校でマタイ11:28から説教を実際にするという授業をしました。それぞれ学生たちが真剣に御言葉を語ってくれましたが、ひとりの学生は、職場の人々に、「重荷がありますか」と聞いてみたそうです。すると、すべての人が異口同音に「重荷がある、でもどうしたら良いか分からない」と答えたということです。それを聞きながら、自分はキリストに重荷を負ってもらっていることを感謝し、周りの人々にキリストを伝えなければならないという使命を新たにしたと語ってくれました。聖霊は、私たちにキリストを見つめさせて、キリストの素晴しさがすべての人に及んで行くように導き、キリストに栄光を得させるのです。
聖霊は、私たちにキリストの恵みを確信させます。
聖霊は、私たちが力強い安定したクリスチャン生活を送るように導いて下さいます。聖霊はどのようにして、キリストの恵みを私たちに確信させるのでしょうか。
①聖霊は、私たちに祈りを与え、共にうめいて下さいます
ローマ8:26-27を読んでみます。私たちは弱い者、なかなか祈れない愚かな者です。どう祈ったら良いか分からない者です。聖霊は祈りを導きます。祈りが出来ないとすれば、自分勝手な思いが先に立って、感謝を忘れてしまうからです。先週のピリピ4:6、「ただ事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげなさい」との勧めを思い出して下さい。聖霊は、沢山の感謝をささげるように私たちの祈りを導きます。また、聖霊は言葉にはあらわせない切なるうめきをもって、私たちのために祈って下さると言われています。言葉につまったり、泣いてしまったりするような祈りであっても、聖霊が私たちのかわりに、言葉にあらわせないうめきをもって祈っておられます。それを神様がちゃんと聴いて下さると約束されています。
②聖霊は、私たちがキリストの御名によって祈るように導かれます。
「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14:14)。
キリストの御名によって祈る時に、人間の思いではなく、神の御心がなるようにという信仰が与えられます。皆さんの様々な祈りがあると思いますが、神様の最善がなることを信じて、聖霊の助けをいただいて、祈って行きましょう。
③私たちが、祈りを通してキリストの恵みを確信して生きること、それが聖霊に満たされているクリスチャンであり、キリストの栄光を現すクリスチャンです。
まとめ
1、16:12-13、真理の御霊である聖霊は、私たちをキリストに導く偉大な働きをします。きょう、こうして礼拝を捧げるように私たちを導いて下さったのは聖霊です。聖霊は個人的にキリストを信じるように私たちを導きます。聖霊は、私たちに常にキリストを指し示し、人生の光であるキリストに従う正しい方向に導いて下さいます。
2、16:14-15、聖霊は、キリストに栄光を得させる偉大な働きをされます。聖霊は、人や世の中のものではなく、キリストから目を離さないように私たちを導きます。聖霊は、私たちと共に祈りの中でうめいて下さって、キリストの恵みの中に確信をもって生きるように導かれます。それがキリストに栄光を得させることになります。
祈 り 天地の主である神様、私たちは聖霊によってキリストを信じることができました。今週も真理の霊である聖霊に導かれて信仰生活をして行けるよう、聖霊によって祈りを与えられて、キリストに従う道を歩ませて下さい。聖霊によって病める者に平安と癒しを、問題や戦いの中にある方々に平安と逃れの道を備えて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。
参考文献:ヨハネ注解―黒崎、文語略解、フランシスコ会、バークレー、LABN、榊原、米田。