みことばに生きる   詩篇1:1-6                        主の2010.2.14礼拝

私が教会へ行ったのは高校2年の夏でした。会堂は小さな医院を購入して改造したもので、30人入れば満員という広さで、会堂の横に狭い牧師の居住スペースがあったことを思い出します。私が行き始めた頃は主婦層が多く、皆でよく聖書を読み、祈っていました。礼拝出席後一ヶ月が過ぎた時、牧師から「君はイエス様を信じているのだから11月に洗礼を受けなさい。来週から日曜学校で教えて下さい」と言われ、次の週から小学生クラスを担当し、聖書を教えることになりました。日曜学校の教師として奉仕を始めた時、ある主婦の方から、「御言葉を伝える人が少ないのよ。あなたはイエス様の御言葉を伝えるために献身しなさい」と言われました。その後、主の導きの下に24歳で神学校に入り、卒業し、御言葉を宣べ伝える伝道者となり、今日に至っています。
本日は詩篇第一篇です。詩人は、「主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」(2節)と歌っています。「主のおきて」とは聖書のことです。「思う」とは瞑想することです。瞑想とは、御言葉を考え、そこに表された主の恵みに感謝することです。また、御言葉を自分に当てはめ、日々の生活の中で御言葉に従う生活をするように、祈って決断することです。
御言葉を通して神の力が表されます。「御言には、あなたがたの魂を救う力がある」(ヤコブ1:21)とあります。私も御言葉を伝え、特に御言葉の中心であるキリストを伝える時に、罪から救われて神の子になる者、また癒し受ける者、さらには主に献身する者が起こされるという恵みを体験してきました。主のメッセージを共に聴き、祈って、新しい一週間を出発して行きましょう。


内容区分
1、主は、御言葉を通して私たち一人ひとりに語りかけておられる。1:1-2
2、主は、私たちの心に御言葉を刻み込んでくださる。1:3-6
資料問題
詩篇は150篇あり、イスラエルが神を礼拝する時に音楽に合わせて歌ったものといわれる。キリストに関する預言としては、降誕(40篇)、苦難(22篇)、復活(20及び16篇)、昇天と祭司職(110篇)、再臨(50篇)、王としての権威(45篇)などがある。新約聖書中に詩篇よりの引用が75ある。そのうち50はキリストの言葉としてまたは直接キリストに関するものとして記されている。1節「悪しき者」は神を敬わない不敬虔な者。「罪人」は積極的の罪人、「あざける者」は神を汚し、また聖徒を苦しめる者。「はかりごとに歩む」は時々悪しき者の主義を行う事、「道に立つ」は更に悪しき交わりを示し、「座にすわる」とはその群れに入って止まる事で、堕落の三段階を示している。4節「風の吹き去るもみがら」、悪しき者はあたかも農夫が箕(み)をもって穀物を振るうとき、もみがらが風に吹き飛ばされて去るように、神の審判によって地より絶たれる。

1、主は、御言葉を通して私たち一人ひとりに語りかけておられる。1:1-2

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。(1-2節)


聖書の御言葉を通して、神様は私たちに語りかけて下さる。

人類にとって最大の恵みは、神の言葉が文字をもって記され、聖書として私たちに与えられていることです。私たちは「聖書を読め、聖書を読め!」と何べんも何べんも言われています。それは、私たちが聖書を読む時に、神様の語りかけを心に聴くことが出来るからです。
キリスト以前の旧約時代には、神様は預言者を通して人類に語りかけ、それが旧約聖書39巻にまとめられました。キリストが来られて新約時代になり、キリストは神の御心を余す所なく私たちに語り、それが新約聖書27巻にまとめられました。旧約聖書、新約聖書が一つになったのが、今日の聖書です。現代において、神様は聖書の御言葉を通して全ての人々に語りかけています。「御言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」(詩篇119:130)と詩人はうたっていますが、聖書を読むと、必ず心に響いてくる御言葉があります。それは、主なる神様が私たちの心に、聖霊の光を与えて、神の言葉を理解する知恵を与え、私たちに語りかけているからです。
Kさんは、歯茎が痛むので歯医者に行くと、すぐ大学病院へ行くように言われ、顎のガンというショックな診断で、手術ということになりました。ガンという病名を聞いただけで不安になり、顎の骨を削ると言われ、もし手術が失敗すれば自分の顔の半分が無くなってしまうのではないかという心配で、心が暗くなりました。不安におののくKさんを救ったのは、神様の御言葉でした。「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さるのである」(Ⅰコリント10:13)。Kさんは、この御言葉を通して、神様は耐えられないような試練に会わせることはない、逃れの道を備えて下さるということを心から信じ、不安から解放されて平安な気持で手術に臨むことが出来ました。手術後25年以上の日々を健康で過ごし、教会生活に励み、最後は眠るようにして天に召されて行きました。
神様の御言葉は思いがけない形で語られる場合があります。これはある牧師から聞いた話です。夏の毎日を炎天下で働く大工さんがいました。日曜日礼拝に来ると、疲れが出て眠くなり、遂に眠ってしまいました。その時、「眠っている者よ、起きなさい」(エペソ5:14)という声が聞こえてきて、彼は瞬時に目を覚まし、魂が救われるという恵みを得ました。メッセージの中で、牧師がその箇所を引用し、読んだ時に、彼の心の耳にそれが神の語りかけとして雷鳴のように響きわたったのです。まさに、「御言には、あなたがたの魂を救う力がある」(ヤコブ1:21)というのは本当のことであることを知ることができます。

聖書の御言葉を思い(瞑想)、それに従うことが大切です。

私たちは悪しき者、罪人、あざける者ではなく、神様の御言葉を聴いて救いを受け、また神様からの励ましを受けている者であることを感謝します。私たちは日々聖書を読んで神様の語りかけを聴き、それを心に留めて考え、その御言葉に従って行くことが大切です。
Sさんは、「わたしについて来なさい」(マタイ4:19)というキリストの御言葉を心に聴いて献身を決
意しました。しかし問題がありました、それは彼が長男であり、家を引き継いで両親の面倒をみる務めがあるということでした。彼は悩みますが、キリストの御言葉が心に響いてきました。「だれでもわたしのために、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子及び畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける」(マルコ10:29-30)。彼は両親に献身の決意を述べ、着替えだけをもって家を後にしました。父は黙って送り、母は駅までついて来ました。彼は東京へ出て、神様に縋りアルバイトをしながら神学校へ入り、無事に卒業し、開拓伝道に出て、教会を形成します。家を出て20年以上経ってから、突然母より家を管理する者がいない、時々でよいから帰ってきてほしいという連絡が来たのです。彼は時々戻り、母を信仰に導くことができました。聖書の御言葉を心に留め、それに従って行く時に、神様の御業が起るのです。

聖書の御言葉に従う者、それがクリスチャンです。

クリスチャンは聖書を読み、祈り、聖書の御言葉に従って生きる者です。もし聖書を読まなければ、霊的栄養失調になり、霊的に衰えて行きます。聖書を読まなければ、恵まれた霊的に健康なクリスチャンとして生きることが出来なくなってしまいます。霊的に健康な恵まれたクリスチャンとなるために聖書を読むことが大切です。

聖書を読む心得として、詩篇1:2を暗誦して下さい。「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」。

私たちがまことのクリスチャンであるなら、「主のおきてすなわち主の御言葉」を日々読んで、主によって心に霊的栄養を満たしていただきましょう。聖書を読むと祈りたくなります。祈ると聖書が読みたくなります。このよい循環を保って行きましょう。

今週はファミリーの週です。聖書の御言葉を分かち合うことにたくさんの時間を使い、お互いのために祈り合って下さい。キリストを中心とする恵みのファミリーが行われ、ひとりひとりが霊的な恵みと力を受けるために、主に期待して集まりを行って下さい。

2、主は、私たちの心に御言葉を刻み込んで下さる。1:3-6

このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える(3節)、主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる(6節)。



神様の御言葉を心にしっかり留めて行こう。



神様の御言葉を読んで心が養われて行くと、3節のような祝福を受けます。御言葉を心にしっかりと蓄えている者は、流れのほとりに植えられた木のようです、と言われています。木にとって最も必要な水分をたっぷりと吸収して、勢いよく豊かに成長して行くことができます。

キリストは種まきの話をして下さいました。ある種は道ばたに落ち、鳥に食べられてしまいました。ある種は石地に落ちました。土が少しあるので、芽が出ましたが、さらに上に伸びるために根を伸ばそうと思ったら、水気のない堅い石に邪魔されて根が伸びずに枯れてしまいました。ある種はイバラの生え茂る地に落ちました。種は芽を出し、成長して行きましたが、もっと大きくなりたいと思った時に、イバラにふさがれて伸びることが出来なくなってしまいました。ある種は良い地に落ちました。良い地の種は、生え育って百倍の実を結んだのです。それは神様の御言葉を聴いて、正しい良い心でしっかりと守り、何があっても耐え忍んで行く時に、百倍の豊かな恵みを受けるということを示しています(ルカ8:4-15)。私たちの心に与えられた神様の御言葉をしっかりと保って豊かな祝福を得て行くように祈って下さい。



神様の御言葉を心に刻んで行こう。



新約聖書を読むと、たくさんの旧約聖書の御言葉が引用されています。使徒ペテロは、学者たちから、無学なただの人と言われましたが、実に的確に旧約聖書から引用してメッセージをしています(使徒2章ペンテコステの説教参照)。使徒パウロも旧約聖書の御言葉をたくさん引用しています。キリストはあらゆる場面で旧約聖書の御言葉を自由自在に引用しています。荒野でサタンの誘惑に遭った時に、すべて神の御言葉を引用してサタンを退けています(マタイ4:1―11)。十字架の上で、詩篇22篇の御言葉を引用して自分の苦しみを神様に訴えています(マタイ27:45-46)。

ここで忘れてならないことは、ペテロも、パウロも、そしてキリストも旧約聖書の御言葉を記憶していたということです。キリストの時代には紙がありませんし、印刷術もありませんでした。羊皮紙に書かれた旧約聖書が大切に保存され、それをラビたちが読んで覚え、子供達に教え、子供達は御言葉を全部暗誦して育ったのです。記憶の力には個人差がありますが、御言葉を覚えることを実践してみたら良いと思います。例えば、私たちは「主の祈り」を覚えています。長さが同じぐらいの、旧約聖書の主の祈りと呼ばれている詩篇23篇を覚えることはすぐ出来ると思います。時々テレビを見る時に、これはいいアイデアだ、今度それを使ってみようと思いますが、テレビが終ると、もう忘れています。やっぱり自分で読んで、そして覚えようとしないと、どんどん忘れて行きます。聖書を繰り返し読んで、御言葉を心に刻むようにいたしましょう。



最後に、キリストは生きている御言葉であるということを心に留めましょう。



キリストは言われました、「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハネ5:39)。聖書全体が示しているのはイエス・キリストです。キリストを信じることによって、罪の赦し、永遠の命の恵みを誰でも受けることができます。キリストは世の光となって、私たちの人生を導いて下さいます。キリストに従えば、キリストが生きる道を備えて下さいます。

少し逸れて私事ですが、16歳の時にキリストを信じました。タバコやアルコールから守られました。何の道に進むべきか分からない者でしたが、伝道の道に導かれました。リンカーンはアメリカの偉大な大統領でしたが、悪妻に悩まされ、家庭生活は寂しかったようです。私の家内はアメリカに留学が決まっていて、聖書教師、音楽伝道、児童伝道などの多方面の分野で活躍を期待されていましたが、それを取りやめて私と結婚してくれました。それによって私は測り知れない祝福を与えられました。ゼロから始まった開拓伝道が皆さんの祈りと献金と奉仕によって進展し、会堂が狭いという恵みを与えられていることを感謝します。ここで、特に若い方々に勧めます、キリストを第一にして行くならば、人生は実りあるものになって行きます。しっかりキリストにつながって行く決心をして、今日もお祈りして下さい。

本題に戻ります。詩篇1:2は「キリストのおきてをよろこび、昼も夜もキリストを思う」、1:3は「キリストにつながる者は、豊かな祝福を受ける」と理解することができます。キリストは生きている御言葉であると言いましたが、例えば私たちの最も求めている愛はキリストのうちにあります。キリストの愛は相手の立場に立つ愛です。キリストの愛は迷っている最後の一人をも見捨てない愛です。キリストの愛は与える愛ですが、その印は十字架です。私たちのために命を十字架の上に捧げて罪の身代りになって下さった愛です。

教会の目標である「キリストを喜び、キリストを伝える教会」として前進して行くために、皆でキリストを求めて行きましょう。ファミリーでキリストの恵みをいっぱい分かち合って下さい。キリストに感謝し、キリストを喜ぶこと、それが御言葉に生きるということです。私たちが御言葉に従って生きる決断をする時に、家族のこと、経済のこと、仕事のことなどの実際生活に主の恵みが現れてきます。



まとめ

1、1:1-2、主は御言葉を通して、私たちに語りかけて下さっていることを感謝しましょう。聖書をとおして主の語りかけを聴き、それを瞑想し、御言葉に従う者となって行くように祈りましょう。

2、1:3-6、主は私たちの心に御言葉を刻み込んで下さいます。御言葉を心にしっかり留め、心に刻み(覚える)、生きている御言葉であるキリストを求め続けて、恵みを豊かにさせていただきましょう。



祈 り

天地の創造主である神様、私たちに神様の御心を余すところなく記した聖書を与えて下さったことを感謝します。聖書の中心は神の独り子であるイエス・キリストにあることを感謝します。キリストを求め、キリストにある諸々のよきものをもって私たちを満たして下さい。病気の方々に平安と癒しを与えて下さい。仕事を求める方々に仕事を備え、経済の安定を提を与えて下さい。多くの方々が迷いの中にいます。それらの人々に世の光であるキリストを紹介する機会を与えて下さい。今週も主のおきてである御言葉をよろこび、それを考え、実生活に当てはめ、御言葉に従う祝福の道を歩ませて下さい。主イエス・キリストの尊いお名前によって祈ります、アーメン。



参考文献:詩篇注解―浅野、舊約詩篇略註、口語旧約略解、米田、LAB、ナイト、内村、フランシスコ会。