思い煩いを越えて マタイ6:25-34                       主の2010.2.21礼拝

四苦八苦という仏教の言葉があります。人間には、「生(しょう)・老・病・死」という四つの苦しみがあると説きます。それに加えて「愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)・求不得(ぐふとく)・五蘊盛(ごうんじょう・色(肉体)、受(感覚)、想(想像)、行(心の作用)、識(意識))」の四つの苦しみがあり、四苦八苦と言われています。生きていると、様々な心配事があります。心配のない人がいたら幸いですが、人間であれば大なり小なり心配事を抱えています。心配事を抱え、思い煩っている私たち人間に対し、神様は聖書を通して、「恐れるな」(ルカ1:13)と呼びかけておられます。また「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助ける」(詩篇50:15)と約束されています。
本日はマタイ6:25-34です。この箇所で、イエス・キリストは、私たちに対し、「思い煩うな。(心配するなー新改訳、思い悩むなー新共同訳)」と呼びかけ、励ましの御言葉を語っています。聖書朗読の詩篇の中で、「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます」(94:19)と詩人は歌っています。神様は私たちの思い煩いを取り去ると同時に、疲れた心を癒し、思い煩いを越えて進む力を与えて下さいます。キリストは、「すべて重荷を負うて苦労している者はわたしの許に来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われ、私たちの心を重荷から解放し、生きる力と喜びを与えて下さいます。

内容区分
1、主は、思い煩う者に「空の鳥、野の花を見よ」と呼びかけておられる。6:25-32
2、主は、第一に神様を求めることが思い煩いを解決すると教えておられる。6:33-34
資料問題
この箇所は、キリストが山上の説教の中で語られたもので、神の摂理に信頼するようにとの教えである。25節「何を食べようか。何を飲もうかと自分の命のことで思い煩い、何を着ようかと自分のからだのことで思い煩うな」、私たちの生命と身体は神様のご支配の中にあり、神様が養って下さる。だから衣食の不安は無用の思い煩いである。30節「信仰の薄い者」、キリストが弟子達の薄信を嘆いておられる。信仰の薄い事が、「思い煩い」(マタイ6:0)、恐怖(マタイ8:26)、疑惑(マタイ14:31)、議論(マタイ16:8)となって、神への信頼を忘れてしまうのである。32節「異邦人」、ユダヤ人以外の人々を指す言葉。ここでは神様を知らない人々を指す。33節「神の国と神の義とを求めなさい」、神の国の「国」は支配と訳される。人間が神に服従する時に神の支配がある。34節「苦労カキヤ」、悪を意味し、ここではいやな事という意味で用いられている。

1、主は、思い煩う者に「空の鳥、野の花を見よ」と呼びかけておられる。6:25-32

「空の鳥を見るがよい。まくこと、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか」(26節)。「なぜ、着物のことで思い煩うのか。野の花がどうして育っているか考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない」(28節)。

毎日の生活のことなどで心配の種が尽きないのが人生の現実です。キリストは、私たち一人ひとりが希望と感謝の日々を送るようにとの願いを込めて、「思い煩うな」という励ましの御言葉を語りかけておられます。


思い煩いとは、神が真実なお方であることを信用しないことです。

①聖書に、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ロマ8:28)と約束されています。心が思い煩いでいっぱいになると、神様の約束を信じられないと言います。
②聖書は、経済の問題に関して、「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリストイエスにあって満たして下さるであろう」(ピリピ4:19)と約束しています。しかし、思い煩うと、「私は何にも持っていない、惨めな者だ」、「神様が信じられない」と言います。
③主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(へブル13:5)と約束されています。ところが思い煩うと、「誰も私のことをかまってくれない」という、ひがんだ気持になります。

*「主は善にして善をなされる」(詩篇119:68)神様です。しかし、思い煩うと、善である神様を信用しないという考えや行動になり、神様から心が離れて行きます。思い煩いは、不信仰という罪に導くものになります。

思い煩いは、私たちの心と体の健康に害を与えます。

私たちは、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(Ⅰコリ3:16)という神の宮になっています。クリスチャンは御霊を宿す神の宮であることを自覚し、心が恵まれ、体が健康を保つようにして生きています。ところが思い煩うと、心が神様から離れて、恵みがなくなり、気持が不安定になります。心臓障害、高血圧、胃潰瘍、心悸高進、消化不良、便秘、下痢、説明できない疲労、不眠症などになり、神の宮である体が痛んで行きます。

キリストは、思い煩う者に対し、「思い煩うな、空の鳥、野の花を見よ」と言われます。

①思い煩いから解放されるために、その問題から目をそらすことが必要です。
キリストは、「あなたの心に心配事があり、思い煩う時には、空の鳥を見なさい、野の花を見なさい」と言われます。私たちは「そんなゆとりはない、心配で心が破裂しそうです」と答えたくなります。キリストは、「あなたを悩ませている問題から目をそらして、自由に空を飛びまわり、美しく装っている野の花を見て心を和ませなさい」と言われます。皆さん、目を大空に向けて飛んでいる鳥を見たのはいつですか・・・。講壇にランが飾られていますが、花に目を留めたのはいつですか・・・。
私事ですが、伝道を始めた頃、小さな借家が集会場兼住いでした。日曜日と水曜日に6畳・3畳の部屋のものを狭い風呂場に押し込んで、集会場としました。集会が終わり、皆さんが夜の10時ぐらいに帰ってから、掃除をして、部屋のものを風呂場から戻し、布団を敷いて寝るという生活で、その中で子供を育てるという日々が続きました。その頃、時々オニギリをもって荒川の川辺に行き、空を飛びまわる鳥や野に咲く草花を眺めながら時を過ごしました。そうした時間があったことによって、開拓伝道の将来のこと、生活のこと、子供の養育のことなどのプレッシャーが軽くなってくるという、主からの霊的励ましを与えられました。
 ②思い煩いから解放されるために、主の恵みを数えることが必要です。
主の恵みを数えて下さい。心の中で主の恵みを数えて下さい。数え忘れるといけないので、紙に書いて見て下さい。
生かされている事、自分の妻(夫)の愛、子供たちの愛情、健康を守られている事、礼拝に来られた事、周りの方々の祈りの支えに感謝、礼拝での奉仕者の方々に感謝、讃美できる喜び、御言葉を聴ける恵み、感謝の献金を捧げた事、兄弟姉妹たちとの交わりなど即座にたくさんの恵みを数えることができます。私たちは失ったものを数えてしまいます。失ったものではなく、今ある恵みを数えることが大切です。時には恵みとして数えることが出来ないと思うことでも、主は恵みとして数えることが出来るようにして下さいます。J牧師夫妻に、男の赤ちゃんが授かりましたが、脳性小児麻痺となり、男の子は全身麻痺になってしまいました。明るい、頭の良い子ですが、体が動きません。J牧師は「私の子供が生きているということは紛れもない神様の祝福です」と証ししています。その境地に到達するまで時間がかかったようですが、その証しを読みながら、神様から与えられた子供として、子供を愛し、慈しんでいるご両親の姿が目に浮かんで、涙がこぼれました。
③思い煩いから解放されるために、キリストの御名によって祈ることが大切です。

いつでも祈りが必要です。自分の苦しみ、弱さ、思い煩っていることを神様に祈ることが大切です。祈りにおいて大切なことは「イエス・キリストの御名によって祈ること」です。キリストは言われました、「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14:14)。なぜキリストの御名によって祈るのでしょうか。キリストだけが十字架で私たちの罪の身代りとなって命を捧げて下さり、死んで三日後に死を滅ぼして復活されたからです。キリストは、今は天の神様の右の座で、私たちのために執り成しの祈りを捧げておられます(ロマ8:34)。私たちの祈りをキリストが天の神様に届けてくれるので、祈りが聴かれるのです。
Sさんは交通事故に会い、裁判になりました。有能なA弁護士に頼みたかったのですが、弁護料が高くて頼めませんでした。事故を聞いて友達が来てくれたので、A弁護士のことを話してみました。すると友人が「A弁護士は自分の会社の顧問弁護士だ。彼に依頼しなさい」ということになり、裁判は見事に解決しました。Sさんは弁護料を払いませんでした、友人が支払ってくれたからです。A弁護士は、友人の名前と功績(弁護料支払)によって、Sさんを受け入れて問題を解決に導いたのです。私たちはキリストのお名前とキリストの十字架の功績によって罪を赦され、神様に近づき、祈りを聴いてもらえるのです。祈る時には確信をもって、イエス・キリストのお名前によって祈って下さい。あなたの祈りは必ず天の神様の御許に届き、神様からの答えが与えられます。

2、主は、第一に神様を求めることが思い煩いを解決すると教えておられる。6:33-34

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思い煩うな。あすのことは、あす自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(33-34節)

33節を中心にします。33節の御言葉はクリスチャン生活の原理を示しています。私たちの生活の中で、最優先の事柄は、神の国と神の義とを求めることです。神の国の「国」とは「神様の支配のこと」です。神様を信じて、神様の支配の下に、神様を信じる正しい生活をして行きなさいと言われています。33節後半の「これらのもの」とは食べたり、着たりする生活に必要なものです。神様を第一にして行けば、働く力が与えられ、生活の全ての必要は満たされて行くという約束です。

思い煩いに勝利するために神様を第一にして生きて行こう。

「食べることが先決であり、生活が安定したら宗教を求めよう」という事が言われます。聖書によれば、それは間違いです。まず神様を求め、信じることが先です。今から3000年ぐらい前、イサクという神様を信じる人がいました。その国は牧畜をしながら生活をするので、牧畜を養うために井戸が必要でした。イサクはある所に来て、そこに住むことを決意します。さっそく井戸を掘って生活の準備に入るのかと思いましたら、彼が第一にしたことは祭壇を築いて神様を礼拝することでした。それから家族のために天幕を張って住いとしました。そして最後に井戸を掘ったのです(創世記26:23-25)。ここに神様を信じる者の原型があります。神様―家族―仕事という順序です。神様があらゆる事柄に優先して大切です。生活の基礎は神様を礼拝するところにあります。キリストは、「まず神の国と神の義とを求めなさい」と命じておられます。キリストは神様を第一にすることを実践されたお方です。一日の初めに神様に祈っていました(マルコ1:35)。安息日には会堂に入って礼拝の時を持ち、一週間をスタートしていました(ルカ4:16)。私たちもキリストに倣い、神様第一の生活を続けて行く時に、思い煩いから解放されて行きます。


神様を第一にして行くのは今からです。

聖書は、「今は恵みの時、今は救いの日である」(Ⅱコリ6:2)と告げています。神様を第一にして生きて行くのは、今からです。明日からではなく、今この瞬間からです。
ある若い方の証です。小学校3年生の時、吹奏楽部のコンクールで名古屋市のホテルに滞在した時、部屋の引き出しに新約聖書がありました。よく意味が分からないというのが最初の印象でしたが、読み進んで行くうちに、家にもって帰って読みたいと強く思いました。家に戻ると、知人から近所の教会でチャペルコンサートがあることを教えてもらい、初めて教会に足を踏み入れました。今から8年前のことです。それから教会学校に通い始め、翌年、母とふたりで洗礼を受けました。後に父も受洗し、クリスチャンホームになりました。高校に入学し、野球部のマネージャーをしていますが、日曜日に試合がある時は必ず夕べの礼拝に出席して、欠かさず礼拝を守るようにしています。マネージャーとして部員にメンタルトレーニングをする時に、その教材に御言葉を添えて、周りに主の栄光を伝えるようにしています。
一冊の聖書に出会い、聖書をもっと知りたいと願った時に、主は彼女を救いに導きました。その結果、両親も救われるという大きな祝福を得ています。一人の人が神の国と神の義とを求めて、キリストに一生懸命に結びついて生きる時に、素晴しい主の御業が現されます。

個人的な勧めです。あなたも祈って、今から神様を第一にして行くことを決断して下さい。

まず神様を信じ、神様を一番にして行くことを、祈って決断して下さい。そして、どんなことでも、イエス・キリストの御名によって祈って下さい。聖霊が祈りを助けて下さい。神様を第一にイエス・キリストの御名によって祈って行くならば、人生は恵みに変わって行きます。思い煩いではなく、喜びが心にあふれ、希望の日々を送って行けるようになります。家族のこと、仕事のこと、経済のこと、病気のこと、人間関係のこと、夫婦のこと、親子のことなど主イエス・キリストのお名前によって祈って下さい。祈りは必ず神様の御許に届いて行きます。思い煩いを越えて生きる道は、神様を第一にする生活です。


まとめ

1、6:25-32、キリストは、思い煩う者に、「空の鳥、野の花を見よ」と呼びかけています。思い煩いは、神様を信じないという不信仰の罪です。思い煩うと体の健康もだめになります。問題から目をそらして、空の鳥、野の花を見て神様の恵みに感謝ししょう。主の与えて下さった恵みをたくさん数えましょう。何事でも主イエス・キリストの御名によって祈りましょう。その時に思い煩いから解放されて行きます。

2、6:33-34、キリストは、第一に神様を求めることが思い煩いを解決すると教えて下さっています。一番は神様です。その次が家族です。それから仕事です。神様を一番にして行くならば、祝福が与えられます。キリストは神様第一の生活を送っていました。神様を一番にするのは、今からです。今この瞬間から神様を一番にする生活をするように、祈って決断しましょう。



祈 り 父なる神様、私たちはイエス・キリストの十字架と復活により、神の子にされていることを感謝します。思い煩いに勝利して、祝福の人生を歩ませて下さい。そのために、キリストの言われた「まず神の国と神の義とを求めなさい」という御言葉に従って行きます。今週も私たちが聖書を読み、祈って行く日々でありますように導いて下さい。病気の方々を支え、癒しの御業を与えて下さい。様々な問題を抱えている方々に、主の力強い導きを与えて進むべき道をハッキリと示して下さい。祈りを聴いて下さる主イエス・キリストの尊い御名前によってお祈り致します、アーメン。


参考文献:マタイ注解―黒崎、米田、フランシスコ会、文語新約略解、口語新約略解、バークレー、LAB。