喜びの主イエス・キリスト ルカ10:20-22             主の2010.4.25礼拝     

M.Bさん(ロンドン在住)の妹・Tさんが芦屋に住んでいます。そのご主人・Rさんが先週水曜日57歳で天に召され、私たちは葬儀に参列するため、昨日4時起きで、芦屋福音教会に行ってきました。Rさんは関西学院大学の先生として良い働きをなさっていましが、2年ほど前にガン告知を受けました。この大きな試練の中で、ご夫婦でキリストを信じ、昨年秋に二人で洗礼を受ける恵みに与りました。ふつうの葬儀では、愛する者と永遠に別れるということで、心に悲しみが残ります。クリスチャンの葬儀においても、愛する者との別れのために悲しみ、淋しさがありますが、しかし、キリストによって永遠の命を与えられているので、悲しみと淋しさを越えて、やがて天国において再会できるという希望と平安があり、心の奥底に不思議な喜びの気持があります。

本日はルカ10:20-22です。21節で、「イエスは聖霊によって喜びあふれた」と言われています。イエス・キリストは公生涯に入られてから、休むヒマのない伝道の日々をおくっていました。ユダヤ教指導者達による伝道妨害、家族の無理解、絶え間なく祈りと癒やしとを求めてやって来る人々への対応、その間に弟子達を教育し訓練するという多忙な生活の中にあって、キリストの心には喜びと感謝があふれ、神様をほめ讃えています。私事になりますが、先週、結婚42周年を迎えました。記念の日には家内に感謝のカードを書くのですが、今回はいろいろな事が重なって、カードが遅れてしまいました。しかし伝道牧会のために忙しいことは感謝なことであり、私たちの霊力、知力、体力が主の恵みと皆さんの祈りによって支えられていることを感謝します。そのような中で、昨日は関西・芦屋で行われた葬儀に行ってくることができ、地上における別離の悲しみを越えて、心の奥深い所で永遠の命の喜びを感謝しつつ、ご遺族のために祈ることができました。

喜びの主イエス・キリストを見上げつつ、メッセージを自分への語りかけとして聴き、祈って、新しい一週間の旅路へ出発してまいりましょう。



内容区分

1、キリストは、まことの喜びを教えて下さる主である。10:20

2、キリストは、まことの喜びを与えて下さる主である。10:21-22

資料問題

ルカ10:1以下に、キリストが72人の弟子達をふたり一組にして伝道へ遣わしたことが記されている。17節に、伝道から帰った弟子達の報告がある。弟子達はキリストの御名によって伝道した時に、悪霊が服従するという顕著な印が与えられたことを報告している。キリストは「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」と言われ、サタンの敗北を宣言している。本日の箇所で、悪霊を制して喜ぶ弟子達に対し、キリストは、真の喜びは「あなたがたの名が天に記されていることである」と告げている。天に名が記されたとは、天国の生命(いのち)の書に名前が記された、との意である。「生命(いのち)の書」については出エジプト32:32-33、イザヤ4:3、エゼキエル13:9、ダニエル12:1、ピリピ4:3、黙示録20:12、15を見よ。



1、キリストは、まことの喜びを教えて下さる主である。10:20

「霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」(20節)



10章のはじめで、キリストは、弟子達72名を二人一組にして伝道のために遣わされました。出発にあたり、3節で「さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、子羊をおおかみの中におくようなものである」という言葉で送り出しています。弟子達は激しい伝道の戦いを経験したと思いますが、17節で、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までわたしたちに服従します」という伝道の成果を、大きな喜びをもって報告しています。その報告を聞きながら、キリストは「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た」とサタンの敗北を宣言し(18節)、弟子達にサタンのあらゆる力に打ち勝つ権威が授けられたことを伝えています(19節)。



ところで、キリストは、弟子達から「霊(悪霊)が服従しました」という報告を受けた時に、意外な事を言っています。それは「悪霊があなたがたに服従することを喜ぶな」という言葉です。悪霊を制するという素晴しい働きを喜ぶことは当然であると思いますが、キリストは、「喜ぶな」と言っています。このキリストの言葉の真意は、真の喜びとは何かということを教えるためであったと思われます。



真の喜びでないものは、どんな喜びでしょうか。

外側からもたらされた喜びです。自分が昇進した、給料があがった、よい学校に入れた、新しい車が手に入ったという類の事でもたらされる喜びです。それはそれで素晴しいことですが、なぜかそのような喜びはいつの間にか消え去って行きます。例えば新しい車はやがて古くなって行き、喜びは薄れ、消えて行きます。弟子達は悪霊を服従させるという伝道の成功を喜んでいます。もし成功だけを喜ぶとしたら、成功しない時には失望だけが残ります。



それでは、真の喜びとはなんでしょうか。

それは、「あなたがたの名が天に記(しる)されていることを喜びなさい」(20節)という救いの喜びのことです。弟子達は、もちろん救いの喜びを知っていたはずです。しかし、悪霊が自分たちに服従するという今までにない経験に心を奪われて、救いの喜びから目が逸れていたのです。何にも勝って最大の喜びは救われ、天の命の書に名前を記されることです。これは消えることのない喜びです。旅行の喜び、学校入学の喜び、就職の喜び、結婚の喜びなど様々な喜びがありますが、これらの喜びは時の経過によって薄れ、消え去って行きます。しかし、キリストの十字架を信じて罪の赦しを受け、キリストの復活によって永遠の命を受け、天国の命の書に名前が記された喜びは消えない喜びです。なぜなら救いを与えて下さったキリストは、昨日も、今日も、永遠まで変わることのない生きている救主だからです。私事になりますが、高校2年の時にキリストを信じ、洗礼を受けましたが、それ以来一度も救いの喜びは消えることなく持続し、ますます心の中に喜びが増し加わってきています。キリストが永遠であるように、救いの喜びは消えうせることのない喜びです



*あなたは、自分の名前が天の命の書に記されている事を信じ、喜んでいますか・・・。



昨年、私たちはロンドン、ウイーンへ伝道旅行に行きました。伝道旅行の最大の目的はキリストを個人的に伝道する個人伝道の学びをすることでした。私と家内で個人伝道の研修内容を交互に教えるという形で奉仕をしました。ロンドンの研修会の時、Bさん一家が研修会に出席しましたが、特に長女の恵さんは(惠さんは小児科のお医者さんです)、研修後すぐにヒースロー空港から日本に飛び、病気と闘っている叔父さんのRさんに、そして叔母さんにキリストの救いを伝えるという使命をもって学びに参加していました。恵さんは独立して他の場所に住んでいるのですが、私たちはB家に滞在させてもらっていたので、勤務の間に、B家に来て研修会以外にも祈りと学びの時をもちました。ロンドンJCF教会での研修会後、恵さんは祈りの中に日本に出発しました。そして聖書の示すキリストの十字架と復活による救いを、聖霊に助けられて叔父さん叔母さんに伝道し、二人ともキリストを心に迎え入れて、天の国籍に名前を記されるという救いの喜びを得たのです。昨年秋には、夫婦そろって洗礼を受けるという祝福を与えられました。神様の時が来てRさんは4月21日に天に召されて行きましたが、昨日の葬儀に出席して、やがて天国で再会できるという希望が与えられていることを感謝することができました。

2、キリストは、まことの喜びを与えて下さる主である。10:21-22

そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者に隠して、幼子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。すべてのことは父からわたしに任せられています。そして子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません。」(21節)



「イエスは聖霊によって喜びあふれた」(21節)と言われています。聖霊に満たされて喜ぶというのは、神様が与えて下さる清い喜びです。これは人間がもっている喜びとは違う喜びです。

私たちは衣食住が満たされることによって喜びを感じます。健康であるという喜びもあります。しかし、人間には暗い喜びもあります。人の落ち度や失敗を喜ぶという暗い喜びがあります。罪に縛られながら、例えば麻薬はいけないと知りつつ、それから離れようとしないで、その罪を喜び楽しむということがあります。人間は様々な形において喜びを求めて、それを原動力にして生きています。ですから何を喜ぶかということで、人生が決定されるとも言えます。

クリスチャンのもっている喜びは、一般的に人間がもっている喜びとは全く違うものです。それは、聖霊によってキリストを告白し、救われた喜びです。これはクリスチャン独自の喜びです。「キリストは聖霊によって喜びあふれて言われた」とありますが、これはキリストが祈ったことを表しています。キリストの祈りから三つの事を学び、私たちも聖霊による喜びを求めて祈って行きたいと思います。



第一に、キリストは「天地の主なる父よ」と祈る喜びをあらわしている。

私たちの天の父なる神様は創造主である神様です。神様とは、初めに天と地を創造され、万物を支配し、守り、導いておられる父なる神様です。キリストは神様の独り子でした。創造の初めから、天国の清い、喜びにあふれた所におられたお方です。キリストがこの祈りを捧げた時は、天の栄光を捨てて地上に降り、人の救いのために、あらゆる苦労を耐え忍びながら、十字架に向かって進んでいる時でした。キリストは自分がおられた天国を仰ぎ見つつ、そこにおられる父なる神様を慕い求めて祈っています。天国は涙が拭われ、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない永遠の喜びの国です。キリストは、天国を仰ぎ見ながら、天の父なる神様との親しい交わりをもって祈っておられます。天国を慕い求めることはクリスチャン生活の根本的原理です。それを示すのが次の御言葉です。(この御言葉は神学生の時に叩き込まれた御言葉の一つです)



このようにあなたがたはキリストと共によみがえらされたのであるから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。(コロサイ3:1-2)



第二に、キリストは「あなたをほめたたえます」と父なる神様を讃美する喜びをあらわしている。

クリスチャンの特徴は讃美する民であるということです。讃美とは神様をほめ讃えることです。キリストは父なる神様を讃美しています。私たちは歌をとおして主を讃美します。声の限りに主を讃美しましょう。テレビでカラオケ大会を見たことがあります。みんな熱心に、男女の別れのような内容の3分間の歌を、気持を最大限にこめて歌っていました。キリストの救いをうたう時に、救いの喜びを心を込めてうたい、主を讃美すれば、心も体も救いの喜びで満ちあふれます。

主を讃美することを喜んで行くことが大切です。そして、讃美で大事なことは、主が讃美されていることを喜ぶことです。私たちの讃美をとおして、ただ主が讃美され、ほめ讃えられる時に、聖霊は主を喜ぶ清い恵みを心に満たして下さいます。

讃美にまつわることですが、ある牧師の娘さんが証をしています。「父は脳血栓の病気になり、ベッドについたまま言葉が出ず、意志の疎通ができているのか心配であった。ある日、『わたしはあなたにむかって手を伸べ、わが魂は、かわききった地のようにあなたを慕います』(詩篇143:6)という詩篇を読んだ時に、それまで声が出なかった父が大声をあげて感謝の涙を流しました。それから間もなく、聖日の朝、ちょうど礼拝のはじまる時間に、82歳で天に召されて行きました。私は父の魂が天に響く讃美の歌につつまれて神のみもとにのぼって行くように思われたのでした」。

家内の母も、「主にすがる我に悩みはなし」という讃美につつまれて、眠るように天に召されて行きました。



第三に、キリストは、「父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした」と祈られ、神様の御心がなることを喜ぶことをあらわしている。

私たちの祈りの目標は、父なる神様の御心に全面的に従うことです。キリストは聖霊によって祈られたのですが、いつでも神様の御心がなることを願って祈っておられます。キリストは、たとえ自分にとっては不利であり、不都合であり、苦しい立場におかれるようなことになったとしても、自分の思い描いた答えでなくても、神様の御心に従うことを第一にすることを喜ぶということを貫いておられます。キリストはゲッセマネで、「自分の願いではなく、神様の御心がなるように」ということを血の汗を流して祈り求めました。キリストは常に神様の御心に従うことを求めて祈っていました。



*祈りについて、二つの問いかけがあります。あなたは①と②のどちらでしょうか。



①まず自分の立てた計画がある。それに神様が助けを与えて下さることによって自分の願いどおりになって行くことを信仰の幸いと考えるクリスチャンでしょうか。



②まず神様が私たちのためにもっておられる計画がある。自分がそれに従うことによって神様の御心がなって行くことを喜びとするクリスチャンでしょうか。



*①のように考え、求めことるもあるが、②のようでありたいと主に祈り求めてまいりましょう。



お祈りを捧げます。



天地の主である神様、独り子イエス・キリストの恵みによって神の子にされていることを感謝します。私たちの最大の喜びはキリストの救いに与り、天の命の書に名前を記されていることです。昨日も、今日も、永遠に変わることのないキリストによって、この救いの喜びはいつまでも消えることのない喜びであることを感謝します。私たちに、聖霊によって、父なる神様に祈る喜びを与えて下さい。神様を讃美する喜びを満たして下さい。自分の願いではなく、神様の御心が成ることを喜ぶ祈りを与えて下さい。自分に不利であっても、神様の御心であるならば、それに従う信仰の力を与えて下さい。祈りの中に神様の御心を知る知恵が、聖霊によって与えられ、御心に従う喜びをもってもって主に仕えて行く者として導いて下さい。聖霊によってキリストの救いを喜び、キリストを伝える教会として前進する力を与えて下さい。救われた多くの人々が集うために、ふさわしい広さの会堂、駐車場が主によって備えられることを信じます。病気の方々、助けと導きとを求めている方々に癒やし、平安、勝利を与えて下さい。喜びの主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。



参考文献:ルカ注解―フランシスコ会、黒崎、LAB、文語訳略註、口語訳略解、米田、バークレー、

矢内原。 「御霊の実とキリストの生涯・野田秀・ことば社」、「星を動かす少女・松田明三郎・福永書店」