求めよ! ルカ11:9-13              主の2010.5.30礼拝

八木重吉(1898-1927)はクリスチャン詩人として、たくさんの神様を愛する詩を書いています。彼の詩に、「みんなもよびな」という赤ちゃんのことをうたったものがあります。

さて あかんぼは なぜに あん あん あん あん なくんだろうか
ほんとに うるせいよ  あん あん あん あん あん あん あん あん
うるさか ないよ うるさか ないよ
よんでるんだよ かみさまをよんでるだんよ
みんなもよびな あんなに しっこくよびな

赤ちゃんはよく眠ります。目が覚めるとにこにこ笑い、手足をばたばたします。おなかがすいたり、オムツが濡れて気持が悪い時、暑い時、「あん あん あん」と、自分の求めていることを泣き声によって知らせ、願いがかなうまで泣き続けます。八木重吉は、この詩を通して、赤ちゃんが親に向かって自分の気持を訴えているように、私たちも神様に向かって、「みんなもよびな あんなに しっこくよびな」と言って、神様に呼び求めて行こうという気持を表しています。
本日はルカ11:9-13です。ここに記されているのはキリストの御言葉です。「求めよ」という言葉があります。続いて「捜せ、門をたたけ」と言われています。神様に向かって、自分の求めるところを積極的に、率直に訴えて行く信仰を持ちなさい、という勧めです。信仰をもって祈れば、「求める者の願いは聴かれる、捜す者は見いだすことができる、門をたたく者は開けてもらえる」ということが約束されています。さらに、神様は、私たちに最も良いもの、聖霊を与えて下さることが約束されています。私たちは様々な祈りの課題をもち、願いをもっています。キリストの、「求めて行きなさい、祈りは聴かれる」という励ましの言葉を心に留めて、今週も祈りの日々を送ることができるように主に祈って下さい。今朝も主のメッセージに耳を傾け、祈って、新しい一週間の旅路へ出発して行きましょう。

内容区分
1、キリストは、「求めよ」と言われ、私たちを祈るように導いて下さる。11:9-10
2、キリストは、祈り求める者に最善の賜物である聖霊を与えて下さる。11:11-13
資料問題
この箇所で、祈りの普遍的原理と約束とが示されている。9節「求めよ」、祈りは聴かれるという思いをもって祈る、「捜せ」、更に進んで探求する熱心さ、「門をたたけ」、なお一歩進んで、祈りの答を見るまでまでは祈りをやめない決心をもってうるさく求める熱心さをいう。13節「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」、父たる者は、愛の故に、その子の求めるものを与える。罪人である人間でさえそうだとすれば、偽ることのない愛に富まれる父は、求めて来る者に良いものを下さらないことがあろうか。賜物のうち最上の良き賜物は聖霊である。聖霊は求めるすべての者に与えられるのである。

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1、キリストは、「求めよ」と言われ、私たちを祈るように導いて下さる。11:9-10

「そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」(9-10節)


このキリストの言葉は、誰にでもわかるすばらしいものです、ぜひ覚えて下さい(暗誦)。この言葉は、祈りの真理を的確に示すもので、私たちの祈りを支えてくれる大切な言葉です。
キリストは、「求めよ、捜せ、門をたたけ」と言われます。この言葉によって、キリストは、「信仰をもって、あきらめないで祈れ」と教えてくれています。私のところに、電話で、メールで、また直接に多くの祈りのリクエストが寄せられます。その内容は人間の力ではとても解決できないという難しいものです。祈りの要望を受けて、どんな難しいと思っても、「求めよ、捜せ、門をたたけ」というキリストの言葉を信じて、何でもお出来になる神様に祈りを捧げます。直ちに答えが与えられる時があります。長く継続して祈っている祈りもあります。とにかく「求めよ」という言葉に励まされて祈ります。

ある人は、「キリストは、『あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存知である』と言われたのに、なぜ祈るのですか」と言います。その答えは次のとおりです。私たちが祈る前から、私たちの必要をご存知の神様は私たちに霊的光を与え、恵みを与えようと常に待ち構えています。ところが私たちは他のものに心を傾け、この世のものに目を奪われ、神様の霊的光と恵みを受け入れる状態にないのです。そこで祈りが必要です。祈りによって、心を神様へ向けることができるからです。神様に向かって祈ることによって、この世のものから目を離し、神様の光を受けるように心の目が開かれます。それは祈る意志が心の曇りを取り除き、心を清め、私たちに注ぎ込まれる神様の恵みをより多く受け入れられるように整えられるからです。

ある人は、「キリストは、私たちに『求めよ』と言うが、神様は求めなければ祈りを聴いてくれないのですか、捜さなければ発見できないのですか、門をたたかなければ開けてもらえないのですか。それでは、母親が子供に『良い事をしたらお菓子をあげるよ』というのと同じではないですか。『求めよ』という条件をつけるのは、人間の努力がなければ祈りが聴かれないということですか」」と言います。その答は次のとおりです。神様は人間に考える力、物事を自由に選び取る意志を下さいました。求めなくても、捜さなくても、たたかなくても恵みをもらえるというのであれば、それは恵みをただ受けるだけのロボットのようなものです。私たちは、神様の恵みを受ける自由、受けない自由を与えられています。私たちは神様の恵みを受ける自由を選びました。その自由を使って、求め、捜し、門をたたいて、神様の祝福を受けて行くのです。神様は、求めない者には与えません。門をたたかない者には扉を開けません。求めない者、門をたたかない者は、神様の恵みを受けないということを選んだので、神様は求めない者には恵みを与えることができないのです。たとえ神様が恵みを与えようとしても、恵みを受けないと決めているので、神様の恵みは届かないのです。


私たちは、キリストの救いを受けて、神様の恵みを信じて求め、捜し、門をたたくという積極的な気持をもってお祈りできることを感謝します。5月が終ろうとしていますが、毎月の祈りの課題に、救われる者が起こされるようにという祈りがあります。神様は先週、救われてまだ日が浅い人をとおして、キリストを知らない人を教会に導いて下さいました。聖書の言葉を伝えることができましたが、この人が救いに至るようにと願っています。皆さん、毎月の祈りの課題として、救われる人が起こされ、教会につながって行くようにという祈りを日々に祈って下さるようにお願いをします。

神様の光が届きにくいと思われている刑務所にいるMという人の証です。Mは小さい時から暴力をふるい、強くなりたい一心で暴走族に入り、遂に長い刑期の判決を受けて刑務所に収容されました。彼は、獄中でクリスチャンになった仲間をとおして、一冊の聖書を手に入れました。聖書をもらったのですが、最初は神様を無視し、聖書を読もうとはしなかったのですが、神様は、Mの心を霊的な光で照らし、恵みを与えようと待っていたのです。やがて、少しずつパラパラと読み始め、新約聖書を読み進んで行きました。少しずつ求める気持をもって聖書を読むことによって、彼の心は神様の光に照らされて行きました。彼はある事があって、雑居房から独房に移されていました。彼を文書によって導いていた牧師のところにMから手紙がきました。「12月25日、クリスマスは自分にとって特別な日でした。12月初めに聖書を全部読むことができました。12月25日、独房の窓を開け、空気を入れ換え、正座をしました。聖書に、12月25日イエス様を信じると記し、署名しました。私はイエス様を信じ、神様は私を新しくして下さいました。不思議です」。キリストは、「求めよ、捜せ、門をたたけ」と言われましたが、Mは獄中でコツコツと聖書を読み進んで行き、キリストの救いを受け、神の子になることができました。

2、キリストは、祈り求める者に最善の賜物である聖霊を与えて下さる。11:11-13

「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(13節)


私たちは罪を赦され、神の子供にされ、祈るという恵みを与えられています。キリストが言われた、「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14:14)という言葉を信じて、私たちはいろいろなことを祈ります。朝に夕に様々なことを祈ります。多くの祈りが聞き届けられていることを感謝します。

この11-13節を通して、キリストは、「あなたがたの祈りは聴かれる。父親は子供が魚を求めれば、魚を与える。卵がほしいと言えば、ちゃんと卵を与える。魚の代わりにヘビ、卵の代わりにさそりを与えるようなことはしない。あなたがたは天の父である神様に祈るが、神様は最善の賜物である聖霊をあなたがたに下さる」と約束されました。



*聖霊を受ける時に、聖霊によって神様の愛が心に注がれ、私たちに二つの大事な使命が与えられます。

第一は、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝える」という伝道の使命です。

第二は、「キリストの教会に属して、クリスチャンとして霊的に成長すること」です。



第一の伝道について考えて見ましょう。

日本では、なかなかクリスチャンが増えないということが言われています。お隣りの韓国では人口の25%がクリスチャンと言われています。共産主義の国である中国では、政府の目を避けて、地下教会の働きを通してどんどんクリスチャンの数が増えていて、5千万人を越えているということです。日本ではクリスチャンの数が、人口の1%の壁を越えられないでいる、少子高齢化で教会に若者が集まりにくい、伝道者の数が減っているという悲観的な情報ばかりが流れています。しかし、神様は求める者に聖霊を下さいます。キリストは言われました、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)。

私たちの教会も聖霊に導かれて、ここまで進んで来ることが出来ました。もう40数年の昔になりますが、「聖霊に頼って、キリストを伝道せよ、キリストの教会を形成せよ」という弓山校長の激励を受けて、私たち夫婦で伝道を始めた頃を思い起こします。私たちがクラー宣教師夫妻より伝道を引き継いだのは1968年です。借家を2回移動したり、最初の子供が流産しそうになったり、様々なことを体験しながら、礼拝が10人を越えるようにと毎日祈っていました。教会会計は本当に僅かなものでした。それから10年後の1978年の記録によると、毎回礼拝が30人、毎月の教会会計が25万円となっています。その2年後に現在地を850万で購入しましたが、会堂献金はゼロになってしまいました。しかし、主は生きておられます、それから2年後に教会員総員で労力奉仕をして教会建設を進め、さらに皆で1300万以上の献金を献げ、借金なしで今の会堂が1982年、弓山先生の司式で献堂されました。その当時の礼拝が毎回43人、毎月の教会会計が39万円です。ここに移ってきて28年たっていますが、礼拝堂が手狭になり、二部礼拝をするようになり、新しい会堂、駐車場を神様に求め、祈る時期に入っています。聖霊を与えられて、伝道することが教会の使命です。伝道すれば、神様は救われる人々を起こし、教会に加えて下さいます。主の再臨は近づいています。家族が、友が、知り合いがキリストの救いに与るように祈り、伝道して行きましょう。



第二に、キリストの教会に属し、霊的に成長することを考えてみましょう。

聖霊に導かれて、霊的に成長するために大切なことを二つ申し上げます。

①キリストに真実をもって従って行くことです。

キリストの十字架によって罪の赦しを与えられたことを感謝し、聖書を読み、祈りをささげて行く生活を継続して行くことです。ごく当たり前のことですが、これを一年365日続けて行くのは戦いです。サタンに負けないで、聖書と祈りの日々を今週も送って行くように祈って下さい。

②キリストに対する熱心さです。

キリストは、「あなたがたの信仰は、冷たいのか、熱いのか。冷たくもなく、熱くもない、生ぬるい信仰ではだめだ、生ぬるいのは口から吐き出す」と言っています(黙示録3:14-22)。

23歳の時にイエス様を信じた川口さんは、神様に喜ばれるクリスチャン生活を送るために、車田秋次牧師から次の三つのことを教えられました。

1、毎週、礼拝に出席すること

2、収入の十分の一を献金すること

3、教会のいろいろな集会に進んで出席して、ほかのクリスチャンと仲良くすること

川口さんは困ってしまいました。献金すること、教会の集会にできるだけ出席することなら、なんとか守れそうです。「できるだけ」というのは、誰にでもできることです。「でも・・・」と川口さんは考えました。毎週、礼拝に出席するのは大変です。仕事が本屋なので、日曜日はお客が一番多い日です。その日に休めば収入が減ってしまいます。けれども川口さんは、神様が守って下さることを信じました。日曜日は神様を礼拝する特別な日です。自分の都合ではなく、神様の言葉に自分の生活を合わせることにしたのです。月末になって、その月の収入を計算した川口さんは、思わず声をあげました。「神様は約束を守って下さった!神様、ありがとうございます!」。日曜日に働かなかったのに、収入は少しも減っていなかったのです。それから一生の間、川口さんは日曜礼拝を守り、十分の一献金を捧げ、諸集会を守りました。東京の世田谷で牧師先生を助けて新しい教会をつくり、他のクリスチャンの良いお手本になりました。神様は、川口さんの生涯を祝福して下さいました。


お祈りを捧げます。

天地の主である神様、イエス・キリストの十字架と復活をとおして救いをいただき、神の子にされていることを感謝します。キリストの言葉を信じ、「求め、捜せ、門をたたけ」という積極的な思いをもって祈って行けるように導いて下さい。神様は最善のものである聖霊を与えて下さることを感謝します。聖霊の満たしを受けて、キリストを伝道して行くように私たちを用いて下さい。新しく救われる者が次々に起され、教会に加わってくるように導いて下さい。救われた人々が集まりやすい会堂、また駐車場を与えて下さることを信じ、祈り、献金して行きます。神様の場所を示して下さるようにお願いします。私たちを霊的に成長させて下さい。キリストの救いに真実に答えるため聖書を読み、祈る生活を継続させて下さい。礼拝を守り、十分の一献金を献げ、諸集会に出席し、キリストにある交わりを深めさせて下さい。キリストの十字架の死を記念し、「十字架は私のためでした」という信仰をもって聖餐式に与らせて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。


参考文献:ルカ注解―黒崎、米田、LAB、フランシスコ会、文語略註、口語略解、矢内原。 「ショートメッセージ・成長センター」、「神を呼ぼう・八木重吉・新教出版社」、「アッセンブリー・1964年救いの光運動記念特別号」
「ギデオン・2010・5月・678号」