アブラハムの交渉術

創世記18:22-33 201126

 

導入

 渡辺先生の近況について。2/15に太田の県立がんセンターで、セカンドオピニオンを聞く予定。先日病院から咳を抑える薬をもらった。日曜日皆さんに手を置いて祈って頂いた以降、食欲が増してきている。渡辺先生のいやしのための熱い祈りの炎が燃え上がり、熊谷福音キリスト教会のリバイバルの様相を呈している。皆さんの祈りに心から感謝。また睦子先生はガン告知以降、夜眠れず、ぎっくり腰気味である。ご夫妻のために乞ご加祷。

 先週の日曜日私は、皆さまの祈りに守られて、無事友人の吉永先生の主管牧師就任式に出席してきた。私は祝辞の中で渡辺先生の御病気のことをお話し、祈りのリクエストをした。教団を超えて、祈りの輪が広がったことを主に感謝する。

 私が不在の間、教会では妻がメッセージ、妹の路津子が司会と通訳をし、夕拝が守られたことを感謝する。

 また先週の月曜から水曜まで、私たち夫婦は正教師となる試験をうけた。恵みにより、荻野は四科目受かった。妻は二科目受かった。妻は来年以降、あと二科目リベンジする、と言っている。私は(恐らく)、二月末の教職研修会で按手礼を受け、晴れて正教師―結婚式や洗礼式を司式/執行できる―資格を得られることと思う。皆さんの祈りに心から感謝。

 

 以前、中古屋でクーラーを買った。2008年製のエアコンが、各20,800円で3つ売られていた。店長に聞いた。「もしこのクーラーを3つ買ったら、お幾らにして頂けますか。」すると各800円、計2,400円の端数を切って、3台で60,000円とのことだった。店長と私は共に満面の笑み、商談成立である。

 さて、値段の交渉についてお話したが、より重要なのは神との交渉である。今日の聖句でアブラハムは、神と大胆に交渉している。「もし義人が50人いたら」で始まり、最後は「10人」まで、値切っている。神もそれに付き合って、「10人いたらソドムを滅ぼさない」と約束する。今日は創世記から「アブラハムの交渉術」について学ぼう。

 

ポイント1.アブラハムの交渉術

ポイント2.人との交渉

ポイント3.神との交渉

 

ポイント1.アブラハムの交渉術

 さて、アブラハムの交渉術をまとめてみた。結果は「コイケヤ」となった。

 

コイケヤ

コ…交渉すべき内容を選ぶこと

イ…Win-Winを狙うこと

ケ…謙虚であること

ヤ…やり抜くこと

 

㋙交渉すべき内容を選ぶこと

 先ほどのクーラーの値段交渉を思い起こそう。中古商品であり、店長の裁量で値段が下がり得る、と言う前提があって、値段の交渉が可能となった。これがコンビニに行って、値段の決まっている120円の缶コーヒーが110円になるように値切るのは少々無茶である。

アブラハムの交渉術第一は「交渉する内容を選ぶこと」である。アブラハムは、創13:9では、住むべき土地を甥のロトに先に選ばせた。だが今回は事情が違った。ソドムには甥のロトが住んでいる。そしてソドム自身のためにも、これを救わなければならない。

 

19:22

その人々はそこから身をめぐらしてソドムの方に向かったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。

 

 アブラハムは、ソドムを滅ぼそうとする神の前に立ちはだかった。「これだけは譲れない」という「ロトの家族とソドムの救い」という問題を交渉した。

 

Win-Winを狙うこと

 クーラーを値切った際、店長と私は共に満面の笑み。双方嬉しかった。私がしぶしぶ財布からお金を出すとか、逆にお店がさんざん値切られ泣かされて販売するのではない。これを両方共「勝っている」ということでWin-Winと言う。

アブラハムの交渉術第二は「Win-Winを狙うこと」である。アブラハムの場合、神の御働きは「公義を行うこと」(18:25)。またアブラハムにとっては「ソドムが救われること」が狙いである。そこでアブラハムは、神も公義を行うことにより満足することができ、かつアブラハムもソドムの救いによって、ロトとその町が救われるというWin-Winを狙った。

 

㋘謙虚であること

 どんな交渉内容、どんな立場や関係においても、上から目線でものを言ったら、交渉にマイナスになり、プラスとはならないだろう。

 アブラハムの交渉術第三は「謙虚であること」。「わたしはちり灰に過ぎませんが…」(18:27)。「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう」(18:30)。「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します」(18:32)。自分より上の立場の人の交渉であればあるほど、謙遜さが重要であろう。また自分が上の立場であっても、面目をつぶすような、一方的な物言いであれば、恨みを買ったり信頼を失うことになりかねない。だからいずれの交渉の折にも、謙虚であることが望ましい。

 

㋳やり抜くこと

 クーラーを買った際は、一発で話がまとまった。これは双方の満足する折り合いの地点が比較的無理なく、かつ分かりやすいものだったからだ。だが私たちの人生で起こる出来事は、値切りのような単純な出来事ではない。だからその交渉には時間が必要であり、時には交渉の途中で疲れ果て、投げ出してしまいたくなることもあるかもしれない。

 アブラハムの交渉術第四は「やり抜くこと」である。アブラハムの交渉の特徴は、驚くべき粘り強さである。彼は50人の正しい者がいたらソドムを滅ぼさない、との約束を取り付けた後、45人、40人、30人、20人、10人というところまで約束をこぎつけた。

 

 まとめるとアブラハムの交渉術とは第一に「交渉すべき内容を選ぶこと」。アブラハムはただのクレーマーでなく、ここぞというときに集中する、賢い交渉人である。第二に「Win-Winを狙うこと」。どちらかに不満が残るのでなく、双方が満足できる、そのような落としどころを模索する。第三に「謙虚であること」。特に日本では「言い方」というのは実に大事である。アブラハムから交渉における「謙虚さ」を学びたい。第四に「やり抜くこと」。交渉の肝はこれであろう。

 

ポイント2.人との交渉

 フィリピンのストリートチュードレンに、私は当初どのように接して良いか分からなかった。というか、完全に怖がっていた。うかつにお金を渡すと、どこからともなくわーと集まってきて、身ぐるみはがされると聞いていた。

 だが次第に彼らは別に攻撃するわけでもないことが分かってきた。そこでコインを忍ばせ、一度街に出かけたら、誰か一人の子にコインをあげるようになった。

 だが当時ガールフレンドとなりつつあったチャチャ師には驚いた。単にお金をあげるだけではない。交渉するのである。例えば、兄弟のストリートチュードレンがいたのだが、妹と半分こするなら、2倍上げる、とか交渉を始めるのである。

 私の衝撃は大きかった。そう、交渉とは、実は相手を対等に扱うということなのである。私は当初ストリートチュードレンを避けていたのに比べ、コインをあげるようになり、それで満足していた。だがそこに対話はなく、言って見ればストリートチュードレンは、あわれむ対象であっても、対等に話し合って合意の下、何かを一緒に行う、そういう存在とはなっていなかった。

 交渉は、自分を卑下せず、かつ相手を恐れず、対等にお互いの願いを実現する方法である。それがストリートチュードレンであれ、上司であれ、あるいは取引先、家族、友人であれ、自分を卑下せず、かつ相手を恐れず、対等に語り合って、お互いが利益を得る妥協点を探ることのできる素晴らしい方法なのだ。

 今日の聖句は第一義的には神との交渉について教えるが、人間との交渉にも役立つと思われる。簡単に、アブラハムの交渉術を、人との交渉に当てはめて考えてみよう。

 

㋙交渉すべき内容を選ぶこと

 まずは適切な交渉すべき内容を選ばなければならない。初めは小さいことから。例えば、お菓子をねだる孫に対して。「お母さんのお手伝いを一つしたら、お菓子を買ってあげる」。これも立派な交渉である。そういった小さなこと、危険の少ないことから始め、徐々に大きなことを実行していったらよい。今まで受け身だった人が、「待った」をかけて交渉をするというのは、勇気のいることである。だが実際に行動してみると、恐れていたほどの事ではないことが分かる。むしろ受け身でいた人生から、交渉により自分の人生を切り開くことができる。

 

Win-Winを狙うこと

 

マタイ7:12

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。

 

 自分の要求を通すだけでは、ただのわがままである。だが相手の立場になって「自分だったらこうしてほしいなあ」と思うことを、相手に提供できるなら、相手も喜んで応じてくれる可能性が高い。交渉術の根底にあるのは愛である。相手を愛し、その願うところを知るときに、私たちは巧みな交渉人となっているに違いない。

 

㋘謙虚であること

 交渉するとは、相手にとってやや飲み込みにくい内容を突きつけることにもなる。だがその飲み込みにくいものを上手にオブラートに包んで、つるりと飲ませることができるのが「謙虚さ」である。同じ交渉内容でも、謙虚さが、交渉相手に対してそれを無理なく飲み込ませる、魔法の薬となる。

 

㋳やり抜くこと

 

マタイ7:7

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすればあけてもらえるであろう。

 

 諦めればそこで交渉は終りである。諦めずに、粘り強く。

 

 このように、アブラハムの交渉術は、人との交渉にも力を発揮する。ぜひ試してほしい。クリスチャンとの皆さんの影響が、他に及べば及ぶほど、その人々にとって祝福となる。クリスチャンの皆さんの価値観が周りの人に影響し、祝福をばらまく者となってほしい。

 

ポイント3.神との交渉

 私が召されたのはマルコ10:29-30の御言葉である。当初この御言葉に抵抗していたが、約3か月後、折れて降参し、献身の決意をした。今思い返してみると、これも神と私との間の交渉だったのだ。

 神は次の交渉内容で私を召した。「献身しなさい。そうすれば、あなたの家族を祝福してあげよう」。果たして献身を通して、現在の妻と出会い結婚し、妹も妻を通して結婚相手に出会うことができた。他にも私の献身が、家族の祝福となったことを日々実感している。

神は私を召すという願いを実現し、私は家族の祝福と言う願いを実現した。Win-Winである。このように神と私たちとの関係は、一方通行でなく、互いの要求を実現し合う、ダイナミックな関係がある。

 祈りは神との交渉である。聖書的な原則があり、その方法に則るならば私たちは神と交渉することができる。

 

㋙交渉すべき内容を選ぶこと

 目下私たちにとっての心からの願いは、渡辺先生の癒しである。日曜から、他教会に出かけ、教団本部に出かけることを通し、多くの先生方にお会いした。そこで決まって聞かれるのは渡辺先生の状況である。私は聞かれる前から、どのように語るか準備していた。もちろん皆さんがお聞きしたい先生の状況について語る。だがプラスアルファ、私たちが神と交渉したい内容を必ず添えた。「先生ご夫妻とご家族、熊谷福音キリスト教会は、正晴先生の全快を確信して祈っています。先生方にもそのように祈って頂ければ幸いです」。そういって頭を下げる。私たち熊谷福音キリスト教会の交渉内容は、渡辺先生の全快である。この交渉内容を、他の皆さんにも協力して神様に申し上げて頂けるよう、ちょうど少しでも署名を集めるように、その交渉内容を宣伝させて頂いた。

 また私たち自身の問題についても、祈において交渉すべきである。病の癒し、問題の解決、自分の将来。様々な祈るべき交渉内容がある。

私自身は、祈りにおいて交渉中だということに集中するため、次のようなことをすることがある。例えば朝ご飯だけ等の部分断食。だがこれは健康に気を付ける必要がある。あるいは願いが聞かれるまで、自分の好きなものを断つ。自分が「それをしたい」と思う度毎に祈ることとなり、自分の交渉内容がいつも頭の中にあり集中できる。

 いずれにしても、交渉すべき内容を選んで、それを神様としっかり交渉していきたい。

 

Win-Winを狙うこと

 神の友アブラハムは神の願いを知り「公義を行う」という神の願いの延長線上に、「ソドムが救われる」と言う自分の願いの実現と重なる打開策を交渉した。

 渡辺正晴先生の癒しで言えば、ある方はこのように言っていた。「先生の時はまだ来ていない。この地上でやり残していることがある。ネームレス運動についても仕上げなければならない」。これは神様の御心に叶うことである。かつ「渡辺先生の癒し」という私たちの願いと重なる。神の願いに叶うこと及び渡辺先生の癒しの実現という両者が重なるところを自分なりに見つけ、それを交渉内容としよう。

 どんなことでもよいと思う。「まだ私の心の準備ができていません。渡辺先生が癒されなかったら、私自身ショックで立ち上がれなくなります」。十分交渉内容として通じると思う。私たちは神様がこらえきれなくなって、先生の癒しを実現するよう、あの手この手で、それぞれのWin-Winの祈りをささげていこう。

 同様に私たちの心の願いも、神の御心に叶い、かつ自分の願いの実現である妥協点を定め、祈っていこう。私はイギリス留学を願っている。そこでこのように祈ってきた。「神よ。私はあなたの召しにしたがって、伝道について研究します。これは日本の宣教のためであります。あなたの仕事をしようとするあなたの僕に恥を見させないでください。」

 神の御心は、聖書の中に記されている。また聖霊により、神の御心が心に示される。そのみ心と自分の心の願いの重なる点、すなわちWin-Winを祈り求めていこう。

 

㋘謙虚であること

 ルカ18:9-14によれば、神は高ぶるパリサイ人の祈りには耳を傾けないが、謙る取税人の祈りを聞かれたという。神は謙虚な者の願いを聞かれる。私が謙虚になるということは、逆に言えば、神を崇める、礼拝する、とも言い代えることができる。

 礼拝は、神の御名があがめられ、私たちが跪き、低くなるとき。この時に祈るのは特別な意味がある。それゆえに私たちは恵みの座が開かれるなら、前へ行って、渡辺牧師に祈って頂くわけである。礼拝における祈りは、我々の神との交渉が上手くいく絶好のチャンスである。

 今日も礼拝の中で渡辺牧師の癒しのために祈りたい。また自分自身のためにも祈ろう。我々は跪き、神を崇める。そのように私たちが謙るとき、神との交渉が上手くいく。

 

㋳やり抜くこと

 渡辺先生の病状について、医者の診断や、体調、また祈る私自身の調子も、千変万化することだろう。だが重要なのは、やり抜くことである。祈り続けることである。諦めないことである。希望を持ち続けることである。アブラハムが粘ってとりなし続けたように、私たちも粘ってとりなし続けたいと願う。

 私の例で言えば、イギリスで取ろうとしている学位は、終えることができるのは平均25%程だという。だが私は諦めない。粘り強く神に交渉し、その実現を追い求めていきたい。

 皆さんも同様であろう。その祈り願うことについてNever give up。決してあきらめずに、アブラハムのように、神に粘り勝ちしたい。

 

まとめ

 第一にアブラハムの交渉術について学んだ。コイケヤ、すなわち㋙交渉内容を選び、㋑Win-Winを狙い、㋘謙虚になり、㋳やり抜く、ということを学んだ。第二にこのアブラハムの交渉術は人との交渉にも当てはめることができる。ぜひ試してみてほしい。第三に、何よりも神との交渉において、アブラハムの方法をまねたい。早速、この後、祈りの時をしばらく持ちたいと思う。アブラハムに学びつつ、共に渡辺先生のいやしのために祈ろう。またご自分の願うことについても、アブラハムの方法を実践してみてほしい。まずは皆さんでご一緒に渡辺先生のために共に祈り、次に自分自身の願うことのために祈ろう。そして最後に釜谷嘉成さんに代表して祈って頂こう。