熊谷福音キリスト教会 聖日礼拝
説 教 者 山本憲治 牧師 2011.5.29
聖書箇所 マタイによる福音書28章16〜20節
「いつもあなたと共にいる」
今日の聖書箇所を読んでいただきましょう。
主は不思議なお方です。今私達と共におられるのに、日本中のあらゆる教会の兄弟姉妹達と共にいて下さいます。また、世界中の教会の兄弟姉妹達とも共にいて下さるのです。主の愛はこの瞬間も私達一人一人に対して、100%降り注がれているのです。「ここに100人いるからあなたは1/100」とはおっしゃらないのです。常に100%なのです。お祈りがなかなか答えられないのは、世界中の人達がそれぞれ違う願いを祈るためイエス様も集中力が分散して一人一人の祈りを聞くことができない。そのようなことは絶対にありません。主は一語一句、聞き漏らさずにあなたの祈りを聞かれています。あなたが信仰を持ったばかりであろうと、信仰歴どんなに長かろうと関係ありません。あなたの祈りは全てどこで祈った祈りであろうとも聞かれています。そして、しっかりと記憶されています。そして、最も良い時に、最も良い神様の方法で答えられるのです。なぜ、そんなにしっかりと聞いていただけるのでしょう。それは、イエス様が「いつもあなたと共にいて下さる」神様だからなのであります。
今日の聖書箇所から、私に向けられているその素晴らしいイエス様の愛を、しっかりと教えていただきましょう。
今日の第1のポイントです。
T.イエス様は共に歩む私達の未来を見て弟子として選ばれている。(16〜17節)
イエス様は復活より40日間、弟子達に現れ続けてくださいました。その間、マグダラのマリアを初めエマオの途上の二人、ペテロやトマスなどに個人的に顕れて下さり、主の復活の事実を示されました。しかし、40日の全ての記事が聖書に載っているわけではありません。きっと様々なエピソードがあったことでしょう。その弟子の数は使徒行伝から、12弟子を含めて120名くらいであることが分かります。
120名もいますと、一人一人の感じ方も相当違うと思います。ペテロ達のようにイエス様に直接に会い、復活の事実を確認し、従うべきお方が誰であるかということが、分かった者達は問題ないでしょう。しかし、中には常に遠巻きになってしまい、事態が飲み込みきれていない者もいたのではないでしょうか。
17節を見ますと、イエス様の指示の通りガリラヤの山に登りました。彼らは復活のイエス様を直接自分の目で見て、地上での最後の時を過ごします。この後主は、天にお戻りになられます。
イエス様に会うと彼らは、礼拝したとあります。礼拝は神様に捧げるものでありますから、彼らがイエス様を神様とみていることが分かります。そのような中にあっても、復活のイエス様を信じ切れずに、「あれが本当にイエス様?」と疑う者もいたのです。みんなが礼拝するから、取りあえず疑いながらも礼拝したのです。
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イエス様は神様であられます。当然のごとくその弟子達の事態を把握しておられたはずであります。しかし、主は弟子達を叱ったり、説教したりしておられません。それどころか、疑う者達も含めて、弟子としての使命をお与えになっているのです。何故でしょう。それは、イエス様の後に来られる聖霊様が、彼らに働かれる時に全てのことを思い出し、理解して主に従う者となることをイエス様は御存知であったからであります。
私達が主に仕えるのは、私達の単なる感情や自分の願いからではなく、また、自分の持っている力や理解力によるものでもありません。どこまでも、神様からの働きかけによるものであり、神様からの恵みによるのです。
ヨハネ14章26と29節を読みますと、良く理解できると思います。
ヨハネ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたが
たにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させ
るであろう。
ヨハネ 14:29 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時に
あなたがたが信じるためである。
イエス様を疑う者がいたのにもかかわらずこのように話されたのは、聖霊様がイエス様の語られたことを、時が来た時に必ず思い起こさせ、悟らせ、そして、力を与え立ち上がらせて下さることを知っておられたからなのです。この事からも、私達にとって神の言葉である聖書の御言葉が、如何に信仰生活に大切であるかが分かるのではないでしょうか。聖霊様は、何もないところに働かれているのではありません。主の御言葉を通して働いておられるのです。
今あなたに、何ができるのか、できているのかが問題ではありません。祈り心を持って、主が御言葉であなたに何を求めておられるのかを主に聞いて下さい。弟子達が用いられていったように、あなたも必ず主が用いてくださいます。
主に期待して待ち望みましょう。
次のポイントは
U.イエス様は神様の権威を持って私達の信仰生活を守られ、伝道するための力を与える。
(18〜20節)
ここでイエス様は、弟子達に驚くべきことを命じます。それは、ガリラヤの片田舎に住んでいた学もない彼らに、いきなりすべての国民に福音を伝えよと言われたのです。マルコの福音書では「全世界に出て行って」とあります。
弟子達に向かって主は、人種を問わず全ての人々に福音を伝えに行きなさいとおっしゃるのです。青天の霹靂とはこのようなことを言うのでしょう。でも、イエス様は決して彼らに自分の力で何とかしなさい、苦労して、自分で実力を付けて頑張りなさいとは言ってはおられないのです。
「私は天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」と言われます。その権威とは、天においても地上においても、どの権威も太刀打ちできないほどの力ある権威であります。「人にはできないが、神には何でもできる!」と言われたこの権威なのです。その神様の力の全面バックアップを受けて、神様の力により頼んで、神様があなた達を通して、素晴らしい神の御業をなさるのを見なさいとおっしゃっているのです。
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ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
あなたの信仰生活の中で、主の素晴らしい導きと御業を味わってほしいと思います。そのために、私達がしっかりと知っておかなくてはいけないことは、私達にもこの主の権威を与えて下さると言うことなのです。イエス様が神様の権威を持って私達の信仰生活を守り、伝道する力を与えて下さる。この事をしっかりと覚えて主イエス・キリスト様に従って参りましょう。
最後のポイントになります。
V.イエス様は私と片時も離れずにいつも一緒に歩んで下さる。(20節)
イエス様は、インマヌエル「神われらと共にいます」と呼ばれるとおりに、共にいて下さるお方です。しかし、共に居て下さるだけではなく、絶対に見放さず離れず、共にいて励まし平安と力に満たして下さるお方であります。
先日、私は信徒時代から諏訪の開拓をさせていただいていたことをお話しいたしました。その時に、初め土日は、八王子にある母教会まで通っていたことをお話ししました。その続きになります。
通っていたのですから、来たら帰らなくてはいけませんでした。朝八時半からの日曜学校に始まり午後5時に終わる公園伝道まで、本当に楽しくて仕方がありませんでした。そして最後の締めは、夕方からユースが集まり皆で夕食を作り、牧師先生と牧師婦人を囲んで夕食をするのです。最高に楽しい交わりの時でした。しかし、私は帰らなくてはいけません。諏訪に帰る高速バスの時間が食事をしていると間に合わなくなるのです。そこで、姉妹達がお弁当を作ってくれました。それはそれで感謝でした。毎回、一人の兄弟が私を中央高速道路にある高速バス停まで送って下さいました。彼は私の信仰の先輩でありよく励ましてくれました。彼がいなかったら続けられなかったと言えるほどに、よくしてくれた信仰の友であり先輩でした。
いつも見えなくなるまでバス停から見送ってくれたのです。しかしその後が問題です。どうしようもないくらいに切なさが襲ってくるのです。正直「八王子に戻りたい・・・。」そういう思いでした。
そういう時は賛美と祈りしかありません。当時はiPodはありませんでした。私の時代はソニーのウォークマンとカセットテープです。賛美を聞き祈りながら3時間をバスの中で過ごしました。すると不思議なことに、だんだん諏訪に近づいてきますと心が落ち着いてくるのです。そして、諏訪のバス停に到着して、一人街灯の少ない道を40分教会まで歩きました。諏訪は5時過ぎると外に人がいません。それを良いことに、賛美を聞きながら町中を大声で歌い、時には異言で祈りながら歩きました。きっと誰かが見ていたら、かなり怪しい人に見えたでしょう。でも、かまわなかったのです。何故なら、賛美し祈りなら歩む時、本当にどうしようもないくらいに、神様の愛と臨在を深く感じたからです。「私はあなたと共にいる!」主の愛に全身が包まれている感じでした。その時の歌はこのような歌詞でした。
「心を燃やして、この地を歩こう。祈りと賛美でこの地を満たせ。さぁ輝け、闇を照らせ、夜が明けるまで。賛美に満ち、愛に溢れ、輝け!」
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主が共にいて下さる。この確信を与え続けられたからこそ、諏訪の開拓を続けることができたのです。神様への奉仕は決して一人の人間の力でできることではありません。17年間の諏訪の開拓の間も主は常に共にいて下さいました。主の励まし方はワンパターンではなく、実に多彩です。結婚してからの13年は、妻がいてくれることが何よりの励ましでした。時には子供達が喜びと励ましになりました。そして、祈りと、多くの捧げ物をもって、時には諏訪まで来て下さり励まして下さった皆さんがいました。 心から感謝しています。
主は色々な方法を持って私を励まし続けて下さいました。そして、これからも主は変わることなく、私をこの熊谷の地で守り、導き、支え励まし続けて下さることを信じています。
主は特定の人だけではなく、ここにいる皆さん一人一人とも、常に一緒にいて下さるお方なのです。主は絶えずあなたと共にいて下さることを信じ、従って参りましょう。
今日の三つのポイントを最後に振り返りましょう。
T.イエス様は、主と共に歩む私達の未来を見て弟子として選ばれている。(16〜17節)
U.イエス様は神様の権威を持って私達の信仰生活を守られ、伝道するための力を与えて。
(18〜20節)
V.イエス様は私と片時も離れずにいつも一緒に歩んで下さる。(20節)
お祈りをいたします
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