聖日礼拝

 

者 山本憲治 牧師                               2011.7.31

聖書個所 マタイによる福音書4章1~11節

「試みの中にあっても」

 

先日日本は、女子サッカーのなでしこジャンパンの大活躍でもの凄く湧きかえりました。その興奮も冷めやらぬ中、先週は世界水泳2011で北島康介選手の大健闘がありました。おしくも2位銀メダルでしたが、その力強い泳ぎに私も興奮しました。しかし、私が一番感動したことは、200メートル競技で獲得した銀メダルではありません。北島選手は2回の競技に出場しました。その初戦の100メートルで四位と大敗しました。でも、彼はそこで腐ったありあきらめないで、インタビューでこのように答えていました。「結果は結果です。気持ちを切り替えて次に実力を出せるように頑張ります。」と・・・。北島選手は実力があり、大きく期待されていただけにその重圧は計り知れないものがあったと思います。それだけにこの負けは、彼にとって大きな試みであったと思うのです。彼が確かな実力者であり一流の選手であることが、次の200メートル競技で証明されたように思います。それは銀メダルを取ったからではなく、彼が掲げている金を獲得する目標からぶれないで最後までベストを尽くしたからです。

北島選手はインタビューで、今の自分の実力を出し切ったので悔しくても悔いはないと言っていました。それよりも改良点があることが分かったので、問題を克服し、実力を上げてまたチャレンジすると素晴らしいコメントをしたのです。

 世界水泳二位というのは誰もが認める素晴らしい結果だと思います。しかし、目標を勝ち取るまで頑張ろうとするその姿勢に感動したのです。

 私達クリスチャンの人生でも様々な試練に会いますが、そのようにぶれてはならないはっきりとした目標があります。それは人生を通して、多くの実を結び、イエスキリストに似た姿へと成長させていただくことです。自分に与えられた地上での使命を全うしてやがては、天の御国に帰らせていただけることでしょう。

 その目標がぶれることなく信仰に立つための方法を、主イエス様御自身がその命をもって示してくださいました。それは、死にいたるまで忠実に父なる神様の御心に従うことでした。その姿こそがイエス様の十字架なのです。

イエス様は、宣教活動の初めに、荒野で悪魔から大きな誘惑と試みに会われました。荒野で40日間断食をなさったのです。空腹という極限状態の中で主は、悪魔の試みを受けられました。それは、単にイエス様の実力を示すためではありませんでした。試みの多い人生の中で、私達がどの様にして様々な試みに対処していけばよいのか、悪魔の誘惑に対して、どのように勝利して行くべきかを教えるためでもありました。

 今日この個所から、いかにすれば悪魔の誘惑を退け「神様に従って生きる」ことが出来るのかを教えていただきましょう。

 

1.神様の御言に従って生きることは、神様の御業を見る人生を生きること。

 断食をして極度の空腹の中で、悪魔はイエス様に自分の力で、石をパンになるように命じてみたらどうかと誘惑してきました。イエス様はパンを石に変えることもお出来になったでしょう。

しかし、主はそうなさいませんでした。何故でしょうか。それは、悪魔の狙いが、イエス様に父なる神様から与えられている御力を、御自分のために使わせることにあったからです。自分の力を自分の為にだけ使うなら、罪人の私達となんら変わらないでしょう。

スペースシャトルに初の民間人が登場した時のことです。彼は巨万の富を持った大金持ちでありました。彼がシャトルに乗っておこなったことは何だったのでしょう。それは、地球を眺めながらクラシック音楽を聴くことでした。その為に彼が支払った金額は24億円です。ある新聞記者が彼にこのように尋ねました。「あなたがスペースシャトルに乗っていたその下では、多くの子供たちが飢えに苦しんでいます。あなたはその子達にそのお金を寄付しようと考えなかったのですか。」すると大金持ちは「私は多くの寄付も慈善活動もやっている、その一部を自分自身の為に使っただけだ。」と言って、自分の24億円を自分の為につかって何が悪いのかと言わんばかりに言ったそうです。

神戸の大震災の時のことです。ある一人の方が両親と妻を震災で失いました。幼い娘と二人きりになり、彼は失望の中で打ちひしがれていました。誰の励ましも彼の心には届かず、彼は失意の中、娘と命を断とうと考えたそうです。娘は父親に教会に行こうと誘いました。娘は日曜学校に通っていたので、教会が助けてくれると思ったのでしょう。教会ではオニギリを配給していました。親子で二つのおにぎりが渡されましたが、父親は娘に食べるように言いました。「どうせ死ぬのだから」と考えていたからです。しかし、幼い娘は「だめだよ、イエス様は与える方が幸いです。仲良く分けなさいって言っているんだよ」「はい、これはパパの」と言って手渡し、その小さな手にもおにぎりを握りながら「神様ありがとうございます。」と祈りました。その姿を見た時に、彼の目が開かれたそうです。「大丈夫だ、この子には神様がついている。」父親は生きる決意をして、その時から娘と教会に通うようになって、新しい人生をスタートしたそうです。

皆さんは、自分がどれほど素晴らしい神様の愛と恵みを与えられ、日々支えられているかを自覚しておられますか。私達はその自覚があまりにも乏しいゆえに、自分中心になってしまうのではないでしょうか。イエス様は正しい判断と行動をするために大切なことは、神の御言に立つことであると教えられているのです。24億ものお金を自分の楽しみのために浪費する大金持ちと、神の御言を信じておにぎりを分け合い、父親に生きる希望を与えた幼い娘との違いははっきりしています。

イエス様が用いられた申命記8章3節の御言を開いてみましょう。

それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。

 主は時として、災いを恵みに変える手段として用いられることがあります。それは、主が災いをも幸いに変えることがおできになる、恵みに満ち溢れたお方であることを私達が知る為でもあります。そして、それを確かにしてくれるのが、神の御言なのです。

 

2.主の御言の約束を信じ、主を心から信頼して生きる者となる。

 次に悪魔は、神様が御言の通りにしてくださるかどうか試してみるがよいと言ってきました。その言い方は巧妙で、「御言にあるではないか」と聖書の御言葉を利用してきました。二つの大切なことをここで学びましょう。一つは、正しく御言を読むということであります。もう一つは、神様を試してみることは、神様を信頼することにつながらないということです。

悪魔が利用した御言は、詩篇9112節からのものですが、詩篇91912節を読みましょう。

「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。                      2

これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。」とあります。悪魔は子の御言を悪用したのです。

それに対して、イエス様は、神様を信頼するとはどういうことかを御言で対抗いたします。神様を試すことは、信頼していないのと同じことだと、言う御言でありました。主は申命記6章16節を用いられます。そこに「マッサでしたように」という地名が出てきます。それは出エジプト記に出てくる地名です。出エジプト17章7節を見ますと

そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。

悪魔はイエス様に、これと同じあやまちを犯させようとしたのです。イエス様に対してだけではありません。私達にもあらゆる嘘を吹きこみ、神様に対して不信を抱くあやまちを犯させようと試みてくるのです。

 主を試してみること自体が疑っていることなので、信仰に結び付かないことを覚えておきましょう。また、御言の正しい理解と、聖書ストーリーを知っておくことも大切です。週報にある聖書日課を毎日お読みになって下さい。

 

3.神様への信仰をはっきりさせましょう。

 悪魔は最後に、自分を神として崇めよ、そうすれば世界を与えようと欲望に訴えてきました。それは、神様の主権に対して真っ向勝負してくる試みです。ここでも、イエス様ははっきりと御言葉で悪魔を退けています。申命記6章13〜14節の御言を用いて、

サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」と言われたのです。

イエスキリストを自分の神様として信じ心にお迎えしておられる方は、あなたの周りの人々にも、信仰を表明してまいりましょう。そうすることにより、あなたのクリスチャンとしての信仰を主が守ってくださいます。信仰決心をまだなさっていない方、迷っておられる方も、一日も早く信仰決心が出来るように心よりお祈りいたします。

 

 イエス様は、私達がはっきりと信仰を表明し、主の御言に従う者となるように、信仰の在り方を示してくださいました。主が教えてくださった主の祈りには、「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」とあります。できるだけ試みには会いたくないものであります。しかし、私達の人生には、誘惑や試みがつきものであるようです。でも、心配しないで下さい。主イエス様御自身が、それに打ち勝つ方法を教えてくださいます。主を信頼して従っていくならば、私達は主の愛と御力によって勝利させていただけます。

あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。」              第一ペテロ5章10〜11節

 

主は最大の試みともいえる十字架の死に至るまで従順に従ってくださいました。死んで葬られ、三日目に復活をすることによって、神様が与える確かな勝利があることを示してくださったのです。イエス様御自身が、勝利への道を勝ち取ってくださったことを心より感謝して主に従っていきましょう。