聖日礼拝

 

説教者 山本憲治 牧師                                  2011.9.18

聖書個所 マタイによる福音書6章25〜-34節

『空の鳥、野の花を見なさい』 

 

 皆さんは、地球は丸いだけではなく、北極と南極を軸に15°傾いていて、時速約1,700キロ1674.4km/h、マッハ1.7と言うジェット戦闘機なみの速さで回転していることを御存知ですか。

  私の息子の話になりますが、まだ保育園に通っていた頃のことです。ある日息子は「パパ大丈夫かな?」と何か不安げに訪ねてきました。「どうしたの?」と訪ねてみますと、保育園で友達から地球は丸くて凄い速さで回っていることを聞いたようです。問題はそこではなく、その友達がボールを持ってきて「これがたっくんと僕ね」と言ってボールの上に二つ石をのせました。そしておもいっきり回転させると、二つの石はどこかに飛んでいったのです。息子は「自分」に例えられた石が、飛んでいったことにショックを受けたのです。そして、自分もいつか飛んで行ってしまうのではないかと、自宅に帰るまで不安にかられていたようであります。そこで、私は息子に言いました。「大丈夫、イエス様がたっくんが飛んでいかないように、重力って言う力でたっくんの足をしっかりと支えているから心配しなくていいよ。」すると息子は自分の足の裏をのぞき込んでいました。

 笑ってしまうような話でありますが、私達も神様から見るならば余分な取り越し苦労とも言えるようなことをしているのかもしれません。まだ起こってもいないことであれこれと心を悩ませておられる方はいらっしゃいませんか。

 今日の御言マタイ福音書6章25〜34節で、イエス様は繰り返し「思い煩うな」とおっしゃっています。

 イエス様は言われました。「思い煩わないで目を上げなさい。父なる神様が創造された、大空に舞う空の鳥を見てみなさい。父なる神様が空の鳥を養っておられるではないか。大地に鮮やかに咲き乱れる、野の花をご覧なさい。神様が見事に花を咲かせて下さっているではないか。あなたは神様の目から見るならば、高価で尊い存在なのです。神様があなたを養い、守り、導いて下さいます。だから、神様を第一にして生活をしなさい。過去に捕らわれたり、まだ起きてもいないことを心配したり、思い煩らわないでいなさい。主を信じ全てを委ねて、今日という日を一生懸命に生きなさい。」

 イエス様の御言葉から平安と希望を新たに頂いてあらゆる、思い煩いから解放してもらってください。今日から主イエス様の恵みにあふれた一週間を、主に導かれて歩ませていただきましょう。

 

T.思い煩う前に空の鳥、野の花を見ましょう。(6:25〜30)

 イエス様は、私達が「思い煩う」者であることを、よく分かっておられます。マタイ6章24節に「あなたは神と富とに兼ね仕えることはできない。」と主はおっしゃっています。

 私達にとってお金は、衣食住のために必要なものです。しかし、お金は必要のために使うものであって信頼するものではありません。今あなたは経済の問題に振り回されて不安を抱えていたり、ご苦労なさっているかもしれません。

  教会から離れていってしまう方々の理由の一つに「今生活と仕事に追われていて大変なんです。また余裕が出来たら教会に行きます。」と言うことを聞きます。余裕が出来たらとは何時のことを言うのでしょうか。

 創世記に登場しますアブラハム、イサク、ヤコブなどの人物を見てみますと、彼らはたえずと言って良いほど住むところを移動する生活を送っていました。彼らは遊牧民族であり、神様の導きに従って移動し、良い牧草地を捜し当てて移り住んでいたようです。そんな彼らに、共通しているところがあります。それは、一つの所に到着すると彼らは、天幕を張ったりして生活の準備を始める前に、まず主の祭壇を築き礼拝を神様に捧げたことであります。 

 創世記26章23〜25節にイサクの生きる姿勢が書かれてます。イサクは主に導かれて、ベールシェバに行きました。イサクはそこが、主が導かれた土地であることを確信します。すると彼はまず第一に主の祭壇を築いて「主の名を呼び」とあるように礼拝を捧げました。

 その次に天幕を張り「家族の場」を築きました。そして三番目に「井戸」を掘りました。彼ら遊牧民にとって水は、自分達が飲む飲料水であると同時に、家畜に与える大切のものであります。水がなければ、家畜が飼えず仕事が出来ません。つまり、井戸を掘るとは仕事の準備をすることなのです。

 「神様、家庭、仕事」これが神様の祝福を頂く順序と言えます。私達の生活の中でそれが守られていますでしょうか。この順序を正しく守ることが出来るように、主に祈りましょう。

 イエス様は33年半の御生涯の中で、生きるためには衣食住が必要であることを自らの体験からもよく分かっておられました。そのイエス様が「衣食住のことで思い煩うな」とおっしゃっておられるのです。主がおっしゃりたいことは、神様と衣食住のどちらが先かということです。

 日本ではこの順序が逆となり「仕事、家庭、神様」と言う生活が、当たり前になっています。その結果として、思い煩いに、心が支配されて、平安を失ってしまうのではないでしょうか。

 聖書は6章27節で、そのような思い煩いが、病の原因となることも指摘されています。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 多くの人々に襲いかかる現代病とも言われる病は、様々な悩みがもたらす思い煩いから来るストレスが原因とも言われています。思い煩いは、寿命を延ばすどころか縮めてしまうものであります。

主は詩篇の中でこのように言われています。

悩みの日にわたしを呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしを崇めるであろう』(詩篇5015)。 

「思い煩い」という言葉の意味は、「心を分割する」ということだそうです。神様を後回しにして、人の言葉やお金や世の助けを求めることによって、心が神様と他のことに分割されてしまう・・・これが思い煩いの姿です。

思い煩うことによって、あなたの心が散り散りバラバラにならないように、今日あなたの心をイエス様だけに向けて頼るように定めましょう。

 

U.神様は私たちの必要をご存知です。(6:31−32)

 イエス様は私達に「思い煩わないで、神様に頼りなさい」とおっしゃっています。32節にあります。「異邦人」とはユダヤ人以外の人々のことをそのように呼びました。「神様を信じていない人」と、とらえて良いでしょう。異邦人は衣食住のことに心を奪われ、それらを切に求めていると主は言われます。しかし、神様は私達が求める前から、私達の必要をことごとく御存知であると言っておられるのです。

 とは言うものの、現実は何か困難や問題が起これば、思い煩ってしまうのが私達の弱さであります。そこで、思い煩いから解放されるためにどうしたら良いのか考えてみましょう。

 

大切なことは、主の御名によって祈ることです。主イエス様は、32節後半『あなた方の天の父は、これらのものが、ことごとくあなた方に必要であることをご存知である』とおっしゃっています。

神様は私たちが何を必要とするのかを御存知なのです。私たちが聖霊に導かれて祈る時、不安や恐れが取り除かれていきます。そして、神様があなたに与えようと望んでおられるものを、受け取ることが出来るように心が整えられていくのです。熱心に祈り求めることは大事なことです。しかし、神様は私たちが祈る前から、私たちに良いものを与えようと待っておられるのです。祈ることによって、この世の思い煩いから解放され、神様が与えようとする良いものを受け取る心の準備ができて行くのです。祈らないと、心はこの世のことに捕らわれてしまい、神様の恵みを受け取ることが出来ないのです。

神様にまずお祈りし信頼し続けましょう。自分の生活について、計画を立てたり、準備をすることは必要です。しかし、神様がそれを祝福して下さらなければ、私たちの計画も準備も空しいものになってしまいます。ですから、空の鳥を養い、野の花を装って下さる神様に心から信頼して行くことが大切なのです。主イエスは、天地万物を創造され、支配し、支えておられる父なる神様にどんな時にも信頼していくようにと私達に求めておられます。

 

V.神を第一に求め信頼する生活。(6:33−34)

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて

 添えて与えられるであろう。

 この33節の御言は、私達クリスチャンにとって大切な御言葉と言えます。最初の方でイサクの話をいたしました。神様を愛し信じる者は、まず主を礼拝することから始まると教えられました。それは、まず何よりも神様を第一にして生活をしなさいということです。旧約から今日に至るまで、神様の御言は変わりません。神様を第一にするならば、主は私達の生涯を支えて下さると、約束して下さっているのです。

 では、神様を第一にする生活とはどのような生活を言うのでしょうか。それは、主を日々礼拝する生活であります。朝起きたらまず主の前に祈り御名を崇め、一日を始める。一日を終えたら、感謝の祈りを持って主を褒め称え一日を閉じる。一週の初めの日曜日に礼拝を捧げ、また水曜日の祈り会に出て祈る。早天祈祷会もあります。毎日御言葉を読んで祈り、教会の集会に励んで、礼拝の生活を継続することがあなたの信仰生活に恵みをもたらす秘訣でもあります。

 

 私がクリスチャンになる前の高校生のころのことです。一つの悩みや問題が終わると直ぐに次のことが起こり、まるで順番を待っていたかのごとく沸いてくる悩みと問題に、苦しんでいた時期があります。

 当時は祈りもしりませんでした。解決方法は、問題から逃げることでした。友人と遊んだり、映画を見に行ったり、部活動も朝は柔道、放課後はバスケットボールと、とにかく気晴らしになることを何でもいたしました。

 高校生になってからは、よく仲間の家に行ってうまくもない酒たばこで気を紛らわしていました。酒は高校生の時に、胃をおかしくしてから飲めなくなりました。親にはそのことを話してはいませんが、たぶん気がついていたでしょう。

 どんなに気を紛らわして一時的に忘れることはあっても、悩みと問題が解決したわけではありません。問題は依然として私の心の中にどっかりと居坐っているのです。祈りを知らなかった私は、問題を解決すると言うよりも、心をごまかしてでも忘れていたいと思っていたのです。

 大学生の時に私はクリスチャンになりました。しかし、クリスチャンになって直ぐに悩みや問題がなくなったかと言いますと、そうではありませんでした。

 私は、イエス様を信じて救われ、クリスチャンになるのと同時に社会人になりました。その頃私は23年間生きた中で、最大の困難にぶつかってへこんでいました。しかし、イエス様を信じて救われた私には、未信者の時とは違う大きな武器がありました。それは、主イエスの名によって祈ることです。

 祈りを聞いていただくのに、初心者も経験者も関係ありません。私は、祈ったと言うよりは、デーパートの床で転げ回って親にダダをこねる幼子のように、主に訴えていたように思います。イエス様に祈っていく時に、自分の心をごまかすのではなく、主に正直に求めると一つ一つが丁寧に解決されていくことを私は学びました。

 祈りの素晴らしさを知ってからは、悩みや問題、困難で思い煩い続けるよりも、祈る方を選ぶ決断をするようになっていったのです。主はどんな時も解決を与えて下さいました。必要がある時には必要を満たして下さいました。そのたびごとに、「神様を第一にする方が絶対いい!」と確信を強めていったのです。

 

まとめ

  日常の必要や問題、困難で思い煩うよりも「空の鳥、野の花を見なさい」と言われる主に祈って解決していただきましょう。明日のことを悩み、思い煩って苦しむよりも、主イエスの名によって祈り、平安を日々受け取って下さい。

聖霊様の助けと導きをいただき、今週は静まって祈る時間を多く取るようにチャレンジして下さい。主の祝福をたくさん受け取っていけるように「まず神の国と神の義を求め」祈り続ける決断をいたしましょう。