聖日礼拝

 

説教者 山本憲治 牧師

聖書箇所 コロサイ4章2〜6節

『祈りと伝道』 

 

 イギリスの牧師であったジョージ・ミュラーは、孤児院を開き、多くの孤児を育てることにより、イエス・キリストによる愛の証をしました。また、彼は祈りの人とも呼ばれていました。そして次のよう言葉を残しています。

 「私は二人の人が救われるために23年間祈り続けています。私が祈った何百何千という祈りは答えられているが、この二人の救いに関しては今に至るまで答がないのです。しかし、長く待てば待つほど、祝福は尊く、また甘美なものとなる」。祈っていたうちの一人は、ミュラーの死の直前に回心したとあります。もう一人は、ミュラーの召天後一年ほど経てから救われたということです。

 今日は(二部の)礼拝の中で、中村幸一朗君と塩野恵子さんの洗礼式を行います。ミュラーが友人二人のために祈り続けたように、お二人の救いのために祈り続けた方々がいると思います。二人だけではありません。ここにいます全員が、個人的に祈って下さったり、導いて下さった方々がその背後におられるのではないでしょうか。私達の背後で絶えざる祈りや宣教の働きがあったからこそ、私達も救いに導かれてきたのであります。

 今日洗礼を受けるお二人が、主イエス様と共に新しい人生を始めるに当たって、私達もどのようにして自分が救われたのかを思い起こしながら初心に返り、祈りと伝道の大切さを学んで参りましょう。

 

T.「目を覚まして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。」(4章2節) 

 「目を覚まして」とあります。目を覚ますということは、しっかりと神の約束に立ち、霊の目、霊の耳を開いていただいて、神様はこのように約束してくださった。神様はこのように言われた。神の恵みは、こんなにも素晴らしいものだと信じていくことであります。

 ゲッセマネの園で、イエス様が眠っている弟子達に「目を覚ましていなさい」と言われましたが、イエス様が目を覚ましていなさいと言われることは、いつも祈りと結びついており、弟子達に祈りなさいとおっしゃっているのです。

 「感謝のうちに」とあります。感謝を思い出し、数えて、一つ一つの感謝を神様に申し上げます。素直に感謝できない状況の時もありますが、そんな中でも感謝を数え始めると、きりがない程、感謝することがいっぱいあることに気が付かされます。

 

2節の後半に「ひたすら祈り続けなさい」とあります。「ひたすら」とはたゆみなく、根気強くという意味でもあります。祈りに飽きたり、諦めたりしないで、小さなことも、大きなことも、ことあるごとに祈り続けなさいと言うことです。

自分一人では、背負いきれないと思えるような試練を通らされることがあります。また、自分一人の祈りでは、乗り越えられないような気持ちになることもあると思います。

 祈りの要請や相談が私や敦子先生、睦子先生の所に毎日きます。直接教会に飛び込んで来られたり、メールや電話で祈りのリクエストが寄せられます。私はヨハネ14章14節の「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」と言う御言を信じて祈ります。祈り続けていく時に、解決が与えられていくのです。もちろん継続中の祈りもあります。今朝イエス・キリストの御名によって信じて祈りましょう。必ず平安と共に祈りの答が与えられて行きます。

 

U.人々にキリストの福音を伝えることができるように祈ってほしい。

                        (4章3〜4節)

同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように、(3節)

また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。(4節)

 3節でパウロは、自分たちへの祈りを求め、また特にパウロ個人のために祈ってほしいと訴えています。パウロは捕らえられてローマの獄中にいましたが、彼を支え続ける人々がいました。パウロの母教会であるアンテオケ教会や、彼が開拓した教会が常に祈っていました。献金を捧げる人々がいたことも記されていますし、諸教会との連絡係がいたことも書いてあります。

 いろいろな人がチームを組んでパウロの伝道に協力していたようです。彼がローマの獄中にいても多くの人々が彼を支えていました。パウロと伝道チームの目的は「キリストの奥義を語ること」です。キリストの奥義とは福音のことであります。

 それは誰でも、キリストの十字架が自分のためであると信じて悔い改めるならば、罪を赦され救われ生まれ変わります。永遠の命が与えられ、やがて天国に迎えられるという救いの福音です。福音を語るとは、キリストの十字架と復活を人々に伝えていくということです。これこそが教会の変わることのない目的であり、クリスチャン一人一人に与えられている使命なのです。

 パウロは、4節で「私が語るべきことをハッキリ語れるように祈ってほしい」と言っています。この御言からも、パウロの最大の関心はキリストを伝道することにあることが良く分ります。

 皆さん、ぜひ私達夫婦と睦子先生のためにも祈って下さい。私が聖書の中心であるイエス・キリストを誰に対しても分りやすく語り続けることができるように祈って下さい。イエス様を語らなければ救いはありません。イエス様を信じ受け入れる決断がなければ知識だけの命のない信仰になってしまいます。

 難しい神学書を読んで学ぶ必要もあるでしょう。しかし聖書に優るものはありません。どんなにすごいことが書かれている神学書も、聖書を越えることはありえません。

 聖書を読む目的は主をもっと深く知り、信じ、主に従う決断をしていくことです。パウロは聖書の指し示す救い主イエス・キリストをハッキリ語れるように祈ってほしいと訴えているのです。

  教会の目的と使命はイエス・キリストを知り、このお方を伝えていくことにあります。キリストを人々に伝えて行くならば、神は救われる仲間を必ず教会に加えて下さいます。

 渡辺正晴先生の説教の中に、今から37〜8年ほど前、この教会の礼拝出席者が

11名くらいの時に、アメリカより豊留先生を招き一週間ぶっとうしで「個人伝道」の研修会をしたということが記されてありました。

 その時の学びに参加された方々も、今もここにいらっしゃると思います。

 豊留先生はイエス・キリストを伝えるためには ➀聖書を読み、➁祈り、➂集会に常に出席し、C献金を捧げ、D奉仕に励むという教会生活が基本であること。誰に対してもイエス様の十字架と復活を伝えること。全てに優って主を愛し、「キリスト一筋」「キリスト命」「キリストきちがいJesus crazy」になりなさいと、聖書に基づいて教えられたそうです。

 私は今までに、色々な先生からこのような質問をされました。「渡辺先生はあんなに物静かな方なのに、どうして教会があのように大きく成長するのですか。」

その答えは、まさに「個人伝道」を通して、コツコツとイエス・キリスト様を皆で伝えて来たところにあると思います。「キリストを喜び、キリストを伝える教会」と言う教会の標語も、それを表していると思います。

 私達の周りには、イエス様の救いを必要としている人々が大勢おられます。その方々にイエス様の救いを伝えることができるように祈りましょう。

 

V.今の時を生かして用い、賢く行動しなさい(4章5〜6節)

 5〜6節において、パウロは実際的なアドバイスをしています。前半で「今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい」とあります。「今の時」とは、私たちが日常生活をしている今この時のことです。そして「賢く行動しなさい」というのは、他の人々に対してイエス様を信じることの素晴らしさを、生活の中で表して行きなさいと勧められているのです。

 

 茅野で伝道している時のことです。三人のお子さんを持った一人の御婦人が救われました。イエス様を信じるまでは、彼女の知り合いの中でも煙たがられるような存在であったようです。しかし、イエス様を信じてからは、大きく変えられていきました。聖日礼拝や祈祷会を守りました。仕事の休みの時は、早天にも出席しておられました。教会に来ることを喜びとし、お子さん達も喜んで教会に来ていました。自分以外の人にも関心を持てるようになり他の人々のために、祈る人になっていきました。徐々にではありましたが、彼女を知る人々はその変わっていく姿に驚いたようです。私達が諏訪を去る直前には、彼女の知り合いの中から、教会に来られる方も起こされてきていました。

 自分に与えられている人生が、イエス様中心となり、イエス様を信じる素晴らしさを、周りの人々に表していくことが、クリスチャンとして賢く行動することであります。この女性はまさに、イエス様を信じることによって人生が変えられ、主の祝福を豊かに受けることができたのです。

 

 6節に「塩で味付けられた、やさしい言葉を使いなさい」とありますが、キリストの福音を語るべき時には、愛と確信を持って語りなさいと言われているのです。

 ある宣教師のお供をして、一人の90歳近いおばあさんを訪ねたことがあります。その先生はおばあさんに会うと「おばあちゃん、私も年をとっています。しかし私には希望があります。死んでもイエス様のいる天国へ行けるからです。おばあちゃん、イエス様を信じれば救われて、天国に行くことができるのですよ。」と、老い先の短い御老人に対し、愛と信仰を持ってはっきりと福音を語られたのです。日本人はどちらかというと、死ぬとか天国とかいうことをあまり語りたがらないと思います。「縁起でもない」と怒られるかもしれません。しかし誰でも死ぬことは現実のことです。その宣教師は、私達を死の滅びより救い、永遠の命をくださる救い主イエス様を信じてくださいと、優しさと確信をもって福音を伝えました。おばあさんは熱心に話を聞いていらっしゃいました。その時すぐには信じませんでしたが、後日クリスチャンになったと言う話を聞いて、伝道することができて本当に良かったと感謝しました。

 福音を伝える時は、当たり障りのない遠回しの言葉ではなく、イエス様の愛をいただき確信を持って福音を語ることができるようにお祈りいたしましょう。